祝福の一太刀


 仕事を終えて自宅へ向かう道の途中で、カイは見覚えのあるシルエットを発見した。大きな通の明かりを避けるように脇道に足を止めたその男は、カイの眼を見ると気だるそうに息を吐いた。
「ソル……!」
 カイは思わず駆け出そうとしていた。だが、その男は逃げる素振りを見せはしなかった。いつもならこちらの存在に気付くと同時に踵を返し、カイの視界にとまったのは、翻った長い後ろ髪だけだったということすら珍しくはないというのに。
 カイは足早に――しかし慌てていると見られるのも癪だったので、出来るだけ堂々として見えるように――その男に近付いた。赫い眼は逸らされ、口を開くまでも無く「面倒くせぇ」とその表情が言ってはいたが、2本の足はその場から離れていない。
「ようやく観念したのか。それとも、何かたくらんでいるのか?」
 カイがそう言うと、返ってきたのは小さな舌打ちだった。
 男は――ソルは――、見るからに重そうな封炎剣を片手で構えた。カイは思わず眼を見開いていた。ソルのその力に、ではない。ソルが――いつもは真面目に相手になってもくれない『あの』ソルが――、態度こそカイとの対決を望んではいないが、それでも簡単に戦闘態勢に入っ――てくれ――たことに、驚いていた。
「どういう風の吹き廻しだ?」
「お前が嫌ならいいんだぜ。本当なら、坊やに構ってるほど暇じゃねぇ」
 やっと発した言葉自体は、いつものそれと然程違わない。「坊やと遊んでやってる暇はないんでな」。そう言って逃げ去られたことは何度もある。むしろそれが普通と言ってしまって良いくらいだったのだが、今日のソルは、構えた剣を下ろそうとはしなかった。ほぼ一方的にライバルを自称しているカイであったが、もしかしたらやっとソルもそうだと認めてくれたのだとでも言うのだろうか。胸の中心で灯った炎のような感覚は、戦いの緊張感がもたらすもの、それだけだろうか。
 カイは足を肩の幅に広げ、右手に持った剣に力を集中させた。
「来な」
 低い声でソルが言う。それが、戦闘開始の合図だった。周囲の空気が一気に張り詰める。それと同時に、息を呑むほどの強い力を感じた。
(馬鹿な……)
 人外の力を持つソルは強い。そんなことは以前から分かっていたことだ。しかし今は、今まで以上にその強さが伝わってくるようであった。ソルはまだなにもしていない。ただ構えているだけだ。それなのに。
 カイとて、日々の鍛錬を怠ったことはなかった。特に実戦が続いたこの数日間は、自分でもはっきりと分かるほど実力が上がっている。前回ソルと戦った時――ソルにしてみれば軽くあしらっただけだったのかも知れないが――と比べると、間違いなく今の自分は強くなっているはずである。なのに、その時よりも、ソルとの力の差を感じずにはいられなかった。
(なぜ……)
「どうした。かかっても来れねぇのか?」
 揶揄するように言うと、ソルは肩をすくめてみせた。
「くっ……」
 カイは地面を蹴った。無理に自身を奮い立たせるように声を上げる。
「喰らえ!」
 蒼白い雷を帯びた剣を振り下ろしながら、カイは一気に距離を詰めた。下手に離れれば自分の中にある闘争心が消えてしまいそうだった。怖気付いてなどいない。そう自身に言い聞かせるように、かわされた剣を振り上げる。
 剣と剣がぶつかり合う音の合間に、何事かと足をとめた通行人のざわめきが混ざった。いくら人通りの少ない小道だからといっても、それでもさすがにゼロということはない。しかも、大きな通から少し覗き込めば、封炎剣と封雷剣が放つ光は充分目立つ。場所を変えれば良かったと思ったが、それも今さらだ。そんなことをしている間に、ソルの気が変わってしまうかも知れない。長引かせることは出来ない。通行人に通報でもされれば面倒だ。そうでなくても、長期戦はカイの方が明らかに不利だ。
「スタンエッジ!」
 剣先から放たれた雷の直線的な動きを、ソルは眉一つ動かすことなく回避した。しかしカイは、その弾道をなぞるように距離を詰め、先の攻撃をジャンプでかわしたソルの着地地点へと先廻りしていた。まだ空中にいるソルを追うように、大地を蹴る。
「もらった!!」
 しかし、振り上げた剣は相手の剣によって受けとめられていた。体勢の悪い空中でなお、剣を握るソルの腕は揺らぐことすらなく、逆にこちらの剣を弾き飛ばされそうになった。
「くっ……」
 バランスを崩しかけたがなんとか片足ずつ着地する。攻撃を受けとめられた右腕が、その衝撃の余波にわずかに痺れていた。
 対するソルは、封炎剣の熱風を纏っていながらも涼しげな様子だ。ヘッドギアと無造作に伸びた髪、さらには夜の帳に大半を隠された表情は、それでもはっきりと見て取れた。「かかって来いよ」と眼が言っている。
 ふと、そんな光景を、以前にも眼にしたことがあるような気がした。
(いつ……?)
 剣を肩に担いだソル。その髪は、身体を冷やす風に吹かれて靡いている。「どうした。もう終わりか?」と動く唇。現実の光景と記憶の中のそれが重なって、手ブレ写真のように輪郭を滲ませる。
(これは……ただのデジャヴ?)
「今度はこっちから行くぜ」
 剣を構えなおしたソルが短く吼えた。集中力をわずかに散漫させていたカイは、その一太刀を刀身で受けとめるのが精一杯だった。防ぎ切れずに体勢を崩されそうになる。2つの剣越しに、ソルの赫い瞳が見えた。
(重い……!)
 あの時よりも。
(……『あの時』……?)
 今眼の前にあるのと、よく似た光景。響いた音まで瓜二つだ。場所も、確かこの辺りだったように思う。季節もそう、丁度今頃、冷たい風が吹いていた。
(私は、前にも同じようにソルと戦ったことが……?)
 だがソルがまともに相手になってくれることなど、1年の内に数回しかないはずだ。
(1年……?)
 ソルは掛け声と共に、封炎剣を振り下ろした。冬の気配を見せ始めていた冷たい風が、熱風によってかき消される。
 カイがかわした剣は、地面を抉った。舗装が剥がれ、瓦礫がいくつもの礫へと変化する。反射的に腕でガードしたカイは、ソルが深く踏み込むのを見た。拙いと思った時には、後方へ蹴り飛ばされていた。そのまま近くの建物の壁に背中を強く打ち付けられ、その衝撃に一瞬呼吸がとまる。
「っ…………」
 壁で身体を支え、なんとか崩れ落ちてしまうのだけは堪えた。
 水中から顔を上げた時のように音を立てて息をすると、封炎剣によって熱せられた空気が一気に肺に流れ込んできた。思わず咽そうになったカイの顔の数センチ横に、重たい音を立てて赫い剣が突き立てられた。金色の髪の毛が数本、はらはらと地面に落ちた。
 眼の前にソルの顔があった。呼吸が触れそうなその至近距離に、カイは再び息をとめた。
 数秒の間の後に、ソルは何も言わずにカイから離れた。壁から引き抜いた剣を肩に担ぐと、無防備にもカイに背中を向けた。だが、カイにその背中を狙うことは出来なかった。時間にしてほんの数分。たったそれだけの短い間で、カイは認めざるを得ない状況に追いやられていた。
(勝てない……)
 少なくとも今はまだ。警戒心のないその背中にさえ、決定的な一撃を喰らわせられるとは思えなかった。その事実を受け入れつつも、悔しさに歯を食いしばった。
「坊やだからさ」
 「なぜ」と言おうとしたのを見抜いたかのように、ソルは肩越しに振り返った。いつもソルは、わざと負ける時も勝つ時も、不機嫌そうな眼をしている。いや、怒りや苦しみ、さらには悲しみがない交ぜになった、そんな眼だ。彼が戦っているものは、一体なんなのだろうか。それを知りたくて、カイはソルを追っているのかも知れない。だが今日は――今日のソルは――、そんないつもの眼はどこにもなかった。笑っていた。暖かな微笑みなんかではない。元々眼付きの悪い男だ。子供が見れば充分泣き出すレベルだろう。それでも、確かに笑っている。そこにあるのは、間違いなく“喜”の感情だ。
 ソルは改めてにやりと笑うと、口を開いた。
「だが、坊やは坊やなりに一応は成長しているようだな」
 ソルは何を言おうとしているのだろう。カイは、ただじっとその顔を見詰めていることしか出来なかった。
「多少は強くなってるぜ? 1年前よりはな」
「1年……」
(――あ)
 カイの頭の中に、2桁の数字が2つ浮かんできた。1のぞろ目と、もう1つは20だ。
「相手の強さが分かるのは、自分が強くなった証拠だ」
 再びカイに背を向け、ソルは長い髪を靡かせながら歩き出した。もう、立ち止まる気も振り返る気もないようだ。挨拶の代わりの言葉だけが飛んできた。
「Bon anniversaire」
 一瞬意味が分からなかったのは、発音が適当だったからだ。加えてソルの口からそんな言葉が出てくることが驚く程意外だった。
 カイが呆気に取られている間に、ソルは姿を消してしまった。残されたのは本日誕生日を迎えたばりの男と、野次馬のざわめきだけだった。先程よりも人が増えてきているようだ。そろそろ誰かが警察を呼んでいてもおかしくない。カイの立場上、この場でいつまでも呆然としているのは非常に拙い。どうやって事態を収拾させようかと考えながら、カイは法衣の裾を翻した。
(……まったく……、下手くそなフランス語なんて使って……)
 夜風は封炎剣によって奪われた冷たさを取り戻し出していた。それは、赤く火照ったカイの頬を静かに撫でていった。


2012,11,20


ソルは誕生日プレゼントなんて気の利いたものは思い付かないだろうから、
代わりにちゃんとと勝負してあげたらいいと思います。
格ゲーなんだから戦闘シーンを書きたい! と思ったのですが、
せめて眠ってるゲームソフト引っ張り出してきてソルとカイだけでも動かしてみればよかったと思ってます。
くそう、テレビがDQに占領されてさえいなければ……ッ。
ところで彼等は普段は何語で会話してるんでしょうか。
チップやジョニーの変な言葉遣い見ると、英語ですらないのでは……と思うのですが。
世界共通語とかあるのかな?
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system