I don't know


 外でひと仕事終えてきたカイは、時間を確認すると本部へ向って歩き出した。陽は既に落ちかけているが、今からすぐ戻ればまだ書類の整理が出来る時間だ。そう思いながら長い足を素早く、大きく動かしていると、後ろから少女のものにしか聞こえない声が飛んできた。
「カイさん、こんにちは」
 歩みをとめて振り返れば、通りを挟んだ向こう側に、無邪気な微笑みがあった。
「ああ、ブリジットさん。こんにちは」
 微笑み返すとブリジットは、両腕で抱いたクマのぬいぐるみにお辞儀をさせるような動きをとらせ、小走りに近寄ってきた。ただ通り過ぎて行くカイの姿を見付けて、挨拶をしたかっただけというのではなさそうだ。何か用があるらしい。
「お仕事中ですか?」
「はい。今から戻るところです。貴方はお散歩中ですか?」
 おそらく違うだろうと思いながら尋ねると、案の定、ブリジットは首を横へ振った。
「いえ、ウチも仕事中なんです」
「……と言うと、賞金稼ぎ……ですか」
「はい。それはもちろん!」
 明るく答えるブリジットに、カイはこっそり溜め息を吐いた。それが報酬目当てであったとしても、人々の平和を脅かす犯罪者を捕らえようとするのは決して悪いことではない。しかし、それを本来ならば保護者の庇護下にあるべき少年が……というのに、市民を守る立場であるカイは賛成出来ないでいた。しかも違うと分かってはいても、か弱い少女にしか見えない彼が危機感も持たずに賞金稼ぎを名乗っているのだから余計に危なく思ってしまうのだ。だが同時に、彼の家庭の事情も知っているだけに、頭ごなしに今すぐやめろと言うわけにもいかない。
「あの、カイさん」
 そんな逡巡を躊躇う風でもなく中断させて、ブリジットはカイの顔を覗き込んできた。
「お仕事中すみませんが、ソルさんがどこにいるかご存知ですか?」
 その質問に、カイは瞬きを繰り返した。
「ソル?」
 特殊な事情の下で生まれ育ったとはいえ、真っ当な人間であるブリジットが、よりによってソルのような「真っ当」の対極にいる者に一体何の用があるのか……。
「ソルは確かに極悪人のような顔をしていますが、彼は賞金首ではありませんよ。……今のところは」
「わぁ、カイさん、何気に今の発言はきっついです。そうじゃなくて、お話をしたいんです。ソルさんと」
「話?」
「はい。どうやったら大物の賞金首を捕まえられるのかっていう……」
「ああ……」
 カイは納得したのと同時に、なんとかして少年を諦めさせられないかと悩んだ。賞金首に近付くよりも、場合によってはソルに近付く方がまだ危険かも知れない。さすがのソルでもまさかいきなり子供に向って剣を振るようなことはしないと思う――思いたい――が、それも機嫌が良ければ、の話だ。タイミング次第では問答無用のヴォルカニックヴァイパーをお見舞いして、手当てもせずに立ち去ってしまうだろう。
「あいつに近付くのは危険ですよ。今のところは賞金こそかかっていませんが、どこで何をしていてもおかしくない男です」
「とりあえずカイさんがソルさんのことをそういう風に見ているってことは分かりました」
 ブリジットは苦笑したように言った。
「どっちみち、カイさんもソルさんの居場所を知らないなら仕方ないですね。今日のところは諦めます。もしソルさんに会ったら、ウチが探してたって伝えておいて下さいね」
 それを了承するのは迷ったのか、カイは曖昧に微笑んでみせた。それでもブリジットは満足したらしく――あるいは初めから期待していなかったのか――、「それでは」と頭を下げた。
「お仕事の邪魔してすみませんでした。ウチはこれで」
「いえ、それよりも、充分気を付けてくださいね」
 それだけしか言えずに手を振る少年とクマのぬいぐるみを見送った数時間後、今度は自宅へ帰るための道についたカイに、青年の声がかけられた。
「やっほー、カイちゃん。元気してた?」
「アクセルさん」
 ひらひらと手を振って近付いてきたアクセルは、ぐるりと辺りを見廻した。
「どうかしましたか?」
 カイが首を傾げる。
「いや、今がいつくらいの時代なのかなーと思って。カイちゃんがいるってことは、そんなに過去でも未来でもないね」
 操舵装置を持たぬタイムトラベラーは、どうやら別の時間から飛ばされてきたばかりらしい。すでに慣れてしまっているのか、それとも隠しているだけなのか、悲観した様子も見せないアクセルは、実は見た目よりも強いのかも知れないとカイは思った。
「カイちゃんさあ、ソルの旦那見なかった?」
 アクセルが世間話でもするかのような口調で尋ねると、カイは僅かに眉を顰めた。
「いえ、見ていません。居場所も知らないです」
「そっかぁ。なんか新しい情報でも持ってないか聞きに行きたかったんだけどなぁー」
 やはり然程落胆した様子も見せず、アクセルは両腕を頭の後ろで組んで背伸びをするように上体を反らせた。
「あの、なぜなんでしょうか」
 訝しげな表情をしたカイが尋ねると、アクセルは腕を組んだまま首を傾げた。「ソルを探している理由なら、今言ったけど……」。そんなことを思っているのかも知れない。だがカイの質問の意図は、そうではなかった。
「なぜ貴方もブリジットさんも、ソルの居場所を私に聞くんですか?」
 アクセルは回答よりも「そんなこと考えてもみなかった」というような顔を先に返した。
「私はソルの上司でも、保護者でもありませんよ」
「あー、いや、うん。それはそうなんだけどさ」
 少々不機嫌そうにも見えたカイの表情に、アクセルは慌てて取り繕うように言った。
「えーっと、なんでだろ。いや、なんとなくって言うか?」
「それでは説明になっていません」
「うん、そうなんだけど、なんか、カイちゃんならもしかして知ってたりしないかなーって、ホントになんとなく、思っただけで、深い意味とかはないんだけど……」
 結局よく分からない説明だ。カイは全く納得していない様子ではあったが、自身も上手く説明出来なくて困っている風であるアクセルを気の毒に思ったのか、諦めたように溜め息を吐いただけだった。
「なんか、ごめんね? しかも引き止めちゃって」
「いえ、別に構いませんが……」
 それでもなんとなく気まずい空気が残ってしまった。日頃から明るく振舞っているアクセルには、苦手な雰囲気だ。
「えっと……オレ様もう行くね」
 もう1度「ごめんね」と両手を顔の前で合わせると、アクセルはカイから離れた。

「こんばんは、アクセルさん」
 角を曲がろうとしたところで待ち伏せをするように立っていたのは、つい先程カイの口からその名前を聞いたブリジットだった。アクセルはカイにそうしたように、軽く手を振った。
「ブリジット。それからロジャーも。久しぶり」
「お久しぶりです」
「ブリジット、カイちゃんに旦那のこと聞いたんだって?」
 自然と並んで歩き出した2人は、申し合わせたように肩越しに通りを振り返った。白い法衣の背中は、すでに見えなくなっている。
「はい。でも知らないって言われちゃいました。アクセルさんもですか?」
 アクセルが頷いてみせると、ブリジットは「やっぱり」と呟いた。
「カイちゃんなら知ってるかなーと思ったんだけどね」
「ウチもです。それに、そうじゃなくても、もしかしたらカイさんの近くにいればソルさんに会えるんじゃないかと思ってたんですけど」
 「駄目でした」と続けたブリジットは、「残念だ」というよりは「意外だ」というような顔をした。
「1日中カイちゃんのこと見張ってたの?」
「まさか。半日だけですよ」
 ブリジットはくすくすと笑った。
「ウチ、この間見たんです。カイさんがソルさんを追いかけているところを」
 おそらく「真剣に勝負しろ」「人の話を聞け」などと説教染みた口調でついてくるカイを、鬱陶しそうな顔をしたソルが適当にあしらおうとしているところだったのだろうと容易に想像できた。あの2人は、いつだってそうなのだ。
「でも、ソルさんが本気になれば、カイさんにずっと見付からずにいることが出来ると思うんですよね」
「うん」
 アクセルは素直に同意した。確かに、何等かの組織や時間、場所に捕らわれないソルは、国際警察機構にその身をおくカイと比べると遥かに自由だ。決まった時間に決まった場所へと勤めに出なければならないカイは、ソルを追うといっても限界がある。仮にソルがカイの行動範囲内にどうしても立ち入らなければならない用事が出来たのだとしても、その僅かな時間だけ注意を払ってカイとの接触を避けることは容易いはずだ。
「なのにそうしないってことは――」
 言葉を続けようとしたブリジットの口を、アクセルは手の平で塞いだ。外へ出そびれた声はくぐもった音になった。
「しー。言いたいことはなんとなく分かるけど、でもその予想が当たってたら尚更、言わない方がいいぜ」
 アクセルはまるで物陰に巨大な剣を担いだ筋骨隆々な男が潜んでいて、誰かが余計なことを言えばすぐにでもぶちのめしてやろうと赤い眼を光らせているとでも言うかのように、目配せをした。口を解放されたブリジットは、視線だけで辺りの気配を窺うような仕草をすると、「そうですね」と頷いた。
「丸焼けにされるのはごめんなので、なにも知らないことにします」
「右に同じく」
 もしかしたら近くに潜んでいるのかも知れない者には聞こえないように小さく笑い合うと、2人は簡単な別れの挨拶を済ませ、思い思いの方向へ歩いていった。


2012,12,28


カイはいつもソルのこと追っかけてるなぁと周りは思っているのに、
カイ本人は無自覚だといいと思いました。
ソルはソルで「あんなやつ知るか」とか言いながらなんだかんだでカイのことを気にしていて、
こっそり様子を見に行ったり、時々わざと見付かってみたりしてるといいと思います。
でもその事実を知った人は消されちゃうんだと思います(笑)。
カイ以外のキャラがブリとアクセルになったのは、なんか書き易そうだったからです。
<利鳴>

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