関連作品:カウントダウン


  そのわけを


 どこか遠くから狼の遠吠えのような音が聞こえてきた。この地域には狼が生息しているのだろうか。それとも、野犬の類かも知れない。“あの”『番犬』と比較すれば、それはまさしくただの犬としか思えない程度の存在だ。夜の静けさを乱す以外の、何にもならない。
 起き上がって窓に眼をやった。カーテンの隙間から外が見えたが、暗くて様子は窺えない。その窓を開けてみるか否か逡巡していると、背後から声をかけられた。
「クラピカ」
 振り向くと、彼と同じようにベッドの上に起き上がったレオリオの姿があった。
「筋肉痛で眠れないか?」
 レオリオは声の大きさを抑えながらも、笑って言った。クラピカも肩を竦めるように笑顔を作ってみせたが、おそらく窓からの逆光で、レオリオの眼には届いていないだろう。
「ちょっと話せないか? 聞きたいことがあるんだ」
 そう言ってレオリオはドアの方を指差した。クラピカから見てレオリオのさらに奥のベッドで、ゴンが静かに寝息を立てている。彼の安眠を妨害しないようにとの配慮なのだろう、レオリオは音を立てないように立ち上がった。足音を忍ばせながら、クラピカもそれに続いた。
 外に出ると、空には月が出ていた。街から離れた山の中に、人口の照明はほとんど設置されていない。しかし、見るべき物もないとあっては、さほど不便さは感じなかった。視覚の働きが昼間よりも少ないからだろうか、木々の匂いがより強く感じられた。
「聞きたいこと……だったか」
 レオリオの言葉を思い出しながら尋ねると、サングラスをかけていない顔が頷いた。
「奇遇だな」
「へ?」
「私も君に聞きたいことがあった」
 クラピカがそう言うと、レオリオは意外そうな――少し驚いたような――顔をした。
「どっちから話す?」
「君の方が早かった。先にそちらを聞こう」
「OK」
 レオリオは言葉を探すように息を吐いた。その間、クラピカは月を見ていた。満月……よりは少々欠けているようだ。完全な円形ではない。月光を浴びすぎると気が狂う……とは、どこで眼にした話だったか……。相変わらず犬――らしきもの――の遠吠えは続いている。
「あの時――」
 レオリオはようやく口を開いた。その横顔は、先ほどのクラピカと同じように空を見上げていた。月光に照らされて、白く浮かび上がっている。
「あの時?」
 クラピカが繰り返すと、レオリオは視線を地上へと戻し、頷いた。
「第四次試験」
 与えられた課題は、プレートの奪い合い。
「あの時、どうしてオレを助けた?」
 レオリオの眼は真っ直ぐにクラピカへと向けられていた。もう少し距離が近ければ、その瞳の中に自分の姿が映っているのが見えたかも知れない。
「あの時、お前はもう6点分のプレートを集め終えてたはずだろ? オレを手伝ったって、なんのメリットもなかった」
 「違うか?」と尋ねられ、クラピカは瞬きを繰り返した。
 「何故」と聞かれるとは思ってもみなかった。回答を探していると、「『なんとなく』なんてはぐらかしはなしだぜ」とレオリオは続けた。
「そうか。それは残念だ。それが一番正解に近そうだと思ったのだがな」
「嘘吐け」
 レオリオが顔を歪めるように笑うと、クラピカはむっとした表情で彼を睨んだ。
「もっともらしい嘘を吐いて嫌な質問を回避するのは容易い。しかし、偽証は強欲と等しく、最も恥ずべき行為だと」
「あー、分かった。もういい。そのセリフはもう聞いた」
 レオリオは大袈裟に溜め息を吐くと、両手で耳を塞ぐ真似をしてみせた。
「ってか『嫌な質問』なのかよ」
「そうは言っていない」
 レオリオの視線を断ち切るように、クラピカは首を振った。そのまま山の麓の方へ眼を向ける。街の灯りが星のようだ。
「試験中にも言ったが、あれは1度プレートを集めても、奪い返される危険性が残っているルールだった。1人でいるよりも、2人で行動する方が有利だ。メリットはある」
 間違ったことは言っていない。クラピカはそのことには自信があった。しかし、不思議と弁解じみているような気もして、しかもその理由が分からないがために、なんとなく落ち着かず、苛立ちを覚えた。さらにはレオリオが何か「含み」のある笑い方をしているのが気に入らない。
「なんだ」
「いや別に。お前がそうだって言うならそれでいいわ」
 レオリオは頭の後ろで腕を組みながら言った。
「不愉快だ」
「怒るなって。そっちの『聞きたいこと』ってのは? オレそろそろ眠くなってきたわ」
 レオリオは大きな欠伸をしながら「明日も筋トレだし、早く寝ようぜ」と踵を返した。
「自分の用件だけ済ませて勝手に納得してさっさと寝る気か」
「人をヤり逃げみたいに言うな。だから早く言えって」
 まだ釈然としないクラピカではあったが、確かにいつまでもこうして外にいることは出来ないだろう。レオリオの言うように、明日に備える必要もある。滞在できる期間は限られている上に、ここはまだ目的地の手前でしかない。
 溜め息と同時に吹いてきた風に髪を押さえながら、クラピカはレオリオの方へ向き直った。
「あの時……」
「あの時?」
 少し考えてから発した言葉とそれに対する返答は、先程のやりとりと完全に逆だった。そのことにレオリオも気付いたのか、彼は肩を竦めて笑ったようだった。
「第三次試験、最後の多数決」
 先程レオリオが話した四次試験の1つ前の課題中の出来事だった。彼等は3人でゴールするか、5人で失格するかの選択を迫られた。もちろん脱落を望む者がいるはずはない。戦いは必至かに思われた。結局、ゴンの閃きにより5人全員がゴールまで辿り着くことが出来たのだが、あれは、謂わば第三の選択肢。試験官にとっても、想定外のことだったに違いない。あの時……。
「君は真っ先に宣言したな。『自分は残るつもりはない』と」
「ああ。言ったな」
 普通なら、「他の者のことを考えずに自分の主張だけを通そうとした」と、批難されているのかと思うところだろう。しかし、レオリオの表情は穏やかだ。その唇に笑みを湛えているようにすら見える。
「あの時、君はどういうつもりでいたんだ」
「どういう?」
 レオリオは表情を変えぬままで首を傾げた。
「誰もあの場に残りたくはない。その考えは、至極普通だ。だが私は、それを誰よりも先に、『君が』宣言したというのが疑問なのだよ」
 まるで――
「わざと誰かを挑発するかのように」

 レオリオはふうと息を吐いた。
「冷静に考えれば、オレが3人の中に残れる可能性は低い。他の連中が潰し合ってくれるのを待っていた方が利口だ。先手必勝とばかりに仕掛けていったが、そのくらい考えろ馬鹿め。そう言いたいのか?」
「違う!」
 クラピカは思わず声を荒らげていた。そのことに気付いて慌てて口を噤む。すぐ傍の建物の中では、まだゴンが眠っている。先程は熟睡していたようだったが、耳の良いゴンのことだ。声を聞き付けて眼を覚ましてしまうかも知れない。
 クラピカは再び声を抑えた。
「3日」
「あん?」
「だった3日前だ。お前はキルアの対戦相手が連続殺人犯だと分かった直後に、我々の負けでいいと言い切った。他の者の意見も聞かずに」
 「それで?」と視線が促してくる。その顔は、少しも眠そうには見えない。
「自分の合格も、他人のそれすらも躊躇わず捨てようとしたお前が、たった3日で、平気で仲間と戦うような人間に変わってしまったとは、私には思えない」
 仮にそうせざるを得ない状況におかれたとしても、彼はもっと悩み、苦しむに違いない。クラピカはそのことを確信していた。
「何が言いたい?」
 レオリオはとぼけたような顔をしている。
「あの時、君は既にトンパと数回衝突した後だった。君の挑発に真っ先に乗ってくるのは、当然トンパだろうとの予想は付いていたんだろう」
 クラピカはレオリオの眼を真っ直ぐ見据えた。
「答えてくれ」
 返事はなかった。しかし視線が逸らされることもなかった。
「あの時君は……」
 言いながら気付いた。
(そうか。だから『あの時』私は……)
「トンパと、刺し違えるつもりだったのか? 私達3人を先へ進めるために」
 そうなっていたら、残りの3人はどうしていただろうか。トンパとは元から対立していた。そしてレオリオが仲間を捨てて自滅していたとしたら……。少なくとも、自らの手で犠牲者を出した場合よりは、彼等は気兼ねすることなく先へと進んでいただろう。レオリオには脱出時間を大幅に縮めてしまった負い目があったに違いない。あの行為には、その贖罪の意味も含まれていたのかも知れない。
 真っ向から戦ったとしても勝ち目は少ない。いや、そもそも本当に戦うことが出来たかどうか……。わずかな時間で悩み、出した結論の末、あのような行動を取ったのだとしたら――。
 そう考えると、他にもいくつか説明の付くことがあった。
 第一次試験。レオリオは他の受験生の忠告も聞かずに、ヒソカに挑んでいった。あれが、クラピカが逃走するための時間稼ぎだったとしたら……。
(私は、いつの間にか助けられて……それを知りもしないで……)
 だから『あの時』――。
 それだけではない。第四次試験。敵の罠の存在を知りながらも、クラピカとゴンに危機を知らせるために自らその中へと飛び込んでいったのも。
 最終試験後。キルアの不合格に意義を唱え、自分の合格が取り消されかねない発言までしたのも。
 この内のいくつかはただの買い被りかも知れない。いくつかは本人も無意識の内に行動していたのかも知れない。だがそもそも、彼がハンターを目指した理由は何だったか……。「友の死」。彼を動かしているのはいつも「仲間」の存在だ。
「悪いが」
 いつの間にか獣の遠吠えはやみ、虫の音が辺りを埋めていた。その音の中に、レオリオの静かな声が混ざる。
「お前が何を言っているのか、ちょっと分からないな。誰かさんの言う通り、頭悪いんでな」
「レオリオ!」
「悪いけどもう寝るわ。早いとここのばかでけー門を開けられるようになんねーとな」
(まただ)
 それも、「仲間のために」。
「認めないつもりか」
 クラピカはレオリオの背中に問いかけた。
「ああ。ってゆーか言ってる意味が分かんねー。先寝るぞ」
 ひらひらと手を振って、レオリオは歩き出した。
 こんな人間がいるなんて、考えてみたこともなかった。クラピカは自分の目的のためなら、ある程度の犠牲は仕方ないと思っていた。だが、他者の目的のために自分を投げ出す人間がいるだなんて……。
 仲間を失ったあの日以来、新たな仲間を持つつもりはなかった。扉は堅く閉ざしているつもりだった。そのはずだった。にも関わらず、「それ」はいつの間にか扉の内側に入り込んでいた。
 『あの時』――。
「レオリオ!」
 クラピカの声に、レオリオは振り向くことなく立ち止まった。
「『それ』が私の『答え』だ」
 レオリオの質問に対する『答え』。彼を助けた『理由』。『あの時』は自分でもはっきりとは気付いていなかった。しかし、彼が自分を『仲間』だと思い、助けようとしてくれていたのなら……。
(私は、『仲間』を見捨てはしない……)
 もう失いたくはないから。
 返事も待たずにクラピカはすたすたと歩き出した。「おい」と呼び止めようとするレオリオの横をすり抜け、ドアを開ける。
「私が先に寝る。君の思い通りにはさせない」
「はぁ?」
 寝ているゴンには申し訳ないと思いつつ、バタンと音を立ててドアを閉めた。幸い、ゴンは寝返りをうっただけで、眼を覚ましはしなかったようだ。レオリオが中に入ってくるよりも早く自分のベッドに潜り込み、少し熱い――主に顔が――と思いながらも、頭まで毛布を被った。それから朝まで、「どういう意味だよ」としつこく質問してくるレオリオの声も、その所為で結局起きてしまったゴンの苦情も、全て聞こえない振りをして、ただ静かに眼を閉じていた。


2012,06,30


一緒にアニメ見ている時に姉が「レオリオはトンパと刺し違える気だったのかな」って言い出して、
まさかと思ったのですが段々本当にそうだったのかもと思えてきて、
くはぁ! レオリオかっこいいなおい!! と思って書きました。
最初は前に書いた『カウントダウン』の少し後の設定で、あれと対になるようにエレベータの今度は上り中に……
と思っていたのですが、こいつら何階まで行こうとしてんのよって長さになってしまったのと、
試験後にレオリオが「キルアが手助けしたってことで自分の反則に――」って言ったあたりのことも書きたくなったので、やめました。
結果3回くらい書きなおしました。
段々原作の多くのシーンが「実はレオリオかなりいいやつ」な演出なのではないかとさえ思えてきました(笑)。
そのくらいレオリオ好きです。
でもフルネームはちょっとちゅーにびょーっぽいと思いました(笑)。
<利鳴>

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