スピ&ジョナ 全年齢


  遥か彼方の君の名を呼ぶ


 荷物を積み終えたのを確認すると、隣に立ったジョナサンが小さく頷いた。「とりあえずはこれで大丈夫かな」と言う声に、スピードワゴンも頷きを返す。あとは「ワインが足りない」と言って調達しに行ってしまったツェペリが戻れば、いつでも出発出来る。先に馬車に乗り込んでいても構わないのだが、降り注ぐ日差しは、今の季節とこれからの戦いを忘れさせるかのように優しく、温かい。まさかここで呑気な午睡をというわけにはいかないが、わずかな間だけ、陽の光を楽しみながら手足を伸ばすくらいは良いだろう。御者にももう少し休んでいるようにと指示をして、ジョナサンは地面に腰を降ろした。
「スピードワゴン、君も休んでいていいよ」
 つい今しがたまで荷造りに励んでいたスピードワゴンを気遣う声は、日差しよりも温かい。その笑顔を眩しく思いながら、「はい、ジョースターさん」と応えて彼の近くに座った。
「ツェペリのおっさん、どこまで行ったんでしょうねぇ?」
 スピードワゴンは周囲を見廻してみた。が、派手な帽子を被ったイタリア人の姿は見えない。まさかどこかで道に迷っているのではあるまいなと、少し心配になってきた頃、きょろきょろと視線を移動させている自分とは対照的に、ジョナサンの目は一点へと向けられていることに気付いた。その視線の先には、自分がいる。
「ジョースターさん? どうかしましたか?」
 何故か少々の居心地の悪さに似た何かを感じながら尋ねると、彼は「うん」と頷いた。
 「少し考えたんだけど」との前振りに、「やっぱり君は危険だから同行させるわけにはいかない」と続いたらどうしようと、スピードワゴンは危惧した。彼は、ジョナサンやツェペリのように戦うことは出来ない。それでも黙っていることが出来ず、こうして半ば強引についてきてしまった。足手纏いだと言われてしまえばそれは事実だ。先走って「でも」と言いそうになるスピードワゴンを制するように、ジョナサンは言葉を続けた。
「君はぼくより年上だろう?」
「……はい?」
 話が見えない。
「なんですって?」
「ずっと思っていたんだけど、ぼくのことは呼び捨てで構わないんだよ?」
「……呼び、捨て……?」
 これから命をかけた戦いに赴くという時に、この人は何を言い出すのだろう。彼は、本当に優しい。そして紳士だ。スピードワゴンは笑いそうになるのと、気が抜けたような気持ちとで、おかしな表情をしてしまった。それをどう捉えたのかジョナサンは、
「あ、そもそも、ぼくの方こそスピードワゴンさんと呼ばないと失礼になるね」
「いやいやいやいや! そもそも身分が天と地ほど違うんですよ!」
「それはちょっと大袈裟だと思うけど……」
「呼び捨てになんて、そんな失礼なこと出来ません! それに、おれのことも、これまで通りに呼んでください、ジョースターさん!」
 慌てた様子がおかしかったのか、ジョナサンはくすくすと笑った。
「まあ、君が嫌がる呼び方をするのは、ぼくも本意じゃあないね」
 「嫌だ」と言うと、語弊があるのだが、「じゃあ」と再びひっくり返されても困る。スピードワゴンは再度――ただし先程とは違う種類の――おかしな顔をした。
「ぼくの名前は呼び難い?」
 首を傾げるその仕草は、大きな体とは対照的に、幼さを感じさせた。食屍鬼街ではまず出会うことのない無垢な少年さながらだ。
「君はぼくをファミリーネームで呼ぶよね。呼び捨てが無理なら、試しにファーストネームで呼んでみるっていうのはどう?」
 それはお互い様じゃあないですかと返して、以降呼び名がロバートになりでもしたら、呼ばれる度に顔から火を噴きそうだ。ここはとりあえず自分の名のことには触れずにいることにしよう。
「ふぁ、ファーストネームで、ですか……」
「うん」
 こんな戦いがなかったら、きっと彼は学友達と一緒にこんな風に笑いながら日々を過ごしていたのだろう。そう考えると、彼の無邪気な思い付きを無碍に扱うことは躊躇われた。それでもたっぷり10秒は迷ってから、スピードワゴンはようやく口を開いた。
「ジョナサン……さん」
 ジョナサンはぷっと吹き出した。
「変だね」
「す、すみません」
「やっぱり呼び捨ての方がいいね」
「勘弁してくださいッ」
「じゃあ、『ジョジョ』ではどう? 実際、ぼくを呼ぶ人はみんなそう呼んでいるしね」
「じょ、ジョジョ……?」
「1回多くなかった?」
「か、からかわないでくださいっ!」
 これはこれでひどく照れ臭い。彼と親しいことを必死にアピールしているかのように思えて、どうしても照れてしまう。顔が赤くなっていることを自覚する。
「練習が必要だね」
「ほ、本気ですかぁっ!?」
「もちろん! いつかきっと、『ジョジョ』と呼んでもらうからね!」

 そんな会話をしてから、1年余りが過ぎた。ジョナサン・ジョースターの遺体は、まだどこの海岸にも発見出来ていない。海の底に沈んでしまったのか、爆発の衝撃で跡形もなく消えてしまったか……。それでもスピードワゴンは、諦め切れずにいた。いや、それを諦めてしまったら、自分が生きていくことの意義を失ってしまう気がして怖かった。同時に、もし彼を見付けることが出来たとしても、やはり“その後”の自分に意味があるのかと考えることが恐ろしかった。かつては、そんなことを思ってみたことすらなかったのに。未来も、使命も、何も持たずに、ただその時々を生きていれば良かったあの頃。ひとりの男と出会って、それは変わった。誰かの――彼の――役に立てることを、「嬉しい」と思ってしまった。その感情にすがって生きていきたいと願ってしまった。しかし彼は、もういない。自分がひどく空っぽであるように思う瞬間は、日に日に多くなっていった。
 そんなスピードワゴンを呼び戻したのは、エリナ・ジョースターからの知らせだった。彼女は無事に男の赤ん坊を産み落としていた。ジョナサンの子だ。ぜひ会いに来て欲しいとの文面に、スピードワゴンは再びイギリスの地を踏んだ。
「お帰りなさい。スピードワゴンさん」
 彼女はそう言って迎えてくれた。その腕の中で、生後1ヶ月に満たない赤ん坊が眠っていた。穏やかな表情を浮かべる母と子の姿は、絵画のように美しかった。誰もがその光景をジョナサンにも見せたかったと思うことだろう。
「エリナさん、お疲れ様でした。すみません、大変な時に、何も出来なくて……」
 スピードワゴンが俯きながらそう言うと、エリナはゆるゆると首を横へ振った。
「いいえ。あなたこそ大変だったでしょう? ゆっくり休んでいってくださいね」
 彼女が勧めてくれた椅子に、スピードワゴンはようやく腰を降ろした。本来ならば、ここにいるのは自分ではなく、ジョナサンであったはずなのにと思いながら。
「ええっと、その子の名前は?」
 スピードワゴンが尋ねると、エリナはその質問を待っていましたとばかりに表情をほころばせた。
「ジョージ・ジョースターです」
「ジョージ……。そうか、ジョースター卿の……」
「ええ」
 良い名前だ。スピードワゴンは心からそう思った。きっと立派な人になるだろう。だが、呼び捨てにするのには少々勇気が要るようだ。その名を口にしようとすると、どうしても別の人間の顔を思い浮かべてしまう。あの人の名も、気安く呼べる類の物ではなかった。かと言って、赤ん坊に敬称を付けるのもおかしい。スピードワゴンの胸中を読んだかのように、エリナはくすくすと笑っている。
「もし呼び難いようなら、愛称で呼んでも構わないんですよ?」
「愛称?」
「ええ。ジョージのスペルは、J・O・R・G・E」
「JO・JO……」
「そろそろ、いいでしょう?」
 夫から何か聞いていたのだろうか。エリナの笑顔はかつてジョナサンが見せた表情とそっくりだった。
(まったく、この夫婦は……)
 唇の間から、ふっと息が洩れた。
「あっ」
 エリナが小さく声を上げた。何事かと思って視線を向けると、彼女の腕の中にいる赤ん坊が、目を開けていた。しまった、声が大き過ぎて起こしてしまったかと慌てたが、幸いにも、赤ん坊は泣き出しはしなかった。ジョナサンと同じ色をした瞳が、スピードワゴンの方をじっと見ている。
「おはよう、ジョジョ。この人がスピードワゴンさんよ」
 まだ母の声を意味のある言葉として認識してはいないだろう。それでも赤ん坊は、視線を向け続けていた。何かを待っているかのように。
 エリナがその子を差し出したのと、スピードワゴンが手を伸ばしたのは、どちらが先だったのかは定かではない。どちらであったにせよ、数秒後には、赤ん坊はスピードワゴンの腕の中に納まっていた。小さな体を包んだ布越しに、体温と柔らかい感触が伝わってくる。赤ん坊は怯えることなく、彼に抱かれている。
 “何か”に、呼ばれた気がした。そう思った瞬間、彼の口は自然に動き出し、音を発していた。
「ジョジョ……」
 赤ん坊が笑った。エリナも微笑んでいた。そして……、
――スピードワゴン。
 それは、外を吹く風の音だったのかも知れない。窓から差し込む陽の光に眩んだ目が見た幻だったのかも知れない。それでも彼は、“もうひとり”の存在を、確かに感じた。
――やっと呼んでくれたね。
 そう言って笑う青年は、この子の中に、彼女の中に、そして自分の中に、間違いなく“いる”。
 視界が少し滲んできた。それを、陽の光の眩しさの所為にするつもりはない。拭おうとしても、残念ながら両手は塞がってしまっている。
「まったく、クールガイが台無しだぜ」
 エリナの笑い声を聞きながら、この親子を、未来永劫支え続けていこうと、彼は誓った。いつかこの身が滅びた後も、永遠に。“彼”が、今こうして、寄り添い、見守ってくれているように。


2017,05,04


スピードワゴンの献身っぷりって凄すぎますよね。
ジョナサンのこと好き過ぎですよね。
<利鳴>

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