ディオジョナ 全年齢


  Angels rest


 ぱちぱちと鳴る暖炉の火の音を、ずっと聞いているつもりだった。即ち、意識はあると、そう思っていた。眠ってはいないつもりだった。
 だがいつの間にかジョナサン・ジョースターの両の目は閉じ、その目蓋越しに見えていたはずの灯も、彼の意識の中には存在していなかった。
 冬の気配は数日前からひしひしと感じられるようになってきていた。雨が雪に変わることもしばしばで、今朝も数日間に及ぶ仕事へと立つ父を見送る間際に、同じく見送りに出てきた使用人のひとりが、「今年一番の寒さになりそうでございますな」と言っているのを聞いた。『今年一番の寒さ』は、春がくるまでの間に何度でも更新されることになるのだろうが、それでもそのように言われると、余計に気温の低さを意識してしまう。
 父の見送りを終えた少年は、学校が休みの日であるのを良いことに、今日一日の居場所を大きな暖炉の前と決め、読みかけの本を片手に3人掛けのソファを独占していた。部屋の隅には使用人が控えているが、炎の勢いを適切に保つ役目に徹している彼が、ジョナサンの意識を他へ逸らせてしまうことはまずない。静かで穏やかな時間は、冬の息吹の所為か、不思議ともの寂しさをも孕んでいた。それを拒むことなく、しみじみと受け入れながら、ジョナサンはゆっくりと本のページを捲る。こんな時を過ごすのは、久方振りであるような気がした。
 暖炉の火と肩に羽織った薄手の毛布の暖かさが心地良い。窓を叩くランダムでありながらも単調な雨音――まだ雪にはなっていないようだ――が次第次第にジョナサンの意識を眠りの中へと誘ってゆく。
 眠った自覚は一切なかった。それでも意識を手放していたことは明白だ。彼は手の中の本が床に落ちたことにも気付いていなかった。
 どれくらいの時間が経ったのか、数分か、あるいは数十分か。何時間もということは流石にないだろう。やや大きく響いた薪が爆ぜる音を切欠に、ジョナサンの意識は微睡みの中から浮かび上がった。
 そのまま目を覚ますか、それとももう一度眠ってしまうか、ぼんやりと逡巡していた頭の片隅で、ふとした違和感に気付いた。
(あれ……、なんか重たい……)
 肩に何かが寄り掛かっている。自覚のない眠りの中にいる間に現れたその重みは、ジョナサンにとっては正に突然沸いて出たように思えた。かすかな息遣いが聞こえた。片方の耳のすぐ近くで。
 視界の隅で金色の髪の毛を捉えたのよりも一瞬早く、“それ”がなんなのか、彼は本能に似た何かで悟った。同時に、ぎくりと表情が強張る。
(ディオ……!)
 その接近に全く気付けなかったことに驚愕する。いつもの自分なら、無意識の内に彼の存在を気に掛けて――少々聞こえの悪い言い方に変えれば、警戒して――いるというのに。これが獰猛な肉食獣と、牙を持たぬ草食動物だったら、至近距離まで近付かれていたという事実に気付く間もなく“終わって”いただろう。血の繋がりはないとはいえ同じ家に住む“家族”――おそらくそう遠くない内に、彼はこの家の養子として正式に迎え入れられることになるだろう――に対してのイメージとしてはあまりにも辛辣であるとは分かっていても、ジョナサンはそう思わずにはいられなかった。ディオが纏う空気には、そうさせる“何か”があった。
(落ち着くんだ……)
 乱れそうになった呼吸を、意志の力で正常に留める。まだ喉笛に噛み付かれているわけではない。背後を見ることは出来ないが、部屋の中には使用人がいるはず。ディオは、他人――特に大人――のいる前で、その敵意――あるいは殺意――を露にすることは決してしない――初めて会ったばかりの短い期間を例外として――。近くに人がいる限りは、何も起こらないはず。そう自分に言い聞かせて、ジョナサンはゆっくりと呼吸を繰り返す。
 だがもし、いや、“だからこそ”、ディオが日頃はその牙を隠しているからこそ、何も疑わない使用人が少しばかり持ち場を離れていたら……? 薪が足りなくなっただとか、急な言い付けが出来たとかで。通常であれば、眠っているジョナサン――子供――を独りで火の傍にいさせることはしないだろうが、ディオが「自分がついているから」と申し出ていたら……。「それなら安心だ」と思わせていたら……。
 振り向いて、第三者――自分とディオ以外の誰か――の存在を確認することが、ジョナサンには出来ない。それを認めた途端に、鋭い牙が皮膚につき立てられるような気がして……。その思考がいつになくネガティブな方向にいってしまうのは、全てが凍りつく冬の寒さの中に“死”の香りを感じ取ってしまうからなのか。暖炉は赤々と燃えているはずなのに、背中を冷たい手で撫でられたような気分だ。
(おち、つくんだ……)
 脳裏を駆け巡ったのは、今は亡き愛犬の姿と、泣きながら駆けて行く少女の背中だった。そして今正に隣にいる少年の、凛と涼やかな微笑と、同じ人物が放つものとは俄かには信じ難いほどの――それこそ冬の化身のような――冷たい嘲笑。
 だが、意を決して視線を動かした先にあるのは、それとは真逆の穏やかな寝顔だった。
「……ディオ?」
 返事はない。聞こえるのは静かな寝息だけだ。どうかそのまま目を開けませんようにと祈りながら、ジョナサンはその顔を覗き込んだ。長い睫毛に縁取られた目蓋は、間違いなく閉じている。それは、金色のクセ毛と相まって、天使の転寝とでも呼びたいような姿だった。牙を持つ獣は、どこにもいない。それどころか、暖炉の火に照らされている彼を、ジョナサンは「きれいだ」と思った。
 いつの間にか、雨音が聞こえなくなっていた。やんだのか、それとも雪に変わったのか。
 薄手の毛布は、知らぬ間に2人の少年の肩を纏めて覆っていた。
「今日は一段と冷えますね」
 後ろから、使用人の静かな声が聞こえた。不意のことであったはずなのに、ジョナサンは驚くことなく頷きを返した。
「うん。そうだね」
 だが実際には火と毛布と寄り掛かる体温のお陰で、寒さは全く感じない。むしろ少し暑いくらいかも知れない。それを見通したのか、使用人は「何か冷たいお飲み物をお持ちいたしましょうか?」と尋ねてきた。
 人ひとりが余裕で入れるほどの大きさの暖炉――火が入っている――の傍で、ディオと2人切りになること、それは、つい先程まで恐ろしいことであったはずだ。だが、今は雪が溶けてなくなるように、その感情は消えていた。火を焚いている所為で空気が――そして喉が――かわいていることも事実だ。
「うん、お願いするよ」
 ジョナサンがそう答えると、使用人は頭を下げて部屋を出て行った。静かにドアが閉まり、再び薪が燃える以上の音を立てるものはなくなった。
 ディオは相変わらず眠っているようだ。こんなところで何をしているのかと尋ねることも出来ない。身動きすら出来ないままでいるのは、少し辛いなと思いながら、数分の時が流れた。
 そろそろ使用人が戻ってくるだろうかと思っていると、それよりも先に、肩に乗った気配が動く。
「ん……」
「ディオ? 起きたのかい?」
 目を向けると、睫毛を震わせるように、彼は目蓋を開いた。色素の薄い瞳が、ぼんやりとジョナサンの顔を見上げる。
 ディオにジョナサンの毛布に潜り込んだ自覚がなかったら――例えば、自室で眠っているつもりだったのが寝惚けていて……だとか――、何を言われるか分からない。つい先程天使のようだと思ったことなんか、一瞬で帳消しになるだろう。吹雪の合間に一瞬だけ見えた晴れ間のような光景は、幻の如く――あるいは雪解けのように――消えてしまうのか。
 だが、ディオは何も言わずに、再び目を閉じた。
「……ディオ?」
 目を覚ましたように見えたのは気の所為だったのかと思いきや、
「うるさいな」
 不機嫌そうな――しかしいつもと比べると棘のない――声が返ってきた。
「見て分からないのか? ぼくは今、寝てるんだぜ?」
 そう言いながらも、2つの瞳はジョナサンの姿を映していた。
「ええっと、どうしてここで?」
「……」
 ディオはすぐには答えなかった。数秒の沈黙を経て、ようやく口を開く。
「今日は、寒いからな」
「……それだけ?」
「悪いか」
 少しだけ睨まれた。ジョナサンは小さく首を振った。
「構わないよ」
「ふん」
 ディオは改めて目を瞑った。
 『寒いから』。そう、それなら仕方がない。熱とはつまり、エネルギーだ。それがなくては、動くこともままならない。ならば、こうして暖を求めて人の温もりに触れるのは、きっと間違ったことではないのだろう。もしかしたらディオにも、冬の寒さを凌ごうと、誰か――例えば、彼の父親、あるいは母親――とこうして肩を寄せ合った思い出でもあるのかも知れない。
 冬という季節は、なんだかもの寂しい。それと同時に、人恋しくもある。だが、こうして珍しいものが見られたこと、そしてそれを恐れなく受け入れられる自分がいることに気付けたこと、それらを思えば……、
(案外、悪いものではないのかも知れない)
 ジョナサンは、この季節を以前よりも少しだけ好きになれそうな気がした。
 いつの間にか、ジョナサンは再び眠っていた。目を覚ました時、隣には誰もいなかった。が、そこに残った温もりと、テーブルに置かれた2つのグラス――片方だけが空になっている――が、“それ”が夢ではなかったことを教えてくれていた。


2018,10,20


タイトルはセツさんがつけてくれました!
感謝!!
自分で書いておいてなんですが、ディオに父親と肩を寄せ合った記憶とか絶対ないよねw
<利鳴>

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