シージョセ 全年齢


  appuntamento


 「今日はここまで」と告げられたのとほぼ同時に、ジョセフは両手足を投げ出すように床に倒れ込んだ。
「つっかれたぁー。もう駄目。もう一歩も動けませーん」
「なに言ってるんだ、このスカタン。ここで寝る気か」
 そう言いながらもジョセフのすぐ傍に腰を下ろしたのはシーザーだ。彼も、早朝からの特訓で、流石に疲れた顔をしている。一歩も動けないと言うのはいくらなんでも誇張ではあるが、部屋に戻るにしても少し休憩してからにしたい。許されるのであれば、少しの時間だけでも一歩も動きたくないというのが2人の共通した心境だった。
 師範代達は2人に退室時の施錠を命じると、先に修行場を出て行った。その背中が見えなくなる直前、彼等が会話に用いているのがイタリア語であることにジョセフは気付いた。彼は、ごく簡単な単語以外はそれを理解することが出来ない。今彼の周りにいる人間達は皆、普段はジョセフに合わせて英語で話してくれている状態だった。師範代達がもし深刻そうな表情で声を潜めて話していたのなら、あるいは、ちらちらとこちらを見ながら他人の不快感を煽るような笑みを浮かべていたのなら、わざと自分には分からないように母国の言葉を使っているのだろうと思ったかも知れない。だが、辛うじて聞き取れた単語や、彼等の表情が、それは違うとジョセフに教えていた。ただ単に、それが彼等の素なのだろう。ジョセフを交えての会話ではないのだから、彼に気を使う必要は一切ない。ジョセフも、2人の会話を特別気に留めるようなことはなかった。ただ頭の隅の方で、ぼんやりと「そういえばここってイタリアなんだったなぁ」と思った程度だ。ふと視線を移動させた先で身体を解すように腕を頭の上に伸ばしている男も、生粋のイタリア人だ。
 ジョセフは溜め息を吐いた。
「なんだその溜め息は」
 シーザーが眉を顰めながら言った。流暢な英語は、どこで習ったのだろうか。
「オレ、遥々イタリアまで来てんのに、ぜんっぜん観光とか出来てないんだよなぁと思って」
 ジョセフは、修行のためにこの島へと渡るまでの間に眼にした風景を思い浮かべていた。きらきらと輝いたような美しい街並みと、そこを行き交う人々。異国の風は、心地良い高揚感を与えてくれた。だが、それを楽しむための時間は、彼にはなかった。そもそも、イタリアまで出向いてきた理由は、遊びではないのだ。それどころか、ジョセフの命には今、タイムリミットが設けられている。残り1ヶ月の状態から始まったカウントダウンは、修行をし、強くなり、敵に勝利することでしかとめられない。
「状況が状況だ。仕方ないだろう」
「それは分かってるんだけどー」
「真実の口は見てきたじゃあないか」
「あんなの観光じゃあないぃ。突っ込んだ手が抜けなくなってうわああってのもやってないのに!」
「やりたいのかよ」
 シーザーは呆れ顔で息を吐いた。だが彼は、心の奥では突然その命を危険に晒されるはめになったジョセフの身を案じている。本当にこの滞在が暢気な休暇であったらどんなに良かっただろうかと、考えているに違いない。同時に、周囲の人間まで深刻なムードに陥ってしまわないように、あえてジョセフが軽い態度を取っていることも充分理解している。「どうしようもないやつだ」等と言いながら、決して彼を見捨てようとはしないのがその証拠だ。
「くだらないこと言ってないで、さっさと寝るぞ。戦いが終わったら好きなだけ手を突っ込みに行けよ」
 その言葉も、早く身体を休めろという優しさが変化したものだ。
 シーザーは立ち上がり、まだ寝転がったままのジョセフに「ほら行くぞ」と声をかけた。ジョセフはようやく上半身を起こした。
「なあ、いっそのことぱーっと抜け出して、どっか遊びに行っちゃわない?」
 ジョセフがそう言った時、シーザーはちょうど手を貸してやろうとして右腕を伸ばしていたところだった。その動きが、タイミングの所為でまるでジョセフの提案に賛同したかのようになってしまったが、彼は露骨に表情を歪めていた。
「自分の立場が分かってんのかッ」
「1日くらいさぁ」
「駄目だ!」
 流石にシーザーも声を荒らげた。ジョセフは「ちぇー」と拗ねたような顔をしている。
「そんなことしてみろ! リサリサ先生がなんと言うか……。言っておくが、先生は柱の男より怖いぞ、正直なところ」
「う……」
「毒が身体に廻るよりも先に死にたくなかったら、諦めるんだな」
 「ほら」と促されて、ジョセフはようやくシーザーの手を取って立ち上がった。ぱたぱたとズボンの埃を掃うと、欠伸をしながら歩き出す。その口がマスクの中で一番大きく開いたところで、彼は何か思い付いたように「あ」と声を出した。
「そうだシーザー。それなら、戦いが終わったらシーザーが観光案内してくれよ」
「はあ? なんでオレが」
「いいじゃない。カワイイ弟分の頼みくらい聞いてくれたって」
「可憐なシニョリーナならともかく、誰が可愛いって?」
「出たよスケコマシ」
 すたすたと歩いて行ってしまおうとするシーザーのバンダナの端を掴んで、ジョセフはその後に続いた。わざとゆっくり歩くと、ぴんと張った長い布に、シーザーの頭が引っ張られる。
「掴むな」
「シーザーちゃん冷たい。しくしく」
「あーもう、うっとおしい」
 大きな溜め息を吐きながら、シーザーはジョセフの手の中にあるバンダナの先端を引っ手繰った。そして、
「じゃあお前はニューヨークを案内しろよ!」
 人差し指を真っ直ぐジョセフへと向けた。ジョセフは、その言葉の意味を呑み込むのに1秒だけ時間を要した。その間に再び歩き出したシーザーを、慌てて追った。
「じゃあ、約束な! これってデートの約束だよな」
 ジョセフが笑いながら言うと、今度は「シニョリーナならともかく――」という声は返ってこなかった。シーザーは少し、呆れたような顔をしただけだ。が、それは決して嫌そうではなかった。
「あ、でもオレ、ニューヨークへは越したばっかりだぜ。観光とか詳しくないや」
「マンマミーア」
「まあいっか。2人で一緒に迷子になろう」
 ジョセフはシーザーの隣に並び、整った横顔に向かって微笑んでみせたつもりだった。しかし、彼の表情はその大部分がマスクによって隠されてしまっている。それでも、シーザーは穏やかな笑みを返してきた。少なくとも、ジョセフにはそう見えた。それは、充分返事の代わりとなり得るものだった。


2014,08,26


原作で死亡するキャラを書こうとすると、かなりの確率で死亡フラグ立ててるみたいになってしまうのですが、
仕方ないよね実際に死んでるんだから!
シージョセは一緒にいた時間が短いのでネタが浮かびにくい以前に切ないです。
タイトルはイタリア語で「デート」です。
<利鳴>

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