シージョセ 全年齢


  また会いましょう


 名前を呼ばれて目を覚ました。いや、厳密に言えばそうではない。彼の意識は完全には覚醒していない。その半分は、まだ浅い眠りの中にある。そして残りの半分の意識が聞いたその声は、確かに彼を呼んではいた。しかしそれも正しくは彼の名そのものではなく、そこから生まれた愛称だ。
「JOJO」
 そう呼ばれるのは、ひどく久しぶりであるように感じた。実際、以前と比べるとその名で呼ばれることは少なくなっていた。大抵は、親しい者との別れと同時に、その名を耳にする機会は減ってきている。
「JOJO」
 軽く頬を叩かれた。撫でられたと言った方が正しいかも知れない。大きな手だ。温かい。
「んん……」
 小さく身動ぐと、石鹸の匂いが鼻先を掠めた。懐かしい匂いだった。子供の頃の、祖母が優しい声で「もう起きなさい」と起こしにくる朝を思い出す。しかし彼を繰り返し呼ぶ声は、祖母のものではない。それどころが、女の声ですらない。それに、幼い頃の穏やかな記憶と比べると、残念な程に枕が硬い。高さもあっていないようだ。
「おいJOJO」
 JOJO――ジョセフ――は、ようやく眼を開けた。仰向けの顔を見下ろす2つの眼に焦点が合うまで、若干の時間がかかった。
「Buongiorno」
 異国の言葉と共に、グリーンの瞳が微笑んだ。
「……シーザー?」
 なにが起こったのか、まるで分からなかった。分からないまま、眼の奥から溢れてきた液体で視界が滲んだ。
「どうした、間抜けな顔して。まだ寝惚けてるのか?」
 くすりと笑った声も顔も、間違いなく、かつて、決して望みはしなかった――いや、その真逆のことすら願った――にも関わらず別れることとなってしまった友、シーザーのものだった。
 ジョセフは飛び起きた。そのままの勢いで立ち上がり、バランスを崩しかけて鑪を踏んだ。
「なっ、なんでッ!? なんでシーザーの膝枕……っ。どーりで硬いと……、いや、そんなことよりもっ、なんでシーザーが、ここにっ……。ここはどこ!?」
「少し落ち着けよ、JOJO」
 「相変わらずだな」と言って笑いながら立ち上がったシーザーは、ジョセフの記憶の中にあるそれと、ある一点だけを除いて寸分違わぬ姿をしていた。金色の頭の先から、爪先まで、全て鮮明に思い出すことが出来るそれと。ただ一点だけ、トレードマークのバンダナだけが不足しているが、それ以外は何も違っていない。両の頬にあるおかしな痣も、器用に動く指も、憎たらしくなるくらい長い脚も、全て。ジョセフはシーザーに掴みかかって口を抉じ開けさせた。キザな笑みを浮かべるその唇の中に、虫歯が1本あることを彼は知っていた。
「んがっ!?」
「あ、あるッ!」
「久々に会うってのになにすんだお前は」
 ジョセフの手を払い除けたシーザーは、しかしやはり笑っていた。
「ほ、ほんとに? ほんとにシーザーなのか? 敵の能力が作ったにせものとかじゃあなくて、ほんとに本物のシーザーっ?」
「ああ。本物のオレだよ」
 笑顔が再び泪に滲んだ。
「シーザァああぁッ!!」
 ジョセフはシーザーの胸にしがみつき、子供のように声を上げて泣いた。
「いい歳した男が泣くなよ」
「オレの精神テンションは今、柱の男との対戦時代に戻っている」
「なんだそりゃ」
「そうだっ! シーザー、オレ、シーザーに言わなきゃいけないことがあるんだ! あの時シーザーを1人で行かせなかったら……っ。オレ、シーザーにあやま……」
 すっと伸びたシーザーの人差し指が、ジョセフの唇にそっと触れた。弾力を確かめるように軽く押されたその箇所は、わずかに熱を持った。
「分かってる」
 静かに言うと、シーザーは頷いた。
「全部、分かってる」
 ジョセフは再びシーザーに抱き付いた。
「シーザー……。ずっと、会いたかった……」
 様々な感情が込み上げてきて、逆に言葉の多くは喉の奥に落ちていった。シーザーの胸に額を押し付けていたジョセフには、何も見えなかった。しかし温かい手が頭を撫でてくれる感触があった。しばらくそのまま泣いてから、ジョセフは顔を上げた。
「シーザー」
 右腕でごしごしと泪を拭うと、真っ直ぐにシーザーの顔を見詰めた。
「今度は、オレも一緒に行く。もうお前を1人にはさせない」
 どこか遠くから、誰かが呼ぶ声が聞こえた気がした。しかしジョセフは、それを意識の外に追いやった。今聞いていたいのは、シーザーの声だけだ。「一緒に行こう」と、その言葉だけが欲しい。
「連れてって」
 シーザーは微笑みを消すことなく、ゆっくりと首を横に振った。
「そんなっ……、どうしてっ」
 やはり、許してはくれないのだろうか。別れの直前に彼にぶつけた言葉を、ジョセフは一度も謝罪出来ていない。つい先程もそうだ。「分かってるから」と、その言葉を言わせてくれなかった。あれは拒絶だったのではないか……。
 シーザーの長い指が、ゆっくりとジョセフの真後ろを差した。ジョセフはその先を振り向いたが、何も見えなかった。雪原のように白い空間が広がっているだけだ。
「お前には、まだ帰るための道が残されている。それが許されている」
「でもオレはっ……!」
「お前を待っている人もいるだろう? まだ、やれることがあるはずだ」
「……っ」
 再び声が聞こえた。先程よりも鮮明に。ジョセフはその声を知っている。
「戦いが終われば、嫌でも大切なものを失った哀しみと向かい合わなくてはいけなくなる。その辛さが、お前には分かるだろう?」
「それって、……あいつらのこと……?」
「どうすれば乗り越えられるのか、お前が教えてやらなきゃ」
 シーザーの眼を見ているとまた泣きそうだった。ジョセフは視線を逸らすように俯いた。
「方法なんて、そんなのない。……時間が経つのを待ってるしか出来なかった」
「それなら、その時間を一緒に過ごしてやればいい。1人で抱え込むのと、傍で誰かが支えてくれるのとでは、時間の流れ方は全く違う。お前は、こんなところで“時”を止めてはいけない」
 再びシーザーの手がジョセフの髪を撫でた。
「ずっと待っててやるから」
 ジョセフは鼻を啜りながら頷いた。
「泣くな。孫達に笑われるぞ」
「歳取ると涙腺が緩むの」
 弁解しながらも、やはり少し恥ずかしくて、表情を隠すように下を向いたその視界の隅で、シーザーが背伸びをするのが見えた。かと思うと、柔らかいものが額に触れた。それは耳元に降りてきて囁くように言った。
「またな」
「うん」
 振り向いた先には、先程は見えなかった道が伸びていた。一歩踏み出してから、肩越しに後ろを見た。すでにそこには誰もいなかった。だが、もう大丈夫だ。
 歩みを再開すると、彼を呼ぶ誰かの声が大きくなった。いや、もうその声の主は分かっている。
「ああ、今行くよ」


2013,04,11


時期的には3部ラストの1回ジョセフが死んだ後生き返る場面のつもりで書いているのですが、
でも混部と呼ぶには他部キャラとのやりとりはないしなぁと思って、2部扱いにしました。
シーザーとお話しが出来る不思議空間でのことなので、不思議とジョセフも昔の姿に戻っているんだよ。
と都合良く解釈しながら読んでいただけると幸いです。
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system