シージョセ 全年齢


  気楽な挨拶あるいはswitch


 「食事の時と歯を磨く時以外は必ず着けていること」。最初に呼吸法を矯正――むしろ強制――するためのマスクを装着させられた時に言い渡されたそれを、ジョセフ・ジョースターは今でも厳密に守らされている。波紋の後継者・リサリサが所有するこのエア・サプレーナ島に渡ってから、半月以上の時が過ぎた。毎日続く厳しい修行の中で、彼はすでに――余程のことがない限りは――意識せずとも波紋の呼吸法を保っていられるようになっている。にもかかわらず、だ。
(別に、もう普通に息は出来るんだけどさぁ……)
 呼吸を妨げられることはなくとも、面倒なことはある。それは、ジョセフがマスクの外し方のみならず装着の仕方も教えられていないことだ。外す時も着ける時も、リサリサか師範代――ロギンズかメッシーナ――を探す必要がある。彼女達は気が付くといなくなっていることが少なくない――その内の多くは次の修行の準備をしに行っている――くせに、ジョセフがマスクを外したままでいるのを見付けると、まるで彼がさぼっているかのようにお説教をしてくる。これが実に厄介な上に理不尽だ。だから、食事を終えてさっさと歯を磨きに行こうとしているタイミングで兄弟子であるシーザー・アントニオ・ツェペリが声をかけてきたことは、正直に言えばあまり喜ばしいことではなかった。
「JOJO、今ちょっといいか?」
 一瞬どうしようかと迷ったが、シーザーだって、ジョセフが抱えている事情はきちんと理解してくれている。その上で呼び止めたのであれば、それなりの理由があるのだろう。それと同時に、彼の顔がそれほど深刻そうには見えず、おそらく本当に『ちょっと』で終わるようなことなのだろうと予想出来たために、ジョセフは足を止めて応じることにした。
「どうかし――」
 歩み寄ってきたシーザーは、ジョセフの顔に手を伸ばしてきた。口の横に付いている食べカスでも取るように、なんでもないことのような動きで。が、「何か付いているか」と尋ねる暇はなかった。
 近付いてきたのは彼の手だけではなかった。首を傾げるジョセフとは逆の方向へ傾いた顔が、当たり前のように接近してくる。呼吸が唇に触れるのを感じた。シーザーはさらに距離を詰めようとしている。これ以上近付けば、触れるのは息だけでは済まない。絶対に。
「JOJO今ちょっと良くないッ!!」
 ジョセフは叫びながらシーザーの肩を突き飛ばした。が、咄嗟のことで力が入らなかったのか、逆に自分の方がよろけながら後退る形になった。そのまま転倒しなかったのは不幸中の幸いだ。
「おいッ!! お前今何しようとしたッ!?」
 ジョセフはすでに余程のことがない限りは意識せずとも波紋の呼吸法を保っていられるようになっている。今、その"余程のこと"があったようだ。彼はぜーぜーと肩で息をしながら、顔が真っ赤になっているのを自覚した。マスクをしていたら、呼吸困難に陥っていたかも知れない。
「何って……」
 シーザーは「英語ではこう言うんだったよな?」と確かめるような顔で答えた。
「キスだな」
「OH! MY! GOD!!」
 ジョセフは両手で頭を抱えた。一方シーザーは、何がいかんのだと不思議そうな顔をしている。
「お前馬鹿なの? 何考えてんの? 何いきなりサカってんの!?」
「ずいぶんな言いようだな。何も今ここでセックスするぞと言ってるんじゃあないぞ」
「え、そうなの?」
「……」
「……」
「なんだ、そうしたいならそうと言――」
「言ってないッ!!」
 再び近付いてこようとするシーザーに、ジョセフは今度こそボディブローを食らわせた。食らわせてから、食事の直後には流石にきつかったかなとわずかに思ったが、後の祭りだ。
「ぐえ」
「寄るな! 触るな! スケベ!! 時と場所を考えろアホスカタンッ!!」
 ジョセフは「今一番欲しい物は何か」と誰かに尋ねられたら、「先端がU字に分かれた長い棒が欲しい」と答えるところだと思った。それでシーザーの胴体を壁へと押さえ付けられれば、棒の長さより近くまで距離を詰められる心配はない。だが今ここに、そんな物は残念ながらない――もちろんこの状況でそんなわけの分からない質問をしてくる人間もいない――。それ以上近付けば噛み付くぞと言わんばかりの犬かそれに近い動物のように威嚇の姿勢を見せるジョセフに、シーザーはやれやれと言うように肩をすくめた。
「と言うか、考えた結果なんだが」
「はぁ!?」
 シーザーはジョセフの顔に向かって指を向けた。
「お前、ほとんど一日中マスクしてるじゃあないか」
「ああ、うん」
 確かにそうだ。
「今を逃したらいつ出来るって言うんだ」
「あー、まあ、それは……」
 確かにそうだ。
「なるほど」
「だろ?」
 先程は「マスクをしていたら呼吸困難になっていたかも知れない」と思ったが、実はマスクをしていればこんな事態にはなっていなかったということらしい。やっぱりこのマスクは好きになれそうにないとジョセフが思っていると、「というわけで」とでも言いそうな顔が再度ぐっと近付こうとしてきた。
「だぁー! やめろッ!! 今のは了承じゃあねぇー!!」
 ジョセフは片足を目一杯伸ばしてシーザーの接近を阻止した。
「乱暴なやつめ」
「問答無用でキスしようとするのは果たして温和デスカッ!?」
 シーザーは再び溜め息を吐いた。そして、なんでもないことのようにさらりと呟くように言った。
「そこまで拒絶されると、一応オレだって傷付くんだけどな」
「う……」
 今の一言はずるい。ジョセフの胸に罪悪感を芽生えさせようという意図は、おそらくシーザーにはなかった。というよりも、ジョセフがこんなことで罪悪感を覚えるなんてことはない。そうではなく、今の発言がシーザーの本音であるのは明白だ。だとすれば、ジョセフだって本当の気持ちを言わずにいるわけにはいかない。だから、ずるい。
 シーザーのことが嫌いなわけではない。実際はむしろその逆だ。それは本人にもすでに伝えている。同じことをシーザーから告げられたこともある。それを覆すつもりは、ジョセフには全くない。
「あー、もおッ!!」
 ジョセフはこめかみの辺りをがりがりと掻いた。
「言わせんなよもおおおおっ!」
「JOJO?」
 ジョセフはシーザーの目をきっと睨んだ。が、すぐに視線を逸らした。
「だからさ、なんっつーか……、その……、キスして満足してじゃあおやすみーっつってそれぞれ自分の部屋行ってベッド入ってすやすや眠れんのかよって話。お前にはただの挨拶みたいなもんかも知れないけど、オレには違うんだよ。……もっと一緒にいたくなるとか、色々……あんだろ」
 また顔が赤くなっている自覚がある。シーザーの顔をまともに見ることが出来ない。ので、なんとか横目でちらりとだけ見た。シーザーはどうやら、何やら考え込むような顔をしている。そして、
「とか? 色々?」
「細かいとこ突っ込むな!」
 やっぱり言わなければ良かったと思っても、これまた後の祭りだ。
「JOJO」
 シーザーの手が伸びてきて、ジョセフの手首を掴んだ。咄嗟のことで、避けることが出来なかった。いや、それだけではない。シーザーが本気を出せば、こんなにも素早く動けるのだと、ジョセフは初めて知った。
「なっ、なん――」
 狼狽えるジョセフに、シーザーはきっぱりと言った。
「キスしよう」
「はあああぁッ!?」
 ジョセフは今日一番の大声を出した。
「お前話聞いてた!?」
「聞いた上でだ。聞いた上で、お前とキスがしたい」
 聞いた上で、ということは……。
(“そういう”お誘い!?)
 さっきまでは本当にただキスがしたいだけだったのかも知れない。が、今のシーザーはどうやらそれだけで止まる様子はない。
「いやいやいやいやちょ待っ……」
「JOJO、オレのことが嫌いか?」
「シリアスな声やめろッ! そーじゃあなくって! そのっ……、心の準備ってもんがあるだろーがッ!!」
「じゃあ今すぐ準備してくれ」
「ぎゃー!! 誰か助けてぇーッ!!」
「何を騒いでいるのです」
 助けを求めるジョセフの声を聞いて駆け付けた……というわけではないようだが、そこへ現れたのはリサリサだった。カツカツと乾いた足音を響かせながら、彼女は近付いてきた。その姿は当然シーザーにも見えているはずだが、彼は身を引こうとはしない。
「先生! いいところに! 助けてくれっ! 早くマスクを着けてくれー!!」
「マスクを?」
 リサリサは眉をひそめた。シーザーがジョセフの両手首を捕まえて離すまいとしていて、ジョセフがそれを押し戻そうと奮闘している。そんな様子を見て、これがどういう状況なのかを理解しようとしているのだろう。
 やがてリサリサは、ゆるゆると首を横へ振った。
「いけませんよ、JOJO」
「なんで!?」
「あなた、歯磨きがまだ済んでいないでしょう」
 確かに、マスクは食事と歯磨きが終わってから着け直すことになっている。
「あんたは俺のオカーサンかッ!!」
 ジョセフは『今日一番の大声』を更新した。
 エア・サプレーナ島の夜は、まだ始まったばかりだ。


2022,08,10


本日はサイト開設日です! おめでとう! ありがとう!!
一番書きたかったのは、ラストのセリフです。
2022年現在、マスクをしているのがすっかり当たり前な世の中です。
わたしはマスク生活が全然苦に感じないタイプの人間なのですが、最近ではどうせなら色んなマスクをしてみたいという願望が生まれてきました。
波紋呼吸法矯正マスクとペストマスクは憧れます。お手頃価格で購入出来るんだったら欲しいわ(もちろんそれで外に出たりはしませんがw)。
<利鳴>

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