ポルナレフ中心 全年齢


  Transparent


 ふわりと浮かび上がったシャボン玉の中には、周囲の景色が逆さまに映っていた。もし今この瞬間、空から何かが降ってきたとして、それがこの透明な球体の前を通過したとしたら、その“何か”は事実とは逆に、空へと浮かび上がっていくように見えるのだろうか。地面には終わりがある。だが空にはどうなのだろう。空に向かって“落ちて”いくと、最後はどこへたどり着くのか……。
 そんなことを考えながら、ジャン・ピエール・ポルナレフはシャボン液の容器に改めてストローを差し入れた。新しく作ろうとしたシャボン玉は、しかし大して強いとも思えぬ風に吹かれて、あっさりと壊れてしまった。至近距離で弾けたシャボン玉の雫が目に入りそうになって、慌てて目蓋を閉じる。
「懐かしいのぉー」
 不意に聞こえた声に顔を上げると、隣の部屋の窓から、ポルナレフと同じようにジョセフ・ジョースターが顔を出していた。戦いの中では険しい表情を見せることもある彼は、しかし今はにこにこと微笑んでいる。例えるなら、孫の成長を温かく見守る“おじいちゃん”といったところか。それでいて、グリーンの瞳は少年のそれのように輝いても見える。
 ポルナレフは手の中にある容器を顔の高さにまで上げて、「そうでしょう?」と笑ってみせた。
「香港……だったかな。気まぐれで買ったんですけどね、ずっと忘れてたんですよ。せっかくだから飛ばそうと思って」
 ゆっくりとストローを吹くと、今度は上手くいった。拳ほどの大きさにまで膨らんだシャボン玉は、くるくると廻り、光の反射具合で虹色にも見える。
「わしの親友も、よくやっておったよ」
「へぇ」
 ポルナレフは、この老人にもシャボン玉遊びではしゃぐ幼少期があったんだなぁと当たり前のようなことを思った。眩しさに目を細めるような微笑みは、同時に哀愁を帯びているようにも見えた。「今その『親友』はどうしているのか」と尋ねる代わりに、彼は「オレも」と言葉を続けた。
「オレも妹とよく遊んだな。オレが吹いて、妹が追い掛け廻すんです。で、最後には転んで泣く。そんで大人達からは、妹を泣かすんじゃあないって、オレが怒られるんですよ。泣いてる妹を負ぶって家まで連れて帰ってきたのはオレだっていうのに!」
 おどけたような口調でそう言うと、ジョセフはくつくつと笑った。
「わしは追い掛け廻されたことがあったよ」
「その親友に?」
「いや、シャボン玉に」
「え? んん?」
 ポルナレフが訝し気な顔をすると、ジョセフは再び笑った。なにかのジョーク……なのだろうか。アメリカ人であるジョセフには分かるが、フランス人である自分には分からない何か……とか?
 首を傾げていると、少し離れたところから誰かが「あ!」と声を上げるのが聞こえた。外へ目を向けると、母親らしき女性に手を引かれた小さな女の子が、先程のシャボン玉を指差して笑っている。その姿が自然と記憶の中の妹と重なって、胸の奥の方で痛みに似た感覚へと変わる。それを押し込めるように――より深い場所へと、大切にしまい込むように――、ポルナレフは深呼吸をした。
「よーし、次はたっくさん飛ばしてやるぜぇ」
 ストローにたっぷりとシャボン液を纏わせる。大きく息を吸い込んで、ストローを口に咥える。先程までよりも勢いをつけて吹くと、小さなシャボン玉がいくつも生まれ、あっと言う間に風に乗って舞い上がった。
「おー、高い高い」
 2人はそろって光の玉を目で追った。が、太陽の眩しさで、最後まで見ていることは到底叶いそうもない。それらは、どこまで飛んでゆくのだろうか。どこまで飛んでゆけるのだろうか。願わくば、どこまででも……。
 手で庇を作りながら、気付くとぽつりと呟くように言っていた。
「……あいつらのところにも届くかな」
 それから、妹のところにも。
 ポルナレフの言葉に、ジョセフがゆっくりと頷いた。
「届くといいのぅ」
 自分達は、まだそこへは行けない。残された者の定めを全うするまでは。
「ずいぶんと呑気だな」
 ジョセフがいるのとは反対の方向から、低い声が聞こえた。振り向くと、そこにいたのはジョセフの孫の空条承太郎だった。同じように窓から顔を出して、しかし彼が口に咥えているのは火の付いた煙草だ。
「1時間後には出発だってのは分かってるんだろうな。荷造りは済んだのか」
 そうだった。帰りの支度をしていて、それで鞄の奥に転がっているシャボン液の容器に気付いたのだった。部屋の中へと目を向ければ、まだ荷物はベッドの上に広がったままだ。
「そういうお前は?」
「済んだから一服してる」
「マジか。早いなー」
「早くない。一時間後に出発だって言ってんだろ」
「わしはもうちょっとで終わるぞ」
「つまりまだ終わってねーんじゃあねーか。手伝わねーからな」
 呆れ切った顔をしながら、承太郎は溜め息を吐いた。
「って言ってもなぁ、中途半端に残して持って帰るのもなぁ。かと言って捨てちまうのも勿体無いし」
 まだ容器の中にはシャボン液が半分以上残っている。うっかり鞄の中で蓋が外れでもしたら厄介だ。
「よし、一気に使うか! うんとでかいのを作ってやるぜ」
「早くしろよ……」
「わしの親友は人ひとりが入れるサイズのシャボン玉も作れたぞ」
「マジかよっ」
 負けじと息を吹いてシャボン玉を作るが、それは人の頭ほどのサイズにもならずに弾け飛んだ。今度こそ雫が目に入って染みた。
「いってぇ……。って言うか、このストローじゃあ限界があるだろっ。そんなでかいの作れるか!」
「誰もやれなんて言っとらんぞ」
「やれやれだぜ。こんな調子じゃあ、いつまで経ってもなくならないぞ」
「分かった分かった。やっぱり普通サイズが一番だよな」
 うんうんと頷いて、ポルナレフはどんどんシャボン玉を作り出した。ゆっくりと漂うそれは、小さな丸い窓のようにも見える。
 いや、実際にそうなのかも知れない。その“窓”を使って、別の世界から誰かがこちらを覗いているのかも知れない。ポルナレフは、まだ“懐かしむ”ほど遠い記憶にはなっていない顔ぶれを思い浮かべながら、そうであってほしいと願った。


2020,09,10


ポルナレフって「眉をしかめる」的な表現が出来ないことに気付いた!
今更気付いた!
眉毛ないから書けない!!
びっくりした!(笑)
<利鳴>

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