承花 全年齢


  目蓋越しに見る星明り


 治療不可能な傷ではないと説明され、まずは安堵の息を吐いた。やはり一番心配になったのは失明や極端な視力の低下の可能性であったが、それもスピードワゴン財団の医療技術をもってすれば大丈夫だろうと医者は言う。そういえば中学生の頃、同級生が野球のボールが直撃して眼球を潰されるという事故があったが、彼も無事に回復していたんだっけ。どうやら人間の身体は思ったよりも丈夫に出来ているようだ。――もっとも、僕の場合は、財団の力がなければ実は結構危ない状況だったらしいが――。僕の後に攻撃を受けたアヴドゥルも無事だったそうだ。彼の場合は僕と違って、すぐに退院が出来るのだという。それを聞いて、僕は傷とは無関係な胸の奥の方がチクリと痛むのを感じた。自分の容態が明らかになった後の気がかりは、当然旅の行方のことだ。一時的な離脱を余儀なくされ、皆に迷惑をかけてしまうこと、そしてそれをせずに済むアヴドゥルを羨ましく思う気持ち。その2つが混ざり合い、複雑な模様の液体になって顔の半分を覆う包帯の下で蠢いているような錯覚。ああ、それからもうひとつ。見知らぬ土地で独り取り残されることへの不安も否定しない。
 ジョースターさんはゆっくり休めばいいと言ってくれた。他の皆も、大事に至らなくて良かったと言うばかりで、誰もいよいよ敵の本拠地という大事な場面で役に立たない僕を責めたりしない。そんな彼等に、僕だけが不平不満を口にするわけにはいかない。まして、引き止めることなんて、出来るわけがない。僕に出来るのは、精々何でもないようなフリをすることくらい。「すぐに追い付くよ」と告げ、笑ってみせた。多少ぎこちない笑顔になってしまっていたとしても、そんなのは傷と包帯の所為だと言い張ろう。とにかく、皆に余計な気を使わせてはいけない。
「よし、それじゃあわしは財団の者と話をしてくるからな。その後でアヴドゥルを迎えに行ってこよう」
 ジョースターさんの声とともに、椅子が動く音がした。ポルナレフが呑気に「いってらっしゃーい」と言うのも聞こえた。それから再びジョースターさんの声。
「何を言っとる。お前等はイギーを見とらんか。眼を離すとすぐどこかへ行っちまう」
「はぁー!? オレ達の言うことなんか、あいつが聞くかよ! なあ承太郎!?」
 承太郎の返事はなかったが、きっと「やれやれ」と肩を竦めているのだろう。視界は閉ざされていても、その光景がありありと想像出来て、僕は少し笑った――今度は自然に出た笑みだ――。
「それならお前がアヴドゥルを迎えに行ってこい」
「ああ、そんでアヴドゥルにイギーを任せればいいってことか。まあそれがベストってやつかねぇ」
 またひとつ、椅子から立ち上がる気配。ポルナレフもそろそろ行こうとしているようだ。僕は声がする方向へ顔を向け、皆が出て行ってしまう前に慌てて口を開いた。
「じゃあ皆、気を付けて」
 かけられるのは、そんな無難な言葉だけだった。
「いっそのことイギーはここに置いてくっつー手もあるかなぁ」
 病室を出て行こうとしているのだとばかり思っていた声が近付いてきて言った。僕の顔を覗き込みながらにやりと笑うポルナレフの顔が容易にイメージ出来、僕はまた笑う。
「勘弁してくれ。髪を毟られるのはごめんだ」
「お前等も一回くらいやられるべきだぜ! オレばっかり、不公平だっ」
「オレは帽子にガムを付けられたぜ」
「おいおいお前等、病院であんまり騒ぐんじゃあない。わしは行くぞ」
「今行くって。じゃあな、花京院」
「ゆっくり休むんじゃぞ」
 声が遠ざかり、急に静かになった。皆行ってしまった。足手まといの僕ひとりを置いて。
 気が付くとふうと息を吐いていた。余計なことは考えたくないのに、まだ眠たくはないし、本も読めない。日本にいる時よりもずっと高度な治療が受けられるとあっても、そもそも負傷していなければそんな必要もなかったわけだから、決して嬉しい気分にもなれない。いよいよすることが――いや、出来ることが――なくなり、急激に虚しさが周囲を支配する。息苦しさを感じ、深呼吸に似た溜め息を吐く。と、不意に何か、“違和感”に気付いた。部屋の中に。まだ“誰かいる”……?
「……承太郎?」
 呼びかけてみると、無言のまま少々戸惑ったような気配が伝わってきた。つまりビンゴ。ジョースターさん達と一緒に行ったのかと思っていたのに、何か忘れ物でもあったのだろうか。
「どうかしたのかい? ジョースターさん達はもう行ったんだろう?」
「……どうして分かった?」
「え?」
 承太郎は普段から感情を露骨に表すことが多くない。彼の胸中を読むことの難易度は、おそらく眼が見えていてもいなくてもそれほど大きくは変わらないだろう。
「何故オレがここに残っていると分かった?」
 声が少し近付いてきて言った。その口調は――口調だけ聞くと――少々不満そうだった。本人としては僕に気付かれるとは思っていなかったのだろう。気付かれないように留まって、何をするつもりだったんだろう。僕の独り言の弱音でも聞いて、笑うつもりだったのか。
「何故って、なんとなく……かな。気配というか、においというか」
「におい?」
 鼻をすんすんと鳴らす音。承太郎が自分の袖口辺りに顔を近付けてにおいを嗅いでいるところを想像し、少し笑った。残念。なかなか見られる光景じゃあなかったろうに。
「別に臭うとかそういう意味じゃあないから安心して。そうじゃあなくって、人のにおいって、あるだろ?」
 承太郎はすぐには答えず、何秒かの間の後に「なるほど?」と言った。その声はいつの間にかまた近くへ来ていた。おそらくベッドのすぐ横に、彼は移動している。あの大きな身体で音も立てずに歩くとは、なかなか器用なものだ。
「行かないのかい? 何か忘れ物?」
 承太郎が何も言わないのでこちらから尋ねる。が、尋ねても返事がない。仕草で答えられていたのだとしても、僕にはそれが見えない。
「承太郎?」
 少しいらだってきたのを自覚する。視界を奪われるのが、こうにも不便だとは。そういえば、僕等を攻撃してきた男も、盲目であったようだと承太郎が言っていた。スタンドの攻撃が僕の眼に当たったのは、偶然なのだろうか。
「だいぶ痛むのか」
 低い声がようやく言った。いつものぶっきらぼうな口調。そんなことを聞くために、彼は残ったのだろうか。
「少しね。でも大丈夫」
 僕は片手で包帯に軽く触れた。
「顔に傷は残るかも知れないそうだけど、眼の機能はおそらく大丈夫だろうって」
「残るのか」
「かも知れないって」
 でも、男の傷は勲章だろう? そう言って笑ってみせたつもりだったのに、リアクションは――少なくとも僕に分かる形では――なかった。やっぱり、包帯の所為でこちらの表情はいまいち伝わっていないようだ。
「承太郎?」
 僕は承太郎がいるのであろう方向に向かって首を傾げた――もしまた彼が静かに移動していたとしたら、きっと間抜けな光景だろう――。
「ひょっとして、申し訳ないとか思ってる?」
 かすかに息を呑むような音。
「『巻き込んだ』とか、思ってるんだろう?」
 不思議だ。眼から得られる情報が丸ごと欠けているというのに、逆に承太郎が何を考えているのかが手に取るように分かる。「大事に至らなくて良かった」「だがあと少しでも傷が深かったら……」「たまたま運が良かっただけ」「いや、本当に幸運なら、こんな傷を受けることはなかったはず」「それに、次もこの程度で済むとは限らない」「いや、もっと酷いことになる可能性も……」。それとも、これは彼がそう思っていてくれたらと願う僕の想像――あるいは妄想――でしかないのだろうか。
「承太郎、もう忘れた?」
「?」
「最初に怪我をさせたのは、僕の方だったよ」
 そういえばあの足の傷は今どうなっているんだろう。もう随分と前のことだったように思うけど、実際にはあれから1ヶ月ちょっとしか経っていない。
「今からでも謝ろうか」
「……いや」
「僕は『巻き込まれた』とは思っていないよ。自分の意思でこの旅に出た。君に申し訳なく思ってもらわなきゃいけない理由はなにもない。むしろ、僕の方が君に謝罪しないといけないくらいなんだ。ホリィさんの命がかかっているっていうのに、僕はこの旅を楽しいと思ってしまっている。君やジョースターさんの立場で考えれば、笑っていられる場合じゃあないっていうのに……」
 承太郎がふうと息を吐く音が聞こえた。きっと彼は、いつもの「やれやれ」の顔をしている。
「謝罪が必要だって言うなら、帰ってからおふくろに直接言いに行きゃあいい。“オレ達全員で”な」
「……君も?」
「ああ」
 目蓋と包帯の向こうで、承太郎が少し笑ったのが見えた気がした。そうだ。僕は彼のその表情を知っている。僕達は皆、何だかんだ言いつつも笑いながらここまで来た。
「そういえば」
「うん?」
「あのハンカチ」
 一瞬何のことだろうと考える。
「波紋の紋の字が間違ってた」
「えッ」
「糸偏に文が交わるになってたぜ」
「う、嘘っ!? ほんとにっ? そ、それはっ、DIOに肉の芽で操られていた時に書いた物だろっ。だから間違えたのも」
「なるほど。DIOのヤローはイギリス人らしいな」
「きっと漢字は苦手なんじゃあないかな」
「肉の芽ってのはそこまで細かく行動を管理してなきゃならんのか。洗脳さえしちまえば、あとは勝手に都合のいいように動いてくれるものと思ってたが。結構不便だな」
「う、それは……、もうっ、いじわるだなッ」
 まったく、承太郎はどんな顔でそれを言っているんだろう。真顔で言っているなら怒るし、僕が見えないのをいいことに満面の笑顔で言っているんだとしたら、もっと許さない。
「花京院」
「なんだい?」
 承太郎が何か言うのよりも先に、廊下で彼を呼んでいる声が聞こえていた。あれはジョースターさんだ。時計を見ることが出来ないのでどれくらいの時間が経ったのかは知りようがないが、思いの他長く彼を引き止めてしまっていたようだ。「そろそろ行くぞ」と張り上げる声が、先程「病院で騒ぐな」と咎めたのと同じ口から出ているというのは、きっと何かの間違いだろう。同じことを思ったのか、承太郎は溜め息を零した。
「うるさいじじいだぜ」
「ひどい言い草。お年よりは敬わなきゃ」
「敬老の日が先で良かったぜ」
「11月……は勤労感謝か。じゃあ9月だ」
「くそじじいめ。その頃にはなんとしてでもアメリカに留まらせてやる」
「アメリカにも似たような日があるそうだよ」
「会わなきゃセーフだ。オレはその時期、日本から出ねぇ」
 廊下からもう一度呼ぶ声がして、承太郎は動き出した。
「行ってくる」
 彼は面倒臭そうに言った。
「気を付けて」
「ああ」
 不意に、左肩に大きな手が触れてきた。ほぼ同時にベッドがかすかな軋みを上げ、僕の身体はわずかに右に傾いた。ベッドの上に重さが加わって、マットレスが少しそちらに沈み込んだのだ。眼が見えないとそんなこともいちいち「なんだろう」と考えなくてはいけない。こんな状態であの敵はよく戦えたなと感心してしまう。今のはたぶん、承太郎が片手で僕の肩を押さえ、もう片方の手はベッドの上についている姿勢を取ったのだろう。傷の様子でも見ているのか。包帯で何も見えないと思うけど。それとも僕に分からないだけで、白いはずの包帯は血塗れだったりするんだろうか。触った感じは少なくとも濡れてはいなかったように思うが。とにかく、気持ちのいい想像じゃあない。そんなことを考えていたら、包帯越しの目蓋に、何かが触れた。傷に障らないよう、そっと接触させただけというような感触。ほとんど何の力も加わりはしなかった。それも、ほんの一瞬の出来事だった。今のは、何?
「……承太郎?」
 再びベッドが鳴って、マットレスが元の形に戻った。僕の肩に乗っていた感触も離れた。
「さっさと治せよ」
 承太郎の声はさっきと同じ位置から聞こえた。ジョースターさんはゆっくり治せと言っていたのに。ぼくは思わず笑っていた。お陰で「今ぼくの顔に何か触った? 承太郎じゃあないよね? 承太郎の手は両方とも別のところにあったようだし」と聞きそびれた。
「うん、そうするよ」
 僕はそう答えた。
 一秒でも早く治して、皆の、……承太郎の隣を歩きたい。想像の中なんかじゃあなく、現実に存在する彼の笑顔を見たい。そんなことを望む相手を得られたこの旅に、僕は心から感謝している。今はまだ見えないこの先に、何が待ち受けていようとも。


2016,10,29


視覚的な情報抜きで書くのなかなかに大変だった。
誰か承太郎視点でいいので目隠しプレイする承花ください。
幽波紋の誤字は現在では修正されております。アニメもちゃんと紋だった。良かった。
<利鳴>

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