承花 全年齢


  夢幻


 気付いてしまった。「これは夢だ」と。そうでなければ、“彼”が眼の前にいるはずがない。承太郎は、「やれやれ」と溜め息を吐いた。せめて、もう少し気付かずにいられたら良かったのに。そうすれば、現実だと錯覚している間だけでも、それは真実と寸分違わぬものであったのに。
「驚かないんだな」
 もうどこにも存在しないはずの男は、穏やかな笑みを浮かべながらそう言った。
「夢だからな」
 承太郎は低い声でそう言い切った。
 本当のことを言えば、ほんの一瞬だけは驚いた。もう少しで「まさか」と声を上げていただろう。だがそうするよりも先に、気付いてしまった。そして納得すると共に、落胆もした。
「お前はオレの記憶が作っただけの存在だ」
「言い切るね」
「夢ってのはそういうもんだ」
 「もう一度会いたい」。承太郎は、自分で意識していない間にも、そう思っていたのだろう。だから、こんな夢を見る。会えないはずの人に、会う夢。現実では到底叶えられない望みを、夢に見ることによって代用しようとしている。眼が覚めてしまえば、きっと却って虚しくなるだけだろうに。
「確かに、君は今は眠っているよ。でも、夢を通じてぼくが会いに来たんだとは考えられない?」
「ないな」
 なにかを振り払うように、強い口調で承太郎は言った。
「お前は、花京院じゃあない」
 “彼”が肩を竦めるような仕草をすると、長い前髪が揺れた。
「困った。そんなにはっきり断言されたんじゃあ、存在を否定されているも同然だ」
 さほど困っていないような顔が言う。
「何を言ったって、過去の繰り返しかオレが勝手に思い浮かべた作り物でしかない」
「それじゃあぼくが『違う』と言うのは、君が『そうじゃあなければ良いのに』と思っているからって言うわけかい? それが事実と異なると分かった上で、と?」
「ああ」
 承太郎はあっさりと肯定した。夢の中で虚勢を張ったところでどうにもならない。どうせ“彼”は花京院本人ではないのだから。“彼”が本物の花京院であってくれたら……。叶わないと分かっていながらも、そう望んでいること。そのことくらいは、素直に認めてしまっても良いだろう。
「夢に他人が入り込んでくることなんてありえない?」
「ないな」
「そんなこともないんだけど……。そうか、君は覚えていないんだもんな。参ったな」
 今度は“彼”が溜め息を吐いた。
「本当にぼくなんだよと言っても」
「信じないな」
「どうしたら信じられる?」
「オレの知らないことを言ってみな」
「それじゃあすぐには確認出来ないじゃあないか」
「じゃあ、諦めな」
 “彼”は唇の下に手をあてて、「うーん」と唸った。
「じゃあ、君がとても思い付きそうもないことをぼくが言うとか……。あ、こうしよう。今からぼくが君に、君が望むとは思えないことを要求する。もしぼくが君の願望が作り出しただけのまやかしなら、君が嫌がることをさせようとするはずがない」
 少々ややこしいが、言いたいことは理解出来ないではない。承太郎が異議を唱えずにいると、それを了承のサインと見なしたのか、“彼”は満足そうな顔を見せた。
「よし、じゃあ……、君がぼくにキスするっていうのはどうだ」
 承太郎は呆れたように息を吐いた。
「どんな突拍子もないことを言い出すのかと思えば」
「どうだい。出来ないだろう? これでぼくは紛れもなく君の思考とは無関係の存在だということが――」
 得意げに言う唇に、承太郎はキスをした。“彼”は言葉を呑み込んだのと同時に、表情を固まらせた。
「誰が望むとは思えないことだって? なんなら、もっと先までするか?」
 間近から視線を合わせてそう言うと、“彼”の顔は真っ赤になった。
「参ったな。八方ふさがりだ」
「諦めな」
 それは、自分に言い聞かせる言葉だったのかも知れない。
 これ以上こんな夢を見ていても、未練が募るだけだ。承太郎は“彼”から離れ、背を向けた。背中越しの視線からなお逃れようとするかのように、帽子の鍔を引き下げた。やがて、「ふう」と息を吐く音が聞こえた。
「まあ、いいや。君が信じてくれなくても、勝手に喋るから」
 承太郎は何も返さなかった。だが、その声を聞かずにいることは出来なかった。
「君は、ひょっとしたら申し訳ないと思っているのかも知れないけど、ぼくは後悔していないよ。短い間だったけど、初めて心から大切だと思える仲間に出会えた。それを知らずにこれからの人生を過ごすよりも、ずっと意義のある旅だった。全部、“納得”済みさ」
「……」
「と、言って欲しいと思ってるから見てる夢だ。と思ってるだろう」
 “彼”の声はくすりと笑うように言った。
「いいよ。信じなくても。言いたいことは言えたから。結局こういうのって、自己満足なんだ。それも“納得”してる」
 いつの間にかその声は、すぐ近くまで来ていた。承太郎は何も返さず、ただ何かに耐えるように拳を強く握っていた。
「ひとつ、君が知らないことを言おうか」
「?」
「ぼくね、君のことが好きだったんだよ。知ってた?」
「……いや」
「じゃあ信じる?」
「無理だな」
 承太郎が、そこにいる男が本物の花京院なのだと信じるためには、彼が『承太郎の知らないことを知っている』のと、『承太郎が望むこと以外の言動を取る』の、2つの条件を“同時に”満たしていなければならない。だから、今のはその証明にはならない。
「そもそも、その理屈でいくと、誰も悪夢なんて見やしねーぜ」
「ごもっとも。なるほど、ぼくは悪夢みたいなものか」
 “彼”は気を悪くした風でもなく笑った。承太郎が納得しないことに、いらだった様子すらない。まるで、子供を宥めるかのような態度だ。
「承太郎」
「……」
「そろそろ行くよ。伝えたいことは、もう全部言えたから。ほんとに全部。……言うつもりのなかったことまで言ってしまったよ」
 “彼”は「ははは」と声を上げて笑った。
「みんなに……、君に会えて良かった。ありがとう」
 声がすっと遠くなった。同時に、冷たい風が背中のすぐ傍を通り抜けていったかのように、今まで感じていた温もりが消えてしまった。
「花京院!」
 咄嗟に振り返った先に、まだ“彼”はいた――先程よりは距離が離れていたが、それも精々数歩分だった――。「なんだい?」と尋ねるように首を傾げた後で、「やっと呼んでくれたね」と言うように笑った。承太郎は小さく舌を鳴らした。全て見透かされている気がする。実際にそうなのだろう。“彼”は自分の夢だから……? いや、本当なら逆でなければならないのではないだろうか。夢が承太郎の一部なのであって、承太郎が夢の一部なのではないのだから。
「……ややこしくなってきたぜ」
「じゃあ、考えるのをやめる?」
「……ああ。もう、どっちでもいい」
 “彼”はにっこりと微笑んだ。
「また来るよ。君に会いに」
「勝手にしろ」
 ぶっきらぼうに言い放つと、“彼”は笑顔のまま、「うん」と答えた。


2016,01,27


死にネタって本当はあまり好きじゃあありません。
原作で生きてるキャラを殺すのが一番好きじゃあないです。
でも原作で死んでしまったキャラに関しては、なんらかの救済があってほしいなと思うと、こういうの書きたくなります。
しかしワンパターンになってしまいます。また似たようなの書きよってからに。
それはともかく、承太郎は仲間が死んだ現場にいなかったんだよなぁと思うと切ないです。
あと夢の中の世界はOKで、鏡の中の世界は認めない花京院の基準がどこにあるのかをわたしは知りたい。
とりあえずイルーゾォに謝れ。それともイルーゾォは存在しないはずの世界を作り出せる能力だったのかしら。
<利鳴>

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