仗露 全年齢


  Anniversary


 晴れた日の日中には今の季節を『春』と呼ぶことを躊躇うほどに気温が上がり、夜になればまだまだ肌寒く今度は『夏』という呼び方が相応しくないように感じる、そんな5月のある日。岸辺露伴が普段は出ない――居留守を使う――玄関の呼び鈴に応じる気になったのは、極シンプルな、それでいてくだらない理由からであった。それは、「仕事の区切りが良いからお茶でもいれてくるか」と席を立ち、たまたま1階に降りていたから。つまり、偶然そのタイミングで玄関の近くにいたから。ただそれだけ。2階の仕事部屋でペンを手にしている時だったら、迷わず普段通りの対応をしていた――すなわち対応しなかった――だろう。
 予感めいたものなんかは全くなかった。それでも、玄関ドアの先にいる人物が誰なのか、露伴には予想することが出来た。その理由も、大したものではない。「この時間にアポイントも取らずにやってくるのは、あいつくらいなものだから」という、その程度。
「露伴せーんせーい」
 ドアを開けた先には、案の定東方仗助の姿があった。鞄を持ったままであるところを見るに、学校が終わってから帰宅せずに、真っ直ぐやってきたのだろう。露伴が彼と初めて出会ったのは、昨年のちょうど今くらいの時期だった。彼がこうして予告なしに訪ねてくるようになったのは、その数ヵ月後からだ。
「仕事中でした?」
 そう尋ねながらも、仗助は家の中に上がり込んできた。露伴がどう答えようと、「じゃあ帰ります」なんて言うつもりが微塵もないことは明らかだ。露伴の方も、仕事中であったとしても、邪魔をするつもりがないのであれば構わないと思っている――仗助が同じ学年の虹村億泰まで連れてきて「一緒にゲームしようぜ!」と言い出した時には流石に追い返したが――。
「少し休憩でもするかなと思っていたところだ。それに、今週の分はほとんど終わった」
「今週分って、今日まだ火曜日なんですけど……」
 似たようなやり取りを交わしたことはすでに何度もある。仗助は苦笑を浮かべながらも、だいぶ慣れてきた様子だ。
 お茶をいれる予定は、人数を変更しただけでそのまま続行した。お湯が沸くのを待つ間、仗助はダイニングテーブル越しに、じっと露伴の姿を見ていた。露伴が振り向いて視線を合わせると、微笑みが返ってきた。
「先生、今日がなんの日だか知ってます?」
 露伴が赤褐色の液体が入ったカップをテーブルに置くと、仗助は身を乗り出すような仕草で、待ちわびたようにそう尋ねてきた。彼は満面の笑みを浮かべている。これが漫画であったなら、その顔の横に書く擬態語は「にこにこ」が一番しっくりくるのだろうが、露伴にはその裏に隠れた「にやにや」が見える気がした。かなりの確率で、仗助は何か企んでいる。
「なんの日だか……?」
 露伴が鸚鵡返しに言うと、仗助はますます嬉しそうに頷いた――「にこにこ」が「きらきら」に変わった――。それを見ながら、露伴はきっぱりと答えた。
「大安」
「そうじゃあなくって!」
 仗助はがくんと項垂れてから、叫ぶようにそう言った。
 もちろん露伴は、仗助が今日の六曜を聞きたがっているとは全く思っていない。分かっていながらそう返した理由は明白である。すなわち、
「興味ないね」
 そっけなく言い放って椅子に腰を降ろすと、仗助は「もう」と溜め息を吐いた。
「相変わらずつれない人っスねぇ」
 不満なら帰れば良い。そうするのもしないのも、仗助の自由だ。
 露伴は自分の分のカップに手を伸ばしながら続けた。
「だいたい、『ナントカ記念日』なんてものは、その気になれば簡単に作れるんだぜ」
「そうなんですか?」
「もちろんちゃんと国際的な機関や国が作った物もあるが、個人でだって作れる」
「へぇ……」
「記念日を認定する団体は複数ある。認定料、登録料……、まあ呼び方はその団体によって違ってるが、とにかく金さえ払えば――」
「有料なんスか!?」
「企業が自社製品をPRするために利用することが多いようだ。そうなれば、掛かる費用は結局のところただの広告費。宣伝に金を掛けるのは普通のことだろう?」
「確かに……」
「ちなみに、作った記念日に法的な効力は一切ない。それなら、認定なんてされなくても、勝手に宣言しても同じだとぼくは思うけどね。まあ、それっぽい団体名がくっ付いてる方が宣伝効果が高いということなのかも知れないが。興味を持つ人間は一定数いるようだからな」
 「目の前に」と言うように、露伴は仗助の目を見た。
「366日、毎日が何等かの記念日に認定されている。それどころか、1日に設定出来る記念日の数に上限がない所為で、30以上の記念日が重なってる日もある。11月が多いそうだが、『良いマルマルの日』の語呂合わせが好まれる所為だな」
 関心しているのか、それともがっかりしているのかよく分からない顔の仗助から視線を外し、露伴はカップを口元へ運んだ。湯気と共にふわりと立ちのぼる香りを嗅ぎながら、紅茶の日も調べれば――絶対に――あるのだろうなと思った。
「……で?」
 カップをソーサーに戻しながら、露伴は首を傾げるような仕草をしてみせた。
「金次第で記念日なんていくらでも作れる。それを踏まえた上で、なんだって?」
「踏まえないでください。言い難くなるでしょうが」
 仗助は少し拗ねたように目を背けた。そしてそのまま、もごもごと聞き取り難い声で何か言った。
「今日は……」
 露伴の耳には辛うじて「キスの日」という言葉が聞こえた。
「キスの日ぃ?」
 露伴は再び同じ言葉を繰り返した。
「そういえば聞いたことがある気がするな。確か、日本で初めてキスシーンがある映画が放映された日……だったはずだ」
 そう言ってやると、仗助は憤慨したような顔をした。
「知ってるんじゃあないですか!」
「聞かされてやっと思い出すってレベルだよ。そんなの知識の内に入らない」
 だがこれで理解した。仗助が何を言いたいのか、何を望んで、帰宅する時間すら惜しんで訪ねてきたのか。早い話が、したいのだろう。キスを。この岸辺露伴と。「今日はキスの日だから」という口実で。どうやら、そんなものがないと「キスしよう」と持ち掛けることも出来ないらしい。曲がりなりにも恋人である相手に。
(とんだヘタレだ)
 露伴の唇から、思わず笑みが零れた。
「今、ヘタレ野郎って思ったでしょうっ!」
「おっと、いつからぼくと同じタイプのスタンド使いになったんだ?」
「少しくらい否定してくださいよッ!!」
 露伴はくつくつと笑った。が、そこに侮蔑の意味は篭っていない。むしろ、年相応で可愛いじゃあないかとすら思った。だがそんなこととは露も知らない仗助は、「期待したオレが馬鹿でしたよーだ!」と、年相応どころかまるっきり子供のようなことを言っている。
 やれやれと溜め息を吐きながら、露伴は立ち上がった。そのまま仗助の側まで移動し、「なんですか」と言おうとしている唇に、キスをした。触れていたのは、ほんの数秒だけ。それでも、小さな音を鳴らして離れた唇は、しっかりと他人の体温を感じ取っていた。仗助の顔を見ると、彼は完全に硬直していた。自分から望んだことではあるが、こうもあっさり叶えられるとは思っていなかったようで、脳味噌の処理が追いついていないらしい。信じられないというように目を丸くしているのがおかしくて、露伴はまた笑いそうになった。
「1年に1回だけでいいとか、楽で助かる」
 その一言で、仗助の硬直は解けたようだ。
「意地悪しないでくださいッ!」
 結局露伴は笑った。
 仗助の反応は完全に予想通りのものだった。意外性も何もない。それを自分が面白いと思うだなんて、露伴にはそっちの方が意外に思えた。
(記念日なんて、言ったもん勝ちなんだぜ。年に何回だって、毎日だって)
 そう言う代わりに、再びキスをした。仗助は一瞬固まった後、「今の来年分とか言わないですよね!?」と慌てた様子で言った。
「その発想はなかった」
 つまり今度のは予想外。これはこれで大変面白い。


2021,05,23


「興味ないね」cv:S井T宏が書きたかっただけかも知れません(笑)。
5月23日までに書き上がらなかったら世界的なキスの日(7月6日)の方に変更しようかと思っていましたが、そっちは2006年に作られた日であることを後から知ったので、危うく予知能力を持たせてしまうor仗助めっちゃ留年してる設定になってしまうところでした。
間に合って良かったw
<利鳴>

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