露康 全年齢


  8時31分


 後ろから声をかけられたのは、空が暗くなってきたなと思い、顔を上げたのとほぼ同じタイミングだった。振り返ると、その低い声から予想した通りの人物、すなわち、空条承太郎の姿がそこにあった。
「おはようございます、承太郎さん」
 康一が挨拶をすると、承太郎は無言で頷いた。少し前まで、康一は彼のその無口さを怖いと思っていた。表情からも、彼が何を考えているのかを知るのは困難だ。険しい目付きに、もしかして知らず知らずの内に何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうかと思いたくなったこともある。が、今はもう、それが彼の“素”なのだということを知っている。ひょっとしたら感情を表に出すのが少々下手な人なのかも知れない。彼のスタンドはかなり精密な動きが出来ると聞いているが、彼自身には、やや不器用な一面もあるようだ。
 目的地が同じであり、そのことをお互いに確認せずとも知っている2人は、並んで歩き出した。背の高い承太郎と、その真逆の康一では、当然のように歩幅が違う。それをわざわざ自分に合わせてゆっくり歩いてくれているのに気付いて帽子の下の横顔を見上げると、そこにあるのはいつもの無表情だ。それに向かって無理に話題を振ろうとすることを、康一はもうせずにいられる――以前は違った――。数ヶ月の付き合いで、人の印象というのはずいぶんと変化するものだなと彼は思った。
 道を渡ろうとした時、空から降ってきた小さな雨粒が康一の額を濡らした。来週には夏休みが始まるという季節であるにも関わらず、その雫は冷たい。
「天気予報では雨だなんて言ってなかったのに」
 誰へ向けたつもりでもない呟きに、しかし「通り雨だ」と承太郎が応えた。
「この様子だと、すぐにやむだろう」
 慌てて通学鞄を傘代わりに頭上に掲げる康一と違い、承太郎は落ち着き切った口調で言った。その直後に雷の音が聞こえて、康一は「本当かなぁ」と思いはしたが、声に出して言うのはやめておいた。
 間もなく待ち合わせ場所であるペプシの看板がある交差点だ。待ち合わせ時間は8時30分。心の中でそう確認した途端に、康一は自分の心臓が妙に速度を増していることに気付いた。雷の音に驚いたから? それも少しはあるかも知れない。だがそれだけか?
(なんだろう。なんか、落ち着かない……)
 胸騒ぎ……とでも言おうか。言い知れぬ不安感が、いつの間にか自分の中に存在している。
(なんだ……、なにか、すごく恐ろしいことが起こっているような……)
 周囲に異変は見られない。しかも隣には頼りがいのある空条承太郎までいる。それなのに、康一は根拠のない焦りを感じていた。今すぐ、目的地も分からないまま走り出したい……いや、走り出さねばならないかのような、何かに急きたてられるような、そんな感覚……。
「康一くん?」
 康一の心境ははっきりと表情にも出ていたようだ。承太郎がそれに気付き、顔を覗き込んでくる。そんなに露骨だったとは、本当に自分と承太郎は体格以外も正反対だ。
「どうした、康一くん」
「分か……りません。……でも、なんか……」
 気が付くと指先が小さく震えていた。雨に打たれているとは言っても、少々異様だ。流石の承太郎も顔を歪める。
「康一くん、しっかりしろ。何があった」
「分からないんです。ぼく、どうしたんだろう……」
 “悪い予感”と呼べるほど、具体的なものですらない。ただ少し、心臓が締め付けられるような、そんな感覚がある。
(これは何? ぼく、スタンド攻撃を受けているんだろうか……)
 いや、それは自分ではない。それは――
「……ろ」
「康一くん!」
 康一ははっと我に返った。そうさせた――彼の名を呼んだ――声は、承太郎のものではなかった。彼の声ほど低くはないし、彼ほど高い位置から発せられたものでもなかった。同じ声に呼び止められて、咄嗟に逃げようかと思ったことがある。あれもほんの2ヶ月足らず前のことだ。その頃は、承太郎とは違う理由で、その人物を「怖い」と感じていた。そう思わなくなったのは、いつからのことだったのだろう。
「露伴先生……」
 康一はその姿に向かって駆け出していた。
「先生! 先に来てたんですね。良かった……」
「……何がだい?」
「え?」
 露伴は康一の顔を見ながら首を傾げた。康一も、それに倣うように首を斜めにする。
「今、『良かった』と言ったろ」
「え、あれ? 何でぼく、そんなこと……」
 康一は自分の言葉を思い返した。言った。確かに『良かった』と呟いていた。しかし何故? 待ち合わせの相手を見付けた時のリアクションとしては、少し引っかかりはしないだろうか。例えば、相手が時間になってもなかなか現れないだとか、近くで何か事故や事件でも起きたというのであれば、まだ分かる。何事かに巻き込まれたのではなく無事だった。そのことに安堵して思わず口から出た呟きが「良かった」。それなら不自然なことは何もない。だが露伴は、むしろ康一よりも早くその場所についていた。
「なんかぼく、さっきから変なんです。どうしちゃったんだろう……」
「寝惚けているのかい?」
「ち、違いますよぉ」
「ふうん? ならいいけど」
 「ところで他の連中は……」と、露伴は辺りを見廻した。承太郎がいることに気付き、彼は軽く頭を下げたようだ。承太郎の姿は康一には見えなかった――彼は康一の後ろを歩いてきた――が、きっと自分にしたのと同じようなリアクションを取ったのだろう。仗助と億泰はまだ来ていないようだ。いない2人の姿を探すことを諦めた露伴の視線が、康一の方へと戻ってくる。いつもと変わらない表情だ。何故か、康一の口からは溜め息が出た。その途端に、「どうかしたかい」とでも尋ねようとしていたのか、口を開きかけていた露伴の表情が、驚きのそれに一変した。
「康一くんっ!? ど、どうしたんだっ」
「え?」
 露伴は慌てた様子で康一の肩を掴んだ。痛くはなかった。
「先生、急にどうしたんですか?」
「どうしたって、そりゃあこっちのセリフだ!」
 確かに先に言ったのは露伴だ。
「ぼくは何も……」
 さっきまでの原因不明の胸騒ぎはすでに治まっていた。あれがなんだったのかは分からないが、考えてどうにかなるものでもないだろう。だから、一先ず気にかけるのはやめにしておくことにしたのだ。すでに自分は平常のはず。むしろ今様子がおかしいのは自分よりも露伴の方だ。
 だが――
「康一くん、君、……泣いているじゃあないか」
「え……?」
 そんなことはない。そう返そうとして、しかし触れてみた自分の頬ははっきりと濡れていた。雨ではない。今もそれは2つの瞳から流れ出ている。
「え、あ、あれ? なんで? なんでぼく……」
 慌てて手の甲で拭ったが、またすぐに新しい泪が溢れてきた。困惑した様子の露伴と、何も言わずに傍に立つ承太郎の姿が滲んで見える。
「あ、あの、なんでもないんです。ごめんなさい。きっとぼく、緊張してたんです。いよいよ吉良に辿り着けるかもって思ったら。それがなんか、露伴先生の顔を見たら、急に安心しちゃって……」
 全く説明になっていないことは分かっていた。こんなことを言っても、逆に露伴を不安にさせるかも知れない。それも分かっている。それでも泪はとまらない。泣き顔のまま、康一は無理矢理笑ってみせた。
「変ですよね、ぼく。きっとムズカシイトシゴロなんです」
 露伴は笑わなかったが、それ以上の説明を求めることは諦めたようだ。承太郎がよくそうしているように「やれやれ」と溜め息を吐いて、康一の肩から手を離した。
「大丈夫なんだな?」
「はい。大丈夫です」
「じゃあ、その泪何とかしろよ。クソッタレの仗助達に見られたら、ぼくが君に何かしたみたいに思われるじゃあないか」
「あは。本当ですね」
「ハンカチかティッシュは?」
「持ってない」
 「仕方ないな」と言いながら差し出されたポケットティッシュをありがたく受け取り、泪を拭いて、鼻もかんだ。少しすっきりしたような気がする。
(本当に、なんだったんだろう)
 まるで、突然他の誰かの……いや、“他の自分”の感情が自分の中に流れ込んできたかのような気分だった。大切な“なにか”を喪ってしまったような、そんな感覚……。起きているのに夢を見ていたのだろうか。そしてその夢は、露伴が現れたことによって覚めた? さっきの泪は、夢の余韻が液体に姿を変えて溢れ出たものだったのか……。
(さっぱり分からないけど……)
 康一は腕時計に目をやった。そろそろ約束の時間だ。仗助と億泰も、きっと近くにいるだろう。
「あと5分待って来なかったら、ぼくは仗助どもを置いて川尻早人の小学校へ行かせてもらいますよ」
 露伴も時間を確認している。それを見て、康一は「いつもの露伴先生だ」と思った。昨日と同じ、そして、きっと明日も同じなのだろう。そのことが、何故か胸の奥の方で小さな温もりに変化する。そんな感覚がした。


2017,03,25


露伴が死んだことをもし康一くん(達)が知ったらどうなっていたのかなぁ(その後彼等も死ぬんですが)。
結局彼等の死は回避出来たけど、なんとなくわずかにではあるけど不思議な力(二次創作の力)でそれを察してしまった康一くんを書きたかったのに、
何故か4部を書こうとすると無関心な振りして本当は優しい承太郎さんを書きたくなるわたしの手をなんとかしたい。
露康は露伴の完全ないっつーにしか見えないと見せかけてちゃんと康一くんも露伴のことを想っているといいなぁと思いますが、
完全ないっつーでもたぶん好きだわわたし(笑)。
<利鳴>

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