億仗 全年齢


  あしたもふたりで


 外に出るまで気付かなかった。灰色の空から、今シーズンに入って幾度目かの雪が舞い降りてきている。たった今降り出した物ではないということは、昨日まではギリギリなかったはずの白い地層の厚みを見れば一目瞭然である。
「おおおっ、すっげー! 積ってるぜ!」
 冷たい風に首を縮め、少しでも体温を逃すまいと努力する東方仗助のしかめっ面とは対照的に、はしゃいだように声と顔を上げたのは、彼の親友、虹村億泰だ。真っ白な息を吐き出すその口元は、誰の目にも明らかなほどの笑顔の形をしている。
「雪なんて毎年降るだろーがよぉ」
 むしろまたこの季節がきてしまったかと、仗助は溜め息を吐きたい気分だ。いよいよ地面に落ちた雪が溶けずに残ってしまうであろうことは今朝の天気予報の時点で分かってはいたが、もうしばらくはそれが外れることを祈っていたかった。
「子供じゃあねーんだから」
 冷め気味の口調で言って、しかしすぐに気付く。
「そっか。おめー今年の春に東京からきたんだったな」
「おうよ」
 幼い頃から毎日顔を合わせていたかのように気が合うので時々忘れてしまうが、そういえば億泰との付き合いはまだようやく半年を過ぎた程度しか経っていない。
「東京って雪降らねーのか?」
 東京の人間が降雪ごときでそんなに喜ぶなら、発泡スチロールの箱に詰めて持って行ってもらいたいくらいだ。箱詰め作業に必要なスコップくらいは貸してやるから、手袋と帽子だけ持参して来れば良い――特に帽子だ。仗助は帽子を持っていないので貸してやれない――。両手をポケットに突っ込みながら尋ねると、億泰は肩を竦めるような仕草を返してきた。
「全く降らねーってことはねーけどよ、こんなに積るのは数年に1度ってとこだぜ」
「へぇ」
 それは楽で良さそうだ。
 ピーク時の雪はこんなもんじゃあ済まねーぞとは黙っておくことにする。そうなった時に、億泰がどんな顔をするのか楽しみにしておこう――膝の上まで埋まりながらも「すげー」とはしゃぐのか、「もう勘弁してください」と誰かに頭を下げるのか――。
 そんな時期がくるまで学校の玄関で外を眺めているわけにはいかない。寒いことは明らかだが、それでも外を歩いて帰らねば。だが「行くぞ」と声を掛けようとした仗助を阻止するように、眩いほどの笑顔が彼の方を向いた。
「なあっ、公園かどっかで、雪合戦しようぜ! 康一も呼んできてよぉ!」
 何を言い出すのかと思えば。
「小学生かよ、お前はよぉ。それに、康一ならもう帰ったよ」
「なんだよ。やけにはえーじゃあねーか」
「荷物届くから留守番頼まれてるとか言ってたぜ」
 彼等のもう1人の友人、広瀬康一は、この雪の中――吹雪いているわけではないが、降り始めの頃は雪に慣れているつもりの人間でも久々のそれに、ともすればうっかり足を滑らせることもある――無事に届け物より先に自宅に辿り着くことが出来たのだろうか。……まあ、荷物が届くのもきっちり遅れるかも知れないが。
「呼び出せ呼び出せ。電話しろ!」
 テンションが上がってしまったらしい億泰は、ついにそんなことを言い出した。
「だから、家にいなきゃなんねーんだっての! それに、あと30分もしないで真っ暗になるぜ。やるにしても、休みの日のもっと早い時間にしとけ」
 天候の所為もあって、空は2人が会話をしている間にも次第次第に暗さを増している。普通に真っ直ぐ帰っても、自宅に着く頃にはほとんど夜と呼んでも良いくらいにはなっているだろう。この季節の日の入りは、驚くほど早い。
 「そうかぁ」と表情を曇らせた億泰は、しかしすぐに笑顔に戻る。
「それじゃあ明日だな!」
 しまった、明日は土曜日だった。自分から言い出した手前、更に「でも」と言い加えることは躊躇われた。それよりなにより、億泰のその表情。それは、ライトアップされた氷の彫刻よりも眩しいに違いない。
「明日なら康一も来れるんだよな?」
「いや、それは本人に聞けよ」
 雪合戦をやること自体は決まってしまったような、そんな会話をしながら、2人はようやく外へ出た。その途端に、仗助の視界から億泰の姿が消える。まるでスタンド攻撃を受けたかのような、ほんの一瞬の出来事……。と思ったのは完全なる勘違いで、どうやら彼は凍った地面に滑って転倒したようだった。視線を少し下へ向ければ、臀部を押えながら表情を歪める友人がちゃんといる。
「いってぇー」
「おいおい、大丈夫かよ」
 雪道に慣れていないとはいっても、まさかいきなり転ぶとは。
「なんでお前は平気なんだよっ。なんで滑んねーんだよぉ」
 そう言われても困る。文句なら雪に言ってほしいものだ。
「なんでって言われてもなー。慣れかぁ?」
 そう答えて首を傾げたが、
「あ、もしかしてお前、それ夏靴だろ」
 「それだ!」と思ったのに、億泰はいまいちぴんときていないようだ。地べたに座り込んだまま、首を傾けている。いつまでもそんな体勢でいたら、制服が濡れてしまうのではないだろうか。それともまさか、打ち所が悪くて立てないのでは……。
「なつぐつぅ? 春も秋も履いてたぜ?」
「そうじゃあなくて、冬用の靴じゃあねーだろ」
 仗助は片足を上げて、自分の靴の裏を見せた。億泰はそれと覗き込んだ自分の靴底を見比べた。
「ほら、そんな真っ平らな靴じゃあ、滑って当然だぜ。雪国舐めんなよ」
「へえぇー」
 億泰は素直に感心したような声を上げる。
「そういう靴はどこに行ったら買えるんだ?」
「今の時期なら、靴売ってるとこならどこにでもあるぜ。むしろ夏靴探す方が手間なくらいだ。明日は先に靴買いに行け。そんなんじゃあ雪合戦どころじゃあないぜ」
「確かに、転んでばっかりじゃあすぐ負けちまうもんな」
 それ以前に合戦場に辿り着けるかどうかも怪しいだろう。億泰はへへへと笑った。
「とりあえず立てよ、ほら」
 自分まで巻き込まれて転倒しないようにと注意しながら、仗助は手を差し伸べた。その手に、一瞬“別の手”が重なる。
「お?」
「あ?」
「今」
「なんだよ」
「お前スタンド……」
 億泰は首を傾げたが、「まあいいか」と仗助の手を取り、――慎重に――立ち上がった。そう、――結果として――どこも痛めていないなら、それでいいのだ。友人の手を引くのと同じ程度の動作を、わざわざ自分の手柄と主張する必要もない。
「ほら、帰るぞ。慎重に歩けよ」
 他の誰かの足跡すらも早々に消えようとしている道を、何度も滑りながら――「お前の靴貸してくれよ。交換しようぜ」「やだよ」という会話も何度かした――、それでも――いつもの帰り道よりは大幅な時間を掛けて――無事に帰り着いた。肩にうっすらと積もった雪を払い落としている億泰に向かって、仗助は軽く手を上げる。
「じゃ、明日11時頃に迎えにくっから」
「へっ?」
 億泰は裏返ったようなおかしな声を上げた。
「靴買いに行くんだろーがよ」
「お前も行くのか?」
「店に着くまでに転んで骨折りかねないからなー」
 揶揄するように笑うと、しかし憤慨した様子は見せずに、「それもそーだな」と億泰も笑った。
 なんだか、手の掛かる弟が出来た気分だ。そんなことを考えながら、仗助は踵を返し、自宅へと向かった。


2018,12,17


なぜ! わたしはっ! 雪降り始めのネタを2月に思い付くのか!!
しかたないから10ヶ月寝かせたよ!!
<利鳴>

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