億仗 全年齢


  clean upはまだ早い


 学校での出来事を実に楽しそうに話す虹村億泰の言葉を遮ったその音が、陶器が割れる音だとはすぐに分かった。東方仗助が音の発生源と思われる方向を振り向くと、億泰は「しまった」と言わんばかりの顔をして足元へと目を向けていた。
「大丈夫か?」
 仗助が声をかけると、億泰は視線を床へと向けたまま、それでも「ああ」と頷いた。
 彼の足元には、砕けた陶器の破片が散らばっていた。比較的大きく残った欠片から推測するに、それは小振りのマグカップだったのだろう。暗褐色の破片は、元々それが収納されていたらしい食器棚の前のみならず、廊下に近い位置まで飛んでいる。ずいぶん見事に割れたな――元より割れ易い材質だったのかも知れない――と思いながら、仗助は「あぶねーから触んなよ」と忠告した。
「どいてろ。直してやるよ」
 破片が亜空間に呑み込まれてしまったのでもない限り、割れたカップを元に戻すことくらいは、仗助のクレイジー・ダイヤモンドの能力を使えばどうということはない。そのことは億泰もとっくに承知しているはずだ。にも拘わらず、彼は仗助の申し出に、ゆっくりと首を横へ振った。
「いや……、いいわ」
 訝しげな顔をする仗助には気付いてもいないように、億泰はしゃがみ込んで破片のひとつをじっと見詰めた。
「実はこれ、元々何度も割れてるのを接着剤でくっ付けて無理矢理形にしてたんだ。なくなっちまってる破片もかなりあるし、おめーのスタンドで直してもらっても、もう使える状態じゃあねーんだ」
「へえ……」
 普通なら、もう使うことが出来ない物は捨ててしまうだろう。ましてや、虹村家は少し前に引っ越しをしている。それも、東京からという、決して短くはない距離を。それを期に――荷物を減らす目的もかねて――処分してしまわなかったということは、なんらかの事情があるに違いない。用途をなさなくなってしまっても、無理矢理に修復してまで手元に置いておきたいと思うほどの事情が。
 それを問うような視線を向けていると、そのことに気付いたのか、億泰は照れくさそうに頬をかいた。
「実はよぉ、兄貴が小学校の行事で作ったモンだったんだ」
「手作りか」
 しかも子供の。道理で歪なわけだ。
「母の日でも近かったのかな。兄貴はヘタクソなそれをおふくろにって贈ってたんだ。でも、おふくろが死んだ後、なんかの拍子に割っちまって……。でもなんか捨てられなくて、くっ付けて、また割って……」
 その時の遣り取りでも思い出したのか、億泰は溜め息を吐くように笑った。
「そもそも、底が平らじゃあねーんだよ、たぶん。だからすぐ転がるんだな」
 それが分かっていても、それでも、捨てることが出来なかったようだ。
「親父も、時々それ眺めて笑ってるように見えることがあってよぉ」
 億泰は「でも」と続けた。
「もう、潮時なのかも知んねーな」
 それは、もういなくなってしまった家族全員分の思い出の品だったのだろう。彼の笑顔は、少し寂しそうだった。そして、気付けば仗助も同じような表情をしていた。億泰のがうつったのか。あるいは、彼の思い出の中に――当然のことではあるが――自分がいないことが悔しく思えたのか。それとも、分かり易い嘘を吐かれたことに対して腹が立ったのか……。
(『もういい』、だって……?)
 そんな心にもないことを。
 その程度の嘘を信じるような人間だと思われているのか。
「えーっと、掃除機……いや、硝子やら陶器やらの破片を吸い込むと、ホースに傷が付くから良くないって聞いたことがあるな。ってことは箒か。箒……って、そんなもんうちにあったかぁ?」
 片付ける道具をどこかに探しに行くつもりらしい億泰の腕を、仗助は掴んだ。少し驚いたような目がこちらを向く。
「やっぱり直そうぜ」
 億泰は仗助の言葉の意味を考えるように瞬きを繰り返した。
「無理して強がるんなよ。直せなくなるまでは、直せばいいじゃあねーか」
 もし直すのに手を貸してやれば、その『思い出』の一部に、自分も加われるのではないか。そんなことが思い浮かんだ。
 仗助は笑ってみせた。
「箒探す手間も省けるしよ」
 つられたように、億泰も笑う。
「それに、割れ物は捨てる時紙で包んだり『危険物』って書いて貼ったり、色々面倒なルールがあるんだぜ」
「あー、それは面倒だなぁ」
「だろ」
 仗助は億泰の腕を掴んでいた手をぱっと離した。そこへ、歪な形をした小さなカップが飛び込んできた。
「っていうか、もう直した。『スデ』に」
「はやっ」
 仗助は改めて得意げな顔をしてみせた。この表情を、直したカップを見る度に思い出してくれたら少し嬉しい。
「手は切ってないか? 怪我してたら、そっちも治すぜ」
「おう、大丈夫だぜ。サンキューな」
「いいってことよ」


2019,07,10


お題の「箒」をセツさんと取り合って敗れました(笑)。
そもそも箒使ってないもんな。
<利鳴>

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