承←仗 全年齢 承花前提


  たぶんそれは恋だった


 受話器から聞こえてきた声がその名前を名乗り切る前に、仗助はそれが誰であるかに気付いていた。不思議と落ち着くような――安心するような――堂々とした低いその声は、血縁上は彼の“甥”である空条承太郎のものだった。
 わざわざ電話を掛けてくるなんて、何か緊急のことでも――例えば仗助の父親のことで何か……。不思議と“どうにか”なるようにはまだまだ思えない男だが、年齢のことを考えると「絶対」とは断言出来ないのかも知れない。いくつかの病歴もあると聞いているし、大事ではなくとも、少しばかりの何かが――あったのかと、わずかな不安を覚えつつも、「承太郎さん!」と呼び掛けた声は、無意識の内に弾んでいた。
 承太郎は、「元気か」と質問してはこなかった。そんなことは――相手が承太郎であることに仗助が声だけで気付いたように――、尋ねるまでもなく――仗助の口調から――明らかだったのだろう。自分の分かり易さを少し恥ずかしく感じると同時に、承太郎が分かってくれているということが嬉しくもある。
 大して必要であるとも思えない――すでに回答が分かっている――元気かどうかの確認に時間を割くことなく――身内の話が上がらないのも、それが『変わりない』ことの証なのだろう――、承太郎は早速本題を告げてきた。
『明日、そっちへ行く』
 彼らしい無駄のない――ちょっと必要最低限過ぎるようにも思える――台詞に、理由を尋ねるより先に、仗助は「やった!」と心の中で歓喜の声を上げた。自然と表情が明るさを増す。近くで見ている者があれば、「なんだ今の分かり易い顔は」と笑われていたかも知れない。
「明日ってことは、ひょっとして今もう日本ですか? この電話、アメリカからじゃあなくて、東京から?」
『ああ』
 東京から杜王町への通話でもそれなりの料金は掛かるだろう――なにしろ市外電話どころか県外だ――が、国際電話よりはいくらか気が楽ではある。どちらにせよ、承太郎は要件以外の無駄な話はしないだろうが――彼がそういう性格であることは、もう分かっている――。それに、わざわざ電話をくれたくらいだ。駅の近くか、以前の滞在にも使っていた杜王グランドホテルか、それとも仗助の自宅か……。場所がどこになるかは置いておくにしても、会う時間を作ってくれるつもりはあるのだろう。それなら、電話代を負担させてまで会話を長引かせることは、したいとは思わないで済む。
「S空港からですか? こっちへはタクシーで?」
『いや、もう地理は把握しているからな。電車の方が早いだろう』
「それならおれ、駅まで迎えに行きますよ!」
 精々十数分程度の違いにしかならないだろうが、それでも早く顔を見られるのは嬉しい。善は急げというやつだ。だが、
『到着時間がはっきりしない。他に寄るところもあるんでな。着いたら連絡をするから、迎えには来なくていい』
 実家――場所は知らない――にでも寄るつもりなのだろうか。あるいはSPW財団の支部――こちらは東京の目黒区にあるらしい――に何か用か。だが到着の連絡をもらってから家を出るのでは、やはり十数分程度だが、承太郎を待たせることになってしまう。それより、少し早い時間から駅で待っていれば、承太郎が何時の電車に乗ってきても――やっぱりタクシーに変えたとでも言われない限り――彼を待たせることはない。流石に始発の電車でということはないだろう。どこかに寄ってからになるなら、早くても午前中という可能性は低いか。それなら昼前くらいにスタンバイしていれば充分だろう。幸いにも明日は休日だ。
(よし、それに決めた!)
 今夜は時間を気にせずテレビゲームに興じ、明日は昼過ぎまで寝ていようと思っていたが、予定変更だ。夕食が終わったらさっさと風呂に入って、早めに寝よう。ちゃんと起きられるように目覚まし時計をセットして、朝になったら、髪型もばっちりセットして……。
 そんなことを考えている間に、承太郎は「それじゃあな」と言ってさっさと通話を終わらせてしまった。「貴方が来てくれるのが嬉しい」、そう思っていることくらい、伝えさせてほしかったのに――実際にそんな台詞を口にする勇気があるかどうかは別として――。案外、あの承太郎でも電話料金が気になるのだろうか。だとしたら、意外な一面に遭遇したようで、それはそれで少し嬉しく思う。仗助は、無意識の内にくすりと笑っていた。

 翌日は目覚まし時計が鳴る1時間も前に目が覚めた。が、その後うっかり寝直してしまい、結局予定の1時間後に今度こそ起きた。それでも母に「あんたが日曜のこんな時間に起きてくるなんて」と驚かれた。
「出掛けてくるから、昼飯いらねーわ」
 靴を履きながら、玄関先まで見送りにきた母に言う。たぶん彼女は、息子はいつものように虹村億泰や広瀬康一と一緒にどこかへ行くつもりらしいとでも思っているだろう。実際には、彼等には承太郎から連絡があったことは伝えていない。そうするべきかとも思ったが、何時に到着するか分からない相手を昼前から待ち伏せるなんて言えば、呆れた顔をされるに決まっている。承太郎に「よろしく伝えてくれ」とでも言われていればもちろんそうしていたが、そうではないのだから、明日学校で伝えれば良いだろう。もし急ぎの用事があれば、その場で電話でもすれば済む。
「夕飯は?」
 逸る気持ちを抑えながらドアに手を伸ばしたタイミングで、母に尋ねられた。仗助は少し首を傾げてから、「分からない」と答えた。
「要るか要らないか、早めに連絡してよ?」
「ん。分かった」
 外に出ると、天気は悪くないが風が冷たかった。暦の上ではすでに春であるとは言っても、実際の季節はまだまだ冬だ――明らかに暦と現実がずれている――。東京は、そしてアメリカの気温はどうなんだろうと思いながら足を進める。途中で知り合いに遭遇でもしたら、さらには行き先とそこでの目的までも尋ねられたらどうしようと思ったが、幸い誰とも会わないまま駅へと辿り着いた。
 休日の昼間らしく、駅には電車を利用する人々が大勢行き来していた。だが空条承太郎の長身は、この程度の人の波に紛れてしまうことはない。にも関わらずその姿がどこにも見えないということは、つまりまだ到着していないのだと断言して良いだろう。念のためにと、公衆電話の受話器を取り、テレホンカードを入れて自宅の番号を押す。少し待つと、母の声が聞こえてきた。
「お袋、おれ宛に電話なんて掛かってきてないよな?」
『なぁに、あんた忘れ物でもしたの?』
 母は「もう起きてきたの?」と尋ねた時と同じような口調で言った。
「そうじゃあねーよ。いいから、おれに電話は掛かってきてないんだな?」
『何もなかったわよ』
「そんならいいんだ。じゃあな」
 ほぼ一方的に受話器を置いた。我ながら落ち着きがない。なんだか急に気恥ずかしくなって、誰に見られたわけでもないのに足早にその場を離れた――ただし改札を出てくる人の群れからは目を離さないまま――。

 待合室の空いたベンチに腰掛けて、流れてゆく人々と電光掲示板の文字を見送る。駅の構内は外から流れ込んでくる空気に冷やされ、少し寒かった。それでも苦痛は感じない。承太郎が今まさにこの杜王町へ近付いてきていると思うだけで、なんだかドキドキする。彼はどんな顔で、どんな言葉を掛けてくれるだろうか。船でアメリカへ帰って行く彼を見送ってからまだ半年しか経っていないが、その間に少し背が伸びたことには気付いてもらえるだろうか。
 途中、電車が来ないタイミングを見計らって、駅の中にある売店に温かい飲み物を買いに行った――長い時間じっとしていると、流石に体が冷えてきた――。さらに、昼を過ぎた頃に同じ売店でパンを買って食べた。それ以外はずっと同じ場所に座って待つ。そろそろ駅員に不審がられるだろうかと思った頃――冬の太陽は早々と姿を消そうとし始めている――、ついに改札の向こうから帽子を被った背の高い男がやってくるのが見えた。
 周りに人がいるなんてことは忘れて「承太郎さん!」と大声で呼び掛けたいのを、仗助はぐっと堪える。だが声を出さなくても、彼はこちらに気付いてくれたようだ。緑色の瞳が、真っ直ぐに向けられる。その顔は、少し驚いたような表情――今朝の母と同じだ――をした。
「承太郎さん、お疲れ様です!」
「来てたのか」
「はいっ」
 電話機を経由しない承太郎の声を聞くと、ずっと硬いベンチに座っていた所為で少し尻が痛くなってきたなと思っていたことなんて綺麗に忘れてしまった。声が弾むのを抑えられそうにはない――抑えるつもりもないが――。
「いつから待ってた? 寒かっただろうが」
 呆れた口調で言いながら、それでも帽子の下にある表情は――彼を知らぬ者が見れば無表情であるようにしか見えないだろうが――穏やかだ。
「このくらい、どってことないっスよ。東北の人間舐めちゃあいけませんよぉ」
「そういうセリフは住んでる地域より温かい場所の冬に対して言うんじゃあないのか」
 承太郎はやれやれと息を吐いた。それが白く曇ることこそなかったが、彼の方こそ寒いのではないかと気付き、仗助は少し慌てた。
「えっと、今回も泊まるのは杜王グランドホテルですか? バスすぐあるかなー。タクシー拾いますか? あ、荷物持ちますよ!」
「いや、大した量じゃあない」
 そう言った承太郎の手には、確かに少し小さめの旅行バッグ――あるいは少し大きめの普段使い用のバッグ――しかなかった。他の荷物はすでにホテルに送ってあるのだろうか。と思った矢先に、バッグの陰に隠れるようにして、その手に紙袋――わりと大きい――がぶら下がっていることに気付いた。仗助の視線に承太郎も気付いたのか、「ああ、これか」と呟くように言い、彼はそれを差し出した。
「これは土産だ」
「えっ、い、いいんスか?」
「土産だと言っただろ」
 承太郎は肩を竦めるような仕草をした。たぶん笑ったのだろう。
 だが差し出されたその袋と、袋から顔を覗かせるかのようにわずかに見えている包装紙は、どう見ても日本のデパートの物だった。東京についてから何も用意していないことに気付いて、慌てて買ったのだろうか。そんなうっかりした一面が彼にもあるのかと思うと、自然と唇が綻んだ。10以上歳上の男相手にその言葉を使うのはどうかと思いながらも、なんだか可愛い。
(別に何もなくてもいいのに)
 承太郎がこうして会いに来てくれただけでも、仗助は嬉しいのだ。
「ありがとうございます。って、重っ。なんスかこれ」
「ゼリーだ。果物の」
 仗助が思い浮かべたのはお中元等で送る大きめの箱に入っている詰め合わせの物だ――サイズ的にもたぶんそれであっているだろう――。そう、お中元。お歳暮ではない。つまり季節外れ。
(承太郎さんのオススメとか?)
 それとも、電話で言っていた『他に寄る所』からのリクエストだろうか――わざわざ土産はそれがいいと注文した者がいるのか――。そのついでで、仗助にも同じ物を? 承太郎相手にそんなことを言える人間がいるとも思い難いが……。
(まあ、実家ならありえなくもない……かなぁ?)
 仗助はいつの間にか「そうであってほしい――そんなことを気軽に言える存在は身内以外にいてほしくない――」と思っている自分に気付く。その思考を振り払うように、軽くかぶりを振った。
「承太郎さん、今回は仕事でこっちへ?」
 話題を変えようと質問すると、承太郎は少し考えるような仕草をした。
「まあ、それもなくはないが。……昔の知人のところに行く用事があったんでな。遅い新年の挨拶に、ついでに寄ったってところだ」
「昔の、知人……? 同窓会みたいなもんっすか?」
「……まあ、似たようなものだな」
 いまいちぱっとしない回答だ。あまり触れられることは望んでいないということか。そこにはどんな感情が潜んでいるのだろう。憂いを含んだような顔をされると、余計に気になってしまう。だが、それ以上に引っ掛かり、呑み込めない言葉があった。
(『ついで』……、か……)
 つい先程自分でも思い浮かべた言葉なのに、それは鋭いナイフに姿を変えて、仗助の胸に突き刺さった。まさか自分に会うためだけに遥々アメリカから飛んできてくれたとは思っていなかったが、それでもずばりと言われるとがっかりしてしまう。だから、わざと不機嫌そうに言ってやった。
「おれ、喪中ですけど。喪中って、新年の挨拶はしちゃいけないんじゃあなかったでしたっけ?」
 仗助の言葉に、承太郎は目を大きく開いた。そして、
「……そうだったな。うっかりしていた。すまん」
 そもそも承太郎は「おめでとう」なんて言葉は口にしていない。にも関わらず、思いの外悄気たような顔をされて、狼狽えてしまった。困らせてやろうと思って言った――そして狙い通りそうなったというだけの――言葉だったはずなのに。
「あ、え、いや、別にいいですって。そんな気にしてるわけじゃあないっスから!」
 少し――子供のように拗ねて――意地の悪いことを言ってみただけだ。謝罪の言葉が欲しかったわけではない。それに、珍しい表情を見られたこと、そしてまた「うっかり」だ――承太郎でも正月ボケするのだろうか――と思うと面白くて、「ついで」と言われたことも、「うっかり」されたことも気にならなくなってしまった。
(ちょっと甥っ子に甘いよなぁ、仗助叔父さんはよぉ)
 仗助はくすりと笑った。その笑顔を、承太郎へ向ける。
「良かったっスね」
「……良かった?」
「おれが喪中じゃあなかったら、お年玉ねだってましたよ」
 承太郎はふっと表情を和らげた。
「何言ってやがる、“叔父さん”」
 こちらを向いた目に、仗助はさらに笑ってみせた。

 駅を出ると、すでに空はだいぶ暗くなっていた。気温も下がってきている。まだまだ春は遠そうだ。
「承太郎さん、こっちにはいつまでいられるんですか?」
 仗助は隣を歩く横顔を見上げながら尋ねた。承太郎の返答は短く、簡単だった。
「明後日の飛行機で帰る」
 短い。たった2泊。思ったよりも、ずっと短い。昨年の春から夏に掛けての滞在の時のようにとはいかなくとも、もう少しゆっくりしていってくれるかと思っていたのに。
 だがきっと仕事の都合等があるのだろう。それを分かっていながら駄々を捏ねるほど、仗助は子供ではない――先程は完全に子供のような振る舞いを見せはしたが――。「もう少しくらい」と言いたいのを我慢し、そんな忙しいスケジュールを組まざるを得ない状況でも会いに行かなければならなかった『昔の知人』とはどんな人なのか――どんな関係の相手なのか――と尋ねたい気持ちも堪え、仗助は精一杯理解ある大人を演じた。
「じゃあおれ、見送りに行きますね」
「火曜日だぜ。学校だろ」
「冬休み中ですよ」
「今日はもう16日だぜ」
「知らないんですか? 北海道や東北の一部では冬休みが長いんですよ」
 実を言うとぶどうヶ丘高校はその“一部”に含まれていないが。
 首を傾げながらも、承太郎は追求するのをやめようだ。やれやれと息を吐いて、腕時計に目をやった。
「……少し早いが、飯でも食いに行くか」
 独り言のようにも聞こえたが、「一緒に行こう」と言われていると解釈するのは間違っていないだろう。昨日、承太郎からの電話を受けた時のように、仗助は心臓が鼓動を早めたのを自覚した。夕飯に関して、母に何か言われていたなということは、思い出す前に忘れてしまった。
「牛タンが旨いそうだな」
「あれ、前来た時食べてないんスか? 味噌漬け、名物なのに」
「近くに店はあるか?」
「そりゃあ駅前ですから!」
 「任せてください」と胸を張った途端に、お世辞にも小さいとは言えない音量で腹がぐうと鳴った。そう言えば昼はパンをひとつ食べただけだった。一瞬の間を置いてから、承太郎は引き下げた帽子の陰で、喉を詰まらせたようにくっと笑った。
「わ、笑わないでくださいよぉ……」
「すまん」
 謝罪の言葉を口にしながらも、その声はやっぱり笑っているようだ。
(うぅー、カッコ悪いぜ……)
 穴があったら入りたいとはこのことか。仗助なら、ない穴を自ら掘って、更に何もなかったようにぴったりと“蓋”をすることも出来るが、やめておこう。
「じゃあ、早速案内してくれるか?」
 その台詞と共に真っ直ぐ向けられた視線は、穴に潜っていたら見えなかっただろう。実際にそこ――穴堀り――まではしなくとも、咄嗟に顔を両手で覆ってしまったりしなくて良かった。敵と対峙している時とは全く違う、緩やかで、温かな微笑み。あまり感情を表に出そうとしない彼のそんな顔を、少々の恥をかいた程度の代償で目の当たりに出来るなんて、かなりの僥倖だ。
 「今度は他の用事のついでじゃあなくて、“おれに会いに”来てくれますか?」と聞きたかったが、やめた。今の貴重な光景を目撃した者は、この地上に自分ただひとりだけ。そのことに、今日は満足しておこう。「前以て調べておく時間をくれたら、どこだって案内しますよ」という言葉に、早くも“次”を待ち侘びていることを少しだけ匂わせながら。


2019,01,16


仗助が恋する乙女みたいになったwww
<利鳴>

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