仗露 全年齢


  岸辺露伴のコイビト


 何者かが自宅の中に入ってきたことに、岸辺露伴はすぐに気付いた。それがドアや窓――もちろん壁や屋根も――を破壊する等の犯罪行為によってなされたわけではないことも。となると、その人物の正体は明らかである。他の――正当な――手段でこの家に出入り出来る者は、家主である露伴以外には1人しかいない。
「露伴せんっせー。たっだいまー。仗助くんでーす」
 ノックはしたが返事を待つことはせずに、東方仗助は浮かれたような顔で露伴の仕事部屋へと入ってきた。
「お前の家じゃあないぞ」
 椅子を廻して振り向いた露伴は、わざと冷たく言い放った。が、仗助の笑みがその顔から消えることはない。
「こことうち、大して離れてないじゃあないですか。余裕で徒歩圏内ですよ」
「そういう問題じゃあないだろ。隣近所は全部『ただいま』なのか」
「オレ、ここの鍵持ってるし」
「それもそういう問題じゃあない。辞書引け。そこの本棚にある。『ただいま』は帰宅の挨拶で、『帰宅』は自分の家に帰ることだ」
「辞書引く必要、たった今なくなりましたけど」
 仗助はくつくつと笑った。
 もう3ヵ月ほどになるだろうか。仗助は1週間の半分はこうして露伴の家を訪ねてくる。いちいち呼び鈴を鳴らされるのが煩わしくなって――かと言って“なおす”スタンド能力があるからと強行突破してこられるのも不満で――合鍵を渡したのは、ひと月半前のことだ。今日も私服に着替えるどころか鞄を持ったままなところを見るに、おそらく学校が終わってから直行してきているのだろう。唯一の同居家族である母親はまだ仕事から帰ってきていない時間だから、誰にも咎められないのだと彼は言う。ついでに、「友達付き合いもちゃあんとしてるから、問題ないっす」とのことだ。
「台所にもらい物のクッキーがある」
 それだけ言えば、より細かい場所を伝えなくてもだいたい察することが出来る程度には、仗助はこの家のことを知っている。「食べてもいいぞ」と言われているということも。
「もらい物? 誰か来たんですか?」
「午前中に編集者と打ち合わせがあった」
「ここで?」
「打ち合わせはいつも外だ」
 知っているくせに。他人を自宅に入れることを、露伴は基本的に好まない。
「で? 食べるのか? 食べないのか?」
 溜め息を吐きながら尋ねると、仗助はにっこりと微笑みながら答えた。
「食べるっす」
「だったら手くらい洗え」
「うっす」
 仗助は部屋を出ようとしたが、すぐに立ち止まって振り向いた。
「露伴先生も食べますか?」
「ぼくはいい。まだ仕事中だ。手が汚れる」
「お茶くらいは飲めますよね」
「そうだな」
「じゃあいれてくるっす」
 仗助はその体格に似合わぬ軽やかな足取りで部屋を出て行った。お茶をいれるための道具の在り処も、彼はもうすっかり把握している。
 数分後、戻ってきた仗助は湯気を立てているティーカップ2つとクッキーの缶を盆に乗せていた。両手が塞がっているためか、ドアはスタンドに開けさせたようだ――足で開けないだけましだろう――。
「ただいまっす」
 その言葉を再び使ったのは、おそらくわざとだ。
「今日のお茶はぁ、セイロン! って、茶葉の缶に書いてありました。他となにがどう違うのかは、正直良く分かんないんすけど」
「セイロンティーはスリランカ産の紅茶の総称だ。『セイロン』はスリランカの旧国名。ひと口にセイロンティーと言っても、収穫時期や地域の違ういくつもの種類がある。ウバ、ディンブラ、ヌワラエリヤ、キャンディ、ルフナ。これらがセイロンの五大生産地と呼ばれている。ぼくが買っておいたのは、確かキャンディだな。日本人の多くがスタンダードな紅茶の味として思い浮かべる物に近い」
「じゃあ王道ってことですね」
「新しく開けたのか」
「正解」
「ちょうど使い切れそうなアールグレイがあっただろ」
「ああ、あの匂いするやつ?」
 流石にベルガモットで香り付けされたアールグレイとノンフレーバードの紅茶の違いは分かっているらしい。
「お茶請けがある時はシンプルなやつの方がいいかなーと思って」
「……なるほど。まあ、正論だな」
「駄洒落?」
「黙れ」
 再び笑うと、仗助は露伴の仕事机の少し後ろにある小さめのテーブル――ひと月ほど前に、仗助が椅子と共に勝手に運び入れた――の上に盆を置いた。露伴が仕事をしている間は、そこが仗助の定位置だ。彼は露伴の背中を斜め後ろから眺める合間に、携帯機のゲームをしたり、気が向けば――滅多に向かない――学校の宿題をして過ごしている。
 同じ部屋に他人がいると、気が散って仕事に集中出来ない。と、露伴は思っていた。が、実際にそこに仗助が居座り出してからも、不思議と気にはならなかった。それどころか、背中に感じる仗助の気配が心地良いとすら思う。そんな感情が自分にあるということが、意外で、新鮮だった。
「はい。どうぞ」
 仗助が露伴の分のカップを机の端に置いた。さらに彼は、小さなクッキーを1つ指先でつまんで、露伴の方へ差し出している。「これなら手が汚れないでしょう?」と。
 露伴が「あ」と口を開けると、仗助は手にしたクッキーをその中へと落とした。離れる直前、仗助の指がわずかに露伴の唇に触れた。意図してのことではなかったようで、仗助の手は熱い物に誤って触れてしまった時のように、小さく跳ねた。それに気付いていない振りをして、露伴は口の中の物を咀嚼し、飲み込んだ。
 作業に戻った露伴は、仗助が椅子に座ろうとしている気配を感じながら、次の原稿用紙を手元に引き寄せた。その瞬間、指先に熱に似た痛みが走った。
「痛っ……」
「露伴?」
 椅子に座るのを中止し、仗助が再び近付いてくる。
「どしたんすか」
「切れた」
 右手に目を向けると、親指の先にほんの数ミリの傷があった。
「紙で切ったんすか」
「いや、なにもしていないのに勝手に切れた」
「え」
 仗助は眉をひそめながら露伴の手元を覗き込んできた。
「『かまいたち』という妖怪を知っているか? 漢字で書くと、農具やなんかの『カマ』に、動物の『イタチ』だ」
 露伴は近くにあった雑紙に、『鎌鼬』と書いてみせた。
「刃物、もしくは鋭い爪で人を切り付ける妖怪だが、痛みはなく、傷口からの出血もないとされている」
「痛みも出血も? どうしたらそうなるんだよ」
「まあ、そこは妖怪だからな」
「ふーん。初めて聞いたぜ」
 『妖怪』等と言われても、小さな子供でもなければ小馬鹿にした態度を見せる者がほとんどだろう。が、自身もスタンドと呼ばれる特殊な能力を持っているためか、仗助は妙に真剣な顔で露伴が書いた画数の多い文字を睨んでいる。「これから捕まえに行く」とでも言い出しそうだ。
「まあ、それとこれは全くの無関係だが」
「はぁ!?」
 ずっこけかけた仗助は机の縁にしがみ付くようにしてなんとか堪えた。
「じゃあ今の時間はなんだよっ!?」
「んー?」
 露伴は首を傾げ、
「ぼくが博識だってことをアピールする時間?」
 にやりと笑ってみせると、仗助も怒りながら笑った顔を見せた。
「要らねぇー! すっげぇ無駄時間っ!」
「ただ乾燥で切れたんだよ」
 この季節には良くあることだ。
「切れたっつーか裂けたって感じっすね。ぱっくり」
「くそっ、ペンを持つとちょうど開くな」
 地味に痛い。いっそのこと本当にかまいたちにやられた傷であれば、痛みはなかっただろうに。
「どれ、貸してみ」
 仗助が手を出したので真似るように右手を差し出す。それを取った仗助は、傷口にキスをした。
「そういうのいいから」
 苦笑しながら言うと、仗助は「少しくらいいいじゃあないですかぁ」とおどけてみせた。
「だってオレ、露伴先生の恋人ですよぉ?」
「いいから、治す気があるならさっさと治せ」
「治してもらう態度じゃあないなぁ」
「いつものことだろ」
「それ自分で言っちゃあ駄目でしょう」
 そんなことを言いながらも、一瞬だけ現れた仗助のスタンド――クレイジー・ダイヤモンド――は、わずかな痕跡すら残さず、露伴の傷を治してしまった。同時に痛みもなくなる。「治った」というよりも、「消した」と表現したいほどの見事さだ。
「ほんとに便利だな」
「そこは『ありがとう』でしょう?」
「ああ、ありがとう。また切れないようにしないとな」
「何度でも治しますよ」
「お前が傍にいる時にだけ切れるんだったらそうするかも知れないけどな」
「いつでもいて欲しいですか?」
「確か薬用のハンドクリームが引き出しに……」
「うっわ、見事なスルー」
 仗助が笑っている間に、露伴は引き出しの奥に入り込んでいたハンドクリームの容器を見付け出した。早速指先で掬って、両手に満遍なく塗り込む。容器には『無香』と書かれているが、全く匂いがしないわけではない。ハンドクリームの匂い……、しいて言うなら、『無香の匂い』がする。が、決して強くはない。このくらいなら、仗助がいれてくれた紅茶の邪魔にはならないで済むだろう。
「加湿器もあったな。出しておくか」
 引っ越してきてからまだ一度も使っていないが、確か納戸にしまってあるはずだ。
「オレ出してきますよ」
 立ち上がろうとした露伴を止めるように仗助が言う。
「いや、そのくらい自分で出来る。大して重たい物でもない」
「遠慮するなって。頼ってくれていいんだぜ」
 仗助は胸を張ってみせた。
「だってオレ、露伴の恋人なんだからっ」
「お前それが言いたいだけじゃあないだろうな」
 露伴は小馬鹿にするように笑ったが、仗助が気分を害した様子はない。
「いいからっ! なんかしてあげたいの!」
 「恋人だから」と言うわりに、やたらと手伝いをしたがる子供のようにしか見えない。露伴は仕方ないなと息を吐いた。
「分かった。好きにしていい」
「『お願いします』でしょ」
「お前はほんっとにうるさいな」
 お茶をいれに行った時と同じように軽やかな足取りで、仗助は廊下へ出て行く。しばらくすると「あったー!」と叫ぶ声が聞こえた。
「ほんとに子供か」
 露伴は本人に聞こえないのを承知で、思わず突っ込みを入れていた。
 加湿器の本体および水を入れたタンクの運搬とセッティングを終えると、仗助は満足そうに頷いてから自分の定位置へと戻り、鞄の中からゲーム機を取り出した。
「没収されないのか、そういうの」
 一度帰宅した様子もないのに通学用の鞄から出てきたということは、その機械は朝からそこにあったのだろう。当然学校へも持ち込んでいることになる。
「平気平気。教師が見てるところで出さなければバレませんよ」
 教師が見ているところでは出さないようにしているということは、やはり校則違反なのだろう。
「君達を教育しないといけない教師も大変だな」
「良く言われます」
「ほめてないからな」
 それから小一時間もすると、クッキーと紅茶もなくなり、ゲームにも飽きたのか――それとも電池が切れたのか――、仗助は暇そうにし始めた――勉強をする気はないようだ――。ついにはテーブルの上に上半身を投げ出すような姿勢で、溜め息を吐く。
「まだ週の真ん中なんだよなー。今週長いぜぇー……」
「気楽な学生の身分でなに言ってる。もうすぐ期末テストなんじゃあないのか」
「やる気出ないっす」
 そう言いながら、仗助は立ち上がった。なにをするつもりなのかと思っていると、彼は露伴のすぐ傍まで近付いてきた。
「週の途中に“なんかいいこと”があれば、もっと毎日頑張れるかもなんだ、け、ど?」
 仗助は露伴の耳元で囁くように言った。
「せんせー仕事明けの週末しかえっちさせてくれないんだもんなぁー」
「“そういうやる気”は満々なわけだ」
 露伴は呆れて溜め息を吐いた。
 仗助が平日でも頻繁に泊まっていく――親になんと言っているのかは知らない――理由は明らかに“それ”を狙ってのことだ。露伴が「今日はしないぞ」と断言しても、気が変わるのを期待してでもいるのか、「別の部屋で寝るから。泊まっていくだけならいいでしょう?」と言って帰ろうとしない――ちなみに露伴が気を変えたことは現時点では一度もない――。そんなことがあまりにも続いて、今では2階にある客間――ということになっているが実際はほとんどただの空き部屋だ――がほぼ仗助の部屋になってしまっている。「今日はぼくの部屋で寝ないか」とでも声を掛ければ、その日はおそらく寝させてなんてもらえなくなることは容易に想像出来る――だから翌日も仕事がある日は冗談だとしても絶対に言わない――。
「少しは自分の体力を考えろ。しょっちゅうなんて付き合ってられるか。仕事に障る。体力も性欲もあり過ぎなんだよお前はっ」
「はぁーい。ってか、ちゃんと我慢してるじゃあないですか」
 頬を膨らませてみせる仗助に、露伴は「今のところはな」と心の中で言い返した。
 本当は頻度を増やしてこまめに発散させてやった方が一回あたりの体力の消耗は少なく済むのかも知れない、と思ったことはないでもない。だが、仗助が我慢出来ずに露伴の名を呼びながらこっそり一人で処理しているという事実は、結構面白いと露伴は思っている。いや、どちらかというと露伴が気付いているということに仗助が気付いていないようであるのが面白い。「知ってるんだぞ」と言ってやった時に、彼は一体どんな顔を見せるのだろうか。今はその言葉を放つベストなタイミングを考えているところだ。
「あー暇だぁー。他にもなんかやることないっすか? なんか手伝いとか」
 話題が変わった。無理強いしてくるつもりはないようだ。そういうところは仗助の“良さ”のひとつだなと露伴は思う――あるいはその度胸がないだけか――。
「手伝いと言われてもな……」
 原稿に手を触れさせる気にはならない。仗助の体格ならデッサンのモデルにはうってつけかも知れないが、今は必要としていない。
「特にないな」
「なんか重い物運んだりとかないんですか?」
「ないな。……しいて言えば食事の準備くらいかな」
「食事っすか」
「無理ならいい」
「無理ではないですけど」
「不満そうだな」
 仗助は「そういうわけでは」と首を横へ振った。
「ただ、彼氏っていうより、彼女みたいだなーと」
「家事は女がするものだという先入観だな。さっきお茶をいれてただろう。あれも調理の一部に入れられると思うが」
「そういえばいれてましたね」
「もうそういう思考は古いという時代になってきてる」
 「それに」と露伴は続けた。
「なんだかんだで料理は力仕事だ。『男子厨房に入るべからず』なんて言葉もあったが、プロの料理人はまだ男の方が多い。『料理は女がするものだ』という発言は、女性蔑視であると同時に、料理を生業にしている人間の矜持を傷付ける侮辱の言葉でもあるな。トニオさんの前で言ってみろよ。包丁が飛んでくるかも知れないぜ」
「プライド持ってやってるプロのシェフが商売道具を投げ付けるのもどうなんだと思いますけど、それ以外はなるほどです。っていうか、オレそこまでは言ってませよ。あと、あんた人を丸め込むの上手過ぎでしょ」
「説得力があると言ってくれ。経験と知識に基づく説得力だ」
「はいはい。お見逸れしました」
 仗助は唇を左右非対称に歪めるように笑って言った。
「えーっとじゃあ、なに作れるかな。なにあります?」
「どうだったかな……。買い物に行ってきた方がいいかも知れない」
「じゃあちょっと行ってくるかな。ついでに、作り方の本でも買ってみようかな。オレ、料理のレパートリーあんまりないし」
「本屋だな。それならもう1時間ほど待ってくれ。ぼくも行く」
 一連の会話の間も、露伴はほとんど手を止めてはいない。このままいけば、今日の分の仕事はあと1時間もせずに終えられるだろう。
「え、いいですよ。買い物くらい、オレひとりで行ってこれますって」
「行きたいんだよ」
 「買い物に」ではなく、「お前と一緒に」と解釈されたようだ。仗助が少し嬉しそうな顔をする。都合のいいやつだ。
(まあ、わざわざ否定する必要もないか)
 間違っているわけでもないのだから。
 結局2人は、露伴が予告した10分前にそろって外へ出た。冬へと向かうこの季節の太陽は、すでに姿を消そうとしている。気温も随分と下がってきた。それでもまだ人の通りは絶えていない。にも拘わらず「寒いから手繋ぎませんか」と浮かれたことを言う仗助を一蹴して、露伴は上着のポケットへと両手を突っ込んだ。帰りは2人とも本と食材が入った袋を持っていたために、同じことは言われなかった。
 手を繋ぐ代わりに……ではないが、食事の準備は2人で一緒にした。もちろん食べるのも2人でだ。もうそろそろ母親が帰宅している時間だろうに、仗助が「夕飯は要らない」と連絡している様子はなかった。最初からそうするつもりだったのだろう。そもそも今日は帰るつもりでいるのだろうか。
 夕方のお茶は仗助がいれてくれたので、夕食後のコーヒーは露伴がいれた。それを飲みながら、仗助は気持ちが悪いくらいににこにこしている。
「なにをにやけてるんだ。気持ち悪い」
「ひっど」
 そう言いながらも、仗助は表情を変えない。
「いえね、なんか今幸せだなぁって」
 コーヒーカップを両手で包み込むように持ちながら、仗助はくすぐったそうに言った。
「きっと平和じゃあないところもあるってのは分かってるんですよ。今この瞬間、オレの知らないところで、きっとなにかは起こってる。事件とか、事故とか、戦争とか。でも、オレはそれを知らないんです。知らずに、関わらずに、平和でいられてる。露伴と一緒に。これって、たぶん当たり前のことじゃあなくて、すっごく幸せなことなんですよね」
 溜め息を吐くような声は、「いつまでも続けばいいなって思ってます」と続いた。
 露伴は「ふん」と鼻を鳴らすように言った。
「くっさいセリフだな。ぼくが編集者なら、書き直させるね」
「ひっでぇ」
 仗助は子供のように笑った。それを見て、露伴は確かに平和だと思った。
「……でも」
 ふと、仗助の顔から表情が消える。
(あ……)
 この後の展開を、露伴は凡そ予想出来てしまった。
「『いつまでも』はいいとして、いつからだったっけ……?」
 仗助が首を傾げるような仕草をする。露伴は溜め息を吐いた。
(やれやれ、“また”か……)
「オレ達、いつから……? ……あれ? そんな何年も前のことでもないのに、なんで思い出せないんだ……? そもそもオレ達が初めて会ったのって、今年の春だし。そんな昔のことじゃあない。普通覚えてるでしょう? どっちから告白したとか、なんて言って付き合い出したとか……」
 仗助はカップの中の液体に映る自分の顔を凝視しているようだ。まるで、それが見知らぬものであるかのように。
「オレ達……」
 仗助は瞬きすら忘れてしまったかのように硬直している。唇だけが機械仕掛けのように動いて、言葉を放つ。
「なんで付き合ってるんだっけ……?」
「仗助」
 露伴は静かに彼の名を呼んだ。
「ん?」
 仗助は小さく首を傾げた。
「それ置け」
 露伴は「それ」とコーヒーカップを指差した。仗助はわけが分からないといった顔のまま従う。
「ヘブンズ・ドアー」
 露伴の呼び掛けに応えて、帽子を被った少年のような姿のスタンドが現れる。それとほぼ同時に、仗助の顔が本のページへと変わった。日本人離れした色の瞳が閉ざされ、仗助の意識は強制的に眠りの中へと落ちた。
「……やっぱりか。“また”消え掛かってる」
 露伴はペンを取り出し、“書き込み”を行った。
 
『自分は岸辺露伴の恋人だ』
 
 前回同じようにその文字を書き込んだのは、先々週の終わり頃のことだっただろうか。露伴のスタンド、ヘブンズ・ドアーは、他人を“本”にして“書き込み”を行うことで、意のままに操ることが出来る。今までにも何度もその力を使ってきた。初めの頃は波長の合わない相手には効果がない等の制約があったが、成長した今はかなりのことが可能となっている。にも拘わらず、仗助に書き込んだその文字は、時間が経つと薄れ、消えてしまいそうになる。露伴はその前兆に気付く度に、同じ文句を書き直した。その間隔は、少しずつ短くなってきているように感じる。原因は分からない。こんなことは初めてだ。
「仗助のくせに、この露伴を拒むっていうのか?」
 スタンド能力を用いても変えることが出来ない強固なもの――その人物を、その人物たらしめる本質的なもの――があるとしたら……。それが露伴の意思を跳ね退けようとしているのだとしたら……。
「生意気だな」
 露伴はふっと息を吐きながら、小さく笑みを浮かべた。
「いいさ」
 ヘブンズ・ドアーを自身の中へと戻しながら、ペンも胸ポケットへしまう。仗助の顔は一瞬で元の状態に戻り、ただ居眠りをしているだけにしか見えなくなる。たった今起こったことは、彼のどのページにも記録されていないはずである。
「抗えるものなら、好きなだけ抗ってみるといい。無駄な抵抗だと、思い知らせてやる」
 露伴は右手を伸ばして仗助の頬に触れた。
「仗助」
 静かな声で呼び掛けると、仗助はゆっくりと目蓋を開いた。
「……あれ? オレ、寝てた……?」
「そうみたいだな」
「変だな。なんで急に……」
 露伴はもう一方の手も仗助の顔に添えて、疑問の言葉を紡ごうとする唇をキスで塞いだ。仗助の驚きの声は、くぐもった音にしかならなかった。
 数秒後、ゆっくりと離れると、仗助の顔は真っ赤に染まっていた。
「えっ、ろ、露伴っ?」
「どうした? なにかおかしなことでも? ぼくは君の恋人……だろ?」
 露伴は“恋人”の目を真っ直ぐ見ながら、穏やかに微笑んでみせた。


2020,11,20


露伴は康一くんに「露伴の親友になる」とか「露伴が好き」とかは書かなさそうだけど、仗助になら書いてもいいんじゃあないかと思って。
<利鳴>

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