仗露 全年齢


  彼氏面したいのかオカン面したいのかどっちかにしろ!


「ろーはーん。おーい、露伴ってば」
 誰かが自分の名前を呼ぶのが聞こえた。いや、それが“誰”なのかはちゃんと分かっている。顔も名前もすぐに思い浮かぶ。頭に“超”を付けたくなるほど個性的な髪型も、「不良です」と自己紹介しているような服装も。だが強い眠気の所為で、返事をするのがひどく億劫に感じられた。
「寝るならちゃんと寝ろよ。こんなとこじゃあなくてさぁ」
 呆れたような声に、露伴は目を開けぬまま眉間にしわを寄せた。人の家を『こんなとこ』とは失礼な。いや、それ以前に、許可もなく入ってくること自体が無礼極まりない。
「せめて部屋行って寝ろよな」
 煩いなと思いながらも、露伴は抗議の言葉を口にしなかった。別に部屋のど真ん中でぶっ倒れているわけではないのだ。ただリビングのソファで眠っているだけ。然程おかしなことではないはずだ。だから放っておいてほしい。
 だが声の主は、露伴の気持ちを読み取ってはくれなかった。
「ほら、起きろって」
 左手を掴まれて、ぐいっと引かれる。わずかばかりの抵抗を試みたが、その人物に力で勝てるはずもなく、引き摺られるように上体を起こされた。
(いつもそうだ。いつもこいつは……)
 思い通りになってくれたことなんて、一度でもあっただろうか。
「ったく……」
 声の主、東方仗助に手を掴まれたまま、露伴は仕方なく目を開けた。そして睨んだ。
「うるさいな……。安眠妨害だ」
「常識人ならとっくに起きてる時間ですよ」
「お前が常識を語るな」
 仗助はやれやれと溜め息を吐いてから、ようやく露伴の手を解放した。
「あんたいっつもこんなとこで寝てるのかよ」
「そんなわけないだろ。ただ……」
 ただ、ちょっと途中で力尽きただけだ。
 それほど前のことではない。たぶん、10分も経っていない……と思う。原稿の区切りがついたからと、露伴は2階の仕事部屋を出た。食事とシャワー、どちらを先にするか迷い、何を食べるのかを考えるのが面倒だからという理由で、後者を選んだ。給湯器のスイッチをオンにして、予熱が完了するまでの間と思ってソファに腰を掛けたところまでは覚えている。その後で、どうやら“力尽きた”らしい。座っていたはずの姿勢がいつの間に横になっていたのかは分からない。
(……玄関のチャイムが鳴った記憶もないな)
 流石にそれもせずにいきなり入ってくるほど仗助が非常識人であるとは思わないが、勝手に入ってきたという結果を見れば、大差ないと言えるのかも知れない。
(……待てよ?)
 露伴は再び眉間にしわを寄せた。
「お前鍵は?」
「アイテマシタ」
「嘘吐け」
 今度は露伴が溜め息を吐く。
 おそらくスタンドを使ったのだろう。仗助のそれなら、ドアを壊して、また元通りにすることが出来る。が、直せばそれで良いという問題ではない。破壊の現場を通行人に見られていたら面倒なことになるとは考えないのだろうか。やはり非常識だ。
「だって返事なかったんですもん」
「返事がないってことは、訪問を許されてないってことだ」
「それは置いといて」
「勝手に置くな」
 露伴の言葉を無視するように、仗助はソファの空いたスペースに腰を降ろした。
「勝手に座るな」
「昨日何時間寝たんですかぁ?」
 露伴が視線を逸らせると、仗助はそれを追うように顔を覗き込んできた。
「なーんーじーかーんんー?」
「……さん」
「3時間だけぇ? 馬鹿じゃあないのか」
「てつ」
「……あ?」
「三徹だ」
 3日連続徹夜。つまり、3日連続で寝ていない。
「あんた馬鹿だ!!」
 仗助の怒鳴り声が寝不足の頭に響いた。さっきは『馬鹿じゃあないのか』と言っていたが、暫定が確定に変わったようだ。
「飯はっ!?」
「1回は食べた気がする」
「1回だけかよ! そりゃ倒れるわ!!」
「寝ていただけだ。大袈裟な。それより、でかい声を出すな。頭に響く。まったく、煩いやつだ」
 露伴がしかめっ面をすると、仗助はまだ不満そうな顔をしながらも声のトーンを下げた。
「……そんなに忙しいのかよ。あんた、アホみたいに仕事早いのに」
「アホは余計だこのスカタン」
 少しずつ目が覚めてきたかも知れないと思いながら、露伴はこの3日間に手掛けた仕事の内容を指を折りながら数えた。
「えーっと、再来週分の原稿と、巻頭カラーと、コミックスの表紙に、書き下ろしページだろ。それから読者プレゼントの色紙と、グッズの詳細確認と、インタビューと写真撮影と……」
「もういい」
 仗助は大きな溜め息を吐いた。
「それ全部締め切り重なったってことですか? ちょっとスケジュール無茶過ぎません? いつまでなんスか」
「一番近いので5日後だな」
「食う時間も寝る時間もあるように聞こえるのは気の所為ですかッ!? 徹夜の意味は!?」
「誰も間に合わないなんて言ってない」
「そーいえば、“来週分”じゃあなくて“再来週分”って言ったな……。描くのに夢中になって寝るのも食うのも忘れたクチかよ」
 仗助は本日3回目の溜め息――回を増す毎に大きくなっている――を吐いた。こっちはやりたくてやっているのだから放っておいてほしい。
「とりあえず飯くらいちゃんと食えっ」
「お前は母親か。……でもまあそうだな。トニオさんのところにでも行くか」
 そう言って立ち上がろうとすると、足元が少々ふら付いた。仗助が慌てたように「おい」と声を上げたが、露伴はそれを無視した。
「……そうだ、その前にシャワーを浴びようと思っていたんだった」
 給湯器の予熱はもう終わっているだろうか。完了すれば音が鳴るはずなのだが、聞いた覚えはない。もしかしたら、思ったよりも時間は経っていないのかも知れない。
「……と、先に店に予約の電話を……」
「あー、もう……。おれが電話しておくから、さっさとシャワー行ってこいよ。風呂で寝るなよ!?」
 手で追い払うような仕草をする仗助に、やっぱり失礼なやつだなと思いつつも、露伴は大人しくバスルームへと向かった。ドアを締めながら仗助に何か質問するべきことがあるような気がしたが、まあ後でいいだろうと思うことにした。

 給湯器のスイッチは入っていなかった。確かに入れたはずなのにと思いながら改めてボタンを押すと、すぐに予熱完了を知らせる音が鳴った。つまり、一度は使える状態になりはしたが、一定時間使用しなかったために、自動的に電源が落ちたということか。となると、数分眠っていただけだという露伴の認識は、全く間違っていることになる。それでいて、再度の予熱がすぐに完了したということは、電源が落ちてからすっかり冷め切ってしまうほどの時間は経っていなかったということだろう。電源が落ちるまでの時間と、改めて予熱が必要になるまでの時間。そこから経過した時間を割り出すことは可能であるように思えたが、計算が面倒なのでやめた。それ以上に、そんなことを明らかにしたところで何のメリットもない。
 少し熱めのシャワーを浴びていると、次第次第に目が覚めてきた。これならもう数ページ描けるのではないかと思うと同時に、仗助の顔が頭の中に浮かんできた。想像の中の彼は物凄い剣幕で「お前、いい加減にしろよ!」と喚いている。露伴に未来を予知する能力なんてものはないが、おそらくそれはかなりの確率で現実になるに違いないと思えた。仕事の続きは、仗助がいない時に始めた方が良さそうだ。
(……そういえば、なんで仗助がいるんだ?)
 薄れた眠気の代わりのように、疑問が浮上してくる。
(そうだ、何をしに来たのかを聞いてなかった)
 何か用事があったのだとしたら、まずそれを告げるのが普通ではないのか。「さっさと風呂行ってこい」と促す仗助は、急な要件を抱えているようには見えなかった。
(何がしたいんだあいつは)
 まさか本当に母親染みた小言を言いたかったわけではあるまい。
 どんな要件があったにせよ、訪問の度にドアを破壊されるのは気に入らない――今回のそれは“初犯”ではない――。すでに元通りにされているのだとしても、「直せるんだから」と粗末に扱われることが面白いはずがない。呼び鈴――今回はそもそも聞いた覚えがないが――が鳴っても応答しない露伴にも――数万歩譲って――非がなくもないかも知れないが、仕事中で手を離せないことだって普通にあることを考えると、やっぱり仗助の方が悪い。
 非常識で身勝手。とんでもないやつだ。そんなやつの手に渡るのは新たな不安要素の誕生でしかないのかも知れないが……、
(スペアのキー……)
 流石に鍵があれば、わざわざ近隣住民の目がないことを確かめてからの破壊行為には走らないだろう。
(どこにしまってあったっけ……?)
 この町に引っ越してきてから一度も使ったことのない物の在り処なんて、すぐに思い出せるはずもない。さっさと考えることをやめた露伴は、シャワーを止め、バスルームを出た。

 着替えを出してくるのを忘れていた。だが脱いだ服を再び着る気にもなれない。仕方がないのでバスローブ姿で出ると、何故か廊下に出ていた仗助と鉢合わせた。仗助は露伴の姿を見るなり、ぎょっとした表情をしながら叫んだ。
「服着てくださいよっ」
「ほんとにいちいち煩いな。今取りに行くところだ。君こそ、人の家を勝手にうろうろしてるんじゃあないぜ」
「で、電話借りてたんですよっ。おれケータイ持ってないから」
 そういえばトニオの店に予約の電話をすると言っていた気がする。
「ずいぶん長電話だったみたいだな?」
「あー、実はですね、予約出来なかったんス。今日はいっぱいだって」
「それは残念だ」
 そういえば、最近はあの店で自分以外の客の姿を見掛けることが多くなってきている気がする。駅から離れた辺鄙な場所で商売として成り立つのだろうかと思っていたが、口コミ等で情報が広がっていったのだろう。確かに、あの店ならわざわざ足を運ぶ理由もあると言える。オーナーシェフであるトニオ・トラサルディーは、自分の料理――作品――に他人の手が加わることを好ましく思っていないのか、客が増えても従業員を増やすつもりはないようだった。当日になってからの予約が出来ないなんてことも、あってなんの不思議もない。
 だが、実を言うとすでに露伴に外出――外食――をしようという意思はあまり残っていなかった。トニオの料理の腕はもちろん認めている。だが今は、“もっと相応しい過ごし方”があるように思えてきた。それは、
(……なんだろう?)
 軽く首を傾げてみたが、答えは浮かんでこない。
「――はん。おーい、露伴ってば」
 数分前に聞いたのと同じ声が露伴の名を呼んだ。顔を上げると、呆れたような目がこちらを向いていた。
「立ったまま居眠りですか」
「寝てない。なんだよ」
「やっぱり聞いてなかったな。だからっ、飯、おれが作りましょーかって聞いてんの!」
 想像してみたことすらなかった言葉に露伴が目を見開いていると、仗助はふいっと視線を逸らせた。その頬がほんのわずかに赤く染まって見えたのは、はたして気の所為だろうか。
「おれの料理なんて、食べたくないかもですけど……」
 “あの”東方仗助がしおらしくしている、なんて、
「……珍しいものを見た」
 思わず本音が口から出た。
「今なんか言いました?」
「いや、なんでもない」
 もちろん嘘だ。目が覚めたと思ったのは錯覚で、実は夢を見ているのではないかと疑いそうになったくらいだ。ここが仕事部屋であったら、迷わず鉛筆とスケッチブックに手を伸ばしていただろう。そうでなかったことが実に残念だとすら思った。
(忘れない内に描いておかないとな)
 そのためにも、外食になんて出ている暇はない。
「……で、どうするんスか」
「何が」
「だ、か、ら、食事!」
「料理なんて出来るのか? 君が?」
「母子家庭の一人っ子ですから。……まあ、スパゲッティ茹でるくらいなら」
「意外と謙虚だな」
 思わず小さく吹き出すと、仗助は睨むような視線を向けてきた。だが「そんな態度ならやめた」と言い出すつもりはないようだ。
「まあ、食べてやらないこともないかな」
「うわっ、作ってもらう立場の態度じゃねぇ」
 そう言いながらも、仗助は笑っていた。
「スパゲッティなら、買い置きがあった気がする」
「先生、自炊なんてするんですね」
「気が向けばな」
「じゃあ、……つ、次は、先生がおれに作ってくださいよ」
「気が向けばな」
「あ、これ向かねーやつだな……」
「他にも、ある物適当に使っていい。挽き肉もあるけど、凍ってるぜ。あとはトマトとキノコ類と、バジルも残ってたかな」
 すっかり眠気が覚めた頭で台所にある物を次々とあげていくと、ついでのようにスペアキーの在り処が浮かんできた。そうだ、確か机の引き出しの奥にしまって、一度も触っていない。すなわち、今でもそこにあるはずだ。服を着るついでに、取ってこようか。仗助がそれを食事の提供――もっとも、食材は元々露伴の自宅にあった物だが――の礼としてつり合いが取れている物だと判断するかどうかは分からないが。
(もしそれで駄目なら……)
 後日本当に、今度は露伴が食事を作ってやることにするしかないか。意外と謙虚に「スパゲッティくらいなら」という仗助に対して、これ見よがしに高級食材ばかりを使った料理を作ってみせる……なんてのも、面白いかも知れない。「大人げない」と声を上げる仗助の姿を、露伴は容易に想像出来た。
「先生、なんか企んでます? ってか企んでるでしょう」
「別にぃ?」
 怪訝そうな視線に見送られながら、露伴は服を着るために2階へ向かった。


2020,09,20


本当はトニオさんのお店へは電話してすらいないというのが作中に書けなかったのであとがきに書いちゃう。
彼氏面する仗助が書きたかったはずなのに、これじゃあおオカンだw
というわけでタイトルもそのように(笑)。
最初は部屋のど真ん中で眠ってたんですが流石に大事かなと思ったのでソファまでは頑張ってもらいました。
あとバスタブの中で寝落ちする展開になりかけてたんですがそれも大事だなと思ってやめました。
デキてなさそうに見えるのに実はデキてる仗露が好きです(今回はただのオカンになったけどw)。
<利鳴>

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