承花 全年齢


  Sleeping Beauty


 SPW財団の支部のひとつであるというその建物の内部は、壁も床も天井も、白を基調として作られていた。そのためだろうか、仗助はそこを、学校か、病院のようなところだなと思った――他に近い物が、彼の記憶の中にはなかった――。
 長く伸びる廊下の両側には一定の間隔でドアがあり、かなりの数の部屋があるらしいことが窺えた――つまり、外の様子が分かるような窓はない――。
 この場所を教えてくれた――そして送り迎えと案内の者まで付けてくれた――父は、ここを『研究所』と呼んでいたが、閉ざされたドアの向こうでどんなことが行われているのかは、仗助には見当も付かない。ただそこがとんでもなく広いということだけは明白だ。外の駐車場から、もう10分以上は歩いている気がする。完全にコントロールされている空調のお陰で暑さを感じることはないが、そろそろ疲れてきそうだ。景色が変わらない所為もあって、退屈にもなってきた。通路の先に帽子を被った背の高い男の姿を見付けていなかったら、前を歩く財団の職員――仗助の案内を買って出てくれた男――に、「まだですか?」と問い掛けていただろう。
「承太郎さん!」
 仗助は手を振りながら声を上げた。財団の職員が道を譲るように端によってくれたので、有り難く駆け寄って行く。
「仗助……!?」
 仗助の“甥”に当たる空条承太郎は、その場に立ち止まり、緑色の目を見開いて驚きの表情を浮かべた。いつもクールな彼の意表をつけたことに、仗助はわずかな喜びを覚える。
「お久しぶりっす!」
 傍に立つと、以前よりも少しだけ視線の高さが近くなっている――仗助の身長が伸びている――ことに気付いた。果たして、承太郎の方はそのことに気付いてくれるだろうか。
 尊敬し、憧れて止まない承太郎に久方振りに会えたこと、そして自分が成長しているということで感じた2つの喜びは、しかし次の瞬間、跡形もなく消え失せてしまった。
「どういうことだ」
 承太郎の視線は仗助を通り越し、彼の後ろにいる――仗助をここまで案内してきてくれた――男を睨み付けた。
「部外者の立ち入りは禁止しているはずだが?」
 『部外者』。確かに、仗助はここの職員でもなんでもない。日本の片田舎に住む高校生以外の肩書きは何ひとつ持っていない。だが、承太郎の口調はあまりにも刺々しい。それが仗助の心に傷を付けるのは、実に容易いことだろう。
(せっかく遥々日本から来たのに……)
 仗助が痛みを堪えるように拳を強く握ったことに、承太郎は気付いてもいない。
「す、すみません! しかし、ジョースター氏から連絡がありまして……」
 財団の男は上官に叱咤される軍人のように背筋を伸ばしながらそう答えた。
「ジジイが?」
 承太郎は帽子の下で眉をひそめながら、小さく舌を鳴らした。
「もういい。下がれ」
「はい」
 小さく頭を下げると、男は来た道を戻って行った。短い遣り取りの中で、空条承太郎という男がこの施設内でかなりの力を持つ立場にいることが分かった。堂々としていて、威圧的で、恐ろしささえ感じる。だが同時に、かっこいいと、仗助は思った。
 形の良い唇から、ふうと短い溜め息が零れた。
「何をしに来た」
 その口調にはまだ棘があった。だがせっかくここまで来たのだからと、仗助は半ば無理矢理笑顔を作る。
「はい、ちょっとジョースターさんのところに、なんてゆーか、遊びに? ほら、おれ、“妹”が出来たでしょう? もうすぐ丸2年になるんスけど、結局身元とか、分からないままなんですよね。誕生日すら不明で。でもおれとジジイが静を見付けたのが5月で、あの時生後1ヶ月くらいかって話だったんで、まあ4月生まれかなと。それなら、まだちょっと早いんですけど、おれが春休みの間に、お祝いをやるからってことになって、それで呼ばれたんスよ。1年目は出来なかったから、今年は盛大にって」
 承太郎にも連絡はいっているはずだ。仗助がそう言うと、「そういえば聞いたな」と、興味のなさそうな声が返ってきた。
 承太郎は、「用事があるから」とその誘いを断ったそうだ。それを聞いた仗助が――本人は否定していたが――露骨にがっかりしていたところ、父が教えてくれたのだ。承太郎は、おそらくSPW財団の研究所にいるだろう。と。
「それで、せっかくアメリカまで来てるんだし、あちこち行ってみようって思ってたのもあって、会いに来ちゃいました」
 言ってから、なんだか急に照れ臭さを覚え、仗助は視線を逸らしながら笑った。
「ジョースターさんが連絡しておいてくれたし、それに、おれの顔見たらすぐに承太郎さんの親戚だって分かってもらえたみたいで、さっきの人がここまで案内してくれたんです」
 再び舌打ちが聞こえた。
 承太郎が仗助の生まれ育った杜王町に滞在していた4ヶ月ばかりの間には滅多に見せることのなかった、苛立ちの表情がそこにはあった。よほど重要な研究をしている施設なのか、あるいは危険なことでもあるのか、それともよっぽどタイミングが悪かったのか……。
(……おれに、会いたくなかったのか……)
 久しぶりに承太郎に会えると思った時の高揚感も、実際にその顔を見た時の嬉しさも、空気の抜けた風船のように、完全に萎んでしまった――割れなかっただけマシだろうか――。肩を落とす仗助に、さらに追い討ちを掛けるように承太郎は言う。
「遊び場じゃあねーんだぞ」
「……分かってます。でも承太郎さん、……全然会いに来てくれないんスもん……」
「親戚だろうがなんだろうが、お前は部外者だ」
「……」
 仗助はもう何も言えなくなってしまった。怒ったのだろうか。その顔を、まともに見ることが出来ない。せっかく久しぶりに――約1年半振り――に会えたのに。喜んでいるのは、自分だけらしい。「やれやれ」と溜め息を吐く音が聞こえた。もう帰った方がいいだろうか。父のところへ。あるいは、日本へ……。
 踵を返し掛けた仗助の耳に、それまでとは違う調子の声が届いた。
「そうか……、春休みか」
「え? ええ……、そうですけど……」
 視線を向け直すと、承太郎は何かを考えているような表情をしていた。顎に手を当てて、「なるほどな」と頷くように呟いている。
「承太郎さん……?」
 とりあえず、今すぐ追い返そうというつもりはない――あるいはなくした――ように見えた。それならば、もう少し……と、仗助は口を開く。
「……ここって、何してる場所なんですか?」
 お前には関係ないと一蹴されるかと思ったが、
「……医療関係の研究が主だ」
「医療っスか」
「新薬の開発や、ウイルスの解析、より使い易い医療器具の発明なんかも行われている」
 なんだか難しそうな話だ――仗助はスタンド能力で傷を治すことが出来るが、それに医療の知識は必要ない。上手く説明は出来ないが、どちらかと言えば本能に近い力で治しているような気がしている――。建物の中に入ってすぐに病院のような場所だと思ったのは、強ち間違ってはいなかったということになるのだろうか。
 次に口にする言葉を考えていると、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。近付いてきたのは、仗助を案内してくれたのと同じような背格好――20代後半から30代半ばくらいで中肉中背、白衣を着ている――のアジア人らしき男だった。「空条博士」と呼び掛けると、彼は1センチほどの厚みがある紙の束を承太郎に差し出した。
「検査結果の報告の時間ですが……」
 その男の目は、ちらりと仗助の方を見た。『部外者』がいることを気に掛けているのだろう。
「後にした方がよろしいですか?」
「いや、いい。今聞く」
 それは、仗助がその場にいることを許されたというよりは、どうせ何も分からないと判断されてのことだろう。それを否定するつもりはないが、無関係の人間だと突っ撥ねたり、ほったらかしにしたり、ずいぶんと冷たい態度ではないか。まるで相手にしてくれない――先の質問に答えてくれたのだって、淡々としていて事務的ですらあった――。一体彼の目――感心――は、どこへ向いているのだろうか。その瞳に正面から映ることが出来る人間は、果たして存在するのか……。
 白衣の男は、クリップで留めてある紙の束を承太郎に手渡した。ちらりと見えた紙面には、英語らしき文字――しかし見たこともない単語がそこここに散らばっていて、何についての文章なのかは全く分からない――と、いくつもの数字が並んでいた。見ているだけで頭が痛くなりそうだ。仗助は目を逸らして、軽く頭を振った。
「異常は」
「いえ、何も」
「そうか。新しい装置は……、ん、これだな。……ふん、順調だな。気に入ってくれたようじゃあないか」
「……はい」
 おそらく、何かの研究の資料なのだろう。しかし「順調だ」と言った承太郎とは対照的に、財団の研究員らしき男の表情は暗く、どこか引き攣っているようにも見えた。それに、「気に入る」……? 生き物に対する言葉のように聞こえるが、実験用の動物でもいるのだろうか。
「よし、このまま続けてみよう。しばらく様子を見る。矢の方の調査は?」
(矢? 今、矢って……)
「そちらは、私の方では……」
「そうか。……まあいい。後で確認に行こう。ポルナレフから連絡は?」
「まだ、何も」
「あいつらしくないな。何かトラブルにでも巻き込まれたか……」
 承太郎は思案するように表情を歪ませた。が、手元の資料に再び目をやると、その口元にははっきりと微笑みの形が現れた。よほど嬉しいことがそこに書かれているのか。彼のそんな顔を、果たして仗助は一度でも目にしたことがあっただろうか。
 資料のページを捲り、ざっと目を通し終えると、承太郎は男に「下がっていい」と指示をした。男は逃げるように姿を消した。
「承太郎さん……?」
 躊躇いながらも声を掛けると、こちらを向いた表情は先程までとは別人のように穏やかだった。まだ笑みの消えていないその顔に、しかし仗助は何故か分からないまま妙な緊張感を覚えた。
「どうした」
 それはこちらのセリフだと返したいのをぐっと堪えて、仗助はこっそりと深く息を吸った。
「さっき、『矢』って……。それって、あの矢ですか? スタンドの……?」
 よく分かりもしない研究について部外者が口を挟むのはどうかと仗助も思う。だが、スタンド使いを生み出すあの弓と矢のこととなれば、彼も無関係とは言い切れないはずだ。気にするなという方が無理な話だろう。
 承太郎は、「ああ」と答えた。
「他の仲間が、ルーツを探っているところだ」
「億泰の兄貴が持ってたやつは、財団で管理してるんですよね?」
「こことは違う建物でだがな」
「SPW財団って、色んなことやってるんスねぇ……」
 様々な方面に大きな影響力を持つ組織だとは聞いていたが、どうやらその全貌は、自分の想像を遥かに超えたものであるようだ。そんな中で、おそらくかなりの力を持っている男、空条承太郎。彼は一体、何者なのだろう。
(そういえばおれ、承太郎さんのこと、ほとんど知らないんだよな……)
 自分と同じ、日本人とアメリカ人のハーフであること、スタンド使いであること、高校生――今の仗助と同じ年――の時に、強大な敵と戦ったこと――幼い頃に高熱で倒れた仗助が今こうして生きているのはそのお陰であるということ――……。咄嗟に出てくるのは、そんなことばかりか。よくよく考えてみれば、プライベートなことはほとんど知らない。彼の家族のことや、どんな学生時代を過ごしてきたのか、今この施設内で何をしているのか、そんなことは。
「あれ、承太郎さんって、ここで働いてるんでしたっけ? んん? 学者だって言ってませんでしたっけ」
 1年半前、杜王町の海岸で熱心に砂浜にいる生物――打ち上げられたクラゲだったか、ナマコだったか……――を観察している彼の姿を見た記憶がある。少なくともここで研究を行っているという医療の分野とは関係なさそうに思えるが……。
 承太郎は少し悩むような素振りを見せてから、首を横へ振った――彼の機嫌が悪そうなままだったら、続く言葉はなく、それだけで終わっていただろう――。
「いや、働いているわけではない。協力関係にあるだけだ」
「へぇ……」
 彼の力が必要とされているということなのだろう。
「それって、スタンド使いとか、弓と矢みたいな件で?」
「ああ」
 承太郎の口数は相変わらず少ないが、それはわりといつものことだ。それでも明らかに、彼の機嫌が良くなっていることに仗助は気付いていた。どこか穏やかなその表情を作り出したのは、一体なんなのだろう――(おれには出来ないのか……?)―― 。先程の“報告”、それがどんなものなのかは分からないが、きっと彼にとっては、大切なものなのだろう。
 いつの間にか、仗助の視線は承太郎が持っている紙の束へと向いていた。
「気になるか」
「へっ?」
 承太郎は唇を歪めるように笑っていた。じろじろと探るような仗助の視線に、とっくに気付いていたようだ。
「いや、あの……気になるっていうか、なんかすごいなぁって……。おれなんかにはよく分かんないですけど、医療の研究って、つまり、人のためになることですよね。SPW財団の活動のお陰で何人もの人の病気が治せるようになった、なんて話も聞きますし、上手く言えないっスけど、立派なことだよなぁって……」
 慌てて取り繕った弁解に、自分でも何を言っているのかよく分からない。また部外者が口を挟むなと一蹴されるのではと思ったが、承太郎は、笑っていた。表情の変化は大きくない。それでも彼は、確かに笑みを浮かべていた。
 仗助の心臓は、どくんと大きく脈打った。その音が、何故か不吉な物のように聞こえた。
 承太郎は緩やかなカーブを唇に浮かべたまま、ゆっくりと言った。
「前に、死んだ人間を戻すことは出来ないと言ったのを、覚えているか?」
「え?」
 急に話題が変わったようにしか思えず、仗助は面食らった。
「ええ、はい、覚えてます……けど」
 あれは2年前の丁度今頃、東方良平――仗助の母方の祖父――が亡くなった時のことだ。仗助のスタンドが完璧に傷を癒しても、それでも彼を救うことは出来なかった。その時に、承太郎が言ったのだ。「生命が終わったものはもう戻らない」と。
(なんで、今そんな話を……?)
「おれは、ずっと探している」
「……え?」
 戸惑う仗助の存在等、まるで見えていないかのように、承太郎は歩き出した。仗助は慌ててその背中を追った。
「承太郎さん……?」
「死者を蘇らせるスタンド能力。それを探して、おれは世界中を巡り、何人ものスタンド使いに会ってきた」
 承太郎がスタンドという特殊な力に詳しいのは、それが理由だったのか。だが疑問はなくならない。
(承太郎さん、一体なんの話を……?)
 いつの間にか彼との距離は広くなっていた。仗助は慌てて小走りで追い掛ける。
「世界中を廻り、そして知った。そんなスタンド使いは、どこにもいない、と。…………“今”は、……“まだ”」
 仗助は空気がぴんと張り詰める音を聞いた気がした。
「弓と矢を使えばスタンド使いを生み出すことが出来るが、適性のない者に使用しても死ぬだけだ」
 2年前、虹村億泰の兄、虹村形兆がそうしていたように。
 承太郎の歩幅は広く、普段から彼の歩く速度は――意識的に抑えでもしない限り――他の者より少し早い。だが、仗助がその背中になかなか追いつくことが出来ない理由は、それ以外にもあった。仗助自身が、無意識の内に彼の傍へ寄って行くことを拒んでいる。行きたいと思う気持ちはあるのに、頭のどこかで「触れてはいけない」と警告する声が響いている。
「矢の研究を進めながら、おれは今でも探している……」
「でも……」
 意を決するように、仗助は口を開いた。
 承太郎の足が、ぴたりと止まる。
「なんの、ために……?」
 そんなことは、明白ではないか。「生き返らせたい人がいる」。それは誰か……。
「見るか?」
 そう尋ねた承太郎は、やはりうっすらと微笑んでいた。

 連れて行かれたのは建物のさらに奥に位置すると思われる部屋だった。それは、四方を白い壁で囲まれ、学校の教室よりもひと回り――あるいはふた回り――ほど広い。窓はないが、空気が濁っているということは一切ないようだ。中央には硝子の壁があり、その部屋をふたつに区切っている。硝子の手前と奥、両方にマイクとスピーカーが設置されているのが見える。収録スタジオのような物を連想させる作りだ。
 だが、硝子の奥にあるのは、SF映画で目にする、大型のカプセルのような形をした装置だ。周囲を多様な機材に囲まれ、何本ものコードで繋がれている。それ等の用途は、仗助には皆目見当も付かない。
 硝子より手前側のスペースには、その奥以上に多くの機械が並べられている。いくつもあるモニターには、様々な数値が表示されていた。
 承太郎は躊躇うことも、そこにいるスタッフらしき人間に許可を得ることもせず、硝子の壁のドアを開けて奥へ進んで行った。
「そこからじゃあ見えないだろう。入って来いよ」
「いいんスか」
「ああ」
 仗助がドアを潜ると、承太郎がそれを閉めた。
 恐る恐る近付いて行くと、酸素カプセルのような形をした装置の透明なカバーの中に、ひとりの人間が横たわっているのが見えた。口元を呼吸器のマスクに覆われ、眠っているのか、その両目は閉ざされている。
 仗助は、その男に見覚えがあった。いや、直接会ったことはない。そう、確か、写真を見たことがある。承太郎と仗助の父が杜王町に滞在していた時、何かの用事で訪ねて行ったホテルの部屋に、それが飾られていた。砂漠を背景に撮られた、年齢も人種も多様な――犬までいる――、何も知らされなければどんな繋がりがあるのかも分からないような5人と1匹の写真。その中の1人、学生服を着た若者と、今目の前にいる男は、そっくりだった。
(でもまさか……、そんなはずは……)
 彼は死んだと聞いている。
(なんで、こんなところに……)
 承太郎は詳しく話すことを避けていたようだったが、彼の祖父――仗助の父――が語ってくれたのだった。吸血鬼・DIOとの戦い、その中で、彼は命を落としたのだ、と。
(人間の死体って、何年もそのまま残ってるもんなのかよ……)
 その肉体は、腐敗しているようには見えない。
(これが10年以上も前の死体……!?)
 どう見ても、眠っているようにしか見えない。今にもその両目が開きそうだとすら思える。
 歩み寄って行った承太郎が、カプセルに触れた。その手は赤ん坊に接する母親のように、愛しむように、機械の表面を撫でる。
 中にいる人間は動かない。赤み掛かった髪の男。確か、その名前は……、
「花京院」
 承太郎が呼び掛けた。
「検査結果を見たが、最近調子がいいみたいだな。この間はどうなるかと思ったが、頑張ったな」
 仗助は、承太郎の傍に行こうとした。が、出来なかった。両足に力が入らない。無理に動かそうとすれば、その場にへたり込んでしまいそうだ。
 承太郎の視線が、一時だけ仗助の方を向いた。
「何をしている? こっちへ来いよ。花京院、“叔父”の仗助だ。前に話しただろう? 実際に会うのは初めてだったな」
 承太郎の口調は、穏やかだった。幼い子供をあやすように、ゆっくりと語り掛けるその声は、仗助の知らないものだ。まるで、彼がよく似た別の人間と入れ替わってしまったかのような……。
(これが、おれの知らなかった承太郎さんの姿……?)
 仗助は、口の中が急激に渇いていることに気付いた。
「……承、太郎さん、これは……、一体……」
「SPW財団は、第二次世界大戦時にドイツ軍が行っていた様々な実験のデータを持っている。それ等と、現代の医学を用いれば、肉体を生かし続けることは不可能ではない。一部の臓器は人工の物を移植しているが、全て正常に動いている。傷も綺麗に消した。ここにある機械は、生命を維持するための装置だ」
 いつもと変わらぬ、ただ事実だけを説明する口調。承太郎の目は、あくまでも正気にしか見えない。それが、仗助には怖かった。
「無理矢理……生かし続けてるってこと、ですか……?」
 声に出して言うことで、それが一気に現実のことであると嫌でも認識させられた。完璧にコントロールされているはずの室温の中で、しかし仗助は寒さを感じた。
「花京院は今、日本では『行方不明』の扱いになっている。知っているか? 日本の法律では、7年が経過すると、家族や親戚が申し出さえすれば、失踪人を死亡したと見なすことが出来る。相続の問題や、後は気持ちの区切りを付けるために、行方不明者の死亡届を出したいという者はいるからな」
 「だが」と、承太郎は視線をその男へと戻した。
「こいつの両親はそれをしていない。何故だか分かるか? 10年以上経った今でも、息子はどこかで生きていると、そう信じたいんだ。こいつの目を覚まさせることが出来れば、それは現実になる。なによりも、おれがそれを望んでいる。こいつはただ、眠っているだけなんだ。おれが死なせねぇ」
「……こんなの……」
 狂っている。仗助は、その言葉をすんでのところで呑み込んだ。
「さっき、探してるって言ってたのは、つまり……」
「ああ」
 彼を蘇らせるスタンド能力。それを見付け出すことが、承太郎の目的であり、SPW財団に力を貸しているのも、おそらくはそのためなのだろう。
「DIOは吸血鬼の力で生ける屍を作り出したというが、おれが求めているのはそんな紛い物じゃあない」
 承太郎は再び装置に触れると、跪くように顔を近付けた。
「ん、花京院、少し髪が伸びたな。そろそろ切った方がいいな。おれに任せておけ。ちゃんといつも通りにしてやるぜ」
「……こんなの、間違ってる……」
 気が付くと、仗助はそう呟いていた。承太郎の視線がゆっくりとこちらを向く。硝子の向こうにいるスタッフ達の間に、俄かに緊張感が走ったのを、仗助は視界の隅で感じ取った。
「間違い……?」
 承太郎は幸せそうな表情を崩すことなく、首を傾げた。
「何故だ? お前もさっき言っていただろう? 多くの人々を救う、立派な活動だと。花京院は誰よりもそれに貢献している。ここで得たデータは、様々な医療に応用されている。ただのほほんとなんの見返りもなく最新の医療を受けているわけじゃあないんだぜ」
「でも……、死んだ人間は、戻らないって……」
 そう言ったのは他でもない、承太郎だった。それなのに、
「死んでなんかいねーぜ。機械の補助を必要とはしているが、心臓も、肺も、それに……っと、これは他人に聞かせるようなことじゃあねーか……。とにかく、間違いなく動いている。いつ目を覚ますかは分からんが、逆に言うと、いつ目を覚ましてもおかしくない状態なんだ。こいつはただ眠っているだけだ。おれには分かる。おれは、こいつが目覚めるのを、ずっと待ってる。なあ、花京院」
 彼の呼び掛けに、応える声はなかった。

「はい、広瀬です。……あ、承太郎さん! どうしたんですか、ぼくのところに電話なんて……。え? バイト? ええっ!? イタリア!? ……いえ、大丈夫……だと思います。びっくりはしましたけど。……でも、仗助くんじゃあなくて、ぼくでいいんですか? ……はあ、ええ、それは、はい、全然構いません。はい。大丈夫です。……あ、そっか、えーっと、露伴先生に頼んでみます。ヘブンズ・ドアーで。はい。はい。え、わざわざこっちに? ……まあ、そりゃあその方が早いかも知れないですけど……。そうですか、分かりました。じゃあ、待ってます。はい。はい。じゃあまた。はい。失礼します。…………ふぅ……。母さーん! 承太郎さんに頼まれて、イタリアまで行くことになったんだけど……。なんでも、仗助くんには頼み難いことらしくて……。あ、そっか、仗助くん、春休み中はアメリカのジョースターさんのところに行ってるって言ってたっけ。それでぼくのところに……。出来るだけ早くってことなんだけど、でも渡したい資料やなんかもあるから、承太郎さんがこっちに来てくれるって。だから、それを待ってからの出発になるよ。……うん、郵送よりも早いし、確実だからってさ。詳しくはその時に聞かせてくれるって。旅費は全部負担してくれるって言うし、ちゃんと新学期が始まるまでには帰ってこられるってさ。……え? あー、はいはい、お土産ね。分かってるよ。皆にも買って来ないと。由花子さん、何が喜ぶかなぁ……」


2018,11,04


承太郎が「死んだ人間を生き返らせるスタンド能力は存在しない」と断言したのは、花京院のためにそれを求めて世界中を旅したからだったりしたらいいなぁと思っているのですが、それがどうしてこうなった。
何故病んだ。
不思議です。
<利鳴>

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