仗助&ジョセフ 全年齢


  それぞれの思い出のシャボン玉


 フロントを経由しての電話に出たのはジョセフ・ジョースター本人だった。彼は耳が遠いようであったから、電話に出るのは孫の空条承太郎だろうとの予想は見事に外れたことになる。だからと言って、ここで受話器を下ろしてしまうことは出来ない。それではただのいたずら電話だ。少々うろたえつつも「仗助です」と名乗ると、向こうも多少なりとも戸惑ったのか、ほんのわずかな間があってから、反応があった。
「やあ、君か。どうかしたのかね。……承太郎なら、今は外に出ておるが……」
 申し訳なさそうな声が言う。仗助は慌てて口を開いた。
「いえ、その、承太郎さんに用事ってわけじゃあないんです」
「ふむ……?」
「あの、その……、なんて言うか……」
 学校が終わってここまでやってくる間に、どんな言葉を用いろうかとはずっと考えていた。だが、実際に相手の声を聞くと、まだ妙な緊張感を持ってしまう。と言っても、昨日までのそれと、今のそれは厳密には同じではない。昨日、彼を迎えに行った時は、本当にどう接して良いのか分からなかった。まともに顔を見ることも、声をかけることも出来なかった。その存在を、疎ましいとすら感じていた。今は違う。簡単な言葉に置き換えると同じ“緊張”にはなってしまうが、今は決して避けて通りたいような気持ちではない。ただ少し、気恥ずかしさがあるだけだ。
「き、昨日の赤ん坊、元気っすか?」
 テレホンカードの残数をいたずらに減らしたところで何にもならない。遠廻りでもかまわないから、とにかく目的地を目指すつもりで、仗助は無理に口調を明るくさせた。
 昨日、全くの偶然によって2人が出会った赤ん坊は、身元を明らかにする物を何ひとつ身に付けていなかった。親の手がかりはまだ一切見付かっていない――承太郎が出かけているというのも、もしかしたらその関係なのだろうか――。何らかの事件に関わりがあるのか、あるいは複雑な事情でも抱えているのかも知れない。だがそれを本人の口から説明してもらうことが出来るはずもなく、その身柄は一先ずジョセフが預かることとなった。今も、彼が宿泊しているホテルの部屋に、一緒にいるはずだ。
「おお、元気にしとるよ。ミルクもちゃんと飲んだしのう。少し前までは眠っておったが、今はおもちゃで遊んでおるよ」
「あ、……もしかして電話の音で起こしちまいましたか?」
「いやいや、その前にもう起きとったよ。心配せんでもいい。ほれ」
 不意にジョセフの声が遠くなった。かと思うと、今度は赤ん坊が笑っている声が聞こえた。ジョセフが受話器を赤ん坊の方へ向けたのだろう。それを聞いて、仗助もわずかに表情を緩めた。赤ん坊の機嫌が良さそうなことはもちろん、ジョセフの声からそれほど強い疲労の気配を感じなかったことも理由のひとつだ。
「あの、オレ、実は近くまで来てるんです。これ、公衆電話で。もし何か手伝うことでもあったらと思って……」
 赤ん坊の世話なんて、一度もしたことがない。それでも一度関わったからには、「後は知らないから」なんて薄情すぎる。だがそれをそのまま口に出して言ってしまうと、自分と、その父親の関係を咎めているように取られかねない。そんな気持ちはすでに仗助にはない。それでも誤解を招く可能性はあるのでは……。そう思うと、言葉を選ぶのも難しい。
「やっぱり、大変でしょう? スタンド使いの赤ん坊なんて」
 いつ能力で姿を消して――あるいは周囲の物を消して――しまうとも分からないとなれば、事情を知る者――すなわちスタンド使い――でなければ手を貸すことも容易ではないだろう。
「少なくとも体力だけはありますし」
 おどけてみせたが、電話越しでは相手がどんな顔をしているのかも分からない。ジョセフがどんな言葉を返してくるのか……。仗助は心臓の音が大きくなってゆくのを感じた。父に対して、冷たい言葉を放ってしまった、そのことが、まだ彼に緊張を強いている。
「やっぱり、気になるって言うか……」
 ふっと息を吐くような音が聞こえた。それに続いた言葉は、「ありがとう」だった。
「君は優しいのう」
 これが電話での会話で良かった。もし顔を合わせてのことだったら、赤面したのをはっきりと見られていただろうから。
「……あっ、き、気になるっつっても、赤ん坊のことですからねッ!?」
 慌ててまくし立てるように言ってから、「やってしまった」と頭を抱える。赤ん坊のことが気になっているのは事実だが、本当はそれだけではないのに――そうでなければ、元気そうな声を聞いて安心したり、褒められて照れたりすることなんてないはずだ――。受話器から聞こえた「分かっておるよ」という声に、胸が少しちくりと痛んだ。そこに、かすかにでも寂しさが含まれてはいなかったか……?
 急に何も聞こえなくなってしまった。カードはまだなくなってはいない。自分が話す番なのか、相手が話す番なのか、お互いタイミングが分からなくなってしまって、黙り込んでしまったようだ。電話をかけたのは仗助の方なのだから、やはり自分から喋るべきなのだろうか。仗助は一度だけ深呼吸をした。受話器を持っていない方の手を制服のポケットに突っ込み、中にある小さなボトル状の物をぎゅっと握った。
「今から、そっち行ってもいいですか?」
 出来るだけ軽く言ったつもりだったのに、その声は思いの他緊張していた。これでは重要な話でもしに行こうとしているようだ。
「もちろんかまわんよ。近くにいると言ったね? ホテルの前の公園ではどうかね? この子の散歩にもちょうどいいじゃろう」
 仗助と同じように、ジョセフも赤ん坊を口実にしてきた。おかしなところで父子の血を感じる。そんな下らないことを思いながらも、仗助は密かに息を吐いた。
「OKっす。すぐ行きます」
 受話器を握っていた手はわずかに汗ばんでいた。それを学ランの裾で拭いながら、仗助は公園へと向かった。

 “公園”と言っても、遊具の類が置かれているわけではない。木と芝生以外にはベンチがいくつかあるだけのちょっとした広場と呼ぶ方が相応しいかも知れない。先に到着したのは、仗助の方だった。ホテルは目と鼻の先だが、赤ん坊連れで出かけるとなると、やはり準備等があるのだろう。迷惑だったろうか。仗助がそう心配していると、「おーい」と呼ぶ声が聞こえてきた。振り向くと、赤ん坊を抱いた老人の姿が近付いてくるところだった。
「わざわざすまんのう」
 彼は微笑んでいた。それを見て、仗助は無意識の内に安堵の息を吐いていた。
「よう、元気そうだなぁ。今日は透明じゃあないんだな」
 仗助が顔を覗き込むと、ジョセフの腕の中にいる赤ん坊はきゃっきゃと笑った。昨日ホテルまで送って承太郎にも事情を話してた時には、見知らぬ場所や人に怯えたようで、近くにある物を手当たり次第に透明して大変な目にあったが、一晩経って落ち着いたのか、よほど機嫌が良いのか、仗助の顔を見ても泣き出す素振りはなかった。昨日買ったサングラスを今も着けているのは謎だが、お気に入りのおもちゃにでもなっているのだろうか。
「普通のおもちゃじゃあ子供っぽいってかぁ? でも、これはどーかなぁ〜?」
 そう言いながら、仗助はポケットに入れてあった物を取り出した。「じゃーん」と言って披露するが、それがなんであるか、赤ん坊に分かるはずもない。それどころか、ジョセフまで不思議そうな顔をしている。
「なんじゃ、それは?」
 どうやら日本語で書かれたラベルが読めないらしい――あるいは文字のサイズに問題があるのかも知れない――。
「シャボン玉っすよ、シャボン玉。まだ自分で膨らませるのは無理でしょうけど、見てるだけでもキレイかなと思って」
 赤ん坊を抱いたジョセフをベンチへ座らせて、仗助はシャボン液のキャップを開けた。途端に、懐かしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「久々だなー。ガキの頃は結構遊んだんっすけどねー」
 幼い頃、仗助がシャボン玉を飛ばしてそれを追いかけ廻ると、その様子を見ている母は幸せそうに笑った。くるくると風に躍る虹色の球体はすぐに割れてしまうけれど、それを見た思い出は今もまだ仗助の中にある。その記憶の中に父親の姿はないが、いつか今日の出来事と、幼き日の思い出が重なり、ひとつになる。そんな気がした。
「よーし、たくさん飛ばしてやるからな。ちゃんと見てろよ?」
 シャボン液を付けた専用の管に口を付ける。ふーっと吹くと、小さな球体が視界いっぱいに広がった。穏やかな風に吹かれ、思い出の再現のように舞い上がる。赤ん坊がきゃっきゃと声を上げながら笑った。
「お、好反応! どんどんいくぜー」
 仗助は何度もシャボン玉を作った。その度に赤ん坊は笑顔を見せる。この子にも、自分のように美しい思い出が残るといい。彼はそう思った。
(でも、流石にゼロ歳の記憶はないか)
 苦笑を浮かべながら、ふと視線を動かすと、ジョセフの横顔が目に入った。彼もまた、シャボン玉を見上げて微笑んでいた。彼にも何か、それに纏わる思い出があるのかも知れない。
「綺麗じゃのう」
 ジョセフが呟く。
「ですね」
 仗助は頷いた。
 気が付くと手をとめてその光景を見上げていた。シャボン玉に吸い上げられるように、燻っていた感情が自分の中から消えていくのを感じる。もう、無理に言葉を探し、取り繕う必要はないだろうと確信出来た。
 赤ん坊が意味の分からない声を上げた。両手がぱたぱたと空を掻くように動いている。仗助はそれを催促されているのだと受け取った。
「はいはい、オジョーサマ。た、だ、い、ま」
 妹がいたら、こんな感じだろうか。仗助は笑いながら再びシャボン液に管を浸した。


2016,12,04


シャボン玉で遊ぶ親子をシーザーが見て微笑んでいたらいいなぁ(=幽霊)。
<利鳴>

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