仗露 全年齢 露→康、承←仗、億←仗要素有り


  多角関係


 ペンを走らせる音が部屋の中が沈黙に支配されることを阻止している。それを更にかき消すように、大きな溜め息が長く空気を振動させた。自分の仕事場で鳴る、自分以外の者が立てる不協和音に、岸辺露伴は手をとめた。彼は、勝手に椅子を移動させてきて仕事机の横で座り込みをしている男――机に突っ伏しているので、奇妙な形にセットされた髪型しか見えない――を睨み付けた。
「鬱陶しいな! いい加減にしろ!!」
 もう何度も口にしたセリフを再び吐き出しながら、露伴はペンを机へと叩き付けるように乱暴に置いた。ペン先に残っていたインクが撥ね、原稿のまだ白いスペースに小さな黒い点が生み出される。すでに完成させてしまっている箇所が犠牲にならずに済んだのは幸いであったが、それでも修正は必要だ。いっそのことその部分はベタで潰してしまうか? いや、駄目だ。そこの背景はもう決めてある。それに、他人の所為――ペンを置いたのは彼自身だが――で予定を変更するなんてのも馬鹿らしい上に腹立たしい。
 露伴が声を荒らげても、その男は気付いてもいないような調子で再度溜め息を吐いた。露伴は、誘発されそうになった呼吸を呑み込み、代わりに舌打ちをした。
 再びペンを取ろうとしたが、すっかりやる気を殺がれてしまった。今日の内にもう少し進めておきたいと思っていた作業は、もう全く捗りそうな気がしない。人間関係の煩わしさに嫌気が差して東京を離れ、アシスタントも全て断っている――そもそも独りで描き切れるので必要性を感じたことがない――彼ではあるが、他人が傍にいると手を動かせない――集中出来ない――ということは全くない。本来であれば。だがこの男、即ち東方仗助の場合は別だった。
 幾度目かの溜め息に、言葉が混ざった。机の上に組んだ腕の中で発せられたその声はくぐもって聞き取り難い。しかし、露伴にはその言葉が持っている意味をほぼ正確に言い当てる自信があった。何故なら、そのセリフもまた、溜め息同様すでに何度も繰り返されているものだからだ。仗助のセリフは「なんでおれじゃあないんスか」もしくは「どーして康一なんだよぉ」のいずれかで、どちらの場合であったとしても、その後に「承太郎さぁん」と続く。もちろんこの場に、空条承太郎はいない。確かめたわけではないが、おそらく今はアメリカにいるのだろう。目の前どころか同じ国にすらいない相手の名を呼びながら項垂れるその姿は、飲み屋で意中の女の子にこっぴどく振られて自棄酒を呷る飲んだ暮れさながらだ。流石に手元に置かれているのはアルコール飲料ではなく、瓶のコーラであるらしいが。
 広瀬康一が空条承太郎の依頼を受けてイタリアへ行くことになったと仗助が聞いたのは、康一が出発する前日のこと――つまり昨日――であったようだ。驚きの表情を見せる仗助に、「もう承太郎さんから聞いて知ってるのかと思ってた」と、康一はこともなげに言ったらしい。その場は平静を装って「気を付けて行ってこいよ」とだけ告げた仗助は、しかし今はこうして――何故か――露伴の自宅――兼仕事場――で持参したコーラを呷る以外は、同じようなセリフと溜め息を吐き出すだけの存在に成り下がっている。「ちょっといいっスか」と言いながらどこか深刻そうな顔をして訪ねてきた彼を、また何か――スタンド使い絡みの――事件でも起きたのかと家へ上げてしまったのが間違いだったと思っても、もう遅い。スタンド能力を使えばすぐに追い出すことも出来たが、そこまでするのも馬鹿らしい。どうせすぐ飽きて自分から帰るだろうと考えたのも間違いのひとつだ。
 露伴がそろそろ本当に力尽くで帰らせるかと思い始めたこと等全く気付かず、仗助は瓶に残っていた黒い液体を一気に喉へと流し込み――少し咽た――、再び口を開いた。
「そりゃあね、おれだって分かってるんスよ、康一が頼りになる男だってことは。でもっ! おれは親戚ですよ! 血縁者ですよ! 遠慮する必要もないし、もー少しおれのことも信用してくれたっていいじゃあないですかぁ! おれはそんなに頼りないですかぁ!?」
「知るかよ! ぼくに聞くな!! じゃあお前はぼくが『お前は本当に頼りになるやつだよ』とでも言えば満足か!?」
「え、なにそれ。気持ち悪」
 思った通りのリアクションではあるが、これはこれでムカつく。ともあれようやく仗助に定型文以外の言葉を言わせることが出来た。飲み物もなくなったようだし――お茶をいれてやる気は微塵も湧かない――、さっさと出て行ってくれるように会話の流れを作ろう。
「お前が不貞腐れてることは分かりたくもないのによーく分かった。で、なんでうちに来るんだよ。愚痴りたいなら壁にでも話しかけてろ。相手が必要なら億泰のところにでも行け! ぼくを巻き込むな!」
 同級生の名前を出されると、仗助はわずかに表情を歪ませた。少し困っているようでもある。それを見た露伴は、仗助と億泰は喧嘩でもしたのだろうかと思った。駅の近くで下校中らしい彼等を目撃したことは何度もあるが、2人を同時に見付けること――つまり2人が一緒に帰っていること――は珍しくもなんともなかった。康一に聞いたところによれば、東方家と虹村家はすぐ近所であるらしい。下校のみならず、登校も一緒にする日も多いのだという。億泰と並んで歩く――時にはカフェテラスでお茶を飲んでいる――時の仗助は、いかにも楽しそうな顔をしているのが遠目からでも分かった。自分相手には――何か企んでいる時でもない限りは――まず見せない表情だろう。そう思いながら露伴は、知らず知らずの内に舌を鳴らしていたことがある。仗助のことは、はっきり言って嫌いだ。だが自分は、嫌いな相手が幸せそうにしているのを目撃しただけで腹を立てるほど心の狭い人間だったろうか。あの感情はなんだろう。掴めそうで掴めない己の心情に、苛立ちは大きさを増す。彼はそれ等をまとめて仗助にぶつけそうになったことすらあった。
 話は少々逸れたが、とにかく、仗助と億泰は誰の目にも親友同士と映るだろう。それなのに、彼の名を出した途端に仗助の表情が曇るのは何故か。喧嘩まではいかずとも、あるいはすでに散々愚痴を聞かせた後で、流石にうんざりした億泰に追い返されてきたところなのだろうか。
 しかしふうと息を吐きながら仗助が口にした言葉は、全く違っていた。
「億泰は今忙しそうなんスよ……」
「留年の危機にでも瀕しているのか」
「もうすぐあいつの兄貴の三回忌なんだよッ」
 仗助は少し睨んできた。大切な友の謂れのない不名誉は許さんとでもいったところか。もしこれが億泰ではなく、自分だったら――例えば誰かに濡れ衣を着せられただとか、根も葉もない悪評を広められただとか――、彼は驚きこそすれど、こんな顔はしないだろう。そう思った露伴は、苛立ちを眉間のしわへと変化させた。
「あいつんち、オヤジさんは“ああ”だし、億泰が何もかも準備しねーとなんねーんだよ。そんな時に、こんな愚痴聞かせられるかよ」
「おやおや、随分優しいことを言うじゃあないか、東方仗助。じゃあ君にはぼくは暇そうに見えるってわけだ?」
 仗助は「そうは言ってねーけど」と口篭った。億泰と違って、露伴は気遣う必要がないとでも言うつもりか。
「あんたこそ、康一がいなくてヘコんでんじゃあないんですか」
 髪の毛の下から盗み見るような視線が向いていた。露伴はそれを思い切り睨み付けてやった。まったくこの男は、どうしていちいち他人の神経を逆撫でしてくるのだろう。
(ムカつくやつだ)
 全く見当違いのことを言われたからではない。悔しいが、一部は当たっていると言えるだろう。
 露伴が康一のイタリア行きを知ったのは、仗助よりも何日かは早かった。露伴のスタンド能力でイタリア語を喋れるようにしてほしいと康一本人が頼みに来たのがその理由だ。それを聞いた時、露伴はすぐに自分のスケジュールを思い浮かべた。そしてやはりすぐ、同行は出来ないという現実を受け入れなければならなかった。巻頭カラーとコミックスの表紙はともかく――どちらも他の仕事より優先してさっさと仕上げてしまうことは不可能ではない――、インタビューの日程だけは先方の都合でどうしても動かせない。インタビューなんてクソ食らえだと言ってしまえるほどの非常識人にはなり切ることも出来なかった。露伴は酷く残念がった。空条承太郎の依頼で、しかもわざわざ一高校生である康一に任せるなんて、スタンド使い絡みの調査であると考えてまず間違いないだろう。そんな面白そうなことを、みすみす逃すだなんて――康一か承太郎の耳に入ったら怒るだろうが――。もちろん康一に置いて行かれてしょげているのではない。断じて、ない。それではどこぞの酔っ払いモドキの高校生と同類になってしまう。
「くだらないことを言っている暇があったら、さっさと帰れ! お前のところだってもうすぐ爺さんの三回忌だろうが!」
 そう言ってやると、仗助は驚いたように目を見開いた。忘れていたのか――億泰の兄貴のことは覚えていたくせに――、それとも露伴が覚えている――あるいは知っている――とは思っていなかったのか。
「うちは、お袋が……」
「なるほど? 母親が全部してくれるから、自分は知らん振りか」
「ぐ……。そ、そんなことっ! おれだって手伝うつもりくらい……」
「じゃあ今すぐ帰れ。学生は呑気な春休み中でも、大人は働いてるんだぜ」
 完全なる正論を突き付けられ、仗助には返す言葉もないようだ。
 きっと承太郎も、同じことを考えたのだろう。康一に頼んだ件を、一度は仗助に話してみることも検討したのかも知れない。だが仗助は、2年前の春、祖父を亡くしている。“まだ”2年。それとも、“もう”2年。もし仗助が何日も家を空けることになったら、彼の母親は独りでその日をどんな気持ちで迎えるのだろう。“もう”2年。あるいは、“まだ”2年……。おそらく承太郎は、そこまで気を使って仗助に頼るのをやめたのだ。そんな考えに行き着かぬほど、仗助のショックは大きかったのだろうか。教えてやったら、案外あっさりと納得して――あるいは「でも」の言葉を失って――帰ってくれるかも知れない。だが露伴は、黙っていることに決めた。そんなことを言って、今度は「承太郎さん、おれのことを考えてくれてたんですね!」だとか、「なんて優しいんだ承太郎さん!」だとか騒ぎ出されても煩い。そうでなくても、さっきから充分煩いのだ、この男は。やれ承太郎さん。やれ康一。やれ億泰……――億泰の名前を最初に出したのは露伴の方だが――。ここにいない人間の名を、何度呼んだら気が済むのだ。
(そのくせぼくのことは『あんた』だと?)
 仗助に名前を呼ばれたいという意味ではない。はずだ。
「……露伴先生?」
 いつの間にか顔を覗き込まれていたことに気付いて、露伴は思わず飛び退いた。「違うと言っているだろう!」と反射的に喚くと、「何も言ってなかったっスよ」と返された。
「なんだよ」
「いや、急に黙り込むから、大丈夫かなと……」
 そもそも仗助が訪ねてこなければ、今も露伴は黙々と仕事を続けていたはずなのに、そのことには気付きもしないようだ。が、本気で心配しているようでもある。真っ直ぐ向けられた目に、何故か分からぬまま心臓が大きく脈打った。かと思うと、
「……やっぱり、康一じゃあないと駄目ですか?」
 まただ。またそこで他人の名を。しかもおかしな質問だ。何を聞きたいのかさっぱり分からない。
 露伴は背もたれに体を預けて長く息を吐いた。結局、先程堪えたつもりだった溜め息はしっかりと感染してしまっていたようだ。2つの溜め息が空気に溶けてゆく。閉め切った部屋の中でそれを繰り返していたら、二酸化炭素濃度が上がってしまうのではないだろうか。ああ、それでさっきから集中出来ていないのか。脳への酸素が足りなくなって。しかし窓を開け放して、木とバルコニー伝いに野良猫にでも入ってこられても厄介だ。いっそのこと仕事そっち退けでイタリアまで飛んだら、爽快だろうなと思った。予告せずに出向いて行って、突然顔を見せたら康一はびっくりするだろう。「仕事してくださいよ」くらい言われるだろうか。「仗助くんも、お母さん独りにしていいの?」と想像の中の康一は続ける。
(おい待て、なんで仗助までいるんだ)
 人の家のみならず、実現不可能だと分かった上でのささやかな空想の中にまで入り込んでくるなんて、図々しいやつだ。
 露伴は机の上のインクの瓶に手を伸ばし、蓋を閉めた。今日はもう、仕事はおしまいだ。
 椅子から立ち上がると、仗助も顔を上げた。
「どこ行くんスか」
「食事に出る」
 時間的にはまだ少し早いが、たまにはいいだろう。そうでなくても今日と言う日はすでにメチャクチャなのだから。
「何食うんですか」
 何故仗助はそんなことを聞いたのだろう。
「イタリアンだな」
 何故露伴は答えたのだろう。
「いいっすね。お供します」
「なんでだ」
 それでも露伴は、海外まで追ってこられるよりはマシだなと思っていた。少なくともここからは追い出すことが出来る。部屋の中が溜め息で一杯になる心配もしなくて良くなるだろう。


2018,03,29


承←仗好きだし億仗コンビも好きだし、露康もやっぱり好きだけど、仗露だって大好きだー!
というのを1つの話に無理矢理詰め込んだら入れすぎて蓋がしまらなかった感じになりました。
<利鳴>

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