露康 全年齢


  添削不要


 駅前の通りを歩いている広瀬康一の姿を見付け、露伴は声をかけた。以前、オーソンの傍で同じように呼び止めた時は露骨に警戒されたが、今日の彼は顔を歪めることなく、明るい表情を返してきた。
「露伴先生。こんにちは」
 しばらく続いた騒動から解放されたためか、その口調はどこか軽やかだ――いや、この時期の学生というのは、皆“こう”なのかも知れない――。
「丁度いいところで会ったよ、康一くん。これからS市まで買い物に行くところなんだけど、ちょっと付き合ってくれないかな。乗り物の中だとスケッチは出来ないし、独りだと暇だろ?」
 露伴が一気にそう言うと、流石に康一はわずかに眉を顰めた。「今からですかぁ?」と尋ねる口元は一応笑みの形を保ってはいたが、少々歪んでもいた。
「漫画の資料なんだけどね、もちろん宅配にしてもらうことも出来たんだが、それだと手に入るのが早くても明日になってしまうんだ。ちょうど時間も空いてるし、それなら直接行った方が簡単だろう?」
 康一が「そういうことではなく……」と口篭るのに、露伴は全く気付くことなく言葉を続ける。
「明日から夏休みだろう? 今日は終業式で、午後の授業はなし。それに塾もない日だ。違うかい?」
「な、なんで知ってるんですか……」
「今回の事件のことで色々確認したいこともあるし……。ぼくが直接関わった敵ばかりではなかっただろう? 君の体験を是非聞かせて欲しいんだ。そういえば、結局犯人に直接インタビューをすることは出来なかったな。となると、やっぱり最低でも何があったのかのまとめはしておく必要があるな。な、昼食奢るからさ」
 康一は溜め息を吐いた。それが了承――あるいは諦め――のサインだった。お人好しの康一は、強く頼まれると嫌と言えない性格なのだ。
「分かりました。もう、しょうがないなぁ」
 そのセリフを聞く前に、露伴はもう康一の背中を押して駅へ向かい始めている。
「電車ですか?」
「バスで行けないってことはないけど、電車の方が時間短縮になるんだ。切符を買ってくるよ。ここで待っててくれ」
「あ、ぼく、うちに電話してきてもいいですか? たぶん、真っ直ぐ帰ってくるはずだって思ってるだろうから」
「分かった。じゃあ、改札前に行ってるよ」
 券売機には数人が並んでいた。もちろん露伴もそれに倣い、列の一番後ろに立つ。肩越しに振り返ると、公衆電話の受話器を耳に当てている康一の後ろ姿が見えた。彼の母と露伴は、一応面識がある。会話らしい会話をしたのは極短い時間だけではあったが、その中で、特に自分が悪い印象を持たれているという感じはしなかった。おそらく「露伴先生の用事に付き合うことになったから」と息子から説明されれば、「あらそうなのね」と軽く了承されるだろう。明るくて、お喋りが好きで、息子のことを全面的に信用している、一言で言ってしまえば、“いい人”、“いい母親”だ。あの親あってこの子ありといったところか。
 切符を買って改札前に行くと、しばらく待ってからようやく康一がやってきた。親からの許可は簡単に得られるだろうと思っていたのに、通話時間は思いの他長かったようだ。何かあったのだろうか。もしかして、「行くな」と言われたのでは……。
 露伴が何を考えているのかは、彼のその表情から伝わったようだ。康一は後頭部をかきながら苦笑いをしてみせた。
「出かけるなら、ついでに買い物行ってきてって頼まれちゃいました。ナイスタイミングだわーなんて喜んじゃって。ああそれから、露伴先生によろしくって」
 露伴は無意識の内に笑っていた。笑みがこぼれたのと同時に、全身の力も抜けたような気がする。逆に言うと、いつの間にか彼は体を強張らせていた。まるで緊張するかのように。
「電車、ちょっと時間あるみたいですけど、もう行きますか?」
 康一が改札機を指差した。彼は今度は露伴の様子に何も気付かなかったようだ。彼に悟られぬよう、静かに息を吸うと、露伴は買ったばかりの切符を手渡した。

 電車を降りて、すぐに食事を取った。時間帯の所為か店はどこも混んでいて並んで待つ必要があったが、2人で今度の事件についての情報交換や意見の言い合い――もう終わってしまった出来事についてのだが――をしていたら、過ぎた時間は――来る時の電車の中同様――あっと言う間だった。
 買い物の用事を一通り済ませ、帰りの電車に乗り込んだ時は「あのスタンドに勝つにはどんな方法が最も有効的か」の話題で盛り上がっていた。乗客は決して少なくはなかったが、運良く2人は並んで座ることが出来た。
「だからね、結局は一概には語れないってことなんだよ。同じ組み合わせの戦いでも、少し状況が違うだけで結末は大きく変わってくるかも知れないんだ。例えば、1対1の殴り合いになったら、ぼくが空条承太郎に勝てるわけはないよ。でも、ヘブンズ・ドアーで動きを封じてさえしまえば、ぼくにもチャンスはあるわけだ。問題は攻撃されるよりも先にそれが出来るかってところかな。あのスタンドはとにかく素早いからね。不意打ちならぼくが勝つよ。そうやってそれぞれに長所や特徴を作ることによって、単純に強さのインフレではない展開が作れるんだよ。読者は『どうせ修行で強くなった主人公が勝つんだろ』なんて考えているからね」
「すごいなぁ。いつの間にか先生の仕事の話になってるや」
 康一はくすくすと笑った、その膝には、買い物袋が乗せられている。袋からはみ出ているのは大根の葉だ。
「その買い物は杜王町に帰ってからの方が良かったんじゃあないかい?」
「そうかも知れませんね。なんかバランス悪くて、持ち難くって失敗したなぁって思ってるところです」
 康一は苦笑を浮かべた。かと思うと、その口からは大きな欠伸が飛び出てきた。
「疲れた?」
「え? あ、すみません。実はいよいよ夏休みだーって思ったら、テンション上がっちゃって。それでフライングで昨夜夜更かしを」
 それなのに、露伴の用事に付き合ってくれたらしい。
「君はどれだけいい人なんだ」
「ふあぁ。え? 何か言いましたか?」
「いや。……眠たいなら、杜王町に着くまで寝てていいよ」
「え、でも……」
「まあ、起きていたいなら無理にとは言わないけどね。ただし、ぼくは今思い付いた新しいネタのメモを取るから、会話の相手は出来ないよ」
「えっ、何か思い付いたんですか? 今?」
「時も場所も関係なく、閃く時は閃くものなのさ。もちろん、まだ君に聞かせてあげるわけにはいかないけどね」
「ちぇー。でも楽しみだなぁ。ピンクダークの少年、最近ますます面白くなってきてるんですよね」
 『最近』とは、康一と会った以降に描いたもののことを言っているのだろう。彼は自分が露伴の作品にどれだけ大きな影響を与えているのかを自覚していないようだ。露伴は、改めて彼の偉大さを確信する。今だってそうだ。半ば強引に連れ廻したかと思えば、自分の作業をしたいから寝てれば? なんて、そんなことを言われて、よく腹を立てないものだと感心してしまう。誰に対してもそうなのだろうか。だとしたら、学校では多くの雑用を押し付けられたりしているのではないだろうか。
 露伴がノートとペンを取り出して程なくすると、康一は座席にもたれて小さな寝息を立て始めた。
(本当に眠かったんだな……)
 なのに、自分に付き合ってくれた。彼はいい人だから。だから、
(本当は嫌でも、そうとは言わない?)
 本当は嫌っている相手とでも、友人であるように振る舞えるのだろうか。
(君は……)
 彼は、
(……ぼくのことを、どう思っているんだ……?)
 嫌々付き合っているのか、友人のひとりと思ってくれているのか、……それだけなのか、それとも……。
 以前は間違いなく怯えられていた。問答無用で襲い掛かって危害を加えたのだから無理もない。だがその頃の彼と、今の彼とでは明らかに態度が変化している。今でも彼は自分に恐怖心を抱いているのだろうか。露伴には、それを知る術がある。本人に尋ねる必要はない。簡単なことだ。少し“読め”ば、きっとその記述はすぐに見付かる。彼を“読んだ”のは会って間もない頃が最後だ。それから時間が経ち、あの頃よりも記憶のページは増えているはずなのである。きっとそこには露伴の名前も書かれている。
 康一は眠っている。電車の揺れの所為で深い眠りにまでは至っていないようだが、露伴の能力は発動時に痛みを与えるようなことはない。少しページを捲るだけであれば、彼が目を覚ますことはないだろう。
(……いや)
 “読む”だけではなく、“書き込む”ことだって可能だ。康一が自分をどう思っているかなんて、そんなことはどうだって良い。関係ない。“自分が望むように”、露伴はそれを事実に出来る。彼のページに『岸辺露伴に対して好意的な感情を持っている』といった内容の文章を書き込むだけで……。
 電車の音に紛れて、紙が捲れる音が鳴った。露伴以外にそれに気付いた者はいない。“本”になっているのは康一の手の甲の小さな面積だけだ。ほんの小さな、しかし短い文章を書き込むには充分なスペース。露伴はその箇所に左手の指で触れた。右の手にはペンを持っている。康一は眠ったままだ。ページにペン先を当てた。インクが小さな点になり、じわりと広がる。露伴は静かに呼吸をした。
(康一くん、君、ちょっと無防備すぎるぜ)
 あんな戦いがあったばかりだというのに、その寝顔はあくまでも穏やかだ。それは、いつでも攻撃が出来る距離――すぐ横――に露伴――かつて一度は敵の立場であった相手――がいるということに対して、なんの警戒もしていないことの証だ。読まなくても分かる。彼は、自分のことを信用してくれている。
 露伴はペンを走らせた。書き込んだ文面は『杜王町に着くまで、何にも邪魔されずにぐっすり眠れる。』だ。手を離すと、文字を隠すようにページは勝手に閉じた。
(今は、まだこのままでいいか……)
 露伴が心の中で呟くと、康一の寝顔がかすかに笑ったように見えた。何か良い夢でも見ているのだろうか。その中に、果たして自分は登場しているのだろうか。夢の内容を聞くくらいなら、後からしてみても良いかも知れない。
(おやすみ、康一くん)
 露伴はノートとペンをしまうと、ずり落ちそうになっている康一の買い物袋を自分の膝の上に乗せた。


2017,07,19


露←康のいっつーっぽい話を前に書いたので、露→康のいっつーも書いてみたくて。
なんで両想いにしてやらないのかといいますと、そこんとこだがオレにもよう分からん。
<利鳴>

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