フーナラ 全年齢


  赤面ウサギは恋人未満


 「朝からずいぶんと小難しそうな顔してんなぁ」と、ナランチャ・ギルガは思った。続いて、「仕事中に何か面倒なことにでも巻き込まれたんだろうか」とも。
(せっかくいい天気なのになぁ)
 ナランチャは窓の外へ視線を向けながら静かに溜め息を吐いた。
 “小難しい顔”をしている人物、パンナコッタ・フーゴの横顔は、日差しが降り注ぐ爽やかな外の風景とは真逆も真逆で、時折苦痛を堪えているようにすら見えた。彼の視線は机の上の書類へと向けられているようではあるが、ペンを持った右手は止まっている時間の方が明らかに長い。集中力を“欠いている”というよりも、何か別のことに“持っていかれている”ようだ。
 リーダーであるブローノ・ブチャラティがいれば、相談するなりなんなりが出来るのかも知れない。だがあいにく、彼は部下のレオーネ・アバッキオをお供に、早い時間から別の仕事に出てしまっている。確か、今日は帰れないと言っていたはずだ。
 ブチャラティの他に事務所にいるのは、ナランチャとフーゴを除けば、グイード・ミスタひとりだけだ。だがそのミスタももうすぐ出掛けると言っていたから、面倒な話を始める相手としては向いていない。それ以前に、フーゴでも頭を悩ませるような案件に、ミスタが適切なアドバイスを出来るとはちょっと考え難い。言わずもがな、ナランチャにも。それが「フーゴ、どーしたの?」と声を掛けてみようかと何度も思いつつも結局実行せずに――出来ずに――いる理由だ。自分の向き不向きくらいは、ナランチャだって分かっている。
(でも……)
 分かっていても、放っておけない。おきたくない。ナランチャにとってフーゴは、大切な存在だ。いつも笑顔でいてほしいと思う。
(いや、“いつも”って言っても、流石に人殴ってる時とかまで笑ってたらただのヤベーやつだけど……)
 それは、ともかく。「人を殴ってはいけません」とか、そういうのも置いといて――何しろ彼等はギャングだ――。せめて、フーゴの仕事が片付いたら、どこかへ行こうと誘ってみよう。「2人で食事に」だとか、「買い物に付き合って」だとか、そんな程度のことでいい。「先週一緒に行こうとしたら定休日だったカフェに今度こそ」というのも良いかも知れない。フーゴが「疲れたからもう帰りたい」と言うのであれば、それだっていい。その時は彼の部屋までついて行って、「お茶いれるくらいオレにだって出来るぜ!」とでも宣言してやろう。つまりは、とにかく一緒にいたいのだ。それが叶うなら、場所に拘るつもりはない。
(だから、今はもうちょっと我慢……)
 ナランチャに出来ることは、フーゴの邪魔をしないことだ。幸い、いつもは賑やかなミスタのスタンド達も、――昼前から昼寝でもしているのか――今は静かにしてくれているようだ。スタンドですら大人しくしていられるのに、「どうしてお前にはそれが出来ないんだ」なんて言われるわけにはいかない。
(でもそもそもスタンドって普通喋ったりしてないような……?)
 まあ、それも、「ともかく。」としておこう。
 それから約1時間、フーゴは見えない相手との睨めっこを続けていた。途中でミスタが「そろそろ行ってくる」と言って事務所を出て行った時も、彼はノーリアクションだった――ナランチャは一応「いてら」と手を振ってやった――。あるいは、その声は彼の耳には届いていなかったのかも知れない。
 まだ長引くようであれば、むしろお茶はここでいれてやった方が良いのでは? と思い始めた頃になって、ようやく変化が現れた。突然立ち上がったフーゴが、ナランチャの名を呼んだ。
「……ナランチャ!」
 数時間振りに聞いたその声は、気の所為でなければ、何故か緊張したように震えていた。思わずナランチャまで身構えてしまったほどだ。
「な、なに?」
「あの、聞いて欲しいことが……」
 向けられた視線はあまりにも真剣で、撃ち抜かれるかと一瞬本気で思った。
「ぼくは……」
 その後に続く言葉は、なかなかフーゴの口から出てこようとしなかった。そろそろどうしたと尋ねてみようかと思った頃になってようやく告げられた“それ”の意味を、ナランチャは瞬時に理解することが出来なかった。先程のフーゴに匹敵するほどの間の後に、ようやく小さな声で「え?」と発せたその頃には、真っ直ぐ向けられていたはずのフーゴの視線は、完全に床へと向いていた。長い前髪の下に半ば隠れた顔は、夕陽を浴びたように赤く染まっている――太陽はどちらかと言えばまだ東寄りの位置にあるというのに――。
 聞き間違いだろうか、と思った。だが、何をどう間違えればそんな言葉が聞こえるのかと問われると、全く思い付かない。ではやはり言ったのか。言われたのか。「君のことが好きです」、と。
(えっと……)
 ようやく「それはどういう意味で」と聞き返そうとしたその時、事務所のドアが開いた。決して大きな音を立てたわけではなく、むしろ静かなくらいだったというのに、ナランチャの心臓は滑稽なほどに大きく跳ねた。どうやらフーゴも同じだったようで、ドアの方へと向いた彼の目は大きく見開かれていた。
「おはようござい……ます?」
 2人が驚愕の眼差しを向けていたためだろう。ドアを開けた人物、新入りのジョルノ・ジョバァーナもまた、驚いたように動きを止めた。ほんの数秒間、形容し難い空気が周辺を支配する。
 結局、おかしな沈黙を破ったのは、フーゴの叫び声だった。
「そ、外廻り行ってきますッ!」
「あっ、フーゴ! ちょっと待っ……」
 ナランチャが伸ばした手は到底届くはずもなく、その声すら聞こえていないかのように、フーゴはまだドアの前に立ったままだったジョルノを半ば押し退けるようにして外へと飛び出して行った。すぐに追い掛ければ、追い付くことは可能だったかも知れない。それが出来なかったのは、先程のフーゴの言葉が頭の中で何度も反響していた所為だ。それと、ナランチャとドアの間には、机が並んでいてそれがちょっとした障害物になっていたため。
「フーゴって、あんなに足早かったんですね。……というか、何をあんなに慌てて……。ナランチャ? どうしました?」
 こちらを向いたジョルノが、首を傾げた。
「ジョルノ……、オレ……」
 『聞き間違いかも』なんて言い逃れはもう出来ない。夢でもない。敵のスタンド使いが見せた幻であるはずもない。間違いなくあれは、好意を伝える言葉だった。それも、「ピッツァが好き」だとか、「辛い物よりも甘い物の方が好き」だとか、そういうのとは異なる性質の『好き』だ。
「どうしよう……」
「ナランチャ?」
「オレ、フーゴに告白された」
「……え?」
 ジョルノの目がわずかに大きく開かれる。感情を表に出すことが下手なのか、あるいは意図的にそうしているのか、ジョルノの表情は、どちらかというと変化に乏しい。それでも、今そこにある顔は驚きの表情を浮かべているということが分かる程度には、彼が組織に入ってきてからの時間は経っている。“長い”とは言い難い日数だが、その中でナランチャは、色々なことを彼と話した――ミスタなら面白がってからかってくるに違いないようなことでも、アバッキオなら面倒臭そうな溜め息を返してくるであろうことでも、ジョルノなら真面目に聞いてくれた――。フーゴに対する気持ちのことも。
「ちょっと待ってください」
 ジョルノは制するように手の平を広げた。「落ち着いて」と言っているようにも見える。ということは、やはり自分は動揺しているように見えるのだろうかと、ナランチャは思った。
「確認させてください」
「うん」
「フーゴに、告白されたんですか? 君が? ついさっき?」
「うん。された。ついさっき。今」
「告白っていうのは……」
「オレのことが好きだって、そう言った」
「それで?」
「それだけ」
「だからどうしたい……とかではなく? ただ、伝えただけ?」
「だけ」
「……ナランチャ」
 ジョルノは最終確認だと言うように、ナランチャの目を真っ直ぐ見た。
「君達、付き合ってたんじゃあないんですか?」
「オレもそう思ってた!」
 ナランチャはフーゴと付き合っている。2人は恋人同士だ。そうナランチャから聞かされていたジョルノは、出会って数秒の相手であってもはっきりと分かるほどの怪訝な表情を浮かべた。
「つまり……、ナランチャはすでに付き合ってるつもりだったのに、フーゴはまだ意を決して告白をしたばっかりのところだったってことですか? そんなことあります?」
 そう言われても、あったのだからあったのだ。ナランチャの認識では、2人はとっくに両想いだった。
「だってそう思ってたんだもん! 先週だって一緒に出掛けたし! まあカフェは休みだったけど」
「他には?」
「他って?」
「もっと恋人っぽいエピソードは?」
「フーゴの部屋に遊びに行ったこともあるし、うちに来たこともあるし」
「遊びって?」
「飯食ったり、CD聞いたり、ゲームしたり。あ、先々週も一緒に出掛けたぜ!」
「どこへ行ったんですか?」
「事務所で使う消耗品が減ってきたから買い出しに行くってフーゴが言うから、オレも行くって言ってついて行った」
「それはただの仕事では……」
「まあフーゴはそうかも知れないけど。でもオレの仕事じゃあないぜ。自分の仕事でもないのに、わざわざついてく? 好きでもないやつに」
「そういえばナランチャ、この間ブチャラティと一緒に昼食に出てませんでしたか?」
「行ったけど。でもそのくらい、仲間なんだから別にふつーじゃん」
「フーゴもそう思ってたんだとしたら?」
「マジかよ」
 そんなことは考えてもみなかった。一緒に出掛けたり、出掛けなくとも一緒にいたり、視線が合えば微笑み合ったり、時には不意を突いて背後から飛び付いたり……。それらの行為は、ジョルノの言葉を借りれば『恋人っぽい』に充分該当すると思っていた。
(そう思ってたのは、オレだけ……!?)
 今まで赤いと思っていた物を、「それは青だ」と言われた気分だ。
「ナランチャ」
「ん」
「ズバリ聞きますが、肉体関係はありますか?」
 ジョルノの質問に、ナランチャはわずかに首を傾げた。
「肉体……? セックスしたかってこと?」
「ズバリ言いますね」
 少し呆れたような顔をされたが、ナランチャは構わず首を横へ振った。
「してない」
「してないんですか」
「別に嫌だとかそういうんじゃあないけど……。ほら、あれだよ、なんだっけ、PTAみたいな」
「…………………………TPO?」
「それそれ。雰囲気とか、なんかそういうの色々あるじゃん。真昼間から道のど真ん中でおっぱじめるわけにいかないってゆーかぁ。犬猫じゃあないんだからさぁ」
「まあ、それはそうですね」
「だろぉ?」
 相応しくない時と場所と場合でさえなければ、そしてフーゴが望むのであれば、おそらく自分がそれを拒むことはないだろうとナランチャは思っていた。実際にフーゴから“提案”する言葉を掛けられたことはないし、自分から“提案”したこともないが、その理由は、ジョルノに言ったようにたまたまそういう雰囲気にならなかっただけのことだと思っていた。「そういうのは自然の流れで良い」と、それがナランチャの考えだった。なのに、実はそれ以前の、“付き合っている”という前提がそもそも間違っていたとは……。
「じゃあ、フーゴからしてみたら、オレはただのスキンシップ過剰な勘違い野郎ってことか!?」
「そこまでは言いませんが……」
 言葉を濁しながらも、ジョルノは気の毒そうな顔をしてみせた。つまり“そういうこと”なのだろう。
「オレめちゃめちゃアホじゃん!? つーか、すっげぇ恥ずくねぇッ!?」
「ナランチャ、落ち着いてください」
 頭を抱えて喚くナランチャに、ジョルノはやれやれと溜め息を吐いた。
「それで? 告白されて、どうしたんですか?」
「どうもしてない」
「は?」
「こいつ今更何言い出してるんだって思ってる内にジョルノが来て」
「我ながら最悪のタイミングですね」
「そんで、そのあとフーゴが逃げた」
 ナランチャの勘違いはとりあえず置いておくにしても、告白しておいて返事を聞かされる前に逃げ出すとは、思ったよりも根性がない男だ。が、ナランチャよりも2つ年下という年齢を考えれば、そのくらいの方が可愛げがあるとも言えるのかも知れない。普段はなかなか見られない意外な一面を見たとも言えるだろう。それを面白がっていられる状況だったら、どんなに良かっただろうか。
「ああいうのを脱兎のごとくって言うんでしょうね」
「だっと?」
「逃げるウサギのことです。とても速いってこと」
「フーゴがウサギ……」
 ジョルノのスタンド能力を使えば、フーゴの頭の上に長い耳を生えさせることも可能かも知れない。きっとフーゴは怒る――場合によってはブチ切れる――だろうが、そんな可愛らしい物を頭に付けた状態で怒鳴られても、きっと迫力は普段の半分以下だ。
(耳だけじゃあなくて尻尾もついてたら、ズボンの穴を増やさないとだ)
 くすくすと笑い出したナランチャを見て脱線の気配を感じ取ったのか、ジョルノは「それは置いといて」と見えない何かを両手で横へ移動させるような仕草をした。
「とりあえず、フーゴは追い掛けた方がいいんじゃあないですか。外廻りって言ってましたけど、あの様子じゃあおそらく手ぶらでしょう。何かあっても連絡すら出来ない」
「でもオレ、フーゴになんて言ったらいいか分かんねーよ……」
 今まで勝手に勘違いしていた。なんて知ったら、フーゴはどう思うだろうか。怒るだろうか。呆れるだろうか。「いつも勝手に判断するなって言ってるでしょう。いい加減、報・連・相を覚えてください!」と言っている姿は容易に想像出来る。だがそれも、気まずさが残ってしまうよりはずっと良い。もっと悪いところまでいって、フーゴが「あいつがいる場所にはいたくないから」と、別のチームへの移籍を希望したりしたらどうしよう……。
 再び頭を抱えたくなっているナランチャとは裏腹に、ジョルノは涼しい顔で言い放った。
「何も言わなくていいんじゃあないですか?」
「……へ?」
「『付き合って欲しい』と言われたわけでもなく、ただ『好きです』という事実を聞かされただけだなんでしょう? 疑問文には答える必要がありそうだけど、そうでないというのなら、返事は不要なんじゃあないですか?」
「そんなわけにいくかよ……」
 ジョルノにふざけている様子は一切なく、どうやら本気でそう思っているようだ。彼に愛の告白をする者がいたとしたら、その人物は苦労をすることになりそうだ。
「それじゃあナランチャ、君はフーゴのことが好きですか?」
「そ、そりゃあ、好きでもねーやつと付き合ってるなんて勘違いしねーよ」
 流石にそこまでおかしな勘違いをする人間はいないだろう。
 ジョルノは満足そうに頷いた。
「なら、過程はどうあれ、2人は両想いってことでしょう? 今大事なのはその結果ではないですか? だったら、フーゴへ“言ったらいい”言葉は、『自分もそうだ』で良いのでは?」
「大事なのは結果?」
「ええ」
「なんか悪役が言いそうなセリフ」
「全ての場合においてそうだとは言いませんが、今はそれでいいと思います。いっそのこと既成事実も作っておけば良かったですね?」
「ジョルノの冗談、冗談に聞こえない……」
 あるいは本気なのかも知れない。
「まあ、それは置いといて」
 今日は色んなものが置いておかれる日だ。
「君がフーゴのことをどう思っているのか、フーゴにちゃんと伝えればいい。勘違いや誤解のないようにはっきりと。それで、晴れて2人は両想い。めでたしめでたしじゃあないですか」
「え、そんな単純な話?」
「複雑な方がいいんですか?」
「良くない」
 一体誰の所為で複雑――というよりは面倒――な話になってしまってのだろうか。告白の決意を固めるのに数時間も掛けたフーゴだろうか。勝手な勘違いをしたナランチャだろうか。ジョルノがアジトにやってきたタイミング……は、良くはなかったが、彼の所為ではないだろう――流石にそんなことを言ったらジョルノでも怒るかも知れない――。
「あ、でも」
「留守番なら、ぼくが引き受けますよ」
「あ、うん」
 もう両想いで、付き合っていると思っていたのに、“改めて”伝えるとなると、なんだか緊張してくる。フーゴのそれが感染したのだろうか。が、ここに留まっているための言い訳はもう残っていないようだ。
「えーっと、じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「……『頑張って』とか、ないの?」
「何を? もう答えは分かってるじゃあないですか」
 ジョルノは「行ってらっしゃい」と手をひらひら振った。いや、「早く行け」の仕草だったのかも知れない。
「行ってくる」
 今度こそと宣言して、ナランチャは事務所を出た。『追い掛ける』と言っても、その対象はすでに見えるところにはいないようだ――ジョルノと話していた時間を考えれば当然だろう――。とりあえず、フーゴが行きそうなところを廻ってみるしかないだろう。
(あんまり時間掛からないで見付かるといいんだけど)
 さもないと、告白の言葉よりも「どこほっつき歩いてたんだ」という苦情の方が先に口から出てきてしまいそうだ。それを呑み込むためにも、ナランチャはフーゴに伝えるべき言葉を頭の中で唱えた。
(オレもお前のことが好きだぜ!)


2022,01,12


明けましてオメメタァございます。
本年もよろしくおねがいいたします。
新年ネタが思い浮かびませんでした。
せめて今年が卯年であればなぁ……。
<利鳴>

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