ミスジョル 全年齢


  数十億分のふたり


 カーテンの隙間から差し込んだ月光に、まだ真新しい傷口が照らし出されている。がっちりとした身体の右の脇腹付近から左の鎖骨のあたりまで、下から上へ一気に走りぬけたようなその傷に、ジョルノは指先で静かに触れた。
「……すみません、ミスタ」
 ぽつりと呟くように言うと、てっきり眠っているのかと思っていたミスタが眼を開いた。
「なんでお前が謝る?」
 傷に触れられたことに対する文句のひとつも言わずに、ミスタはジョルノへ真っ直ぐ視線を向けた。ジョルノは慌てて手を引いた。
「すみません、起こしてしまって……」
「お前こそ、オレのいびきが煩くて眠れなかったか?」
 ミスタが笑いながらそう言うと、つられてジョルノも少しだけ微笑んだ。
「で? 最初の『すみません』の意味は? 何がすまないって? この傷のことだったら、これは完璧オレの不注意だと思ってるぜ? それともお前は、ターゲットに情報でも流してたか?」
 頭を枕につけたまま、ジョルノは首を横に振った。
「そうじゃあないんです。そうじゃあなくて……」
 今日の昼間――もう日付が変わっているから、正確にはすでに『昨日』だ――、ジョルノの指示で任務に就いたミスタは、任務完了の報告書と件の傷を作って帰ってきた。赤く開いたその直線を見て、彼を独りで行かせるべきではなかったとジョルノは悔やんだ。大切なものを失った時の痛みは、すでにしっかりと記憶しているはずだったにも関わらず、なぜそんな簡単な配慮が出来なかったのだろう。自分は――自分達は――大丈夫だと、たまたま運が良かっただけだったかも知れないのに、過去に生き延びた経験から、己は特別な存在なのだと勘違いしていたとでも言うのだろうか。突如眼の前に現れたその傷は、「奢り高ぶるな。その程度の命、簡単に奪い去ることが出来るのだぞ」と告げる神の爪痕だったのか……。
「すみません」
 自分と関わったばっかりに……。先の戦いも、切欠を作ったのは間違いなく自分だった。自分さえ存在しなければ、去っていった仲間達は今も変わらずにいたのではないだろうか。そんな『もしも』の世界を考えても、仕方がないことは分かっていた。何をどうしても、やり直しは出来ない。時間を戻すことも出来ない。別の何かが存在する『違う世界』へ行くことも出来ない。それでも――
「ごめんなさい」
「だから、なにがだって聞いてるんだよ。お前、なんの話してるんだ?」
 起き上がったミスタの視線から逃れるように、ジョルノは俯いた。
「ジョルノ?」
 怖かった。自分が傍にいることで、また誰かを傷付けてしまうかも知れないことが。『パッショーネ』の全ての人間が新しいボスを歓迎しているわけではない。16歳の少年を見て、その座を奪うことは容易だと考える者もいるだろう。かつてのボスの部下も、まだどこかに潜んでいるかも知れない。そんな連中に命を狙われれば、当然傍にいる者にも危険は及ぶ。少し前までは、それでもかまわないと思っていた。『ギャングスターになる』という己の夢こそが、最も優先すべきことであり、そのための犠牲は、ある程度は仕方のないことだと思っていた。だが今は――彼は――違う。
「なあ、どうしたってんだよ?」
 ミスタの大きな手が伸びてきて、ジョルノの頭に触れようとした。ジョルノは、それを勢いよく払い除けた。驚いたようにミスタの動きがとまる。
「ぼくは、いつ狙われたっておかしくないんです」
 ジョルノがなんの話をしているのか、ミスタは全く分かっていないようだ。首を傾げながら、それでも一先ず話を聞いてやろうと思ったのか、「それで?」と先を促してきた。
「だから貴方はぼくの傍にいない方がいい」
「なんでそうなる? むしろ逆じゃあねーか? 狙われる可能性があるって言うなら、護衛が必要だろ? オレ以外の誰にそれが務まるって言うんだ?」
 ミスタはいつもそうだった。いつも堂々としていて、自信に満ちていて……。彼のそんなところに、ジョルノは惹かれたのだろう。だが……、いや、だからこそ……。
 ジョルノは起き上がり、ミスタに背を向けた。
「貴方じゃあなくてもいいんです。別に、貴方である必要は全くない」
 どうやら今晩は満月らしい。隙間から見えるカーテンの向こう側の月が明るい。振り返れば、ミスタの表情ははっきりと見えることだろう。
「今も……。誰でも良かったんです。誰でもいいから、縋り付きたくなっただけなんです。他の誰かがいれば、その人でも全く問題はなかった」
 これは彼を自分から遠ざけるための嘘だ。偽りだ。そのはずなのに、どうして言葉はこんなにもすらすらと出てくるのだろう。それは、本当は自覚していなかっただけの本心ではないのだろうか。そう思えてきて、ジョルノは自分が自分であることすら嫌になった。
「誰でも?」
 ミスタが尋ねた。
「ええ」
 きっと彼は怒って出て行くだろう。いや、ここは彼の部屋だ。出て行かなければいけないのは自分の方だ。そう思った時だった。
「そうか」
 溜め息を吐くように、ミスタが言った。そして――
「良かった」
 予想外の言葉に、ジョルノは思わず振り返っていた。ミスタは笑っていた。翳りのない笑顔が、月光に照らされて余計に眩しい。
「良かったって……」
「『誰でも良かった』ってことはつまり、『誰にでもその可能性はあった』って意味だよな? 誰でも良かったのに、選ばれたのはオレだったってことだ。『誰でも』ってのはどの程度の範囲を指してるんだ? ネアポリスの人間全部か? それともイタリア人全部? お前今のイタリアの人口知ってるか? 5千7百万人いるんだぜ。つまり5千7百万分の1ってことだ」
 ぽかんと口を開けたままのジョルノを置いてけぼりに、ミスタはどんどん続ける。
「それとも『誰でも』ってのは全人類か? 今世界人口って何人だ? たしか60億超えてるんだよな? じゃあ60億分の1かよ。おいおいすげーな。お前数学得意? パーセントにしたらゼロいくつ付くんだ? なんか宝くじ当てられそうな気がしてきたわ」
 先程は振り払った手が、今度こそ金色の頭の上に乗っていた。ミスタは陽気に笑っている。月光が映り込んだ彼の黒い眼を、ジョルノは小さな夜空のようだと思った。
「お前が何考えてるかわかんねーけど、たぶんそれ、ごちゃごちゃ考えすぎだぜ。もっとシンプルにいこうぜ」
 「オレみたいに」と言って、ミスタは相変わらず笑っている。
「貴方は、少し変わっている……」
 そんな彼だからこそ、ジョルノは――彼の言葉を借りるなら――60億の人の中にいる彼を見付け出すことが出来たのだろうか。それとも、選んだのではなく、選ばれたのかも知れない。
 ジョルノはミスタの肩に抱き付いた。そしてその腕を、決して離さないでいようと思った。60億の人の群れに埋もれて、彼を見失ってしまわないように。


2013,04,06


ジョジョ5部は2001年春の話なので、人口は2000年のデータを参考にしています。
今はもう70億に近いらしいです。10年でそんなに増えてるんですね。すごいですね。
もしも世界が100人の村だったら女性は52人だそうですが、腐女子はその何割くらいですかね?
<利鳴>

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