ミスジョル 全年齢


  悪夢と嘘


 目覚めと同時に視界へと入り込んできた景色はどこかおかしかった。見知った天井。見覚えのある壁紙。見慣れた家具類。間違いなく、そこは自分の部屋だ。まだ少しぼんやりとした頭で、それでもミスタは確信を持つことが出来た。にも関わらず、なんとも言えない違和感がある。次第次第に意識がはっきりとしてくる。と同時に、“それ”が言葉の形を得る。
(なんて言うか……)
 “スケール”がおかしい。
「オイ!」
 やっと辿り着いた思考をかき消すように、甲高い声が響いた。顔を上げると、そこには12個の目があった。
「ヤット起キタノカ」
「何モタモタしてンダヨ!」
「早クシロ! 仕事ダゾ!」
「え? は?」
 次々に言葉を向けてきたのは、ピストルズ達だった。主人――本体――であるミスタよりも先に起きているとは珍しい。しかも、こんな命令するかのような口調で……。彼等に命令するのはミスタの方であるのに。
「……ってか……」
 ミスタはふわふわと頭上を浮遊するピストルズ達の姿を見上げた。“また”だ。“ここ”にも“あの”違和感がある。そう、“スケール”がおかしい。物理的な意味で。
「でけぇ! なんでお前等そんなにでかくなってんだ!?」
 手の平に余裕で乗せられるほどの大きさであるはずのピストルズ達は、いつの間にかミスタと同じほどの体長になっていた。いや、彼等だけではない。同じ比率で、周囲にある物も大きくなっている。天井の高さ。壁までの距離。家具のサイズ。いや、いや違う。むしろ……、
「オレが縮んだのかッ!?」
 ピストルズと同じほどの大きさにまで。
 これは夢だろうか。寝ぼけているのか? だが人間を縮めてしまうスタンド使いは、実際にいたのではなかったか――ミスタは直接会ったことはないが――。いや、いやいや、それならミスタのスタンド――セックス・ピストルズ――も同じだけ小さくなっているはず。それにあのスタンド使いはもう……。
「オイ!」
 ミスタに向かって怒鳴るような声を上げたのは、リーダーであるナンバー1だった。いつもの数倍でも数十倍でも済まない大きさに見える彼は、思いの外迫力がある。ミスタは思わずたじろいだ。
「早クシロって言ッテンダロ!」
「って、何を――」
 質問の言葉を言い切るよりも早く、ナンバー1にぐいっと腕を引かれた。体が縮んでいる所為で、簡単にベッドから引き摺り出される。かと思うと、ミスタの体は空中に浮いていた。ナンバー1の支えが緩んでも、落下することなくその位置に留まっている。どうやっているのかは自分にも分からない。ただ、自力で飛んでいることは確かだ。
 頭が混乱している。そんなミスタを、ナンバー1は構わずに引っ張り続ける。
 助けを求めるように彷徨わせた視線の先に、鏡があった。その中にいたのは、ピストルズによく似た姿のスタンドのヴィジョン――特別集中して見ると、向こう側の風景が透けているのが分かる――。ただし、体の色は真っ黒で、ひと言で言い表すのならひどく不気味だ。見開かれた目は真っ直ぐにミスタの方を向いている。額には『4』の文字。ミスタが動くと、“それ”も同じように動いた。
「ばっ、馬鹿なッ……!」
 “理屈”等というものを考えるより先に、彼は理解してしまっていた。“それ”は自分である、と。同時に、パニックに陥る。
(オレがスタンドに!? って言うか、『4』!? ピストルズにナンバー4なんていないのに!!)
「オイ、早ク行クゾ!」
 幾度目かの同じ言葉を掛けられる。彼等はミスタの混乱等お構いなしに、とにかくどこかへと急き立てようとする。何か緊急の事態でもあったのかと、ようやく思い立った時――。
「ッタク、コレダカラ『4』ハ」
 聞き慣れたはずのピストルズの声は、全く違うものに聞こえるほどに冷たかった。振り返ると、冷ややかな視線が向けられている。
「グズグズするナヨ」
「ダカラ嫌ナンダヨ、『4』ナンテ」
「不吉ダシヨォ」
 ひとつ、またひとつと視線が逸らされてゆく。いつの間にかナンバー1の手も離れていた。
「待て、オレは『4』なんかじゃあない!」
 ミスタは叫んだ。が、その声は誰の耳にも届いてないようですらあった。
「ナンバー5!」
 気弱そうな顔をしたナンバー5に向かって、ミスタは声を張り上げた。ナンバー5はびくりと肩を跳ねさせた。
「ナンバー5! お前ならオレの話を聞いてくれるよな!?」
 だが、返ってきたのは怯えたような目だった。それもすぐに逸らされてしまう。
(そんな……)
「オイ」
 サブリーダーであるナンバー7が沈黙を打ち破った。
「行クゾ」
 彼に従って、残りのピストルズ達も次々に外へ向かって飛んでいった。そして、誰もいなくなった。
 急に静かになってしまった。それに、やけに暗く感じる。窓からは朝の日差しが降り注いでいるというのに。
 ミスタはぶんぶんと頭を振った。
(とりあえず、だ)
 考えるのは後にしよう。ピストルズが「仕事だ」と言うからには、“本体”が戦っているということだろうか。
(“本体”……。それは“オレ”なのか?)
 混乱が舞い戻ってきそうになる。が、とにかく今は行かなければ。
 小さな体に玄関ドアのレバーを動かす力はあるだろうか。いや、レバーを動かすことは出来ても、ドアを押すことは無理だろう。どうしようと数秒悩んでから、今の自分は“実態”を持たぬスタンドなのだと思い出す。
 恐る恐るドアに触れてみると、なんの抵抗もなくすり抜けることが出来た。これはこれで便利かも知れないが、誰も彼も同じことが出来てしまったら、防犯も何もあったものではない。
 外に出ても、ピストルズ達の姿は見えなかった。だがなんとなく「あっちだ」という予感めいたものがある。感覚を共有している……とまでは言わないが、同一の“何か”で“繋がっている”ような……。先程の拒絶するような目の方が何かの間違いだったと思いたくなるほどに。
(いや、“だからこそ”か?)
 存在そのものを否定したいくらいなのに、その“繋がり”の所為でそれが出来ない。だからこそ、余計に避けようとするのだろうか。
 黒い靄のような感情を抱えたまま、仲間達――少なくともミスタはそう思っている。まだ。そう思っていたい――の許へと向かう。追いつくことはすぐに出来た。路地裏に身を潜めている6人のピストルズ。そして、
(“オレ”だ)
 そこにいたのは確かに“ミスタ”だった。銃を構えながら、塀の陰に身を隠し、通りの先の気配を探っている。すでに戦闘は始まっているようだ。
(ピストルズの目から見ると、オレってこんな風に見えてるのか……)
 しかし、ここにもやはり違和感があった。大きさが違うから、それだけの問題だろうか。あるいは普段見慣れている自分の姿は鏡に映ったものが主で、今見ているのとは左右が逆だから、それで違うように見えるだけか?
(そもそも“こいつ”は本当に“オレ”か?)
 もし、敵が化けているのだとしたら……。ならば、ミスタがこんな姿――いるはずのないナンバー4――になっているのも、敵の仕業か。そう考えてしまった方が、全ては納得し易い。
「行くぞ、ピストルズ!!」
 “ミスタ”の掛け声に、はっとなる。ピストルズ達は全員“彼”の傍にスタンバイしている。
「全員配置につけ! ジョルノを援護するぞ!」
(ジョルノ、だと!?)
 今の今までその可能性を考えていなかった自分を罵りたくなった。ミスタの一番の“仕事”といえば、“それ”以外にないではないか。
(何をのん気してんだオレは!)
 敵の罠かも知れない。ジョルノの名を出せばミスタが動揺せずにはいられないと踏んで。だが、それが事実である可能性が1パーセントでもある以上、動かないわけにはいかない。
(ジョルノが戦ってる。それを援護するのはオレの役目だ!)
 例えどんな姿でいたとしても。
 ミスタは見慣れたリボルバーに飛び付こうとした。が、ナンバー3が立ちはだかるように目の前へやってきた。
「悪イナ」
 口調からも表情からも「悪い」と思っている様子は少しも感じられなかった。
「コノ銃、6人用ナンダ。ソレニお前ハ不吉ダシ」
「じゃあなんで呼んだッ」
「邪魔スンナ!」
「下ガッテロヨ!」
 ナンバー2とナンバー6が追撃のように言い放つ。他のメンバーはとっくにスタンバイを終えていた。
「くそっ……」
 いつもなら、ピストルズ達はミスタが思った通りの位置に付き、細かい指示を出さずとも狙った通りの場所へ弾丸を弾いてくれる――いちいち「お前は敵の背後へ。お前はその1.5メートル右へ」なんて声に出して命令していたら、全て狙撃相手に筒抜けになるので、もちろんそうでなくては困るのだが――。つまり、ピストルズ達はミスタの思考をごく自然に読み取ることが出来ている。それが当たり前過ぎて今まで深く考えてみたことはなかったが、あえて言葉で説明しようとすると、そういうことになるのだろう。だが、今ピストルズ――のナンバー4――に“なっている”はずのミスタには、“本体”が何をしようとしているのかを感じ取ることが全く出来なかった。何と戦っているのか。相手はどこに潜んでいるのか。どう攻めるつもりなのか。ジョルノはどこに、どんな状況でいるのか――まさか負傷しているのでは――。頭の中に、何も流れ込んでこない。
(“オレ”がナンバー4の存在を認めていないから……?)
 “ミスタ”はこちらへ目を向けようとすらしない。完全にその存在を否定しているように。いや、“彼”の目には、本当に見えていないのかも知れない。
(もしかして、オレも?)
 本当はいるはずの自分の分身――のひとり――を、そうとは気付かないまま意識の外に追いやり続けていたのでは……。
 銃声が響いた。“ミスタ”のリボルバーが奏でる音ではない。狙撃されているのは“彼”の方だ。幸いにも弾丸は“ミスタ”の足元の地面に傷を作っただけで、“彼”を傷付けることはなかった。それに今の攻撃で、敵がいる方向も明確に分かった。
「いけッ! ピストルズ!!」
 “ミスタ”が叫ぶ。立て続けに6発の弾丸が放たれた。その全てにピストルズが一体ずつしがみ付いているのが見えた。
 弾丸は全てばらばらの方向へと飛んでゆく。6つのそれは、完璧なコントロールによって一斉にターゲット目掛けて軌道を変える。六方向から同時に向かってくる弾丸全てを避けることは、ほぼ不可能と言って良い。はずだった。
 聞き慣れない銃声が、6発。次の瞬間には“ミスタ”が放った弾丸が全て空中で弾け飛んでいた。いや、違う。空中で撃ち落とされていた。
(馬鹿な……!)
 仮に軌道を読むことが出来たとしても、それを撃ち落とすなんて容易なことではないはずだ。それも、一発も外すことなく。敵もかなりの腕前だ。あるいは、相手もスタンド使いか。
 だが“反撃”はそれだけでは終わらなかった。砕けた弾丸の中から、長い触手のような物が何本も飛び出した。距離を取る間もなく、ピストルズ達はそれに絡め取られ、身動きが出来なくなってしまう。これでは攻撃が出来ない。それどころか、大ピンチだ。“本体”である“ミスタ”は、必死にピストルズ達を手元に戻そうとしている。が、拘束は解ける気配を見せない。空中でばたばたともがく動きは、見る見る内に鈍くなってゆく。
「おいッ!」
 ミスタは声を上げた。“本体”に向かって。
「オレを撃て! まだ弾は残ってんだろうが! オレがあいつ等を助けに行く!」
 偽者かも知れないこの男はどうも気に入らないが、ピストルズ達を放っておくわけにはいかない。それにジョルノもだ。
「おいッ! 聞こえてんだろッ!!」
「うるせぇ!!」
 “ミスタ”が叫ぶ。
「引っ込んでろ! “お前”なんか……ッ!」
「言ってる場合かッ!!」
 再び銃声。今度のそれは“ミスタ”の左足を掠った。地面に赤い雫が飛び散る。
「ッ……!! くそっ……」
 意を決したように、“ミスタ”が新たな弾丸を銃に込める。
「来いッ!」
 ようやく与えられた指示に、ミスタは文字通り飛び付いた。ピストルズになって弾丸を操作するなんて、初めてのことであるはずだ。だが不思議と体は勝手に動いた。これならいける。
 引き金が引かれた。
 が、弾丸は放たれることなく。その場で爆発を起こし、銃身を吹き飛ばした。
「なっ……」
「暴発!?」
 スタンドのパワーが乗ってすらいない爆発は、スタンドであるミスタにダメージを与えることはない。だが“本体”は……。
「馬鹿なッ……!」
 振り向くと、“ミスタ”の手……いや、腕は、余すことなく血塗れだった。最早原型を留めていない銃と指先。“ミスタ”は目を大きく見開き、「ありえない」と小さく呟いた。そこへ、もう一度銃声が鳴る。今度のそれは“彼”の左胸をまともに貫いた。ゆっくりと、その体は地面に倒れ落ちる。
(違う……)
 ミスタは無意識の内に頭を左右に振っていた。
(コレはオレジャアナイ)
 ミスタによく似た男の口が動く。
「くそ……。やっぱ、り、不吉、だったぜ……。ナンバー、4、なんて、よ……」
 彼は血を吐き、動かなくなった。
「違ウ……。コンナノ……」
 声に出して呟いてみても、それは虚しく風に溶けるだけだった。それでも、彼は繰り返した。これが悪夢なら、覚めてくれと願いながら。

「という夢を見た」
 沈痛な面持ちで語り終えたミスタに対し、ジョルノは全く興味がなさそうな顔で「へー」と応えた。
 確かに、「ただの夢」と思うだろう。それが当事者でなければ。いつもの風景――正しい“スケール”の自分の部屋――の中で目を覚ました時の恐怖と安堵は、実際にそれを味わった者にしか理解出来ないだろう。夢とはそういうものだ。
 そんな悪夢を見た原因は分かっている。昨日、「明日から4月かよ。あー嫌だ嫌だ」と思いながらベッドに入ったのがそれだ。くだらないと笑う者もいるかも知れないが、ミスタにとっては大きな問題なのだ。
「マジで焦ったぜ。この世の終わりかと思った」
「はいはい。とりあえず、遅刻の言い訳は分かりました」
 ジョルノは「やれやれ」と肩を竦めた。夢の中とは違い、彼が敵と応戦中であるという様子はない。それも安堵の理由のひとつだ。
「それにしても、変な夢ですね」
 興味がなさそうな口調のまま、ジョルノはそう言った。ミスタは気を取り直すように無理に笑顔を作ってみせた。
「まったくだよなぁ。ピストルズのナンバー4がいて、しかもそれがオレだなんて」
「本当に」
 ジョルノはうんうんと頷く。そして、
「ナンバー4は、ちゃんといるのに。ねぇ?」
「……え?」
 ジョルノは手の平の上に何かを乗せているような仕草をしていた。ミスタの目には、何も見えない。だがジョルノは“誰か”に向けて話し掛けているような……。
「……え?」
 部屋の温度が、急に下がったように感じた。ネアポリスの4月は、こんなに寒かっただろうか。
 硬直するミスタに気付いているのかいないのか、ジョルノはにこやかな顔を手の平の上にいる“誰か”へ向けている。
「え? ええ。……ふふっ。それもそうですね。ね、ミスタ」
 ここは、まだ夢の中なのだろうか。それとも……。


2018,04,01


ヒント:4月馬鹿
<利鳴>

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