アバッキオ&ナランチャ 全年齢


  not alone


 最初にブチャラティが何者なのかを知った時に、「ずいぶん若いリーダーだな」と思った。だが彼にチームのメンバーを紹介されて、もっと驚くことになった。“若い”と言うよりは“まだ子供”と呼んでしまって差し支えないような2人の少年が、自分の“先輩”になるのだと言われても、とりあえずは戸惑う以外なかった。リーダーが若いからメンバーもそうなのか、あるいは、そんなメンバーをまとめるには、リーダーも近い年齢の方が良いと判断されたのか、どちらであったにしても、それはそれで合理的だと言えなくもないのかも知れない。だがやはり、「こいつら大丈夫なのか」と、不安と言うよりは、大人が子供だけで遠出するのを心配するような気持ちにはなってくる。
 2人の内、ナランチャ・ギルガと名乗った方の少年は、明らかに彼――アバッキオ――のことを警戒していた。初対面の人間に対して距離を取らずにはいられない者は少なからずいるだろうが、ナランチャのそれは、少々過剰であるように感じた。そのことをさして気にしたわけでもないが一応と言うつもりでブチャラティに伝えると、返ってきたのは、何と言うことはないと言うような口調だった。
「そういうやつなんだ、あいつは」
「警戒心が強い?」
「一度懐けばころっと変わるぜ」
 犬か猫のような言い草に、ブチャラティは自分で笑った。
「お前個人を避けているわけではない。誰に対しても“ああ”なんだ」
「あんたやフーゴ以外には?」
「そう」
「そうか」
 それなら別に良い。そう言って立ち去ろうとした背中に、ブチャラティの声は続けた。
「ナランチャは、お前のことを“知らない”」
 そうするつもりはなかったのに、アバッキオの脚はとまっていた。
「フーゴは“知っている”。資料を作ったのはあいつだからな。だがナランチャは、実は少し前に組織に入ったばかりなんだ」
 「だから“知らない”」と彼は繰り返した。
「だから、“それ”で余計に警戒されているということはない。気にするな。今後も、わざわざ教える必要もないと考えている」
 その言葉は「今後も伝えるつもりはない」という意味以外に、「お前も喋るな」と口止めされているように聞こえた。何故だ? もし“そのこと”をあの少年が知ったとしても、ブチャラティの指示を無視してまでアバッキオと揉め事を起こすことはおそらくないだろう――何しろ、ブチャラティには“懐いて”いるようなのだから――。精々露骨に嫌そうな顔をされるくらいか。それも、アバッキオが相手をしなければただそれだけのことで終わる。チーム内の調和を乱すなと言うことか。現時点で乱れるどころか、整っていないではないか。
 首を傾げるアバッキオに、ブチャラティは肩を竦めるような仕草をした。
「あいつにはあいつの事情がある」
 そう言った表情は、“子供を心配する大人のそれ”のようだった。アバッキオは「なるほど」と小さく頷いた。
 それから数日間、アバッキオがさり気なくナランチャの様子を観察した結果、確かに少年はブチャラティ達以外の人間に対して、心を開いていないように見えた。露骨に他人に対しておびえた様子を見せるようなことはしないが、完全に心を許している様子はない。チームのメンバー以外の人間と会う機会が多くはないため、なかなか気付かなかったが、自分だけが特異な扱いをされているのではないかという考えは、言われた通り、思い過ごしだったようだ。
(警戒しすぎなのは、むしろオレの方……か)
 それでもしばしの時が過ぎると、双方の警戒心も薄れてきたのか、仕事――と言っても、新入り2人に出来るのは、簡単な書類の整理や、電話番程度だったが――の合間に、他愛のない会話が出来る程度には距離は少なくなっていた。これは、元々口数の多くないアバッキオと、ただでさえ年齢の離れたナランチャのことと思えば、充分上出来と言えるだろう。
 そんなアバッキオ――とナランチャ――に“実戦”の任務が与えられたのは、そういった状況にもだいぶ慣れてきたある日のことだった。
「ぼくは反対です」
 そう言ったのはアバッキオの“先輩”のパンナコッタ・フーゴ――チーム内のもう1人の少年――だった。端整な顔を歪ませて、彼はリーダーに意見した。
「経験が浅すぎます。もっと簡単な仕事からやらせていくべきだ」
 フーゴの視線がちらりとアバッキオの方へ向けられた。それは、「特にこいつは」という意図でのことではなく、逆に、「アバッキオにはある程度の“経験”があることを知っているけど……」といった眼だった。それを口に出して言わなかったのは、傍にいるナランチャの存在を気にしてのことだろう。ナランチャの“事情”とやらは、フーゴも承知していることらしい。
 フーゴの意見に、ブチャラティは溜め息を吐くように返した。
「それは分かっている。オレもそうするつもりだった。だが、これは“上”からの命令なんだ」
「ええ、ぼくも分かっています。決定権はぼく達にはない……。ただ、役割の配慮だけはお願いしたいと言っているんです」
「ああ。それも分かっている」
 真剣な表情で話し合う2人のやり取りを、理解しているのかいないのか、ナランチャは退屈そうな顔で眺めている。
(自分のことだぞ。こいつ、分かってんのか?)
 アバッキオはやれやれと頭を振りたくなった。
 彼等に与えられた仕事は、平たく言えば反対勢力の鎮圧だった。そこへ至るまでの経緯は、おそらく単純なものではないのだろうが、それは彼等のような“駒”が知る必要のないことだ。
「やつらのアジトへ乗り込む。正面からは別のチームが、オレ達は裏手から侵入する」
 郊外にあるらしい建物の見取り図を広げながら、ブチャラティがテキパキと説明をしていく。横眼で見たナランチャは、相変わらず理解しているのか危うい表情だ。
(……いよいよ心配になってきな)
 そう思わずにいられないのは、彼の中に残っている――かつてはその胸中の大半を占めていた“はず”の――弱者を守りたいという正義感の所為だろうか。
(……馬鹿馬鹿しい)
 小さく頭を振りながら、心の中で吐き捨てた。それでも、「アバッキオとナランチャは一緒に行動するように」と指示された時は、かすかな安堵を覚えた。「ナランチャは単独で動け」等と命令されていたら、流石に異論を唱えずにはいられなかっただろう。
「お前達は裏口を見張れ。中へは、オレとフーゴで入る」
 新入り2人だけにするのは一見危険なことのように思える。だがおそらく、ブチャラティはアバッキオの“経歴”に、いくらかの期待を寄せているのだろう。それは、“信頼”がなければ成り立たない。アバッキオには、その期待に応える義務がある。それに、はっきりと告げられたわけではないが、これまでの短い付き合いの中で、どうやらナランチャもスタンド使いであるらしいことを、アバッキオは薄々察していた。ならば、あまり重要視されていないらしい――メインで動くのは別のチームだと聞かされている――見張り程度なら、この2人でもこなせるだろう。
「裏から逃走しようとする者がいた場合は、確実に捕えろ。ただし、極力殺すな。いいな」
 アバッキオが頷いた横で、ナランチャが「はーい」と返事をした。フーゴがこめかみの辺りを押さえたのが見えた。

 作戦が決行されてからすでに1時間が経とうとしていた。ブチャラティとフーゴが駆け込んで行ったドアはその後一度も開かれることなく、辺りは至って静かだった。ナランチャの集中力はすでに切れてしまっているらしく、少年は、もっと幼い子供のように、アスファルトの黒い地面にどこからか拾ってきたらしい白い小石でらくがきを始めている。裏口のドアが見える場所にいればそれでいい、潜んでいる必要はないとは言われているが、いくらなんでも無防備すぎやしないだろうか。
(こいつ、自分がギャングだって自覚はあんのか?)
 学校の課外活動か何かと勘違いしているのではないかと疑いたくもなってくる。
「ねえ」
 声をかけられて視線を向けると、月光を反射した大きな瞳がこちらを見ていた。他人に対する警戒心の強いナランチャは、最近になってようやく、こうして視線を合わせてくるようになった。
「アバッキオって歳いくつ?」
「……お前の5つは上かな」
「へえ! じゃあブチャラティより上だ」
「いや、ブチャラティとは誕生日が早いだけで確かタメ……」
「あれ? だってブチャラティはオレの3つ上だろ?」
 首を傾げながらナランチャはガリガリと地面に何か書いている。どうやらそれは、算数の筆算のようだ。アバッキオの位置からその数字までは読み取れないが、年齢の差を計算しているらしい。
「……お前16?」
「うん」
 アバッキオは口の中で「嘘だろ」と呟いた。年齢だけなら高校生……。地面に引き算の式を書く姿は、とてもそうは見えない。自分が高校生の頃を思い出そうとして、やめた。
「ブチャラティ達遅いね。今何時?」
 時計を持っていないらしいナランチャがこちらを向いて尋ねた。ドアには完全に背を向ける格好だ。そのドアが、音も立てずにかすかに動いた。風か。いや違う。さっきまでドアはきちんと閉じられていたはずだ。薄く開いたその隙間で、何かがきらりと光るのが見えた。
「ナランチャ、避けろ!!」
 叫びながら、もう遅いと思った。今のように声をかけられれば、多くの者は何事かと振り返り、背後を確認するだろう――残りの者は驚きで立ち尽くしてしまうかも知れない――。そこにあるものを眼で捉え、認識し、回避に移るのはその後だ。その一瞬の間は、襲撃者に取っては充分過ぎるほどの時間だ。
 ドアの隙間から飛び出てきたのは銀色に輝くナイフだった。その刃が鮮血に染まるところを、アバッキオは脳裏に描いた。しかし、そのナイフがナランチャに触れることはなかった。彼はアバッキオの声に振り向くことなく、その身を翻していた。背中に眼でも付いているのかと馬鹿げたことを思ってしまうほどの、鮮やかな回避だった。驚くべき反射神経だ。
 アバッキオが眼を見張っていたのは一瞬のことだった。彼とて、なにも声を上げただけで自分の役目は終わった等とは思っていない。彼はすでに、ナランチャの背後に現れた影に向かって駆け出していた。ナイフでの襲撃をかわされ、そのままの勢いで外へ飛び出してしまった男の腕を掴み、地面に叩き付けるように投げ飛ばした。アバッキオの咆哮めいた掛け声と、襲撃者の呻き声、ナイフが地面に落ちる硬い音が響いた。
「おおー。アバッキオ、かっこいー」
 ナランチャがぱちぱちと拍手をしながら言った。「大丈夫か」と確認する必要はなさそうだ。暢気なことを言っている場合か、そもそもドアへの注意を怠るなと怒鳴り付ける気力も失せ、アバッキオは男の腕を捻り上げたまま溜め息を吐いた。
「なあ、今のどこで覚えたの? どっかで習うの?」
「うるさい。んなことより、こいつを縛っておくものがないか探せ」
「ああ、そっか。ブチャラティになんか持たされてた気がする。カバンどこやったっけ」
「おいおい、しっかりしてくれよ」
 再び吐いた溜め息は耳障りな笑い声にかき消された。アバッキオに動きを封じられたまま、男が笑っていた。
「アバッキオぉ? そうか、てめーアバッキオか! おいおい、ずいぶんと雰囲気が変わったんじゃあねぇかぁ?」
 男はげらげらと笑っている。その眼は、どう見ても正気ではない。薬物か。
 怪訝な顔をするアバッキオに、男は続ける。
「オレのことなんて忘れちまったって顔だなぁおい? まー無理もねーな。てめーらサツは、パクった相手のことなんざいちいち覚えちゃあいねーし、気にかけもしねぇんだからよぉ!」
 男は笑い続けている。それでも、アバッキオは空間が凍り付いたかのような錯覚に襲われた。
(こいつ……)
 それはまだ、アバッキオが正義を信じて警察官の職務に従事していた頃のことだった。初めてではないにしろ、自分の力で犯罪者を捕らえたことによる満足感を胸にしながら、あの時も下卑た笑みを浮かべる男を見下ろし、見下していた。あの男だ。あの男が、今眼の前に。
「なん……で……」
「やっぱり知らねーんだな! 逮捕した後のことはもうどおぉでもいいってか? そうだよなぁ。自分の手柄にはかんけーねえもんなぁ! 裁判官にいくらか握らせれば、簡単に出てこれるんだよ!」
 ギャハハと耳障りな声が響く。
「それにしてもアバッキオ。ずいぶんと落ちぶれたもんだなぁ? 元警察で今はチンピラ? もうちょっとなんかなかったのかよ。お前それぜってー仲間に信用されてねえじゃあねーか。それともひょっとして、仲間になったと見せかけて警察のスパイでもやってんのかぁ? だとしたらすげぇわ!」
 黙らせねば。動かなければ。そう思った。しかし、彼の身体は強張ってしまったかのように動かすことが出来なかった。彼が手がけた最後の事件、仲間が撃たれた、あの時と同じように。
 視界の隅で、何かが動いた。それは素早い動作で男が落としたナイフを拾い上げていた。月光を反射したそれが、男の首筋に吸い付くように宛がわれた。アバッキオはようやく弾かれたように声を出した。
「やめろ!」
 ナイフを男に向けたまま、ナランチャはゆっくりと顔を上げた。
「どうして?」
 そう尋ねた声に抑揚はなく、大きな瞳からは光が消えていた。恐ろしく冷たいその眼差しは、16歳の少年が一朝一夕で持ちえるものではない。ギャングの世界に入る以前に、彼はこの世界の裏側とも呼ぶべき“なにか”を見ている。アバッキオは直感的にそう思った。頭の中でブチャラティの声が“リプレイ”される。『あいつにはあいつの事情がある』。
「ナランチャ、ナイフを退け。殺すなと言われているのを忘れたか」
 ナランチャは首を斜めにした。
「でも、自分達がやられそうになってて、殺すしかない時はいいんじゃあないの? えっと……」
「正当防衛?」
「そう。それだ」
「それは、そうだが……」
 それは今の場合には当て嵌まらないだろう。不愉快な笑い声を上げていた男は、今は首に当たられたナイフにひいひいと悲鳴を上げている。抵抗する意思はなさそうだ。
 ナランチャはゆっくりと瞬きをした。その瞬間、その瞳に失われていた熱が戻ってきたように、アバッキオには見えた。
「だったら、やっぱりやらなきゃ」
 口調はひどく静かだ。だが、背筋を撫でるような冷たさは薄れている。
「ナランチャ?」
「こいつに喋らせてたら、アバッキオが傷付けられる。だから、やらなきゃ」
 大きな瞳が真っ直ぐこちらを向いた。アバッキオは、そこに2つの顔を見た。算数が苦手で少し飽きっぽい無邪気な性格の少年と、他人に心を許すことのない冷たい眼をした“何か”。たった十数年の人生の中で、彼は何を見てきたのだろうか。
 アバッキオは男を拘束していない方の手で、ナランチャが持つナイフを毟り取った。「あ」と口を開けたのは、多少なりともアバッキオが知っているいつものナランチャだった。
「黙らせるだけなら、もっと手っ取り早い方法があるだろうが」
 言うや否や、アバッキオは地面に這いつくばっていた男の顎を蹴り上げた。「うげっ」と声がして、それきり男は静かになった。
「気絶したか。でもまあ、一応縛っておいた方がいいな。おいナランチャ、ロープを出せ。持ってきてるんだろうが」
「あ、うん」
 ナランチャは慌てて地面に置きっ放しにしてあったカバンに駆け寄った。その背中に、アバッキオは声をかける。
「それと……、なんだ、その……」
 「すまん」と続けた声は何故か小さくしか出ず、それでもナランチャの耳には届いてくれたらしい。振り向いた顔は、不思議そうな表情をしていた。
「なんで謝るの?」
「……オレは、元警察だ」
 この――ギャングの――世界に生きる以上、警察は敵対する立場の存在である。男が言ったように、アバッキオをスパイなのではないかと疑っている者は少なくはないだろう。組織に入る前に、ブチャラティにも言われている。「オレはお前を疑ってはいないが、“上”の人間はその限りじゃあない。お前がこの組織の中で名を上げることは、おそらく無理だろう」、と。それでも構わないとの誓いを立てて、アバッキオはここにいる。元々他人への警戒心が強いというこの少年が、ブチャラティのように彼を信用してくれなくとも仕方がないだろう。が、それだけではない。ブチャラティは、ナランチャに関してこう言っていた。「ナランチャはアバッキオの過去を知らない」、と。だからそれが理由で警戒しているのではないのだと。だがその言葉は、裏を返せば「知ればその警戒は増すだろう」とも取れないだろうか。わざわざ喋るなと釘を刺されたことからも、その読みは的外れではないだろう。ブチャラティがそう危惧したのは何故だ? ナランチャがギャングだから? それだけではあるまい。先程見せた冷たい眼……。そしてアバッキオが警察官であったと知った時に一瞬見せたのは、怯えた表情だった。『ナランチャにはナランチャの事情が――』。おそらく彼は、この組織に入る以前に、何等かの犯罪に巻き込まれている。それを扱った警察官の立場は、彼の味方ではなかったのだろう。彼の中にあるのは――例えば自分が被害者となった事件を解決してもらえなかった等の――失望ではなく、恐怖だ。
(だか、ら……)
 アバッキオが言葉を紡げずにいると、カバンからロープを取り出したナランチャが近付いてきた。
「オレ、ケーサツは嫌いだよ」
 そう聞いても、がっかりはしなかった。「やっぱりな」と、そう思っただけだ。いや、がっかりする資格など、今の彼にはない。
「らんぼーだし、オレの話なんて聞いてくれないし、てきとーな調査しかしないし」
 喋りながら、ナランチャは男の胴体にロープを巻こうとした。が、あまり器用ではないようで、なかなか上手くいかない。アバッキオは手を貸してやることが出来なかった。そうしようとして、少年の手に触れてしまうかも知れないのが怖かった。
「オレ、ここに来る前、少年院にいた」
 不意に告げたナランチャの口調は、先程までのそれと変わりなかった。それが、アバッキオには――聞かされた事実以上に――信じられなかった。この少年の過去に何があったのだろうと疑問には思っても、それを聞き出そうなんてつもりは微塵もなかったのに……。決して進んで人に知られたい話ではないだろうに。
(どうして、こいつ……)
 アバッキオの心の声が聞こえたかのように、ナランチャの視線がこちらを向いた。
「アバッキオだって、知られたくなかっただろ? でもオレ、聞いちゃったから。これであいこ。なんだったかな、強盗? オレがやったんだろうって。でもオレじゃあないんだよ、それ」
「冤罪……」
「そう、それそれ。誰もオレの言うことなんて信じてくれなかった。友達だったやつも、みんなどっか行っちゃって……。でも今は、ブチャラティ達に会えて、もうひとりぼっちじゃあないんだ。だからケーサツは嫌いだし、信用もしてない」
 「だけど」と彼は続けた。
「アバッキオはもう警察じゃあないんだろ? だから、嫌いじゃあないし、謝る必要もないよ」
 やめたからOK? 今は違うからセーフ? どうしてそんなところばかり、子供らしくあれるのだろう。
「そういう問題じゃあねーだろうッ! しかもオレは汚職警官だったんだぞ! 仲間を死なせてもいる! 警察の中でも完全なクズだ!!」
 勢いで言うつもりのないことまで吐き出してしまった。今度こそアウトだろう。そう思ったのに、ナランチャは笑っていた。
「汚職? ケーサツ失格じゃん」
「そう言ってんだろうが」
「じゃあやっぱり警察じゃあないんだ」
 どういう思考回路をしているのだろう。本当にそれでいいのだろうか。アバッキオの口からは、すでに溜め息しか出てこない。
「マイナス掛けるマイナスはプラス……ってことか?」
 “警察”という立場の人間は、ナランチャにとっての“マイナス”だ。アバッキオは“警察”の中の“マイナス”だった。両者を掛けると……。そういうことなのだろうか。しかしナランチャは首を傾げる。
「ん? なにそれ」
「……お前掛け算は……」
「今九九を覚えてるとこ」
「分かった。今のは忘れろ。勉強ガンバレ」
「うん? うん、分かんないけど分かった」
「そのロープ貸せ」
「うん」
 結局上手く縛れなかったらしいロープを受け取って――その際、指先同士がかすかに触れたが、何も恐ろしいことはなかった――、アバッキオは今日何度目になるのか分からない溜め息を吐いた。ナランチャとアバッキオは、違いすぎている。同じレベルで考えることは、おそらく不可能なのだ。そう納得するしかなさそうだ。
「アバッキオ」
「あ?」
「こいつが言ってたみたいに、警察のスパイなんかじゃあないよな?」
「それは違う」
「うん。じゃあ、アバッキオもオレ達の仲間だ」
 ナランチャは「よろしく頼むぜ、後輩」と楽しそうに言って、アバッキオの肩を叩いた。アバッキオはヤケクソ気味に応える。
「はいはい。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしますよ、セ、ン、パ、イ」
 ようやく男を縛り終えると、まるでそれを待っていたかのようなタイミングでフーゴが駆け寄ってきた。どうやら仕事は粗方片付いたようだ。拘束された男の生死を確認すると、フーゴは感心したような顔を見せた。
「上出来じゃあないですか。どっちがやったんです?」
 2人の顔を交互に見るフーゴに、ナランチャが「アバッキオが」と口を開こうとした。それを遮って、アバッキオは「2人掛かりだ」と報告した。
「ひとりじゃあねーだろ」
 フーゴは少々訝しげな表情をしたが、ナランチャにはちゃんと――少々時間は要したが――伝わったらしい。少年はぱっと笑った。
「ナランチャ、怪我はない? アバッキオも」
 ついでのように聞かれて、思わず苦笑した。たぶん大丈夫だろうと思われていたということなら、それもまあ、一応信頼されていたということなのだろう。そう納得することにして、無言で頷いた。ナランチャは「大丈夫に決まってんだろ」と返している。
「それなら良かった。作戦は終了しました。もちろん成功で。ぼくとブチャラティは他のチームと最終的な確認がありますけど、2人はどうする? 先に帰る?」
 フーゴが尋ねると、ナランチャは迷った様子もなく「待ってる」と眩しいほどの笑顔で宣言した。
「オレも一緒に帰る!」
「そう。じゃあ、ここで待ってて。出来るだけ早く片付けてくるから」
 子供に言い聞かせるように言うと、フーゴは今度はアバッキオの方を見た。
「アバッキオは?」
 「どうする?」と促されて、少し考えた。後は撤退するだけなら、こんなところにいても面白くはない。先に帰っていても良いと言うなら、そうしようか。と、本当は言いたかった。だが、それをさせまいというような視線が少し低い位置から向けられていることに、アバッキオは気付いてしまった。彼が先に帰ったら、この少年を“ひとりで”待たせることになってしまう。
「……そうだな。オレも待ってる」
 “仕方なく”そう言った彼は、しかし自分の顔が微笑みの表情を作っていることには気付かなかった。
「そう。じゃあ2人ともここにいて」
 フーゴは携帯電話で誰かに“回収”――おそらくアバッキオ達が捕らえた男をどこかへ運ばせるのだろう――の指示を出すと、建物の中へ駆け戻って行った。その後姿を見送って、ナランチャがこそっと小声で尋ねてきた。
「こいつ、連れてかれる前にもう一発蹴っ飛ばしておく?」
 悪戯っぽく笑うのを見て、アバッキオはたまらず吹き出した。


2015,03,25


花咲様よりリクエストいただきました、『ナランチャの冤罪を知ってしまったアバッキオと、
アバッキオの前職を知ってしまったナランチャ+そんな二人を見守るブチャラティ&フーゴ』をテーマに書かせていただきました。
『知ってしまった』と言いつつ、ナランチャに関しては自分から喋っているし、
ブチャラティとフーゴは、言うほど『見守って』くれてもいない気がしますね(苦笑)。
お互いの過去を知る切欠を考えた時に、聞かれてもいないのに自分から喋るのもなんか変だし、
ブチャラティやフーゴが勝手に喋るってのもないだろうし、
組織の個人資料に過去の経歴が書かれているのを偶然見てしまったとか? でも、
それが2人ともそれぞれってのもなんか不自然だなぁと色々考えました。
結果このような形に。
アバッキオとナランチャをカップリングさせるつもりはなく書いていたのですが、思いの外そうも見えるようになったなぁ。
カップリングの一歩手前くらいまでくらいまではいってる気がします。
その所為というか、反動というか、最後の最後にナランチャの面倒見たくて仕方ないフーゴが出てきてしまいました(笑)。
アバッキオとナランチャといえば、わたしの中ではナランチャがアバッキオおいていきたくないって泣くところが特に印象強いので、
ひとりにしないよ的なセリフを入れたくなって、タイトルはそんな経緯でこうなりました。
ご希望にお応え出来る物になったかは分かりませんが、花咲さん、リクエストありがとうございました!
書いていて楽しかったです。
応援していただけたことを忘れずに、これからもがんばっていこうと思います!!
<利鳴>

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