フーナラ 全年齢


  朝からハロウィン


 いくつかの音が耳に届く。だが、その意識の大部分を眠りの中に預けているフーゴには、それが何の音なのかまではほとんど認識出来ていない。
 窓の外でさえずる鳥の声。同じアパートのどこかの部屋のドアが開け閉めされる音。おそらくは、その程度の「どうでも良い」と言ってしまって構わないものばかりだろう。はっきりと目が覚めていたとしても、そのように切り捨てていたに違いない。
 目覚まし時計のアラームはまだ鳴っていない。今はそれだけが重要だ──そもそも今日は午後までこれといった任務はない──。フーゴはまだ目を覚まさずにいることを選択した。
 ところが、
(……なん……だ?)
 急に息が苦しくなった。体の上に何か乗っているような感覚……。いや、そんな曖昧なものではない。はっきりと何かの重量を感じる。それが腹部と胸部を圧迫して、呼吸を妨げようとしている。
(金縛り?)
 霊的な存在を肯定するしないは置いておくとしても、一般的に『金縛り』と呼ばれる現象には科学的に解明されているものも多い。簡単に言ってしまえば、脳は起きているのに体が眠っていて動けないような状態がそれだ──よく仰向けの状態でいるとなり易いと言われているのは、舌が喉の方へ落ちて気道を塞ぐために睡眠が浅くなり、中途半端な覚醒に繋がり易いからだ──。ストレスが原因であると言われることが珍しくないようだが、単純に夢を見ただけということもあるだろう。飼い猫が乗っていた、なんて話もよく聞く。
 だがフーゴは、すでに完全に眠りから脱している。特別なストレスを抱えているつもりもない。そして、ペットも飼っていない。にも拘わらず、物理的な重さを感じる。ベッドの傍に棚でもあれば、寝ている間にそれが倒れてきたかと考えているところだ。だが実際には、ベッドに乗り上げるほどの高さを持つ家具は近くに置いていない。
 ではいよいよ霊的な力か。幽霊にしては存在感があり過ぎるように思うが……。
 意を決して、フーゴは目蓋を開いた。その顔を覗き込む2つの目と視線が合う。猫……ではないが、それを連想させるような、少し強気な吊り上り気味の大きな瞳。それは、フーゴが目覚めたことに気付くと、星を散りばめたようにきらきらと光った。そんな目を向けてきているのは、フーゴの友であり、仲間であり、後輩であり、そして恋人でもあるナランチャ・ギルガだった。
 「ああ、それなら」と、フーゴは納得する。彼には合鍵を渡してあるから、勝手に入ってくることは全く難しくない。フーゴの寝起きが──控えめに言って──あまり良くないことを知っているので、最初から呼び鈴を鳴らしても無駄だと踏んで、自分で開けて入ってきたのだろう。これまでにもそんなことは時々あった。
 問題は、彼がシーツの中に潜り込んでいることだ。フーゴの体とシーツの間、すなわち、完全にフーゴの体の上に寝そべっている。道理で重たいわけだ。
「……なにしてんの」
 腹部と胸部を押さえ付けられているような状態の所為もあって、尋ねた声は喉から絞り出したような音になった。誰の耳にも上機嫌であるようには聞こえないだろう。にも拘わらず、ナランチャは笑みを浮かべて答えた。
「ハロウィン!」
 子供のような笑顔に、雑な起こし方をされたことによる不愉快さを一瞬忘れ、「可愛い」と思い掛けてしまった。いやいや、絆されるものかと、フーゴはかぶりを振る。
「ちょっと何を言っているのか分かりません」
「おはよう」
「……おはようございます」
 ナランチャはベッドの枕元に置いてあるフーゴの携帯電話に手を伸ばした。ぐっと身を乗り出すので、顔と顔が近くなり、どきりとする。そんなことには気付いていないように、ナランチャは携帯電話の待ち受け画面──プリインストールのシンプルな模様の画像に、今日の日付と現在の時刻が重なって表示されているだけのもの──をフーゴの目の前に突き付けた。
「今日ハロウィンだぜ!」
 10月31日。なるほど、どうやらそのようだ。ナランチャは「だから」と続けた。
「トリックオアトリート!」
「はぁ?」
「お菓子ちょうだい」
「子供か」
 フーゴは溜め息を吐き……たかったのだが、圧迫された肺が膨らまず、さっきから深い呼吸が出来ないでいる。そろそろ本格的にきつくなってきたかも知れない。いくらナランチャが小柄だとはいっても、重いものは重い。
「ハロウィンって朝っぱらからやるもんじゃあないでしょ」
 さっき見せられた時計は、午前7時の少し前の表示になっていた。
「しかも仮装は?」
「え?」
「ハロウィンなら、お化けの仮装でしょ」
 自分の体の上にうつ伏せになってさらにシーツを被っているナランチャの服装はほとんど見えないが、見える範囲──肩や腕──はいつも通りの格好であるようだ。なにより、もし何らかの衣装を用意してあるのなら、彼なら真っ先にそれを披露していることだろう。案の定、そこまでは考えていなかったらしく、ナランチャは「えーっと」と口籠った。
 どうするつもりかと眺めていると、彼は両手でシーツを掴み、頭の上まで引き上げた。
「シーツお化け。……ダメ?」
「現地調達しないでくださいよ」
 フーゴは溜め息の代わりにこめかみをがりがりとかいた。
「そもそも、急に来られたってお菓子なんて持ってませんよ」
「ええー」
 前以て言っておいてくれれば、彼が好みそうな物をいくつか用意しておいても良かったのだが。
「って言うか、重い。暑いし」
 フーゴはナランチャの頭を掴んでぐいと押しやった。
「あと、“それ”、ぼくにも権利があるのでは?」
「へ?」
 少し体が浮いて掛かる体重が軽くなった隙を突き、フーゴは勢いを付けて起き上がった。そしてそのまま、バランスを崩したナランチャの両肩を掴んでベッドの上に仰向けに押さえ付ける。スプリングが軋む音に、ナランチャの「いて」という声が重なる。
「Trick or Treat?」
 表情を浮かべぬまま首を傾げてみせると、ナランチャは眉をひそめた。
「えぇー。フーゴこそ仮装は?」
 反論してくるとは、少々予想外だったが、彼の言い分にも一理ある。フーゴは「そうですね」と考える仕草をした。
「じゃあ、狼男で」
「耳も尻尾も牙も爪もないじゃん」
「能力で隠してるんですよ。月出てないですしね」
「えええ、ずるい」
 ナランチャが頬を膨らませるのがおかしくて、フーゴはふっと笑った。
「オレだってお菓子なんて持ってないもん」
 だからこそフーゴのところにもらいに来たといったところか。それとも、それはただの口実──思い付き──で、本当はただ会いに来てくれたのだとしたら、
(それは嬉しいな)
 朝っぱらから金縛りは少々勘弁してほしいが。
「じゃあ、決まりですね」
「決まり?」
「そう」
 鸚鵡返しに尋ねるナランチャに、フーゴは頷いてみせた。
「ぼくの問いに、君が選んだ。もてなしか、いたずらか……でしょ?」
 言うなり、シーツを掴んで頭の上まで引っ張り上げ、それで2人の体を丸ごと覆ってしまう。身を屈めた時に勢い余って額同士がぶつかり、がつんと音を立てたが、その後に続いたのは笑い声だった。
 「もてなし」を用意していないのはお互い様だ。その場合、「いたずら」はどちらから仕掛けるのか……。
 「早い者勝ちだ」と、フーゴは心の中で呟いた。


2018,10,31


無敵のハ〜ロウィン、続けようよ〜、夜はまだ終わらな〜い♪(そもそもまだ夜になってない)
わたしはナランチャを何歳だと思って書いてるんでしょうね?
7歳くらいかな?
<利鳴>

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