フーナラ 全年齢


  アウトストラーダ


 高速道路へ入れとは、リーダーであるブチャラティからの命令だった。逆に逃げ場がなくなってしまうのではないか等と反論することなく、フーゴはそれに従った。ブチャラティが何も考えずにそんな指示を出すとは思えない――その可能性くらい、とっくに考えた上でのことだろう――し、そもそも彼等は“逃げて”いるのではない。
 無人の発券機の前を通過し、アクセルを更に踏み込む。しばらくすると、後方に小さな黒いシルエットで、追跡者達の物と思われる車が現れた。敵対する組織の者が高速料金が勿体無いから等と言って追跡を諦めるなんてことは微塵も考えてはいなかったので、これは完全に想定内の展開だ。
 リーダーからの新しい指示はまだない。次の連絡を待てと言われている以上、こちらから電話することは避けるべきだろう。ならば、今自分がすべきことは、この距離を保ったまま車を走らせ続けることだ。一番お粗末なのは、ハンドル操作を誤って事故を起こすことだろう。だがスピードは落とせない。逆にもっと強くアクセルを踏む。山岳地帯へ差し掛かるまでは、道はほとんど真っ直ぐだ。天候は良いが、太陽が眩しくて目を開けているのもやっとだということもない。余程のことがない限り、問題は起こらないだろう。その程度の運転技術はあると自負している。
(後は追跡者からの攻撃か)
 今のところは、それもない。と思った矢先に、突然車内に強風が吹き込んできた。何かされたかと身構えると――といっても、手はハンドルから、足はアクセルペダルから離せはしないが――、助手席にいるナランチャが、窓を開けて外に顔を出していた。
「ちょっとナランチャ! 危ないから顔出さないで! って言うか、窓を開けるな!」
「だって後ろのガラス黒くてよく見えないじゃん。大丈夫だって。この距離で攻撃出来るなら、とっくにしてきてるだろ」
 風に煽られる髪を押さえながら、ナランチャは軽い口調で返す。時速百キロを余裕で越えるスピードで走行中の車から顔を出すことによる危険が、遠距離攻撃が可能な武器――あるいは能力――を持った敵の存在だけだと思っているのか。帰ったら、今日の勉強は物理の問題集だと決めながら、フーゴは「いいから閉めろ!」と怒鳴り付けた。その声すら、風の音が煩くてはっきりとは聞こえていないに違いない。
 ナランチャがようやく窓を閉めてシートに座り直す。かと思うと、彼は不満そうな顔を向けてきた――前方から目を離すわけにはいかないので、フーゴに分かるのはその気配だけだが――。
「なあ、なんで攻撃しないんだよ。オレのエアロスミスなら余裕で届くぜ?」
 別に彼の能力を疑っているわけではない。今更世間の目を気にしているわけでも。
「まだ駄目です。一般人を巻き込む可能性が残っている内は」
 そう聞かされたわけではないが、彼等のリーダーならきっとそう考えているだろう。その予想が的中していると知らせるように、携帯電話の呼び出し音が鳴り出した。
「ナランチャ、出て」
「オレがぁ?」
 ナランチャの口調は呑気だ。ドライブか何かと勘違いしているのではないだろうか。まあ実際、敵の実力を考えると、簡単過ぎて欠伸が出そうになる程度の任務なのだが。だからといって手を抜くわけにはいかない。
「君の目は節穴? ぼくは運転してんだろうがッ。早く!」
「って、電話どこだよ?」
「ズボンのポケット」
「え? どっち?」
「うあっ!? ちょっ……、おかしなところ触るなッ」
「触ってねーよ。あ、でもこの体勢、人に見られたらすっげぇ誤解されそォー」
「っ……、怒りますよッ!」
「ただの冗談じゃんかよぉ。お、あったあった」
 ようやく取り出された携帯電話は、幸いまだ鳴り続けている。
「あ、ブチャラティからだ」
「ああそう、良かったね。早く出ろッ」
「もしもしー」
 ナランチャが嬉しそうに電話を耳に当てるのが視界の隅に少しだけ見えた。通話相手の声はフーゴには聞こえない。お陰でそれがギャング同士の任務に関する電話だとは俄かには信じ難いほどだ。
「うん。うん。大丈夫」
 せめて「はい」と言えと思いながら、フーゴはバックミラーで後方の様子を伺った。後続車との距離は、広がってはいないが狭まってもいない。速度はまだ出るだろうに、何故追い付いて来ようとしないのだろう。運転手が慎重なのか、それとも何か――こちらの運転ミス?――を待っているのか……。
「うん。ん? えーっと、…………スピーカー? ってどれ?」
 ナランチャが首を傾げている。おそらくフーゴにも聞こえるように電話をスピーカーにしろと言われたのだろう。該当のボタンを探しているナランチャから電話を奪い取りたくなった。が、今更運転を代われと言えるわけがない。最初からこいつに運転させていればとも思ったが、フーゴのスタンドの射程距離はナランチャのそれよりだいぶ短い5メートル。そこまで近付かせなければ、いざその命令が出たとしても、敵を攻撃することは出来ない。ナランチャに運転と攻撃両方を同時にさせるなんてことは論外だ。
 やっと目的のボタンを見付けたらしいナランチャは、「あった!」と言いながら電話機を操作した。「フーゴ、聞こえてるか」と尋ねてきたブチャラティの声は、心なしかほっとしているようであった。
「はい。聞こえてます」
『大丈夫か』
「ええ。問題ありません」
『今どの辺りだ』
 通話相手を変えられたのは、ナランチャがその質問に答えられなかったからだろうか。フーゴは周囲の景色から検討を付けてそれに答えた。
『もうそんなところまで行ってるのか。何キロ出してる? 制限速度は130キロだぞ?』
 もちろん冗談で言っている。そのことが分かったので、フーゴも調子を合わせて返した。
「法廷速度で走って捕まれと仰るんですか?」
 笑い声が聞こえた。どうやら、随分と余裕があるようだ。この様子だと、この“ドライブ”もそう長い時間を掛けずに終われそうだ。
『敵は何人いる?』
「3人かな。車は2台。片方に“呼吸”が2つ」
 そう答えたのはナランチャだ。彼は今はスタンドを出現させていないが、さっき窓の外を見ていた時だろうか、すでにその確認は済ませていたようだ。
 電話の向こうから、アバッキオの声が聞こえてきた。
『ブチャラティ、確認が済んだ。大丈夫だ』
『了解。ナランチャ、“もういい”ぞ。道路の封鎖が完了した。一般車両も全て降ろした』
「この辺り一帯、全部?」
『ああ』
 ブチャラティはこともなげに言う。改めて自分が所属しているのがものの数十分でそんなことが出来てしまう力を持った組織なのだなと実感させられる。警察だって、ここまでの手際の良さは見せられないだろう。追手達は、果たしてそのことを理解しているのだろうか。喧嘩を売る相手はもっと選ぶべきだったなと言ってやりたくなったが、この状況で会話が出来るはずもない。それが出来る距離まで彼等に近付くことは、おそらくこの先、一生ないだろう。
 ブチャラティの指示に、待ち侘びた夏休みがようやく始まったのを喜ぶ学生のような顔をしながら、ナランチャは再び窓を開けて身を乗り出した。
「危ないって言ってるのに」
 ナランチャはちっとも聞いていないようだ。
 視界の隅に、ラジコン飛行機のような物が一瞬だけ見えた。かと思うと、次の瞬間には後方で派手な爆音が鳴り響いていた。バックミラーに目を向けると、赤い炎と黒煙が上がっていた。
「っしゃあ! やったよ、ブチャラティ!」
『よし。そのまま次の出口で降りて帰ってこい。後の始末はこちらで手配する』
「はーい」
 他に何かあるかと尋ねるように電話機を向けられ、フーゴはわずかに首を傾げた。そして、
「高速に乗る時に、通行券を取るのを“忘れ”ました。どうします?」
 ただの冗談だ。取り忘れたのではなく、はっきりとした自分の意思で取らなかっただけ。任務は今正に終わろうとしているとはいえ、自分がこんなことを言うなんて。場違いな明るさを持った助手席にいる人物に、少し感化されたのかも知れない。
 ブチャラティがくすりと笑うのが聞こえた。
『敵のトップの名前にでもツケておくか』
「壊滅させたのでは?」
『高速料金くらい、小銭を掻き集めればなんとかなるだろう』
 気を付けて帰ってくるように言い残し、ブチャラティは通話を終わらせた。
 携帯電話はそのままナランチャが持っているようにと指示して、フーゴは走る速度をわずかに落とした。パトカーが現れることはないだろうが、大急ぎで帰る必要もない。それこそ“ドライブ”のような気持ちでも良いかも知れない。
 ナランチャも、だらしなくシートに体重を預けた。放っておいたらそのまま寝るかも知れない。それとも、退屈になってきて自分が運転したいと言い出すだろうか。
 しかし彼は不意に「あっ」と声を上げた。どうしたのと尋ねる前に、彼は車の外に再びスタンドを出現させていた。ダッシュボードの上に身を乗り出すようにして、前方を注視している。
「前からもう1台!」
「前? って、ナランチャ、ちょっと待っ……」
 とめようとしたが遅かった。2人が乗る車を追い越すように、ナランチャのスタンドは前方へと突っ込んで行った。その先にちらりと見える車のシルエット。少しずつ……いや、かなりの速度で近付いてきている。つまり、逆走している。逃げ遅れた一般車輌ではなさそうだ。先程追跡者達が何かを待っているように見えたのは、これだったのか――挟み撃ちにするつもりだったのだろう――。
 ナランチャはそれに向かって弾丸を撃った。着弾を見届ける前に、フーゴはブレーキを全力で踏んでいた。耳障りな音が響く。急な減速による強い衝撃。ナランチャが「うわ」と声を上げる。
 敵の車はあっと言う間に火達磨になった。ガソリンに引火して爆発するのは時間の問題だろう。2人の車はまだ止まらない。このままでは炎の中に突っ込んで行くことになる。フーゴはハンドルを左へ目一杯切った。180度向きを変えて、車はようやく停止した。今が冬で路面が凍っていたら……、いや、雨で濡れているだけでも、激しいスリップは避けられなかっただろう。
 止まったブレーキ音に代わるように、エンジン音に心臓の鼓動が喧しく重なる。
「あーびっくりしたぁ」
 ナランチャが呑気な声で言う。
「馬鹿ッ! 進行方向に向かって撃つやつがあるか!!」
 フーゴの怒鳴り声に同調するように、どんとひとつ、爆発音が響いた。同時に、おかしな色の火花が散る。相手の車は、何か爆発物でも積んでいたのかも知れない。一先ず、ここは離れた方が良さそうだ。幸いにも敵の車輌は道の端で燃えている。これ以上炎が大きくなる前に素早く横をすり抜ければ、おそらく大丈夫だろう。
 フーゴは溜め息を吐きながらギアを入れ直した。そのついでのように尋ねる。
「怪我は?」
「へーき」
 どちらからともなく、後方を振り返った。リアガラスには濃い色のスモークが貼ってあるが、それでも遠くで黒い煙が上がっているのが見えた。先の2台だ。よく燃えているらしい。そして目の前にある新たな1台。道路にくっきりと残ったブレーキ痕。
 2人は同時にぷっと噴き出した。
「ちょっと、なに笑ってるんですか」
「あはは。フーゴこそ」
 一歩間違えれば2人とも死んでいたかも知れない。「欠伸が出そうな任務だ」なんて舐めて掛かった報いだろうか。アドレナリンが分泌されている所為か、恐怖心はほとんどない。それどころか、笑いが止まらない。仮に死んだとしても、やっぱり笑っていたのではないだろうかとすら思えた。彼と、一緒なら。
「あーもう、おかしい。君の馬鹿がうつった」
「なんだとぉー」
 抗議しつつも、ナランチャは上機嫌そうだ。彼も、フーゴと同じようなことを考えているのかも知れない。もし本当に何か感染しているのだとしたら、それはどんな状況にあってもそれを楽しむことが出来る、ナランチャの“強さ”なのかも知れない。
「じゃ、帰りましょうか」
「うん」
 後方で鳴る断続的な爆発音を聞きながら、今日はドライブ日和だなと、フーゴは蒼い空を見上げた。


2017,11,24


Driver's Highがナランチャっぽいと聞いて。
ちょいちょいエアロスミスっぽくないですか。
ミサイルの雨とか、鋼の翼とか(ラルクなのにエアロスミスっぽいとはこれ如何にwww)。
そう思ったら、2人でアホみたいに笑いながら車ぶっ飛ばしてほしいなと(良い子は真似してはいけません)。
そして最後まで一緒にいてほしかったなぁとつくづく思います。
タイトルはイタリアの高速道路。
<利鳴>

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