アバブチャ 全年齢


  Bloody Birthday


 それはひどく曖昧な目覚めだった。眠りと覚醒の境界は不鮮明で、瞼を開く前から意識があったのか、それともその順序は逆だったのか、どちらとも分からぬまま、ブローノ・ブチャラティは広義では白であると呼べる――かも知れない――天井を見上げていた。
(ここは、どこだろう……?)
 彼の自宅ではない。それは確かだ。かと言って事務所のソファで仮眠を取っていたわけでもなさそうだ。見知らぬ空間。嗅ぎ慣れぬ空気のにおい。ただ、耳に届いた低い声だけは、よく知っているものだった。
「気が付いたか」
 視線を向けると、レオーネ・アバッキオが表情のない顔でこちらを見ていた――だがここが彼の部屋ではないことも分かっている――。
 起き上がろうとするも、全身のいたる箇所に力が入らず、崩れ落ちそうになる。が、すかさず伸びてきた手がそれを支えた。まるで要介護人だ。
 アバッキオは普段からにこやかであるとは言い難い顔をしている。だが今は、それに輪を掛けたように険しい目付きをしていた。
「ここは?」
 尋ねると、
「病院だ」
「病院?」
「覚えていないか?」
 そう促されて、何があったのかを思い出そうとすると、少し頭痛がした。が、それが引き金になったかのように、記憶の断片が浮かび上がってくる。
 “引き金”……。それが引かれるところは見なかった。銃声を聞いた。それは確かだ。聞き慣れた部下――グイード・ミスタ――の物とは違うそれは、背後から聞こえた。一瞬走った、焼けるような痛み。覚えているのは、それだけだった。
「撃たれたのか?」
「ああ」
 アバッキオの表情の意味がようやく理解出来た。立ち上がってもいないのにふら付くのは、血が流れた所為だったようだ――今はその痕跡は全て洗い流されたか、拭き取られたようだ――。
「どこを撃たれた?」
「どうせ暇だろ? 後でじっくり探したらどうだ?」
 傷は――おそらくブチャラティの部下のひとり、ジョルノ・ジョバァーナのスタンド能力で――塞いだが、痛みまでは消せない。今は鎮痛剤が効いているが、薬が切れれば嫌でも患部は分かるだろうと、アバッキオは続けた。
 少しずつ、意識を失う前のことを思い出してくる。
 彼等は依頼を受けて、とある男を追っていた。生け捕りにしろとの指示の所為で、手荒な手段が使えないのが少々厄介だった。
 任務を開始して半日余り、やっと追い詰めたと思った正にその時、背後に男の仲間が現れた。
 ブチャラティの名を叫んだのは、誰だったのだろうか。その声は、銃声がほぼ完全にかき消した。
 視界が真っ白になったと思った。そして次に目が覚めた時には、斑模様の天井があった。
「あの男は?」
「他のやつ等が追ってる。女の方は、その場で捕まえられた」
「女?」
「あんたを後ろから撃ったやつだ」
 背後から撃たれてそのまま気を失ったようなので、ブチャラティは当然相手の姿は見ていない。
「オレのスタンドは戦闘向きじゃあないからな。留守番してろとよ」
 苛立ったように言うのが少しおかしくて、ブチャラティは溜め息を吐くように笑った。「笑ってる場合か」と言うように、再度睨まれた。
 そして、――こちらは正真正銘の――溜め息。
「アバッキオ?」
 顔を覗き込もうとすると、辛うじて空気を振動させる程度の小さな声が言う。
「心配させやがって」
 それは、アバッキオが珍しく吐き出した弱音だった。
「すまない」
 素直に謝罪の言葉を口にし、今度は「もう大丈夫だ」と笑ってみせたが、アバッキオの肩は小さく震えているように見えた。
 「大丈夫か」と尋ねるのよりも早く、
「なんでもねーよ」
 彼は吐き捨てた。
 だが、ブチャラティは思い出していた。アバッキオは、ここ――組織――に来る前に、自分の不注意から――少なくとも本人はそう思っている――仲間をひとり、撃ち殺されている。その時のことを、思い出してしまったのだろう。負傷したブチャラティ以上に、彼の顔は蒼褪めている。
「貧血にはレバーがいいぞ」
 言った途端、また睨まれた。軽いジョークなのに。
「すまなかった」
 今度は真面目にそう告げた。そして、
「グラッツェ」
 両手を広げて伸ばした。ベッドの上で上半身を起こしただけの状態では、その手は何にも触れることは出来なかった。ゆえに、そのまま“待った”。
 アバッキオは改めて眉をひそめた。応じるのが嫌だというわけではない。こんなことで絆されても良いのだろうかと逡巡しているのだろう。だが、数秒の後、彼は少々乱暴に、ブチャラティの体を抱き寄せた。「よしよし」と背中を撫でたら、流石に怒るだろうからやめておく。
「……ったく」
 耳のすぐ後ろで息を吐く音が聞こえた。
「心臓に悪いぜ」
「すまない」
「死ぬ時はオレも連れて行きやがれ」
 随分と物騒なことを言う。だが、
「それは今じゃあない」
 ブチャラティの言葉に、アバッキオは体を離し、その瞳を真っ直ぐ見た。
「だろ?」
「……ああ」
 アバッキオはベッドの傍らに置かれた椅子に戻ると、長い髪をかき上げた。その目は、窓の方を見ているようだ。
「……とんだ誕生日になっちまったな」
「誕生日?」
 「誰の」と尋ねると、視線で「あんたの」と返された。
「1日早くないか?」
「早くない」
 きっぱりと否定されて、首を傾げる。そして、
「もしかして……?」
 アバッキオは「ああ」と頷いた。
「丸1日経ってる」
「本当か」
 眠って――意識を失って――いたのだから、時間の感覚がないのは仕方がないだろう。それでも1、2時間程度かと思っていた。改めて、アバッキオの深刻そうな表情の意味を知る。そして、1日経っても『任務完了』の報告が入らないところを見るに、他の仲間達は随分と苦戦しているようだ。やはり『生かしたまま』という条件が障害になっているのだろうか。あるいは、
(相手もスタンド使いか?)
 正解だと告げるように、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
「ああ、オレか」
 ここは病院だというのに、電源を切るどころか音を消すことさえしていなかったようだ。アバッキオは面倒臭そうにそれに出た。
「オレだ」
 それで名乗ったことになるのか? とブチャラティが思っていると、『ぼくです』と名乗った――ことになるのか不明な――声は、パンナコッタ・フーゴのものだった。病室内――音を立てる者のない個室――が静かだからか、それとも単純に音量設定が大きいのか、少しノイズが混ざってはいるが、それはブチャラティの耳にも聞こえた。
 「捕まえたか」と尋ねるアバッキオに、フーゴは『それが……』と口篭った。
「逃がしたのか」
『どうやら相手もスタンド使いです。後一歩のところで急に消えたんだ。たぶん、身を潜めるのに向いている能力なんだと思う』
(つまり、逃がしたんだな)
 それなら、アバッキオのムーディー・ブルースが適任だ。そう思った直後に、
『アバッキオ、悪いけど、加勢してくれませんか。ナランチャのレーダーでも、ジョルノのゴールド・エクスペリエンスでも探せないんだ。相手も何等かの能力を使っているとしか思えない』
 いつものブチャラティなら、直ぐに向かうようにとアバッキオに命じていただろう。だが負傷した今の彼には、その権限はないだろうか? 戦闘不能者が口だけ出すんじゃねぇとでも一蹴されるか。
 アバッキオが口を開くのを待たずに、フーゴの声が続ける。それは近くにいる誰かを気にするように、わずかに声量を潜めた。それでもブチャラティにも聞こえている。そういえば組織から持たされている携帯電話が壊れているようで音量がマックスから下げられないと報告されていた――が時間がなくて修理に出せないままでいた――ような……。
『アバッキオ、あんたの気持ちは分かります。ぼくだって、大切な人が意識不明だなんてことになったら、目を覚ますまでずっと傍についていたいと思う。あ、いや、もちろんぼくだって、ブチャラティは大事だけど、ほら、ぼくとあんたでは意味が違ってくるでしょう?』
 音量を下げることが出来ない代わりに病室を出て行こうにも完全にそのタイミングを逃してしまったアバッキオは、忌々しげな目で手の中の――音が大きいので耳から離している――電話機を睨み付けている。眉間の皺はより深くなっているようだ。
「戦力にならないからと、おいていかれたんじゃあなかったのか?」
 今のフーゴの口振りだと、最も適した能力の持ち主でありながら、ここに残ることを自ら選んだように聞こえる。“大切な人”の傍にいたいから、と。
「うるせぇよ」
 アバッキオは今日一番の不機嫌さで吐き捨てた。
『アバッキオ? 聞こえてますか?』
「ああ」
『これ以上の追跡は、あんたのスタンドじゃあないと無理だ。だから……』
「ああ」
 アバッキオは舌打ち交じりに言う。
「行ってやる」
 ブチャラティには「だからそれ以上喋るんじゃあねぇ」と言っているように見えた。
『え? 本当に?』
 自分からそうしてくれと懇願したフーゴだったが、これは意外なことだったようだ。彼は「いいんですか?」と何度も確認した。一体これまではどんな態度で断り続けていたのだろう。
「どっち道、なかなか報告がないもんで痺れ切らしてたとこだ」
 アバッキオは立ち上がった。
『もしかしてブチャラティ、目を覚ましたんですか?』
「ああ」
『ブチャラティ気が付いたの!?』
 いきなりナランチャ・ギルガの声が――声だけが――割り込んできた。フーゴが皆に知らせたのか、あるいは携帯電話のスピーカーをオンにして全員で聞いていたのか――壊れた携帯電話が2台あるという話は聞かされていない――、弾むような声は、無邪気な子供のそれのようだ。
『話したい話したい話したい話したぁーい!』
『あーもうッ、うるさいッ!!』
『ブチャラティ、目ぇ覚ましたって?』
『そのようですね』
『じゃあ快気祝いだなー。誕生日祝いも兼ねて、レストラン予約しようぜ』
『またみんなで割り勘でワイン買うの?』
『怪我人にアルコールはまずいと思いますけど』
『よし、じゃあオレが代わりに飲むわ』
『なんの意味があるんですか……』
「……切るぞ」
 誰の返事も待たずに、アバッキオは通話を終わらせ、携帯電話をしまった。途端に、静寂が戻ってくる。
「煩いガキ共だぜ」
 やれやれと息を吐くと、アバッキオは髪をかき上げた。そして視線をドアの方へ向けたまま「狩ってくる」と宣言するように言った。
「あんたの誕生日に、あの男の首、取ってきてやる」
 ブチャラティはふっと笑った。
「随分血生臭い誕生日プレゼントだな」
 作れもしないのに手作りのケーキを用意すると言われるよりはずっと良いかも知れないが。
 さっさとドアから出て行くのかと思われたアバッキオは、しかし逡巡するように足を止めている。
「どうした?」
 横顔に尋ねると、視線は向けられないまま、
「プラスマイナスゼロだな」
 ぽつりと呟くように、アバッキオは言った。
 なんのことだろうと思っている内に、アバッキオは出て行ってしまった。
 呼び止めるつもりがあったわけではないが、ブチャラティは窓の方を見た――そこから病院を出て行くアバッキオの姿が見えやしないかと――。そして、初めてそこ――ベッドと窓の間にある背の低い棚――に、真っ白な薔薇の花束が生けられた花瓶が置かれていることに気付いた――今まではずっと逆の方向に顔を向けていたために、視界に入っていなかった――。見事に咲いたそれは、丁度――と言うのが相応しいのか否か不明だが――、人の頭ほどのサイズだった。
 見舞い用の物にしては、少々派手だ。では誕生日用だろうか。色を忘れたように白いそれに鼻を近付けると、甘い香りが肺を満たした。
 「確かに首とは真逆――プラスマイナスゼロ――だな」と、ブチャラティは唇を歪ませるように笑った。


2018,09,27


生け捕りにしないといけないこと忘れててうっかりターゲットを半殺しにして慌ててジョルノに治してもらうもどうにか相手が意識を取り戻すまでに3日3晩かかってその間ずっとひやひやし続けてたらブチャラティのお祝いどころじゃあなかったぜ! っていうオチを入れられなかったのが残念です(笑)。
<利鳴>

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