フーナラ 全年齢


  ベストショット


 視界の隅で何かが動いた。テーブルの上に広げた資料から視線は外さぬまま、フーゴはそう思った。その直後に、顔の横に強い閃光を浴びせられた。同時に、やや控えめな硬い音。文面のチェックをしていた彼は、文章が途切れるところまで目線を進めてからようやく顔を上げた。
「……なに?」
 フーゴに向けられているのは、1台のカメラだった。と言っても、本格的なそれとは程遠い、使い捨ての小さな物だ。それを構えたまま「笑って笑って」と言って自分の方が先に笑っているのは、ナランチャだった。
「ちょっと、勝手に撮らないでください。何やってんだ」
 フーゴが露骨に表情をゆがめると、ナランチャはようやくカメラを顔から離した。
「いいじゃん、減るもんじゃあないし」
「知らないの? 写真に撮られると魂吸い取られるんですよ」
「うっそ、マジで!?」
「嘘に決まってんでしょ」
「騙したな!?」
「で、どうしたんです、それ。君、今日はブチャラティのお供じゃあなかった?」
「うん。今終わって帰ってきたところ」
 ナランチャは、その仕事で使ったカメラが今彼の手の中にあるそれなのだと説明した。何かの記録に必要だったらしい。
「あと2、3枚しか残ってないから、てきとーに写していいってブチャラティが。で、撮り終わったら現像に出しておけって」
 そう言いながら、早速『適当に』カメラを構えようとした。フーゴはその手を掴んで降ろさせた。
「だから勝手に撮るな。何でもいいなら、ブチャラティでも撮ってれば良かったでしょ」
「もう撮ったもん。どうせ撮るならかっこよく写せって言うから、そりゃあもうばっちり撮ったぜ!」
「あっそ。じゃあそれで満足したでしょ」
 フーゴはさっさと仕事に戻ろうとした。ところが、テーブルの上に身を乗り出してきたナランチャがそれを邪魔する。
「フーゴも撮らせてよ」
「もうさっき盗み撮りしたでしょ」
「人聞きの悪い」
「ぼく仕事中なんですけど」
「オレだってブチャラティの命令だぜ」
 フーゴは溜め息を吐いた。おそらく今自分はあからさまに不機嫌な顔をしているだろうと思った。そんなものを撮りたいのではないらしく、ナランチャは強引にカメラを向けてくることはしなかった。だが、諦めたわけでもないようで、その証拠に、彼がテーブルについた手の下には、フーゴが作った資料の束が捕らえられている。このまま仏頂面を続けていれば写真を撮られることはないかも知れないが、仕事が進まないのも困る。
「じゃあ、君が写れば? 撮ってやるから貸せ」
 そう言って手を出すと、しかしナランチャは眉を顰めた。
「えーっ? 撮られたいんじゃあなくて、撮りたいんだもん」
「面倒臭いなぁ」
 邪魔をするなと声を荒らげるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。だからと言って、カメラに向かってポーズを取るのも馬鹿のようではないだろうか。
(同じ馬鹿なら……違う、あれは阿呆か)
「あっ、そうだ!」
 不意にナランチャが声を上げた。フーゴは「うるさいなぁ」と眉を顰めた。
「今度はなんだ」
「妥協案! 2人で撮ろう!」
「はあ!?」
 それのどこが妥協なんだと文句を言うと、ナランチャは「いいからいいから」と言って、フーゴの腕を引いて彼を椅子から立ち上がらせた。フーゴにはなにが「いい」のかちっとも分からない。
「だいたい、誰がシャッターを押すんです」
 今事務所にいるのは、フーゴとナランチャの2人だけだ。他の仲間達は全員外出している。カメラマンを頼めそうな人間は――もちろんスタンドも――いない。しかしナランチャは、もう撮影のスタンバイをしているかのように笑顔のままだ。
「そんなの、こーすればいいじゃん」
 彼は軽やかな足取りでフーゴの背後に廻った。かと思うと、身体を摺り寄せるように、左腕にしがみ付いてきた。
「なっ……」
 近い。近すぎる。
 フーゴの思考と動きが一瞬停止する。反対に、心臓は一気に鼓動を早めた。その間に、ナランチャは腕を前方に伸ばして左手に持ったカメラを構えた。レンズはこちらを向いている。ナランチャの顔がより一層近付いた。すでにないはずの距離が更になくなる。おそらく背伸びをしたのだろうと、ほぼ真っ白になったフーゴの頭の中のまだ辛うじて正常に機能している部分がどうでも良いことを思った。唯一冷静な部分がそんな余計なことを考えていてどうするんだと他のパニックを起こしている部分が叫ぶ。やがて――フーゴの中の――誰かが呟く。「それもう、冷静じゃあないんじゃあないか?」。
「よし、撮るぜー」
 ナランチャが宣言する。自分のものではない髪がフーゴの頬をくすぐった。その感触に、彼の心臓は再度大きく脈打った。その音は、安っぽいシャッター音とぴったり重なった。
「撮れたー」
「ッ……、勝手に撮るなって言ってるでしょうッ!?」
 やっと硬直から脱したフーゴは、ナランチャの腕を振り解いた。顔が熱い。一方ナランチャは、平然としている。
「あ、今ので最後だ。任務完了。撮り終わった〜」
「よこせそのカメラ!」
「駄目に決まってんだろ。仕事の写真もあるんだから。これから現像に出してくるぜー」
「ああもうっ!! 絶対に今の変な顔で写った!!」
 これなら仏頂面を撮られた方がずっとマシだった。フーゴは頭を抱えながら、乱暴に椅子に座った。それを見たナランチャは、くすくすと笑っている。睨み付けてやったが、何の効果ももたらさなかった。
「大丈夫」
 ナランチャは白い歯を見せてそう言った。
「なにが」
「フーゴはどんな顔しててもかっこいいって」
「ッ……」
 顔面の温度が一気に上昇するのをフーゴは自覚した。そこから蒸気が出ていたとしてもちっとも驚きはしないだろうと、またおかしなことを頭の隅の方が考えている。いやいや、そんなものが出るはずがないだろう。紫色の煙ならありえるかも知れないが。
(落ち着けぼくの脳。全然上手くないから)
 フーゴは両手で顔を覆った。ナランチャは、「あはは」と笑っている。カメラのフラッシュのように眩しい笑顔だ。
「フーゴ撃沈」
「うるさい」
「現像行ってくる」
「さっさと行けば」
「フーゴの分も焼き増しする?」
「要るかッ!!」


2015,09,06


5部の頃って使い捨てカメラまだ普通に使っていた気がします。
今の子は修学旅行にデジカメ持っていったりするんですかね。
写ルンですとかもう知らないのかなー。
<利鳴>

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