アバブチャ 全年齢 アニメオリジナル設定


  ブラック アンド ライト


 空からは星明かりの代わりのように無数の雨粒が降り続いている。街灯の光もろくに届かない裏路地で、黒い服を着たアバッキオの姿はすっかり夜に溶け込んでいた。
 一方、地面も建物の外壁も、全てが雨に濡れて暗く変色しているその場所で、“その男”は闇の中に浮かび上がっているかのように見えた。それは、白い服の所為だけではない。アバッキオの目には、“その男”自身がかすかな光を放っているように見えた。
 もちろん、実際にはそんなことがあるはずはない。それでもアバッキオは“その男”から目を離し、黙ったまま立ち去ってしまうことは不可能だと感じた。
 掛けられた言葉に対しての拒否の返事をしないのが了承の意思表示であると見なしたのか、“男”は「決まりだな」と言って微笑んだ。そこに張り詰めたような空気はなく、表情からは幼ささえ感じた。
「詳しい話は後だ。いつまでもこんなところにいたんじゃあ、風邪を引いちまう」
 そう思うのなら、傘は差したままでいるべきだっただろうに。
「オレの部屋が近くだ」
 “その男”はなんでもないことのように言った。途切れることのない雨音の中でも、“彼”の声は明瞭な響きを持っている。
「来いよ。今日は泊まっていけばいい」
 会ったばかりの人間について行くなんて、常識的に考えればありえない。しかも“彼”はおそらくギャングだ――直感的に見抜いたのは、アバッキオの“元”警察官としての勘が働いたのだろうか――。“彼”は普通の人間が持ちえない独特の空気をその身に纏っている。
 だが、アバッキオはそれでもいいと思った。“彼”が自分に対して何らかの不利益をもたらすつもりであったとしても――金銭は大して持っていないが、裏の世界に身を置く者にとって、健康な若者ひとりを金に変えることはそう難しくはないだろう――、すでに『未来』なんてものは、存在していないのだ。もし命を奪われたとしても、それはそういう運命だったということなのだろう。
 そんな諦めが半分。
 もう半分は、既存の言葉を無理矢理当てはめるのであれば、信頼。
 この男は信じるに足る。何故かそう思った。理由は分からない。むしろそんなものはないのかも知れない。ならばそれも『運命』なのだろうか。よく知りもしない男を自宅へ招き入れようとしている“彼”はどんな心境なのだろう――命の危険等を想定してはいるのだろうか――と思いながら、アバッキオは“その男”の後ろを黙ったまま歩いた。
 雨はやむ気配を見せない。それでも、何故か前を歩く“男”は、傘を閉じたままだった。
 数分――傘を差さずにいれば充分ずぶ濡れになる程度の時間ではある――後、どこにでもあるような極普通のアパートの前で、“男”は足を止めた。その一室の鍵を取り出しながら、“彼”はふと思い出したように言う。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな」
 名前も知らない相手の自宅へ招かれるなんて、アバッキオの精神がもう少し余裕を持てる状態であれば、きっと自虐的な笑みをこぼしていただろう。誰だって呆れるに決まっている。
「オレの名は、ブローノ・ブチャラティ」
 彼は握手を求めることはしなかった。アバッキオがそれを望んでいないことを、見通していたのだろう。彼は代わりのように笑顔を見せた。
「よろしくな、アバッキオ」

 通されたのはリビングだった。独り暮らし向けの、決して広くはないその部屋は、しかし整頓されている上にあまり物を置かない主義なのか、一歩間違えば閑散として見えただろう。無意識の内にアバッキオは室内を見廻していた。それに気付いたブチャラティが、「何か面白い物でも見付けたか?」とでも言うように、柔和な笑みのまま軽く首を傾げる。アバッキオが視線を逸らせると、それは肩をすくめる仕草に変わった。
「とりあえず服をなんとかしないとな」
 それについては異論はなかった。2人の足元には服や髪から滴り落ちる水滴によって、小さな水溜まりが出来始めている。自分はともかく、ブチャラティは早々になんとかすべきだとアバッキオは思った。持ち歩いていた傘も差さずに雨に打たれ、自宅にいるのに濡れたままの服でいて風邪を引くなんて、間抜けにもほどがある。
「ちょっとここで待っていてくれ。それとも、風呂でも沸かすか?」
「いや」
 アバッキオは久方振りに自分の声を聞いた気がした。
「そこまではいい」
 本当なら「何も要らない」と言うべきなのだろう。だがそれならこの場所にいるのも間違っていることになってしまう。アバッキオはまだその男の傍を離れたくなかった。
「そうか」
 ブチャラティは小さく頷くような仕草を見せた。
「タオルを持ってくる。待っててくれ」
 改めてそう言って、彼はリビングを出て行った。数分後に戻ってきた時には、黒い――縁だけが白い――パジャマに着替えていた。肩には髪を拭いたらしい濡れたタオルがかかっている。
「これなら着られるかと思うんだが」
 そう言って差し出されたのは、きちっと畳まれた状態の乾いたタオルと、光沢のある白いパジャマだった。自分には似合いそうもない色だなと思ったが、寝るだけの服ならデザインなんてどうでも良いだろう。気は進まないが、他人の家で濡れた服のままでいるわけにも――ましてや全裸で過ごすわけにも――いかない。アバッキオは仕方なくそれを受け取った。
「貰い物なんだが、サイズが大きいんだ」
 手触りだけでも分かる。それなりに高額そうなパジャマだ。「貰い物だ」と言ったが、恋人からの贈り物とかではないのか。そう尋ねると、ブチャラティは笑った。
「違う違う。御年80のシニョーラからだよ」
「孫扱いか」
「そんなところかな」
 そう言った笑顔は町中で見掛ける極普通の若者達のそれと何ら変わりない。
(こいつ、本当にギャングか?)
 チームに来いと言われたが、それはお前もギャングになれという意味だろう。しかしこれでは学生のボランティア団体にでも誘われたのかと錯覚してしまいそうだ。
 ブチャラティはアバッキオの手元を見ていた。そこには手渡された物がまだ乗っている。白いタオルと白いパジャマ。ブチャラティは視線を自分の体へと移動させた。
「数分前までと真逆だな」
 さっきまでは、ブチャラティが白でアバッキオが黒だった。その発言も子供っぽいと思った。

 濡れた髪と体を拭いて、服を着替えると、少し気持ちが落ち着いた気がした。ソファを指差しながら「座っていてくれ」と言われたのにも、素直に従った。「ありえない」と思う気持ちに慣れてしまったのか、そんなことを考えることすら嫌になったのか……。
「体が冷えているだろう。何か飲むか? お茶か? ワインか? どっちも安物しかないが、量だけはそれなりにある」
「……どっちでもいい」
 キッチンから掛けられた声に、アバッキオは「何も要らない」とは答えなかった。どうやら彼は、まだ“何か”を欲しているらしい。
 しばらくしてブチャラティがローテーブルの上に置いた白いマグカップには、赤味を帯びた液体がなみなみと入れられていた。
「ワインの紅茶割りだ」
 道理でどちらの匂いもすると思った。折衷案といったところか。言い換えると、どっちつかず。
「中途半端だな」
 ひと口啜ってから、アバッキオはそう言った。
「口に合わないか?」
 ブチャラティはアバッキオに渡したのとは全く違うデザインのガラスのカップ――中の液体は同じ物であるようだ――を口元に運びながら尋ねた。その声は、カップの中でわずかに反響した。アバッキオはそれを真似るように白いカップに向かって言った。
「まあ、オレにはお似合いかもな」
 自分で選んだ道を進めず、その真逆の方向へ歩み出そうとしているのだから。
「お前、相当ひねくれてるな」
 ブチャラティは苦笑を浮かべた。
「そこまで深読みするな。何も出せなくなるだろう」
 ブチャラティは食卓の椅子を移動させ、アバッキオの斜め向かいの位置に置いて座った。脚を組みながら緩やかに微笑む。
「“それ”に不満があるっていうなら、教えてもらおうか。お茶とワイン、本当はどっちが好きなのか」
「……ワイン」
 今口にしている液体も案外悪くはないと思ったが――少なくとも体は温まる――。
「赤か? 白か?」
 ブチャラティはさらに尋ねる。しかしアバッキオはそれを遮った。
「待った」
「ん?」
 ブチャラティはカップを傾けようとしていた手を止めた。
「質問をするのはあんたの方からだけか?」
 真っ直ぐ見詰めるように言うと、深い海のような色をした目が瞬きを繰り返し、笑った。
「じゃあ、順番だ」
 ブチャラティは「どうぞ」というように右手を差し出した。

 それからアバッキオは、ブチャラティに色々なことを聞いた。組織のこと、彼のチームのこと、そして彼自身の個人的なことも。生まれ故郷のこと、子供の頃のこと。同時に、ブチャラティが聞かせてくれたこと、ブチャラティが聞いてきたこと以上のことを話した。自分の方から質問は一方的なのかと文句を言ったにも拘わらず、いつの間にか自分ばかりが喋っているということが何度もあった。子供の頃からの夢と挫折。そんな身の上話を、何故初対面の相手にしたのかは分からない。誰でもいいから聞いてほしかったのか、あるいはなんでもいいから自分のことを彼に聞かせたい――知ってもらいたい――と思ったのかも知れない。それからたぶん、アルコールの所為も少々――ここに来る前からアルコールは口にしていたし、マグカップの中身も2杯目からはただのワインになっていた――。
 いつの間にか雨が上がっていたようだ。ふとした拍子に静けさが空間を包み込む。重苦しい沈黙ではない。むしろ心地良ささえ感じた。そんな穏やかな気持ちは、久しく忘れてしまっていた。
 今は何時だろう。ずいぶんと長いこと喋り続けていた気がする。濡れていた髪はすっかり乾いている。まだ夜明けには届かないだろうが、少し眠たくなってきた。
「そろそろ寝るか」
 ブチャラティが言う。欠伸を噛み殺したのがバレていたようだ。少しばかり気恥ずかしい。
 空のカップと、同じく空のワインボトルを持って、ブチャラティが立ち上がる。彼もそれなりの量を飲んでいたはずだが、その足取りはしっかりしている。
「立てるか?」
 揶揄するような表情で尋ねられ、「馬鹿にするな」と言い放った。
「それじゃあ、寝室のベッドを使ってくれ。オレはここで寝るから」
 「はい立って」というような仕草で、ブチャラティは追い立てようとした。だがアバッキオは眉をひそめただけで動かない。決して立てないほど酔いが廻っているわけではないが。
「あんたの家だろう。あんたが自分の部屋で寝ればいい」
「その場合、お前は?」
「ソファを借りられればそれでいい」
「いやいや、客人はもてなさないとな」
「どこが客だ」
 厄介な拾い物の間違いではないのか。
「オレはまだ正式にあんたの部下になったわけじゃあないんだろ」
 組織への入団は、幹部からの許可が必要だと少し前――まだカップの中にお茶が残っていた時――に聞いていた。
「そうだな」
「だったら、命令には従わない。ベッドで寝ろと言う命令は聞かない」
 ブチャラティは「やれやれ」と言うように息を吐いた。
「お前がまだオレの部下ではないと言うなら、なおさらだ」
「あ?」
「お前の方が年上だろ。年長者は敬わないとな」
 年上と言ってもせいぜい数ヶ月の違いしかない。それもさっき聞いたばかりだ。
 そんな遣り取りを数分間繰り返し、一時的に眠気を忘れそうになった頃、結局ローテーブルを挟むような形で2人とも床で寝ることで決着がついた。なんともおかしな状況だ。
 それでもアバッキオは、目を閉じていくらも経たない内にその意識が眠りの中に呑まれてゆこうとしているのを自覚した。もう、自分とブチャラティのどちらが「勝手にしろ」と言い捨て、どちらが「勝手にするさ」と返したのかも分からない。
 「もしこれが夢だったら」。意識を手放す直前に、アバッキオはそう思った。もしこれが夢だったとしたら、自分は目を覚ました時にそのこと自体に絶望するだろう。目覚めなければ、ずっと夢の中にいられたのに、と。そんなことを考えながらも、彼は久方振りに深い眠りについた。

 夢を見ていた。内容は覚えていない。だが一番覚めてほしくないと思っていた出来事は、どうやら夢ではなかったようだと分かった。名を呼んで彼を夢の中から引きずり出した男は、そこに立っていた。現実に存在している。アバッキオはひっそりと安堵の息を吐いた。
「アバッキオ」
 ブチャラティは再度彼の名を呼んだ。
「起きろ。試験だ」
「試験?」
 元よりアバッキオの寝起きはあまり良くはない――警官時代も少々苦労したことがあった――。一定以上のアルコールが入っているとなればなおさらだ。久し振りの心地良い眠りを妨げられたことによる不愉快さも手伝って、その意味が分からない言葉を繰り返す彼の口調は、控えめに言っても聞いた子供が泣き出しそうなオーラを孕んでいた。
 しかしブチャラティはなんでもないように頷いてみせた。流石子供ではないどころか若くしてギャングなんてやっているだけはある。
「試験だって?」
 まだ正常に動き出していない頭を軽く振りながら、アバッキオは起き上がった。
「そう、入団試験だ」
 入団……。そうか、チームに入れと言われたのだった。
「テストがあるなんて聞いてないぞ」
 ないとも聞いていないが。
「そうだったか?」
 アバッキオはブチャラティの顔を睨んだ。ブチャラティは笑っていた。
(この野郎……)
 頭が少し痛んだ。二日酔いか、それとも風邪か……。こめかみの辺りを押さえながら立ち上がろうとして、ようやく気付いた。そこはベッドの上だった。
「……あ?」
 リビングの床で寝たはずなのに。見廻したその部屋は、どう見ても寝室だった。ベッド、机、衣装ケース、本棚。途中で目を覚ました記憶もないのに、明らかに違う部屋へ移動している。
 いや、ぼんやりとだが、誰かに抱えられて運ばれたような覚えがある。それそこ夢かと思っていたが。
(……この男が?)
 まさか。無理だろう。
 並んで比べるまでもなく、自分の方が背も高いし、肩幅もある。当然体重だってそうだろう。
「どうやって……」
 アバッキオの思考を読み取ったように、ブチャラティは笑いながら人差し指を立てて自分の唇に当てた。
「企業秘密、といったところかな」
 いたずらめいたその仕草と表情は、やはり幼く見えた。
「ポルポの試験を受ければきっと分かる」
 腑に落ちないが、問い詰めたところで答えはしないだろう。質問は順番にと決めた。ブチャラティが「試験の結果はどうだった?」と聞いて、アバッキオが合格したことの証を回答として示すまで、その順番は廻ってこないというのなら、やるしかない。となれば、後はもう時間の無駄だ。
 行き先の住所を聞き、すっかり乾いている服を着て、アバッキオは玄関へ向かった。
「アバッキオ」
 背中に呼び止める声。彼は振り向いた。
「合格して戻って来いよ」
 ブチャラティは笑顔でそう言った。
「待ってる」
 窓から差し込む朝日の所為か、その姿は眩しかった。
「ああ」
 アバッキオは前へと向き直した。
「行ってくる」

 そしてアバッキオは『スタンド』と呼ばれる能力に目覚めると同時に、パッショーネの一員となった。
 だが、彼の『元警察官であるという経歴』は、ギャングにとってマイナスでしかなかった。どんな功績を残しても、出世はありえないだろうと早々に告げられた。
 それでも良かった。
 彼が求めたのはそんなものではない。
 暗闇に浮かび上がるかすかな光を見失わないこと。それが、彼の望みだった。

「ねえ、アバッキオはどう思う?」
 声変わり前の子供のような高い声が彼の名を呼んだ。いつの間にか複数の視線が自分へと向けられていることに、アバッキオはようやく気付いた。
「何が」
 カップにわずかに残っていたお茶を飲み干しながら尋ね返すと、たちまち不満そうな声があがった。
「えええーっ? 聞いてなかったのかよぉ」
「マジかよ。最初から説明し直しかよ」
 正直いって、全く聞いてなかった。
 テーブルについているのは同じチームに所属する仲間達だ。人数はアバッキオが入団した時よりも増えている。全員彼より年下だ。
「ちゃんと会話に加わってくださいよ」
「そーだそーだ。意見出せよっ」
 縄張り内にあるいつものレストラン。リーダーは“上”からの電話で席を外している。学生の集まりでもおかしくないような年頃の仲間達の話は全く聞いていなかったが、この盛り上がり方から察すると、たぶん大した内容ではないだろう――次の任務には車で行くか電車を使うのか、だとか、出先での食事は何にするか、だとか――。
「オレはブチャラティの意見に従う」
「えー、それずるいっ」
「他人任せですか」
「つーか会話に参加しろって。協調性のないやつだなー」
「アバッキオってあんまり喋んないよなー」
「そうかもな」
 年下達にそう応えたのは、電話を終えて戻ってきたブチャラティだった。“上”からの連絡は大した内容ではなかったようで、彼の正体がギャングであるとはなかなか分からないような穏やかな表情をしている。それは、彼と初めて出会ったあの日の遣り取りを思い出させた。
 彼はアバッキオの顔を見ると、溜め息を吐きながら笑った。
「“あの時”はよく喋る男だと思ったんだがな」
 どうやら、ブチャラティもアバッキオと同じようなことを思い出していたらしい。奇遇、と言うべきか、不思議なことがあるものだ。彼と出会ってから今日までのことは、一体何者の手によって定められた運命なのだろう。
 それはそれとして、おかしなことを喋られるのは困る。年下の仲間達が揃って訝しげな顔をしている。
「なんです、それ? 何の話ですか?」
「よく喋るアバッキオぉ?」
「それって別人なのでは……」
「『あの時』ぃ?」
「『あの時』って?」
「おいブチャラティ、余計なことを言うな」
 アバッキオが睨むと、ブチャラティはくすくすと笑った。それを見て、仲間達はますます怪訝そうな顔をする。
「『余計なこと』?」
「なぁんか怪しーなぁ?」
「意味深というか……」
「やれやれですね」
 それでもブチャラティは表情を変えない。
(こいつ、絶対わざとやってやがる)
 “あの時”は闇夜に浮かび上がる白い光のようだと思ったが、
(腹ん中真っ黒なんじゃあねーのか)


2019,04,27


アニメでオリジナルのアバブチャシーンが描かれたのが嬉しくて!
ブチャラティが傘を閉じたのはアバッキオと同じ場所に立っていることを表したかったんですってね。
ブチャラティかっけぇなぁもう!!
ハタから見たら傘持ってんのに差さずに雨に濡れてる変な人だけどね!
誰にも見られていないことを祈ります(笑)。
<利鳴>

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