ミスジョル 全年齢


  ブルーマロウの微笑み


 窓の向こうの空は赤く染まり始めていた。それとは対照的な青い色を眺めながら、ジョルノはテーブルの上の小さな水溜りに指先で触れた。グラスの外側を伝って出来た水滴の集まりは、少し温くなりかけていた。
 視線をグラスの中の液体から、透明に光る指先へ、そして壁に掛けられたアナログの時計――実は2、3分ずれている――へと移動させる。「そろそろ帰ってくるはず」と心の中で呟くと、照らし合わせたかのようなタイミングで、階段を上がってくる足音が聞こえた。今日は他のメンバーは帰ってこないと予め聞かされていなかったとしても、ジョルノにはその足音の主が誰なのかを言い当てられる自信があった。極端に歩幅が広いわけでもなく、踵を擦るように歩く癖があるわけでもないそれを聞き分けられるのは、それだけその人物が彼にとって特別であることを意味している。
 ドアが開いて呑気な声が聞こえた。
「たでーまー。あー、あっちぃー。夏だなチクショー」
 予想通り、それはミスタだった。駆け寄って行って出迎えたい気持ちを抑えながら、ジョルノは柔和な笑みを作る。
「お帰りなさい」
「お、ジョルノ。おめーひとりか」
「ええ。リーダーは“用心棒”を連れて『ちょっとひと仕事片付け』に」
「お子様2人は?」
「明日の朝一の任務を命じられたので、今日は早く帰って準備にあてる、と。……と言うか、『お子様2人』って、ぼくの方が年下なんですけど」
「でもそれで通じてるんなら問題ないだろ。そんなことよりも、それ、何飲んでる?」
 ミスタが指差したグラスを、ジョルノは顔の高さに持ち上げてみせた。赤味を帯びた西日に照らされるその液体は、それでも涼しげな透き通った青色をしていることがはっきりと分かる。
「食紅?」
「青い食紅って、矛盾した言葉ですよね」
 光に翳すように覗き込んだ液体の中には、小さなお茶の葉の破片が舞っているのが見える。
「人工着色料ではありません。ハーブの色ですよ。ブルーマロウ。聞いたことないですか?」
 尋ねると、肩を竦めるような仕草が返ってきた。
「アルコールに混ぜると青くなる睡眠薬があるって話なら、少し前に聞いたな。色が変わるから、酒に混ぜてこっそり飲ませて良からぬことをしようとしてもバレるっていう」
「なるほど。昔は目薬を混ぜたんでしたっけ?」
「効果出るほど入れたら不味くなるけどな」
「実証済みですか?」
「常識的に考えて、だ。俺がそんなゲスいマネするように見えるかぁ? どっからどう見たって紳士だろうが」
 おどけたように言うミスタに、ジョルノはくすくすと笑った。頭の天辺から爪先まで、全て柄物で覆って銃を携帯している紳士か。いくつの世界を探したら、彼以外のそんな人物が見付かるのだろうか。
 ジョルノはグラスを置いて立ち上がった。
「アルコールは入ってませんんよ。ついでにカフェインも。ブルーマロウ自体は無味無臭に近いから、これはカモミールやレモングラスをブレンドして、飲み易くしたものですけどね。少し大きい専門店なんかに行けば普通に買える市販のハーブティです。ミスタもどうですか?」
 そう言いながら、ジョルノは新しいグラスと、冷蔵庫から取り出した硝子のポットをテーブルに置いた。
「ちょうど残り1杯分ってところですね。あまり日持ちするものではないので、飲んでしまってもらえると助かります」
 氷を入れたグラスに注いで、「どうぞ」と差し出した。ここまでされて、「いや、要らないわ」とはなかなか言わないだろう。普段目にすることのない美しい青色に、彼は少なからず興味を持っているようでもあるし。何より夏の屋外を歩いてきた後に、よく冷えた飲み物は抗い難い魅力を放っている。青く透き通るそれを、ミスタはすんなりと受け取った。
「これマジで色付けてねーの?」
「青い飲食物って、自然の物にはなかなかないですよね。昔は染料も青系の色は植物よりも鉱物を原料とする物が主流で、同時に高額だった。少し面白いのが、ブルーマロウの花弁自体は紫色をしていることです」
 ミスタはくんくんと匂いを嗅いでからグラスに口を付けた。
「あ、すっげーオーソドックスなハーブティって感じの味」
「酸化するとピンク色に変わるんですよ。だからレモンを入れて飲むのも広く好まれる。でもこれは、もうレモンの香り付けがされているから、更に入れると酸味がきつくなるかも知れない」
「へぇ」
「それでも良ければ入れますか? レモン」
 実はこの場にレモンの買い置きはないが、ジョルノのスタンド能力を使えば適当な物をそれに変えることが出来る。だがミスタは首を横へ振った。
「いや、このままでいいわ」
 「不味い」と眉をひそめることはしなかったが、あまり口に合わなかったのかも知れない。あるいはそれまで未知であった物への興味は、体内に取り込んでしまうことによって「ふーん、こんなもんね」と、薄れてしまったのかも知れない。それでも彼はグラスの中身を飲み干した。たぶん喉が渇いていたのだろう。
「ぼくが片付けますから、ミスタは休んでいてください。もう少し涼しくなってから戸締りをして帰りましょう」
 ジョルノが空になったグラスとポットを持って流しに向うと、ミスタは「グラッツェ」と軽く手を上げてその場を離れた。机に座って報告書作りでも始めるのかと思いきや、彼の足は奥の休憩室――ソファが置かれている――へと向いていた。
「よーし、休むぞー」
 気合を入れるような口調は、しかしセリフの中身と矛盾している。「休め」とはジョルノも言ったが、ここまで堂々としているのもいかがなものか。リーダーや諸先輩方が留守だから……。
(というわけではないんだろうな、彼の場合)
 綺麗に洗ったグラスを棚にしまいながら、ジョルノは笑った。

 30分ほど経ってから、ジョルノは休憩室を覗いてみた。己のスタンドと会話をする癖があるミスタは、話し相手がいないからといって静かであるということは少ない。にも関わらず、事務所の中はジョルノひとりしかいないかのようにしんとしている。さてはと思って視線をやった先で、案の定、ミスタは眠っていた。
「ミスタ? そろそろ帰らないんですか?」
 声を掛けても、ソファに横になった体は呼吸でゆっくりと胸が上下している他は少しも動かない。完全に寝入っているようだ。
 ジョルノはふうと息を吐いた。
「ベネ」
 素早く出入り口のドアに近付き、鍵を掛ける。ついでに電話機の着信音もオフにしてしまう。あらかじめ「適当な時間に帰ってかまわないからな」と言い残していったリーダーから電話が入る可能性は低いだろうが、念のためだ。携帯電話――自分のもミスタのも――も音の出ないモードにしておく。着信があっても、後から「事務所に忘れていってしまって……」と言い張るつもりだ。
 休憩室に戻ると、ミスタは姿勢を変えることすらなく、相変わらず規則正しい寝息を立てていた。
 そっと頬に触れてみた。ミスタの呼吸のリズムは変わらない。
 ミスタに飲ませたハーブティに、アルコールは入っていないと言った。それは嘘偽りない。が、
(睡眠薬が入っていないとは言ってません)
 「ミスタの寝顔を眺めていたくて」なんて可愛い言い訳は、たぶん誰も信じないだろう。
(それはそれで本当のことなんだけどなぁ)
 逆に開き直ったら、なんてゲスなと非難されるだろうか。
(大いに結構。ぼくはギャングだ)
 彼の眠る姿を目にするのはこれが初めてのことではない――ついでにその逆、即ち、ミスタに寝顔を見られることも――。同じ部屋に帰り、同じ物を食べて、同じベッドに入り、体温を分け合うように体を重ねる。そんなことは、すでに何度もやっている。
 ミスタの全てはジョルノのもので、同時に、ジョルノの全てはミスタのものだ。だが、所有し、所持され、それでも彼への興味、関心、そして想いが薄れてしまうことなんてなかった。“満足”なんて言葉は存在しないかのように、もっと彼が欲しくなる。もっと触れたい。もっともっと彼の傍に。そして、同じだけ、いやそれ以上に求められたいと願う。ミスタに望まれるのであれば、自分はどんな色にだって変わってみせる。ジョルノには、その自信がある。
 呼吸の音を確かめるように、顔を寄せてみた。そしてそのまま口付けを落とす。穏やかな寝顔がわずかに微笑んだように見えた。
「ミスタ、ぼくの愛しい人……」
 ジョルノは、母親が我が子を見守る――ジョルノにはそんなことをされた記憶は皆無だが――ような、心からの笑みを浮かべた。


2018,08,18


愛用しているお茶屋さんで青いお茶が期間限定発売されて、それが買えたのがうれしくて!
でも水質が合わなかったのか、ホットで入れた時は一瞬だけ青くなった後すぐ透明に、水出しに挑んだ時は全然青くなりませんでした。
残念。水道水じゃあなくて、ペットボトルの水で作ってみたらどうかなぁ?
そんなことより我が相方のセツさん、お誕生日オメメタァ!
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system