トリッシュ中心 全年齢


  Solo


 「外の風にあたりたい」と言うと、意外にも、ブチャラティはそれを許可した。と言っても、彼が一切の難色も示さなかったと言えば、それは嘘になる。
「あたし、スタンド使いなのよ。一人でも戦える……とまでは言わないけど、“貴方達と一緒に”戦うことは出来るつもりよ」
 トリッシュのその言葉に、ブチャラティは溜め息を吐きながらも頷いた。
「……そうだな。実際、オレ達は君の力に助けられた。……分かった。ただし、一人になることは許可出来ない。オレから離れるな。それが条件だ」
「それでいいわ」
 その返答に、ブチャラティの表情はどこか安堵したように変わる。
 ブチャラティにとってトリッシュは、“ボス”の命令によって“守る必要があるもの”だった。それはたまたま生きた人間であったわけだが、おそらく彼は、“対象”が小さな石ころ一つであったとしても、命懸けで守り、指定された場所へと送り届けたのであろう。
(つまり、あたしはちっぽけな石ころと同じ程度の存在……)
 いわば運ばれるだけの荷物――口を利いて動き廻ろうとする分、石よりも彼女の方がよっぽど扱い難かったかも知れない――。そんなトリッシュに、自らの意思を主張する自由はありえなかった。トリッシュが拒もうが、抵抗しようが、彼は与えられた命令に従うだけだ。
 ところが、状況は今や大きく変わっている。彼は“ボス”からの命令に逆らい、“組織”を裏切った。それと同時に、『トリッシュを守る』という使命も消滅しているわけだが、今の彼には、『“ボス”に近付くための唯一の手掛かり』としての彼女が必要だった。トリッシュが同行を拒んでいたら、彼等はたちまち戦う術を失ってしまう――力尽くで連れて行くというのであれば話は別かも知れないが――。そうならずに済んでいるのは、ブチャラティの力ではなく、トリッシュの意思に他ならない。“ボス”を討つ。その共通の目的があるからこそ、彼女はまだ彼等と共にいる。それだけのこと。
 そのことを思えば、ブチャラティがトリッシュの行動を制限する権限等、ないと言ってしまえる。本来であれば彼は、『許可』を出せるような立場ではないのだ。
 だが、ブチャラティ達が――損得を抜きにしても――自分を守ろうとしてくれていることも、トリッシュにはちゃんと分かっている。故に、「貴方達に指図される覚えはないわ」なんて辛辣な言葉を放つつもりは一切ない。
 スタンド使いである亀――力に目覚めて間もないトリッシュにとっては、“先輩”であるということになるのだろうか――が作り出した空間の天井を見上げると、ブチャラティの仲間――部下――の一人、ミスタの顔が見えた。どうやら今亀を持っているのは彼であるらしい。
「ミスタ」
 ブチャラティが声を掛けると、彼の視線はすぐにこちらへと向いた。
「外に出る。お前は車の調達がどうなっているか見てきてくれ」
 理由等を一切聞くことなく――あるいはすでに会話が聞こえていたのかも知れない――、ミスタは「了解」と短く答えた。それから数秒もせずに、外に見える景色が動いて、ミスタの顔は見えなくなった。おそらく亀は地面に降ろされたのだろう。
 改めてブチャラティの方を見ると、彼は無言で頷いた。トリッシュは「ありがとう」と言うか否か、一瞬だけ迷った。が、結局何も言わずに外へと出た。「外に出る」と宣言したブチャラティではなくトリッシュが現れたことに、ミスタは訝しんだ様子を全く見せなかった――やはり聞いていたのだろうか――。
 ミスタはブチャラティがトリッシュの後に続くように出てきたことを見届けると、「じゃ、あいつ等の様子見てくるわ」と言って、手をひらひらと振りながら離れて行った。
 周囲を見廻すと、ミスタが歩いて行ったのとは逆の方向に、撤去を忘れられたかのようにぽつんと一つだけ、古びたガードレールがあった。人の腰よりもやや高いそれに、トリッシュは道路の方を向いて腰掛けた。
「危ないぞ」
 大して危ないと思っていなさそうな声で、ブチャラティは小さな子供を咎めるようなことを言った。
(……もし)
 もし、ここにいるのが本当に小さな子供だったとしたら、その言葉を掛けるのは父親の役目だろうか。
(でも、あたしに父親はいない)
 いなかった。
(最初から)
 一度も。
 静かに息を吸い込むと、空気はすでに春の匂いを纏っていた。だがそれは、母と2人で暮らしていた町のそれとは違っている。
 不意に、胸の辺りを圧迫されるような感覚があった。「亀の中は外とは気圧が違うのかしら」なんて、くだらない冗談を思い付いたが口に出すのはやめておいた。
「ねぇ」
 声を掛けながら振り向くと、ブチャラティはトリッシュに背を向ける形で、周囲の様子を――警戒するというよりは――のんびりと眺めているようだった。「何か妙なことを仕出かさないか」とこちらを監視するのではなく、むしろ背中を任せてもらえているような立ち位置に、トリッシュは少しだけ嬉しさを覚えた。だが、片手に亀を持った彼の姿は、何も知らない者の目には奇妙なものに映ることだろう。
 トリッシュの声に、ブチャラティは肩越しに振り向いた。
「教会で言ったこと、覚えてる?」
 少々の間の後に、彼は首を傾げる仕草を返してきた。
「父親のことを好きになれるかなんて、そんなことを心配する親子はいない。そう言ったのよ」
 その言葉は、ブチャラティの本心であったのだろうか。それとも、「絵空事でも構いはしない。それでトリッシュの不安を軽減させられるのなら」との気持ちからだったのか。そんな優しさはなく、その場凌ぎで心にもないことを言っていた可能性もある。その発言自体をすっかり忘れてしまっているということは、少々ばつの悪そうな彼の表情から、ないだろうとは思えるが。
「別にいいのよ」
 「この嘘吐きめ」と、非難したいわけではない。ブチャラティが本心で言っていたのだとしたら、彼こそが幻想を打ち砕かれ、心を痛めているのだろうから。
「貴方の言う通り、そんなことを気にする親子がいないんだとしたら、あたしとあの男は『親子』なんかじゃあなかったのよ」
 生物学的なそれが否定出来ないにしても、少なくとも、2人の間に心の通った親子関係なんかは存在していなかった。おそらくは、最初から。一度も。
「父親がいると聞かされた時、正直言って嬉しいとは思えなかったわ。母が亡くなって不安ではあったけど、それでもその不安を父親が埋めてくれるとは思えなかった。そんなもの、いないのが当たり前だったんだもの」
 ブチャラティは相槌を打つことすらせず、そこにじっと立っている。だが、トリッシュの言葉を一言も聞き逃さずにいることは、その真剣な表情と、真っ直ぐ向けられた視線で分かる。
「はっきり言ってしまうと、少しほっとしてるかも知れない。あたしに父親はいない。最初からそれが事実だった。その事実に、ただ戻るだけなのよ」
 その“事実”を選び取るために戦う。そのことに対する迷いはない。恐怖は、ないとは言えないかも知れない。だがそれよりも“覚悟”の方が大きい。
「……でもね」
 ブチャラティは再び首を傾げた。
「母は、もういないのよね。それは変わらないし、あの男とも無関係。だから、どうしようもない」
 亀の外に出ていて良かった。あの部屋のソファの上にいたら、きっと両膝を抱えて、うずくまっていただろう。一度そうなれば、再び顔を上げることは容易ではなくなってしまうかも知れない。不安定なガードレールの上、そんな場所だから、そうならずに済んだ。うずくまる代わりに、トリッシュは片方の膝だけを折り畳んで、胸の側へと引き寄せた。
「あたし、一人ぼっちに戻っちゃったのね」
 そう思うと、春の風が急に肌寒いものに感じられた。
 ブチャラティの目は、相変わらず真っ直ぐにトリッシュの姿を見詰めている。
 トリッシュはわざと聞こえるように溜め息を吐いた。
「もうっ……。『オレがいるさ』とかなんとか、嘘でもいいから気の利いたセリフは言えないわけ?」
 ガードレールからひらりと降り、腰に手をあてながらそう言うと、ブチャラティは急に慌てたように口籠った。困ったような顔をするのが、少し面白い。
「む……、それはその……すまない」
 謝罪の言葉は口にしたが、それだけだった。彼はなおも「一人にさせない」と言うつもりはないようだ。嘘は吐きたくないのだろうか。だとすると、教会での言葉も、――あの時点では――彼にとっての真実であったのかも知れない。
 彼はギャングの一員――組織を裏切りはしたが、それでも今後も裏社会の人間であり続けるのだろう――で、彼女は違う。この戦いが終われば、2人の間に“約束”は存在しない。
「分かってるわ。……あたしと貴方は、別の世界の人間なんだもの」
 その2人が出会うなんて、ここは彼の世界とも、彼女の世界とも違う、3つ目の世界なのかも知れない。
「でも」
 今度はトリッシュの方から、ブチャラティの目を見た。正面から真っ直ぐに。
「手紙くらいなら……くれたっていいでしょ。誕生日とクリスマスだけでいいわ。それで我慢してあげる」
 “別の世界”から、年に2回だけ手紙をくれる人間がいる。その差出人名はあからさまな偽名であるかも知れないし、あるいは無記名ですらあるかも知れない。リターンアドレスも、トリノだったり、ローマだったり、カターニアだったり――もしくは国外であったり――と、毎回違っているかも知れない。それでもかまわない。そんな手紙をくれる人がいるなら、自分は一人ぼっちではないと思うことが出来るだろう。命を危険にさらす旅の果てに、そんな“お土産”くらいはあっても良いはずだ。
「そうだな」
 ブチャラティの表情が、ふっと和らいだ。
「分かった。約束しよう」
 『ない』と思っていたもの――約束――をブチャラティの方から――しかもあっさりと――差し出され、トリッシュは一瞬面食らった。
「……い、いいの?」
「ああ」
 再びあっさり。
 嘘を吐くことを好まない性格なのだとしたら、これも信じて良いのだろうか。それとも、嘘を吐かないということの方が嘘? あるいは深い考えは何もないのか……。
「……さっぱり分からないわ」
「なんだって?」
「貴方の言ってることが、嘘か本当か分からないって話よ」
 ブチャラティは怪訝そうに眉をひそめ、瞬きを繰り返した。
「オレには君の言っていることこそ分からないが……。嘘を見破るのはそう難しいことではないぞ。皮膚のテカり具合やなんかでだいたい分かる。汗を舐めればもっとはっきり――」
「ちょっと、一般人に変な情報吹き込まないでよ」
「すまない」
 やっぱり、『何も考えていない』が正解なのかも知れない。


2021,03,28


お題は『一人ぼっち』。
戦いの後、トリッシュは普通の生活に戻っていてほしい派なので、母方の親戚あたりで援助してくれる人がいることを切に願います。
<利鳴>

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