ミスジョル 全年齢


  bystanderの声は届かず


 「今から出掛けてくるので留守をお願いします」との指示――命令――もずいぶん急であったが、同じ人物からの「今から帰ります」との連絡もまた、予告もなければ予感させもしない、驚くほど唐突なものであった。しかも「今から」という言葉は、「これから帰路につく」という意味ではなく、「間もなく帰りつく」の意味で使われているらしい。壁の時計に目をやれば、メールに記された時刻まではすでに1時間を切っていた。
「ああもうッ!! なんだっていつもいつも……ッ」
 定期連絡の時間を半日も過ぎたことに対する説明すらない、要点のみのメールの文面を見たパンナコッタ・フーゴは、思わずパソコンの画面を叩き割りたくなった。が、そんなことをしても苛立ちが解消されるわけでもない上に、壊れたモニターの片付けと買い替えが面倒な分、事態は良くなるどころかマイナスにしかならない――加えて手を傷付けてしまう可能性もある――。そうでなかったとしても、“彼”が帰ってくるまでに纏めておいた方が良い仕事はいくらでもある。“彼”の言葉を借りるわけではないが、『無駄』なことをしている暇は少しもない。怒りの感情を呑み込み、我ながら大人になったものだ等と思いながら、フーゴはキーボードとマウスを操作し、部下達へ向けて、いくつかの指令と、手を空けられる者はボスを出迎えるようにという文面のメールを送った。
「迎えの車……は、どうせもう間に合わないな。それならすぐに目を通してもらう必要がある資料を……」
 ファイルの束を持って複数の部屋を行き来している間に、その時間はやってきた。ドアが開き、颯爽と姿を現したのは、ジョルノ・ジョバァーナその人に間違いなかった。癖の強い金色の長い髪。目が覚めるような鮮やかな色の服。どちらもフーゴが記憶している彼の姿とほとんど変わっていない。だが、夏に不似合いな黒い手袋と、こちらは夏らしいと言えそうな大振りのサングラス――おそらくどこかのブランド品――だけは、初めて目にする物だった。
「お帰りなさい」
 数人の部下を引き連れたフーゴが出迎えると、ジョルノは手袋を脱ぎ捨て、顔の大部分を覆っているサングラスを外した――こちらは投げずに襟元に引っ掛けたところを見ると、やはり値の張る物なのかも知れない――。碧色の瞳がフーゴの姿を捉え、にっこりと微笑んだ。
「ただいま戻りました」
 部下達に軽く手を振るような仕草をしながら、彼は軽やかな足取りでフーゴの傍へとやってきた。
「久しぶりですね。元気にしていましたか?」
 そう言って、彼はフーゴの手を握った。つい先ほどまで手袋をしていたのだろうに、その手は不思議とひんやりしている。その温度は、夏の暑さに辟易していたフーゴには心地良くすら感じたが、末端冷え性か何かだとしたら――手袋もその予防の目的なのかも知れない――、本人には気の毒なことだ。
「留守中、何か変わったことはありましたか?」
「……いいえ。すでに連絡済みのこと以外は、特に、何も」
「そうですか」
 ジョルノは満足そうに頷いた。その表情は、何故だかはしゃいでいるようにも見えた。何か良いことでもあったのだろうか。
「……あの」
「はい?」
「いや、その……。元気そう、ですね」
「ええ。フーゴも変わりなく……?」
 ふと何かに気付いたように、ジョルノの視線がフーゴの頭の天辺から足の先までを往復した。
「ちょっと待ってください。フーゴ、背が伸びましたか? 前は僕と同じくらいだったのに?」
 ジョルノは「ずるい」とでも言うように眉をひそめてみせてから、くすくすと笑った。
 部下達の中にはジョルノの姿を初めて目にする者もあったようで、指を差しながら「あれがボス?」とひそひそ囁き合うまではせずとも、それに近い視線を送っている者が数人はいた。フーゴは、そんな部下達に「仕事へ戻れ」と目で合図を送って追い払った。2人だけになると、ジョルノはより寛いだような表情を見せた。
「確か、1年振りくらいですか?」
「もうすぐ4年です」
 フーゴは即座に訂正した。
「そう? そんなに経ちましたか? 本当に?」
 ジョルノは冗談を言っている様子もなく、素で驚いたような顔を見せ、その後で、「道理で」と言うように再びフーゴの姿を眺めた。
 フーゴもまさか、「ちょっと出てくる」くらいの口調で、ボスの代理を年単位で任せられることになるとは思ってもみなかった。電話――あるいはメール――で「いつになったら戻ってくるつもりなんだ」と問い詰めても、「用事が済んだら」としか返ってこないまま、今日に至る。無理矢理連れ戻しに行こうかと思ったこともあったが、「今どこだ」の問いに耳馴染みのない地名らしき言葉が返ってきて、さらに「どこだそれは」と聞くと、海の向こうのさらに先の国名を告げられたので、その時点で諦めの気持ちの方が大きくなってしまった。
「あまりにも顔を見せないものだから、幹部達の間でボス死亡説まで流れたんですよ。何とか否定してはおきましたが……」
「おっと、それはマズい。近い内に顔を見せに行く必要がありますね」
 口では困ったようなことを言いながらも、ジョルノは相変わらず愉快そうに笑っている。彼が不在の間、自分がどれだけ苦労したと思っているんだと、フーゴは文句を言いたいのを呑み込んで、代わりに溜め息を吐いた。
「でも、意外と何とかなったでしょう? フーゴなら大丈夫だと思っていました」
「まあ、電話とメールでのやりとりは数日置きにしてましたし……」
 「今日の分の連絡はすっぽかされましたが」との言葉も呑み込んだ。
「近い内に幹部達を集めましょう。渡したい物もありますし。お土産を買ってきたんですよ。もちろんフーゴの分も。ここに……って、あれ?」
 ジョルノは何かを探すように辺りを見廻した。そんな彼の後ろで、――彼が開けっぱなしにしていたために――部下のひとりが閉めたドアが再び開き、ジョルノの右腕であるグイード・ミスタが姿を現した。左手に大きな紙の袋を下げているのは、先程ジョルノが言った土産だろうか――イタリア語ではない文字のロゴが書かれている――。ミスタはフーゴと視線を合わせると、「よう」と言うような仕草を見せた。その顔を見たフーゴは、密かに安堵の溜め息を吐いた。
 ジョルノの留守を任された時、フーゴは自分よりもミスタの方が適任ではないかと少しだけ異見を口にしていた。組織に入ってからの歳月は、ミスタよりもフーゴの方が確かに長い。それでも、「ジョルノの一番の部下」と聞けば、ほとんどの者がミスタの顔を最初に思い浮かべる。実力もあり、これまでに一度もジョルノと袂を分かったことのない彼の顔を。だがジョルノは、「ミスタは一緒に行くから」と、その提案を即座に却下した。時間がないからという理由でその場では行き先と不在の期間すら質問させてはもらえなかったが、護衛の必要があるならば、戦闘経験はミスタの方が多いし、フーゴのスタンドは、本人を含め、傍にいる者の身まで危険に晒しかねない。さらに、未成年者では立ち入れないような場所への用がある時は、ジョルノと同い年のフーゴでは役に立たない――長い不在期間中にフーゴも成人したが――。ミスタが同時に2つの場所に存在することが出来ない以上、彼には留守番よりも同行を任せる方が良いようだと、フーゴは納得するしかなかった。不満――あるいは不安要素――が全くなかったわけではないが、今になって思えば、「ちょっと出てくる」くらいの口調で4年も帰宅出来なくなる事態に巻き込まれずに済んで良かったと思うべきなのだろうか――流石に同行を指示したミスタには、行き先その他の情報はある程度伝えていたのかも知れないが……――。
 彼等がどこで何をしてきたのか、それは危険を伴うようなものだったのか、その辺りのことを、フーゴは詳しく把握していない。が、とりあえず、ミスタも無事に、ジョルノと一緒に帰って来られたようだ――メールには彼がいるともいないとも書かれていなかった――。遅れてやってきたのは、タクシーの支払いでもしていたのだろう。彼はジョルノが行儀悪く脱ぎ捨てた手袋を拾い、やれやれと言うようにその口元に苦笑いを浮かべた。まるで、年の離れた弟の世話をする兄のようだ。留守中もずっとそんな調子だったのだろうか。
「一体どこへ行っていたんですか?」
 他にも尋ねたいことは山ほどある。が、本来ならば真っ先に説明する必要があろう“そのこと”に、ジョルノが触れようとする様子が全くない。それが却って、フーゴに“その質問”を避けさせた。あるいは、恐れているのかも知れない。明らかに異常な“何か”を現実のものとして突き付けられることを。
「あちこちですよ」
 不自然なまでに無難な質問に、ジョルノはあっさりと答えた。彼は「アメリカに、イギリスに、ドイツ、スペイン、エジプト……。あと、アジア圏内も少しですね」と指を折りながら数えた。まさか今挙げた順に巡ったのではないだろうなとフーゴが思っていると、ミスタが「スイスとルーマニアとエジプトとメキシコも」と付け加えた。
「エジプトは言いましたよ」
「だから2回行っただろ?」
 しばらく連絡が取れずにいたことに対する言い訳――もとい説明――が「飛行機での長距離移動」や「時差のことを忘れていた」だったことが何度もあったために、どうやら一処に留まってはいないようだとは知っていたが、彼等が足を踏み入れた国の数は、思ったよりも多かったようだ。行き先に一貫性はないように思えるが、一体なんの目的があったというのだろうか。
「最近は遺跡巡りをしました」
「そんな趣味があったんですか?」
「最近出来た新しい趣味です。結構面白いですよ」
「ピラミッドでは日差しの強さで死にかけてたけどなー」
「それはミスタもでしょう?」
 揶揄するように笑い合いながら、ジョルノはミスタが持ってきた紙袋を受け取った。その中から、何を模しているのかよく分からないがとにかく色だけは派手な置き物――らしき物――や、壁に掛けられるようになっているやはり謎の装飾品――のように見えなくもない物――等を取り出し、「これなんかなかなかいいでしょう?」とフーゴに手渡してきた。無邪気な少年のように笑う彼は、実に楽しそうだ。というよりも、やけに“ハイ”になっている。フーゴが記憶している限りでは、もっと淡々としているイメージだったのだが。4年も会わずにいれば、このくらいの変化は充分ありえる範疇だろうか。いや、だがそうだとすればなおさら……。
「あの、ジョルノ……」
「そうだ、久々の再会なんですから、一緒に食事に行きましょう。ね、ミスタも。3人で。いいですよね」
 「ね」と視線を向けられたミスタは、唇の端を歪めるように笑った。
「お前滅茶苦茶偏食じゃあねーか」
「そうなんですか?」
 以前のジョルノには、そんな様子は見られなかったはずだが。そう思って尋ねると、ミスタは「最近な」と返した。
「ちゃんとしたレストランで好き嫌いなんてカッコ悪いぜ? あとお前、飛行機で寝そびれたって言ってただろ。寝ないで大丈夫か?」
「子供扱いしないでください。2、3件仕事の指示を出してきますから、その後で食事に行きます。久しぶりに帰ってきたんだから、ちゃんとしたイタリア料理がいいですね。去年だったか、どこかの国で食べたピッツァは酷かった」
「ああ、あれな」
「店は任せます。予約を入れておいてください。いいですねっ」
「はいはい」
 ミスタは肩をすくめながら再び笑った。
「フーゴ、頼んでおいた資料を」
「あ、それなら向こうの部屋に……」
「グラッツェ。あ、大丈夫です。ここへ持ってくるよりも僕が行った方が早い。それより、出掛ける準備をしておいてください。すぐ済ませてきますから。今日これからの新たな仕事は入れないように。命令です。車、廻しておいてくださいね。あ、それと、これは全部フーゴの分ですから。事務所用のは別にあるんで、ちゃんと持ち帰ってくださいね」
 ぐいと押し付けられた紙袋――覗き込めば、引き続きよく分からない物と、菓子らしき箱が大量に入っているのが見える――の重さにフーゴが戸惑っている内に、ジョルノはぱっと駆け出していた。軽く手を振り、その姿は建物の奥に位置するボスの執務室へと消えていった。彼が伝え忘れ等で戻ってくる様子がないことを確認してから、フーゴは視線を動かすよりも早く口を開いた。
「ミスタ」
「何も聞くな」
 ミスタは扉を閉ざすようにぴしゃりと言った。
「言いたいことは分かってる」
「それなら、黙ってるなんて不可能だってことも分かるだろッ」
 逃れようとする視線を追って、フーゴはミスタの正面へと廻り込んだ。睨むように見上げた黒い瞳は、以前よりも少し高い位置にあるように感じた。この4年弱で、フーゴの身長は確かに伸びた。それはミスタも同じ――むしろフーゴ以上――だったようだ。だが、ジョルノはそうではなかった。彼は変わっていない。それは身長に限ったことではない。録画した映像をそのまま再生しているかのように、初めて出会った時と同じ姿がそこにあった。
「どうなっているんだ。ジョルノは僕と同い年のはずだ」
 年を取っていない。いや、彼くらいの年齢なら、「成長していない」と言う方がしっくりくるだろうか。大人になってからならともかく、10代後半から20代にかけての数年は、決して小さくはないはずなのに。
 ミスタは溜め息を吐いた。最後に顔を合わせた時、彼はすでに成人済みであったが、それでもその顔付きはより大人らしいものへと変わっている。それが正しい。
「率直に聞く。あれは本当にジョルノなのか?」
 そう疑ったのは、容姿は全く変わっていないにも関わらず、内面は大きく変化しているように見えたためだ。ジョルノがあんなに笑っているところを、フーゴは見たことがなかった。その所為で、誰かがジョルノの姿に化けているだけなのではないかとすら思えた。姿形を変えられるスタンド使いがいれば、それは簡単なことだろう。その人物は、愚かにも成長の分を忘れ、4年前のジョルノの姿に化けてしまったというわけだ。そう言ってもらえた方が、どんなに納得出来ただろう。
 「仕方ないな」と言うように、ミスタは再び長い溜め息を吐いた。
「ジョルノは、成長が止まってる」
 それはすでに明らかであった。だが改めて他人の口から聞かされると、いよいよ動かしようのない事実であると目の前に突き付けられたように思った。
「オレが最初に気付いたのは、ここを出発してから半年経ったくらいだったかな。だがジョルノ本人は、もう少し前から自覚していたらしい」
「どうしてそんな……」
 ミスタは開きかけた口を閉じ、軽く頭を振った。
「順を追って話そう」
 ミスタの視線がフーゴの後方へと向いた。ジョルノが戻ってきていないことを確かめたのだろう。周囲にいた部下達も、すでに全員仕事へ向かったようだ。2人の傍には誰もいなかった。
「最初に聞かされたのは、『自分のルーツを知りたい』ってことだった。突然変わった髪の色とスタンド能力の……ああ、知ってたか? あいつのあの髪、生まれつきじゃあないんだとよ」
「そういえば、いつだったかそんなことを言っていたような……」
「オレ達と会う少し前に、突然金色になったらしい。スタンドの方はガキの頃から無意識に動かしてたこともあったらしいが、はっきりと自分の意思で出せるようになったのは、髪の色が変わったのと同じ頃だったんだと。で、あいつはそれを、『エジプトで死んだ父親の遺伝だ』と言っていた。最初は組織の今後だのディアボロの部下の残党だのとバタバタしてたが、それが少し落ち着いてきたら、父親のことを調べに行きたいと言い出した。……これはオレの勝手な推測だが、トリッシュが自分の生まれのことを知りたいって言ってたのにも、少し影響されてるのかも知れねーな」
「それでエジプトに?」
「“1回目”の、な」
 ミスタは少し苦笑した。
「父親の手掛かりを探してる内に、オレはジョルノの成長のことに気付いた。本人はあっさり認めた。『おそらくそれも父親に関係してる。それも含めて知りたい』だとよ。母親からそれらしいことを聞いた覚えがあったらしい。で、途中経過は省くが、今からだと2年半くらい前だったかな。あいつの父親が不老不死の吸血鬼だったことが分かった。だから、ジョルノも」
「なっ……」
 フーゴは思わず言葉を失った。が、彼等のスタンド能力も、それを持たない者にとってはファンタジーやメルヘンの類と然程違いはないだろう。理解の範疇を越えた未知の生物が存在していたとしても、おかしくはない。流石に数分前まで目の前にいた人物を指して、「あいつがそうだ」と言われれば、すぐに受け入れることは難しいが。
「今のところ日光に関しては『苦手』レベルで済んでるみたいだが、最近になって少しずつ弱くなってきているように思う。あのでっけーサングラスとこの手袋はその所為だ。日傘を差してることもある」
「じゃあ、“進行”している……?」
「そう考えて良さそうだ」
 ミスタはゆっくりと頷いた。
「幸いなことに、ジョルノはスタンドで血を作ることが出来る。人を襲う必要は今のところないみてーだな。どーしても“天然物”じゃあないと駄目だってなったら、その時はとりあえず献血センターでも襲ってみるかって話してる」
「じゃあ、治療……という言い方が正しいのかどうかは分からないけど、その、それを見付けるために……?」
 ミスタの話によれば、その事実が発覚した後も彼等は旅を続けていたようだ。まさかそれ以降はただの旅行だったとは言わないだろう――土産の袋を見るに、しっかり観光もしてきたようだが――。
 しかしミスタはわずかに首を傾げるような仕草をした。
「少し違うな」
「じゃあ……?」
「どっちかってーと、どうして、どうやってそんな生き物が生まれたのかを知りたがってた。『吸血鬼になる方法』なんて伝承はいくつかあるが、そんなんで本当に吸血鬼が生まれるなら、今頃そこら中に溢れてるだろうって感じだからな。一番ポピュラーなのは『吸血鬼に噛まれた人間も吸血鬼になる』ってやつだが、オレ達が調べてた吸血鬼の場合は、それも駄目らしい。昔の研究の資料なんかをいくつか手に入れられたんだけどな、吸血鬼が生み出せるのは屍生人(ゾンビ)であって、吸血鬼とは別なんだと。まあ、そいつらも血は吸うらしいんだが。資料の翻訳に問題があったのかも知れないが、厳密にどう違うのかはいまいちはっきりしてねーんだ」
「……それで、分かったのか?」
 彼等がここへ帰ってきた理由が、『目的の達成を断念したから』である可能性はなくはない。だが、今までに見たことがないようなジョルノの表情を思い出せば、おそらくそれは違うと思えた。何よりも『諦める』なんて言葉は、彼には――満面の笑みよりも、弾むような足取りよりも――似合わない。だとすれば、きっと彼等は“見付けた”のだ。
「まあ、ある程度はな」
 フーゴの予想に反して、ミスタは中途半端な答えを口にした。
「どういうことだ」
「“どう”すれば“そう”なるかは分かっても、“そう”なる“理由”までは分からなかった。知ってるか? 麻酔ってあるだろ。麻酔をかければ意識を失って痛みも感じなくなる。ところが、どうして麻酔が効くのかってことは、解明されてないんだってな」
 「まあ、それはともかく、だ」と、ミスタは声の調子を変えた。
「そこまでの解明がしたいわけじゃあないからな。とりあえずは目標達成だな。必要なのは、“仮面”だ」
「……仮面?」
「そのために帰ってきた」
 話の流れから推察するに、その“仮面”があれば吸血鬼を生み出すことが出来るということなのだろう。そしてそれは、ここイタリアに存在している……? 彼等はそれを手に入れ、そして……。
「……ミスタ、君は……いや、君達は、何を企んでいるんだ?」
 尋ねながら、フーゴは自分が本当にその答えを聞きたいと思っているのかどうか、自信がなかった。だが、聞かぬままでいるわけにはいかない。
 ミスタはふうと息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。
「何十年か、それとも何年か、もしかしたら数日後か……」
 突然話の繋がりが断たれたように感じ、フーゴは首を傾げた。そんな様子に気付いているのかいないのか、ミスタは続ける。
「寿命か、病気か、事故か、それともどっかで誰かに暗殺されるとか。そうやってオレや、お前や、他の人間が死んでも、ジョルノは死なない。完全な吸血鬼は、首だけになってもまだ生きてたらしいぜ。まあジョルノは人間と吸血鬼のハーフってことだから、そこまでは無理かも知れないがな。試してみるってわけにもいかないんで、その辺は曖昧だ。が、可能性はゼロじゃあない」
 少し先の未来が見えたかのように、ミスタがこれから言う言葉がフーゴの頭の中に浮かんだ。フーゴには予知の能力なんかはない。にも関わらず。
 答え合わせをするように、ミスタは言った。
「ジョルノをひとりにしたくない」
 その声は夕凪のように穏やかだった。
 彼の言葉が何を意味するのかは、最早明確だ。彼等はジョルノの“仲間”を増やそうとしている。いや、おそらくは彼ひとりだ。ミスタは、ジョルノの“仲間”になることを望んで――あるいは望まれて――いる。人間としての道を外れ、2人で未来永劫に生きる、そのことを。
「間違ってる……と、思うか?」
 ミスタは口角を上げ、自虐的な笑みを浮かべてみせた。その言葉は疑問文の形をしていたが、フーゴの返事を待つ様子はなかった。
「確かにそうなのかも知れない。自然の摂理? 神の意思? きっと、何かには背いてるんだろうな。それでも、オレ達には些細なことだ」
 フーゴには何も言い返せなかった。もし自分だったら……? もし、ミスタが言うような“何か”に背くことによって、失った大切なものを取り戻せるとしたら、そうせずにいることが出来るだろうか。喪失を未然に防ぐ術があるとしたら、それに手を伸ばさずにいることが出来るだろうか。「悪魔に魂を売ってでも……」そう言わずにいられると、何故断言出来るだろう。
「いいんだ。間違ってたって」
 ミスタはきっぱりと言い切った。
「オレはあいつと一緒に間違いたい」
 ジョルノは吸血鬼――になりつつある状態――だという。ミスタは、少なくとも今は違う。ただの人間だ。だというのに、フーゴの目にはすでに彼が自分とは違う“何か”に見えた。
「たぶん明日の夜には出発する。“仮面”はローマの地下にある。お前に理解してくれとは言わない。だが、障害があれば取り除くつもりでいる」
 彼等がこの4年弱の時間をどのように過ごしたのは分からない。だが、おそらくすでにフーゴには追い付けないところに彼等はいるのだろう。自分の……いや、誰の声も2人には届かない。フーゴはそれを確信した。
 廊下の奥からドアが開閉する音が聞こえた。続いて、静かだが堂々とした足音が近付いてきた。
「あ、やべ。車……」
 ミスタがいつもの軽い調子でそう呟いた時には、もう取り繕うことは出来ず、2人はただジョルノが近付いてくるのを待っているより他なかった。
「もしもし? 出掛ける準備をしておくように言ったのに、まだそんなところに突っ立ってるんですか?」
 そう言いながらジョルノは、片方の眉を吊り上げて怒った顔を作ってみせた。が、成長し切っていない少年の顔でそんなことをされても、いまいち迫力不足だ。というよりも、頬を膨らませて拗ねているようにしか見えない。本人にもその自覚があるのか、数秒の後には堪え切れなかったようにぷっと笑いを零した。
「わりぃ、つい話し込んじまってな。つーかタクシーで行こうぜ。車じゃあワインが飲めねー」
「む、確かに。久々に運転したい気持ちもありましたが」
「ボス自らハンドル握る気だったのかよ」
「帰ってくる時に使ったタクシー、待たせておけば良かったですね」
「でけー通りまで出れば、すぐに捕まえられるだろ」
「じゃあそれでいいです。ところで、何を話していたんです?」
「お前にはかんけーないハ、ナ、シ。大人の会話ってやつだな」
「なんですかそれ。猥談ですか。と言うか、僕はフーゴと同い年ですよ」
「学生の頃と同じ格好で言われてもなぁー。いつまでその服着てるんだ? レストランでワイン出してもらえんの?」
「子供だと思わせておいた方が有利な場面もあるんです。敵が油断したり」
「学生料金が適応になったり?」
「そうそう」
 2人は笑い合った。なんだかミスタも子供っぽく見えてきた。
「フーゴ、もう出られますか?」
 ジョルノの笑顔がフーゴへと向いた。それは朗らかな子供のようでありながら、全てを凍り付かせるほどの冷たさを帯びているようにも見えた。
 フーゴはただ「はい」と答え、ミスタから聞かされたことについては触れられなかった。ジョルノ本人がいないところで話を聞いてしまったことに対する後ろめたさ以上に、どう咎めようと2人が意思を変えることはないのだという無力さに似た何かと、そもそも咎めることが正しいのかも分からない自身への苛立たしさが、彼の胸中を占めていた。
 2人が目的の場所へと出発するのは、明日の夜だろうとミスタは言っていた。それまでの間に、フーゴが彼等に届けられる言葉は、果たして存在するのだろうか。


2022,08,18


吸血鬼物のお話で好きなのはポーの一族とぼくのエリです。
吸血鬼と人間の同じ時を生きられない切ない物語大好きなんですが、たまには「2人が一緒にいられるなら他はどーでもいいんじゃね!?」って開き直ってもうひとりも吸血鬼にしてしまうお気楽カップルもいいんじゃあないかと思いまして。
あと2部で出てきた真実の口の地下にあるドイツ軍の研究所ってどうなったのかなと。
カーズとの戦いとか戦争とかのどさくさで処分されずにそのままサンタナとか石仮面とか残ってたりしたら夢があると思いませんか。
それはさておき、本日は相方セツさんのお誕生日です。おめでとうございます!
<利鳴>

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