フーナラ 全年齢


  チェンジ


 時計の針が、正午少し前を指す、程好い気温の穏やかなひと時。それを一瞬にして完全に打ち破ったのは、少年の怒りに満ち溢れた声だった。
「またか……」
 溜め息と共にこめかみの辺りに手をやったのはミスタだった。その隣の席で、アバッキオも眉間にシワを寄せている。「ふざけてんのか」、「いい加減にしろ」、その他教育上よろしくない言葉を散弾銃のように吐き出す声に、もう1つ、少し高い別の声が混ざり、それもまた、負けじと――最初の声よりは語彙が少ないようだが――暴言を並べ立て始めた。毎度毎度、よく飽きないものだと、ミスタとアバッキオはその煩さに辟易した様子を隠そうともしない。
「ナランチャもナランチャだけどよ、フーゴのあれはなんとかした方がいいと思うぜ」
 ナランチャは今日もフーゴに勉強を教わっているらしかった。が、今日も、常人の斜め上の回答でフーゴを怒らせているらしい。小学校も満足に通っていなかったナランチャに、いきなり――それが小学校の低学年向けのものであったとしても――問題が解けないのはある程度は仕方がない。多少もの覚えが悪くても、それで手を上げるのはどうなのか。勉強をみてほしいと言えるだけでも充分立派ではないか。問題が――より多く――あるのはフーゴの方だ。ミスタがそう――本人には聞こえないように――言うと、アバッキオは肩を竦めるような仕草をした。
「しかしそのもの覚えの悪さも、あそこまでいくとすでに罪になるのかも知れないぜ」
 「フーゴの気持ちは分からないでもない」と返したアバッキオは、そう言えば子供が嫌いだと話していたことがある。日頃の態度を見る限り、ナランチャがそれに該当しているということは――辛うじて――なさそうだが、親切丁寧に勉強をみてやるなんてことは、絶対にごめんだとその表情が言っていた。
「それより、だな」
 アバッキオの視線がすっと隣へ動いた。ミスタも、つられてそちらへ顔を向ける。
「胸倉の掴みあいを始めた部下を眺めながらにこやかにしてるあんたもどうかと思うぜ」
 アバッキオの言葉に、“にこやかな顔”はようやく怒鳴りあっている2人の少年から眼を離した。
「オレのことか」
「他に誰がいるって……」
「見てないでとめるとかないのか」
「もう少し荒れそうならな」
 さらりと言って退けると、彼――チームリーダーのブチャラティ――は、優雅とも言えるような手付きで真っ直ぐに切りそろえられた黒髪を耳にかけ、視線を手元の書類へと落とした。
「フーゴが本当に切れたら、あんなもんじゃあ済まないからな」
 笑顔で物騒なことを言われて、ミスタとアバッキオはそろって眉を顰める。
「『あれ』でキレてないだと?」
 アバッキオが指差した先で、椅子が1つ、盛大に吹っ飛んだ。
「そもそもスタンドも使ってないしな」
「基準『そこ』かよ」
「スタンド出したら、それもう相手殺す気だろ」
「つまり、理性は残っている」
「残ってりゃあそれでいいってもんでもないだろう」
 代わる代わる口を開く部下に、ブチャラティは「仕方がないな」と言うように顔を上げた。
「あれでもだいぶマシになった方なんだぞ?」
 その言葉に、ミスタ達は眼を見開いた。
「『マシ』だと!? 『あれ』で!?」
 ミスタが向けた人差し指の先で、ひっくり返ったテーブルが派手な音を立てた。
「お前達が入ってくる前だ。当時のフーゴは、なんと言うか、今よりももっと『危うい』感じだったな。トランプのタワーを見たことがあるか? うっかり触れれば、一瞬で全て崩れてしまう。いや、常にスタンバイ状態の爆弾の方が近いかな」
 ブチャラティは会話の内容に似つかわしくない表情で、「あの時と比べたら、あいつも丸くなったな」等と言っている。
「トランプと爆弾じゃあえらい違いだな」
「じゃあトランプは起爆スイッチだ。タワーが崩れると、爆破スイッチが入る」
「どんな仕組みだよ」
「トランプを金属製にするんだ。電気が流れていて、タワーが崩れてそれが途切れると爆破のスイッチが入る」
「嫌なトランプだな」
 2人は照らし合わせたように同時に溜め息を吐いた。
「小まめに爆発させて1回の威力は抑えてるってことか」
「それもあるかもな」
「迷惑なガス抜きだ」
「溜め込まれて大爆発されるよりはマシだ。何度か力尽くで押さえ込んだことがあったが、その時やられた傷がまだ残っている」
「あの傷あいつか!!」
 アバッキオには見覚えがあるらしかったが、それがないミスタは首を傾げた。眼があうと、ブチャラティは「ざっくり」と言った。
「ざっくり……」
「ジッパーで塞いで事なきを得た」
 冗談のような口調で、しかし「見るか?」とは尋ねないところを見ると、本当に冗談なのだろうか。あるいは、すぐに見せられるような箇所ではないのかも知れない。
「前よりはマシになったってのはとりあえず納得するにしてもよぉ、だからっていつまでも暴れさせておくってのも……」
 「そろそろ腹も減ってきたし」とミスタが言うと、ようやく「そうだな」と返ってきた。
「じゃあ、お前等2人でなんとかしてこい」
「オレ達ッ!?」
「リーダー命令だ」
「あんたは鬼だ!!」

「あのさ、ブチャラティ」
 昼食――取っ組み合いをしていた2人も、まるで何事もなかったかのように同じテーブルにつき、「何を食べます?」とオーダーを纏めてやったり、「それひと口頂戴」とねだったりして、再びミスタとアバッキオに溜め息を吐かせていた――を終え、それぞれが自分の仕事に取り掛かりだし、ブチャラティが1人になるタイミングを待っていたかのように声をかけてきたのは、ナランチャだった。その左の頬には絆創膏が貼られている。どうやら手当てをしたのは、その傷を作った張本人、フーゴであるらしい。
「どうかしたか」
 やや躊躇うような目線を向けられ、ブチャラティはペンを置いた。
「うん。あの、さっきの話なんだけど」
「さっき?」
 鸚鵡返しに尋ねながら、ブチャラティは首を傾げる。
「うん。昼前に、フーゴのこと話してただろ?」
「聞こえてたのか」
 特別声を抑えていたわけでもないが、大声を出していたということもない。逆に、ナランチャはフーゴと怒鳴りあっていたはずだ。その中で、よく聞き取ることが出来たなとブチャラティが感心すると、ナランチャは少し照れくさそうに「へへっ」と笑った。
「確かにしていたが、それがどうかしたか?」
「その……」
 珍しく、ナランチャの歯切れが悪い。いつもは何事に対しても臆することのない――悪く言えば無遠慮な――性格だと言うのに。
 ブチャラティは訝しげな顔をした。
 少々躊躇うような間の後に、ナランチャは意を決したように口を開いた。
「フーゴの昔って、どんなだったのかなぁって」
 幼い丸みをわずかに残した頬が、夕陽に照らされたようにかすかに色付いた。
 「なるほど」と、ブチャラティは心の中で頷く。自分――ナランチャ――は知らないフーゴのことを、ブチャラティなら知っていると聞いて、気になったと、どうやらそういうことらしい。ナランチャは興味のないこと――例えば算数の計算式――に関してはとことん無頓着だが、その逆、好きなものに対しては、子供のように眼を輝かせ、知りたがる。その様子は、彼が――彼等が――いる“世界”を、争いなどない平和な――一般的な――それだと錯覚してしまいそうになるほどだ。そんな表情を見て、誰が彼のことをギャングの一員だと思うだろうか。
「フーゴのこと、か」
「うん」
「確かにあいつが組織に入る以前のことも、多少は調査して知ってはいる」
 ナランチャは頷いた。
「だが、それをオレが勝手に喋ることは出来ない」
 ナランチャの大きな瞳を真っ直ぐに見ながら言うと、少し――予想よりは露骨ではない――がっかりしたような表情が返ってきた。
「本人が言っていないことを、オレが無断で話すわけにはいかない。お前にも、人に聞かせたくないことの1つや2つはあるだろう?」
「……ブチャラティにも?」
「もちろんある」
「そっか」
 ナランチャはもう一度頷くと、それで用件は全てだったらしく、片足を1歩引いて退場の意を示した。その時にはもう、落胆した様子は影も形もなくなっていた。元々教えてもらえると期待してはいなかったのかも知れない。踵を返す間際に、彼は笑った。
「でも、フーゴがどうしても聞きたいって言ったら、ちょっとは考えてやってもいいかな」
 その言葉を、フーゴ本人が聞いていたらどんな顔をしていただろうか。真っ赤になりながら慌てふためくフーゴの様子を想像して、ブチャラティも笑った。
 部屋を出て行こうとする背中に、彼はもう1度声をかけた。
「ナランチャ」
「ん?」
 絆創膏を貼った顔が、肩越しに振り向いた。
「フーゴのことが好きなら、“過去”よりも“今”のあいつを知ってやるといい。今お前が言った言葉を、フーゴがお前に言ってもいいと思えるようになるくらい」
 少し考えるような間を開けて、少年はその笑顔をよりいっそう眩しく輝かせた。
「うん!」
 部屋を出て行ったナランチャの足取りは、スキップをするかのように軽やかだった。その姿を見ながら、ブチャラティは思い返していた。彼が初めて会った時のナランチャは、傷付き、疲れ果て、怯えきっていた。
「変わったな」
 おそらく、色々なものが。
 ふっと笑いながら、ブチャラティは自分の仕事に戻った。


2014,05,26


ほのぼのしたフーナラを書こうと思ったらあら不思議。
フーゴの出番がないぜ!
わたし結構そのパターン(カップリング小説なのに当事者の片方が出番なし)結構多いような気がしてきました。
次の目標はちゃんと2人ともに出番のあるフーナラかなぁ。
<利鳴>

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