フーナラ 全年齢


  emotion


 ナランチャは来客用のソファに足を伸ばして、音楽雑誌を広げていた。が、その眼は記事の文面を追ってはいない。30分も前にとっくに読み終えてしまったそれの陰に隠れるようにしながら、彼は少し離れた机で仕事をしているフーゴの姿をこっそりと窺っていた。
 ほぼ百パーセント戦闘要員として組織に所属しているナランチャと違って、フーゴはチーム内の事務的な仕事も任されている。毎月一定の時期になると、様々な資料――それがどういった内容の物なのかはナランチャには分からない――を広げて忙しそうにしている彼の姿がそこにある。今も、長い前髪の下に見える表情は少々険しい。と言っても、怒っている時のそれとは――少し似てはいるが――やはり違う。それでも近寄り難いと言う点では同じだ。本人としてはただミスがないように真剣になっているだけなのだろうが、ナランチャは、そんな時のフーゴがあまり好きではない。
(つまんない)
 ナランチャは誰にも聞こえないようにこっそり溜め息を吐いた。「つまらない」「退屈だ」「面白くない」そんな“感情”が自分の中に堆積しているのを感じながら、それを息と一緒に吐き出してしまえたらいいのにと思った。
 手を休めることなく動かしているフーゴは、至って“真剣”だ。それは“感情”とは別の物だ。おそらく彼は今、何も考えてはいない。何も感じていない。目の前の仕事を片付けようとしているだけ。そこに“感情”はない。その表情は、『無表情』と呼ぶのに相応しい。それが、元々整った顔立ちをしている所為もあってか、妙に作り物めいて見えることがある。中が空洞の人形のようだ。ふと知らない物のように見えてしまうことすらあった。そんなフーゴが、ナランチャは好きではない。自分と一緒に――と言うか、むしろ主にナランチャが一方的に――下らないことを言って、笑っているフーゴが好きだ。
(つまんない……)
 普段のフーゴは怒りっぽいが、からっぽでいるよりはまだそっちの方がいい。“怒り”は間違いなく“感情”だからだ。もし今ここでナランチャが仕事の邪魔をしたら……。当然、彼は怒るだろう。つまり、望んだ通り“感情”が――望んだ通りの感情かどうかは別として――発生することになる。だがその後――罵倒の言葉を一通り放った後で――彼が仕事に戻ってしまえば、結局同じことだ。それどころか、むしろ長引かせるだけになるだろう。だからナランチャは、黙って待っている。「まだ?」とも、「早く」とも言わずに。作り物ではない、“感情”を持った彼が戻ってきてくれるのを、ただじっと。

 いつの間にか少しまどろんでいたらしい。それほどまでに、彼は退屈していた。何か音がした気がして我に返ると、先程まで机に向かっていたはずのフーゴがいなくなっていた。あれっと思ったのとほぼ同時に、視界の外から声をかけられた。先程聞いたように思った“音”も、同じ声だったと気付くのにはもう数秒時を要した。
「ナランチャ」
 弾かれたように顔を上げると、今まさに探そうとしていた人物がそこにいた。
「フーゴっ」
「お待たせ。終わりましたよ」
 フーゴはそう言って首を傾げるような仕草をした。いや、違う。今のは微笑んだのだ。
「オレ、何も言ってない」
 ナランチャはフーゴの仕事が終わるのを待っていた。それは確かだ。しかし、それをフーゴ本人に向かって宣言してはいなかった。にも関わらず、フーゴは「お待たせ」と言った。ナランチャが寝惚けて聞き間違えたのでなければ。
 フーゴは「やれやれ」と、呆れたような顔をした。
「あれだけ見られてたら、普通分かりますよ」
 想定外の言葉に、ナランチャは眼を見開いた。
「気付いてたの?」
「普通気付く」
 少し視線を外したフーゴの顔は、わずかに照れたように赤くなっていた。
「だからさっさと終わらせようとしてたんじゃあないですか」
(ああ、そっか)
 それで、あんなに真剣に……。
 フーゴは「ほら」と言いながら手を差し伸べてきた。
「飯でも食いに行きますか」
 ナランチャは満面の笑みを浮かべながら頷き、その手を取った。
「うん!」


2016,10,02


仕事が忙しい時期の現実逃避で考えた話です。
なのでフーゴにも忙しくなってもらった(笑)。
わたしも仕事終わるの待っててくれる可愛い後輩が欲しいー。
<利鳴>

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