フーナラ 全年齢


  epilogo


 真っ直ぐ視線を合わせたまま、それでも彼等はお互いに何も喋ろうとはしなかった。両者とも相手の言葉を待っているようだ。吹き抜ける風の音だけが、辺りが静寂に満ちるのを阻止している。
 沈黙の時は、どれほど続いていたのだろうか。先に口を開いたのは、フーゴだった。
「……君達……2人だけ?」
 風に掻き消されてしまいそうな小さな声に、ジョルノは静かに頷いた。
「それからトリッシュも……。彼女はすでに自宅へ戻っているはずです。落ち着いたら、こちらへ顔を出したいと言っていました」
「……ボスは?」
「倒しました」
 本当は、その答えは聞く前から分かっていたのかも知れない。そうでなければ、彼等がここへ戻ってくることはなかったのだろうから。
「誰が?」
「ぼくが」
 フーゴは「そうですか」と呟き、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「では、新しいボスが直々に裏切り者の始末にきて下さったというわけですね。わざわざこんなところまで御足労いただけるとは、光栄です」
「フーゴっ!」
 ジョルノの後ろにいたミスタが、咎めるように前へ出ようとした。それをジョルノは「いいから」ととめた。
 辺りが再び静かになる。ほんの数日前までは、煩いと文句を言いたくなるほどの声が、この場所に響いていたというのに……。
「……まさか、生きて帰ってくるとは思っていなかった……」
 フーゴの呟きに、ジョルノ達は何も応えなかった。応えられないのだろう。『生きて帰ってこられた』のは彼等2人と、トリッシュだけだ。後の3人は……。
「……だから言ったのに」
 フーゴはポツリと言った。
「え?」
 ジョルノが聞き返すが、フーゴはなんでもないというように首を振った。
「そんなことより、ジョルノ……、いえ、ボス。裏切り者の処分を……」
 フーゴはジョルノの足元に跪き、俯くように眼を伏せた。
「フーゴっ、オレ達はなぁっ!」
「ミスタ」
 ジョルノはまたもやミスタの言葉をさえぎった。
「オレ達はそんなことしにきたんじゃあないだろうッ」
「これがフーゴの『覚悟』なんです。ぼくはそれに応えなければいけない。あなたは黙っていて下さい」
「……っ」
「フーゴ」
 ジョルノの抑揚の乏しい声が頭上から降ってくる。フーゴは、その声がそのまま刃物となって、己の命を奪い去っても良いという――むしろそうしてくれたらと願うような――気持ちでいた。
(ぼく1人、戦いもせずに生き延びて、一体なんになる?)
 それならばいっそ、先に逝った仲間のもとへ……。
「パッショーネ2代目ボスとして命じます」
 ジョルノ本人の声に先行して、フーゴの頭の中ではこれから告げられるであろう言葉が既に反響している。それはおそらくこうだ。「裏切り者には、『死』を」。ここは、それが当然の世界なのだ。足を踏み入れた時から、充分分かっていた。
 しかし、ジョルノの口から発せられた言葉は、彼が予想したものとは違っていた。
 ジョルノは膝を折り、目線を合わせるように地面にしゃがみ込んだ。
「『彼』を、家族のもとへ帰したいんです」
 フーゴが顔を上げると、ジョルノは真剣な眼をこちらへ向けていた。
 『彼』というその言葉が、何を意味しているのかは、尋ねなくとも分かっている。最初に2人が姿を現した時からずっと、ミスタが抱えている小さな身体……。おそらくはジョルノのゴールド・エクスペリエンスの力なのだろう、その身体は、腐敗が進行している様子もなく、ただ、静かに眠っているようだった。しかし、その瞳が2度と開かれることはないのだという事実に、フーゴはすでに気付いていた。見えないフリをして通り過ぎることは出来ない。それでも、その真実を言葉ではっきりと告げられるのが怖くて、自分からは何も尋ねられずにいた。気が付いていながら認めたくない、見えていないと自分を騙す、そんな偽りに満ちた時間が、破られる時がきたのだ。もう、眼を逸らすことは赦されない。おそらくそれが、与えられた『罰』。
「約束したんです。必ず故郷へ連れ帰ると。……返事は聞けないから、一方的にですけどね……」
 メンバーの情報の管理は、主にリーダーであるブチャラティと、彼の次に古くから組織に属しているフーゴが行っていた。つい最近仲間になったばかりのジョルノでは、『彼』の故郷がどこなのか分からないのだろう。
「『彼』の両親はどこに?」
「……父親はまだ健在なはずですが……。まともな親がいたら、息子をギャングになんてさせませんよ」
「じゃあ母親は?」
「病死しているはずです」
「その人も『まともな親』ではなかった?」
「……いえ、そうとは聞いてない……」
「なら、母親のそばで眠らせてあげましょう」
 どちらにせよ父親への連絡は付けなくてはならない。
 ジョルノが立ち上がり、それと入れ替わるようにミスタがしゃがみ込んだ。両腕には2度と動かない『彼』を抱えている。
「ボスとして命じます」
 静かな、しかし力強い口調で、ジョルノが言った。
「ナランチャを家族のもとへ帰すこと。これをもって、裏切りの処罰とします」
 ミスタはナランチャの身体を差し出した。フーゴは、一瞬躊躇いの表情を見せながらも、両腕でそれを引き受けた。抱えたその身体は、記憶の中のそれよりもずっと小さく、か弱く思えた。とても自分やジョルノよりも歳上だとは思えない子供っぽい表情も、自分へ向けられた笑顔も、生意気な態度も、時には衝突したことも、やや高く明るい声も、それが自分の名を呼んだのも、全て、確かに思い出せるのに、もうどこにもない。それらはすでに、存在しないのだ。
「っ……」
 フーゴは腕の中のそれを抱き締めた。
「……その任務、必ず遂行します。ボス……」
 不意に、風に紛れて甘い匂いがフーゴの鼻先をふわりと掠めた。顔を上げると、ナランチャの身体の左胸の辺りに、オレンジ色の花が咲いていた。どうやらそれは、彼の身体から直接生えているようだ。
「これは……?」
「あ……、全部解除したと思ってたのに。忘れていたみたいですね」
 これもジョルノのスタンド能力で咲かせた物らしい。それを解除しようというつもりなのだろう、ジョルノが手を伸ばした。
「待って」
「え?」
「この花を、ぼくにくれませんか?」
 ジョルノはわずかに眉を顰めた。
「ごく普通の……、ただの花ですよ? それ以上でも、それ以下でもありません」
「ただの花なら、ぼくがもらっても問題ないでしょう?」
「スタンドで作り出した花とはいえ、普通の花と同じように、あとは枯れていくだけです」
「分かってる」
 「それでも」とフーゴは言った。
「……分かりました」
 ジョルノはその花をナランチャの身体から切り離し、――やはりスタンドで――その痕跡を消してくれた。フーゴの両手がふさがっていたためか、ジョルノはその花をナランチャの胸の上にそっと置いた。
「ありがとう……、ジョルノ」
 オレンジ色の小さな花は、風に吹かれてかすかに揺れた。

 数日後、花瓶に活けられた花は、ジョルノが言った通りに少しずつ枯れ始めていた。ナランチャが永遠にこの地を旅立つその瞬間にそばにいられなかったことを悔やみ、やり直そう――この花を代理にしよう――という気持ちは、多少はあったのかも知れない。しかし、そんなことはなんの意味もない。いつまでも未練がましく縋り付かれていては、彼だって迷惑だろう。いや、本当はその瞬間を眼にするのが怖いのかも知れない。
「結局ぼくは、何がしたかったんでしょうね……」
 フーゴは溜め息を吐いた。
「もう、捨てるしかないかな……」
 しかしフと思い付き、フーゴはその花を持って出掛けた。目的地は、彼が眠る墓所。
 その場所へフーゴが辿り着くと、墓前にはすでに一輪の花が供えられていた。
(誰が……?)
 一瞬、ジョルノだろうかとも思ったが、彼は数日前からミスタをお供に、仕事であちこち飛び廻っているはずだ。出発前に置いていったにしては、雨風に曝された痕跡がなさ過ぎた。ほんの数時間前に供えられた物のようにしか見えない。やがてようやく頭の中に浮かんだ顔は、数日前に自分のこの口でナランチャの死を告げたばかりの彼の父親のものだった。元々感情の起伏があまり表情に出ない人のようで、彼の心境は読み取ることは出来なかった。が、子供には関心を示さない父親だったと聞いている。彼がわざわざここまで――遠くはないとはいえ――足を運ぶだろうか。しかし眼の前にある花は、確かガーデニング等でよく使われる花だ――死者に手向けるには少々派手かも知れない――。ナランチャの父親の職業は庭師だったはずだ。
 少し考えてから、自分が詮索するようなことではないと思い、考えるのをやめた。
 持参した花を、すでに置かれていた花の隣に静かに置いた。
「……返しますね」
 返事をするように、風に吹かれて周囲の葉が音を立てた。
 フーゴはしばらくその場に佇んでいた。
「だから、言ったのに……」
 数日前に呟いたのと同じ言葉を口にする。
「やっぱりぼくの方が正しかったでしょう? ぼくの言うことを聞いて、あの場に留まっていれば、こんなことにはなっていなかったんですよ」
 それとも、無理にでも引きとめれば良かったのだろうか……。そうしなければいけなかったのだろうか。答えは永遠に分からない。
「ほんとに……馬鹿な人だな……。馬鹿は死ななきゃ治らないなんて言うけど、死んでから治っても仕方ないんですからね……」
 こんな時、ナランチャなら声を上げて泣くのだろうか。フーゴは、まだ子供である内から大人達に混ぜられ、早急に大人になることを強要されてきた。子供らしく感情を露わにする術を知らぬまま、ここまできてしまった。彼は泣き方を知らない。泪の代わりに、皮肉な言葉を吐き続けた。
「馬鹿。本当に、救いようがないくらい……」
 その声は微かに震えていた。
「悔しかったら、言い返してみたらどうです? ……ほら」
 どんな酷い言葉で反論してくれてもいい。いっそ口よりも先に手が出たって、あるいはいきなりスタンドで攻撃してきたっていい。なんだっていい。彼からの反応が――彼の存在が――あるのなら、なんでも。
「…………ねえ……。なんとか……言えよ……。この……馬鹿……」
 物言わぬ冷たい石碑に向かって、彼は言葉をぶつけ続けた。

 帰り道、自宅の近くまで戻ってきた時だった。不意に、視界の隅で何かが動いたのに気付いた。そちらへ眼を向ければ、薄暗い道が伸びていた。いや、建物と建物の隙間と言った方が相応しいだろうか。その建物の裏口と見られるドアの脇に、ゴミの袋が積まれている。真昼でもほとんど陽が差し込まず、薄暗い。こんな場所に足を踏み入れる者は皆無に限りなく近い。しかし、フーゴは覚えていた。この場所だ。この場所で、彼はナランチャに出会ったのだ。
 ゴミの袋が、がさりと音を立てた。
「……ナランチャ?」
 有り得ない。そんなことは百も承知の上だったが、気が付くとその名を声に出していた。
 再びがさがさと音が鳴る。続いて現れた小さな影は、本当に小さかった。それは、やはり小さな声で「にゃあ」と鳴いた。
「猫……」
 オレンジ色の毛並みをした、まだほんの小さな、仔猫だった。大きな眼を、真っ直ぐこちらへ向けていた。
 フーゴはその場にしゃがんで、手を差し出してみた。猫は不思議そうに首を傾げた。
「……ナランチャ」
 半分冗談のつもりで呼んでみると、猫はゆっくり近付いてきた。そして再び「にゃあ」と鳴いた。
「うちに来るか?」
「みゃあ」
 猫はフーゴの指先に身体を擦り付けて、咽喉をごろごろと鳴らした。フーゴは、自然と表情を緩ませた。
「おいで」
 フーゴが抱き上げると、猫は大人しくその腕の中に納まった。


2011,06,11


以前別の場所で公開していた小説を手直ししたものです。
原作でナランチャが死んだシーン、G・Eで作った花はナランチャの身体から直接生えてるんだと思っていました。
本当は壁とか地面からですよね。
実は気付いてからまだ1年も経っていません。
何度も読み直したことあるはずなのに、案外自分って見てないんだなぁと思いました。
そしてこれは1年以上前に書いた話。
えーっと、あれだ。腐んないように花生えさせて光合成させてなんかそんな感じで保ってたとか、そういうことにしてください(汗)。
ラストの猫は別に生まれ変わりとかじゃあないです。フーゴもそうは思ってないです。
<利鳴>

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