フーナラ 全年齢


  False Birthday


 パンナコッタ・フーゴは訪問者の存在を告げる呼び鈴の音で目を覚ました。枕元の目覚まし時計を見ると、アラームが鳴り出す2分前だった。
 誰だこんな朝っぱらからと思いながら、それを確かめることよりも、毛布を引き上げ頭から被ることを選択した。昨夜は仕事中に想定外の事態が発生して帰宅が遅くなったのだ。今日だって暇ではない。貴重な睡眠時間は、1秒だって無駄にはしたくないのに。
 そこにいるのは分かっているんだと言うように、断続的に響く呼び鈴。2分後には――当たり前だが――目覚まし時計のアラーム音がそれに重なった。
「ああもうッ!」
 壊すくらいの気持ちで時計のスイッチを叩いた。が、寝起きでそんなに力が入るはずもない。手が痛かっただけで、時計には亀裂すら入らなかった。だがとりあえずアラーム音は止まった。あとは不作法な訪問者を黙らせるだけだ。
 鬼のような形相で、しかしゆっくりと起き上がったフーゴは、手の痛みに気を取られている間に呼び鈴の音が止んでいることに気付いた。諦めたか? 部屋を間違えたことに気付いた朝帰りの酔っ払いか?
 しかし、新たな音がその耳に届く。金属音。鍵を開けて、ドアレバーを動かす音だ。
 「え?」と思っている内に、寝室のドアが開いた。姿を見せたのはナランチャ・ギルガ――フーゴの恋人――だった。
「なんだ、いるじゃん!」
 「おはよう」の挨拶よりも先にそんな言葉を放って寄越した。フーゴは溜め息を吐きながら再び毛布を被った。
「あっ、なに二度寝しようとしてんだよ!」
「なんですかこんな朝っぱらから。殺すぞ」
「寝起き悪過ぎだろ!」
 合鍵を渡したのは間違いなくフーゴであったし、誰に強制されたわけでもなく、それは完全に彼自身の意思によるものであった。だが流石にこの時間は勘弁してほしい。それなら前日の夜から来てくれた方がいい――ただし昨夜のように遅い時間にふらふらになって帰ってきた時は別だ――。
「ほらぁ、もう目覚まし鳴ってる時間だろ。止めたの? 起きるつもりでセットしてたんだろっ」
 そう言いながらナランチャは時計をぐいと押し付けてきた。珍しく正論と共に。
「その目覚ましは1個目。2個目が鳴るまでまだ5分ある」
「1個で起きろよ……」
 呆れたように溜め息を吐くと、2個目の目覚ましが鳴り出すまで待つつもりなのか、ナランチャはベッドの縁に座り込んだ。流石に気になって眠れそうにない――変に騒いだ所為で、いつもより眠気は遠くへいってしまったようでもある――。
「……なに?」
 横になったまま毛布の隙間から覗き見るように視線を向けた。少しだけ目が覚めるとともに、自分の今の状態を自覚する。まだ顔も洗っていないし、髪をとかしてもいない。着替えだってしていない。はっきり言って、かなりだらしない姿をしている。一方ナランチャは、きちんと服を着ているし、髪だっていつもの状態――いつもと同じにあちこち跳ねている――だ。気を使わなければならないような仲ではない。が同時に、曲がりなりにも恋人である者を前にするからには、もう少し身嗜みには気を使える人間でありたかった。フーゴは再び毛布の中に逃げ込みたくなった。
「なにって」
 ナランチャは事も無げに言った。
「フーゴ今日誕生日じゃん?」
「えっ」
「忘れてたの? 自分の誕生日を?」
 表情を歪めるように、ナランチャは笑った。
「いや、そうじゃあなくて……」
 そのために、わざわざこんな時間に訪ねてきたのか。
(ぼくのために……)
 どくんと大きく心臓が鳴った。
 ほぼ同時に、ピピピと、安っぽい電子音が鳴り出した。
(こんな、2個目の目覚ましが鳴るような時間に……)
 2人の視線は残念ながらお互いを見てなかった。が、同じ方を向いている。ナランチャは手を伸ばし、枕元のデジタル時計のアラームを切った。
 色々なタイミングを逃したように思いながら、フーゴは起き上がった。
「えっと、あの、顔洗ってきます」
「うん」
 「ゆっくりどーぞ」と見送る声を背に受けながら、そそくさとバスルームへ向かった。

 手早く身仕度を済ませて部屋へ戻ると、まだナランチャはそこにいてくれた。先程とほぼ変わらぬ姿勢で、ほぼ変わらぬ場所に座っている。しかし見慣れぬ物が増えてもいた。それはやけに長いリボンのようだ。オレンジ色のそれをぐるぐると指に巻き付けながら、ナランチャは退屈そうな顔をしている。
「お待たせ、しました」
 このセリフであってるのだろうかと思いながらも、フーゴはナランチャの傍に近付いていった。
「3個目の目覚まし、鳴ってたから止めたから」
「ありがとうございます。で、それは何? いや、待って、こんな時間にどうしたの?」
 質問は順番にしないときっとわけが分からなくなる。フーゴも、ナランチャも。
「フーゴ、今日誕生日だろ?」
 「だから」と、当然のように言った。
 昨日は仕事の都合でゆっくり話している時間はなかったし、一緒――の部屋――に帰ることも出来なかった。そのことについて、フーゴが何も思わなかったわけではない。が、明日も会えるし。と、自分を無理矢理宥めた。その『明日』も仕事の予定はきっちり入っているが、多少はましになるはずだとの期待を込めながら。だがまさかその『明日』が、こんな早朝から始まるとは考えてもいなかった。いつも通りに事務所へ向かえば、朝一で用事はあるものの、数時間後には多少は自由に出来る時間は作れるはずだと、その程度の期待しかしていなかった。まさか、
(ナランチャの方から来てくれるなんて)
 完全に目が覚めて、やっと湧き上がってきた感情は愛しさだ。今すぐ彼を抱き締めたい。いや、もっと言えば今彼が座っているベッドにそのまま押し倒したい――そういえば何故彼はリビングのソファ等へ移動せず、ここで待ち続けていたんだろう――。
 だがそうする前に片付けてしまいたい疑問もある。そんなことは気にせずに己の望むがままに動くことが出来ない性格を面倒臭く思いながら、ナランチャの手から伸びてベッドへ、そしてそこから更に床にまで広がっているかなりの長さがありそうな幅の広いリボンへ再び目を向ける。
「“それ”は?」
「リボン」
「君が持ってきたの?」
「うん」
「何するのそんな物」
 拾い上げてみたが先端がどこにあるのか分からない。本当にずいぶん長そうだ。
「縛ろうと思ったんだけど、上手く出来なくて」
「何を?」
「オレを」
「……んんん? 待ってナランチャ。君が何を言っているのか分からない。最初から説明して」
 目は覚めたと思ったが、脳味噌はまだ活動を始めていないのだろうか。
「だから、今日、フーゴの誕生日だろ? プレゼント何がいいかって考えてたんだよ。そしたら、リボン巻いてラッピングした自分を贈れって」
「……誰が?」
 なんでも真に受けるナランチャにそんなことを教えたのは……、
「ミスタが」
「やっぱりあいつか! あの帽子野郎ッ!!」
 過去にもナランチャにおかしなことを吹き込んだ男がにやにやと笑っている顔を思い浮かべながら、フーゴは頭を抱えた。直後に鳴り出した4個目――最後――の目覚まし時計は、ミスタの顔面だと思って叩き止めた。
「ナランチャ、その認識は完全に間違っています」
「マジで!? オレ騙された!?」
 むしろどうして信じた。
「お願いだからあいつの言うこと真に受けないで」
 ナランチャは不服そうに頬を膨らませた。年上であるとはいっても、後輩に当たる者におちょくられるのは面白くないだろう。
(一度ガツンと言っておかないと駄目か、あの馬鹿)
 どうしてくれようと考えていると、気落ちしたような声が耳に届いた。
「“これ”じゃあフーゴは、嬉しくない?」
 少し長い前髪の下から覗き見るような上目遣いがこちらを向いていた。一瞬息が止まった。胸の鼓動が速度を増す。
「……そんなこと、……ない」
 消え入りそうな声は、しかしナランチャへ届いたようだ。ぱっと明るくなった表情に、愛しいと思う気持ちが止められない。フーゴは、今日という日に感謝した。自分という存在が産み落とされた日。この世に生まれたからこそ、彼に出会うことが出来た。
「ナランチャ……」
「フーゴっ」
 抱き締めようと伸ばした手の中に、「はい」とリボンが差し出された。「え?」と首を傾げると、笑顔のままのナランチャが言う。
「フーゴならオレより器用だよな! だから縛って!」
 軽い目眩に似た感覚に襲われた。
(いやいやいやいや、待て待て待て待て)
 落ち着け。“そういう意味”じゃあない。きっと違う。いくらミスタでも、そんなことまで吹き込みはしないだろう――と思いたい――。
「しばっ……待って、ほんとに。その……、具体的にどうしたいの。つまり、どんな形にというか……」
「ラッピングっていったら、やっぱり蝶々結びだよな。あれいっつも縦結びになるんだけどなんでなんだろうな」
 ナランチャは手錠をかけられた囚人のように両手を合わせて前へつき出した。
「こう、腕にぐるぐるっとやって、蝶々? 首に巻いたら苦しそうだよなぁ。それじゃあ犬とか猫みてーだし」
 「なんだその程度か」と、フーゴは安堵の溜め息――「がっかり」のではない。断じて――を吐いた。複雑な手順が必要な縛り方の“名称”までは教わっていないようだ。本当に良かった。2歳――ナランチャの誕生日がくるまでは1歳――上とは思えない子供のようなその顔で、“そんなこと”を言われてみろ。それだけで、もう、なんというか、“やばい”。手首に巻き付けるだけなら大丈夫かと言われれば、“そうでもない”のだが。
「そのくらいなら、最初から輪になるように結び目作って、そこに適当に腕通すんでもいいでしょう」
 どこの世界に自分宛のプレゼントを自分でラッピングするやつがいるんだ。呆れたように溜め息を吐くフーゴは、突っ込むべきポイントはそこではないということを見逃したことに気付いていない。
「あー、そっかぁ。フーゴ頭いいな」
 褒められているようだが、あまり嬉しくはない。
 ナランチャは早速それを実行しようとしたようだが、長過ぎるリボンはどうやらすでに絡みかけていたようで、解こうとする傍から余計に複雑に絡まり出した。
「あれぇ?」
「長過ぎなんです。何メートルあるんですかこれ……」
「7メートル」
 予想外に具体的な数字で答えられた。
「……それもミスタが?」
「うん。なんかよく分かんないけど、オレの体型? なら、7メートルあれば大丈夫だろうって」
「いや、確かに“そういう”縛り方ならその長さが一般的だけど……って、何言わせるんですかッ」
「何言ってるの?」
 ようやく探し出した先端を持って、ナランチャは再びフーゴへ差し出した。
「オレ、蝶々結び得意じゃあないから、やっぱりフーゴに任せる」
 結局『自分でラッピング』か。抗議する、もとい、ツッコミを入れるのにも疲れてきた。適当に付き合ってやれば、満足してくれるだろう。そう期待して、フーゴは受け取った。
 ナランチャは改めて両手をそろえて前へ出した。いつもしているリストバンドの上から、リボンを緩く巻き付ける。もちろん7メートル全部なんて必要なかった。それどころか、1メートルでも長いくらいだ。ナランチャは残った6メートル強のリボンを不思議そうに眺めていたが、自分の手元に作られた形の整った結び目を見ると、微笑んだ。
「出来た!」
「満足した?」
「うん!」
 うっかり跡でも残ってしまっては困る。解くつもりで動けば、簡単に外れる程度にしか結んでいない。それでもナランチャは、その出来に納得してくれたようだ。「どう?」と顔の前にその飾りがくるように手を上げる姿は、悔しいが可愛い。その笑顔を独り占め出来ただけで、それは充分『プレゼント』と呼んでもいいと思えた。立派なトルタを贈られるよりも、何倍も、何十倍も嬉しい。
「で? やりかたったことはこれで全部? もう解いていいんですか?」
「さあ?」
 ナランチャは首を傾げた。おいおい、本当にこれがしたかっただけで、他は何も考えていないのか。どんなリアクションを期待されていたのかすら分からないままではないか。
「オレに聞くなよ」
「君がやったんでしょう」
「好きにしたら? フーゴのプレゼントなんだから」
 フーゴは絶句していた。
(ったく、こいつは……ッ)
 リボンの上から、ナランチャの手首を掴んだ。
「……意味分かってて言ってる?」
「さあ?」
 くすりと笑うと、ナランチャはフーゴの肩に顎を乗せるように上体を摺り寄せてきた。抱き付くつもりが、手が拘束されていてそれが出来なかったのだろう。先程の口振りからすると彼はそれを望んではいないようだが、その姿は猫の仔のようだ。数ヵ月後に控える彼の誕生日に、鈴の形のチャームが付いたチョーカーでも贈ったら……いや、それでは自分宛てのプレゼントになってしまうか。
 大きな瞳が至近距離から見上げてくる。近過ぎて焦点を合わせることすら難しい。同じことを思ったのか、ナランチャはゆっくりと目を閉じた。
 ナランチャと違って、フーゴの両手は自由だ。彼はその一方を愛しい者の肩に、もう一方をベッドについて、体重を支えた。
 部屋の中が静かな所為で、心臓の音が異様に大きく感じる。そこへ、ピピピと、安っぽい電子音が重なった。
「……いくつ目覚ましセットしてんだよ」
「5個目なんてかけてません」
「じゃあ?」
「……電話?」
 携帯電話の着信音だ。そう意識した途端に、フーゴは我に返った。
「やばいっ……」
 枕元の時計を見れば、もうとっくに事務所へ到着しているはずの時間だった。今日は朝一で外出するブチャラティのお供が……。
「もしもしッ」
 大慌てで電話に出るフーゴの視界の隅で、ナランチャは「やれやれだぜ」と呆れた笑みを浮かべている。
(ああ、格好悪い……)
 ひとつ年を取ったって、急になんて変われないようだ。
「はい、いえ、あの……。はい、大丈夫ですっ。はいっ、その……、今出ようと……、ええ、はい、はいっ! すぐ!」
 通話を終え、携帯電話を掴んだまま振り向いた。
「ナランチャ!」
「ん?」
 ナランチャはまだベッドに腰掛けたままでいた。口でリボンを咥え、引っ張って解こうとしているところだった。手が使えないから仕方がないのだろうが、本当に犬か猫のようだ。
「なんかのんびりしてるけど、君だって事務所には行かなきゃいけないんだからなっ」
「分かってるよ。事務所で留守番だろー? ゆっくり行くって」
「分かってるならいい。それ貸して」
 そう言いながら、フーゴはライティングデスクの引き出しから鋏を取り出した。「え、なに?」と目を見開いているナランチャの手から、解かれたばかりのリボンを奪い取る。
「手出して」
 先程と同じ形に、2本の手が向けられる。
「片方でいい」
 フーゴはナランチャの左手を取ると、先程と同じように手首にリボンを巻き、蝶の形の結び目を作った。長く残った分は鋏で切り落とす。そこに込められた意図を読み取ろうとするように、ナランチャはまじまじと視線を落としている。
「……今日1日は、ぼくのプレゼントなんでしょ」
 大きな瞳が、瞬きを繰り返した。
「帰ってからは、ゆっくり出来るはずだから……、それまでは、解かないで」
 真剣な目で見詰めると、ナランチャは「うん」と頷いた。
 誰かに見られたら「なんだそれは」と突っ込まれそうだ。リストバンドの下に隠れるように結べば良かっただろうか。だがもうそんなことをしている時間はない。案外他人の手首なんて誰も見ていないことを、あるいは、リストバンドと同系色であるが故に言われでもしなければ誰も気付かないことを――そしてナランチャがわざわざ人に喋らないことを――願おう。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 玄関まで見送りにきたナランチャは、リボンの付いた左手をひらひらと振った。かと思うと、これ見よがしにフーゴの方へ視線を向けながら、手首の飾りにキスをした。絶対にわざとだ。わざとからかっている。
(こいつ……ッ)
 どこか挑発的な視線を受けながら、フーゴは断腸の思いでドアを閉めた。


2018,01,05


フーゴの誕生日が明らかになっていないので、当サイトでは「いちごの日でいいんじゃね!?」ってことになっております。
でも2月5日で「フーゴの日」も捨て難いよね。
<利鳴>

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