フーナラ 全年齢


  君に花束を


「明日?」
『ええ、明日』
「今朝はなんにも言ってなかったのに。急に決まるもんなんだ、そういうのって」
 ナランチャが“そういうの”と言ったのは、“フーゴが退院する日”のことだ。それを聞かされたナランチャは、自覚のないままに不満そうな口調になっていた。数日前、任務の最中に負傷し、――ブチャラティのスタンド能力で応急手当はしたが、それだけではやはり済まずに――治療のための入院を余儀なくされたフーゴが、明日帰ってくる。そのことは、もちろん嬉しい。まとまった空き時間があれば毎日でも見舞いに行って、「いつ帰って来られるんだよ」と何度も尋ねたくらいだ――数分置きに聞いた時には、流石にしつこいと怒鳴られた――。だがよりによって明日とは……。
「明日は仕事入ってんだよなぁー……」
 予定を変えることは出来るだろうか。……いや、おそらく無理だ。調査の報告をするだけの簡単な任務ではあるが、日時は先方から指定されていて、それ以外では受け付けないと強く言われている。しかも、元々はリーダーであるブチャラティが直々に出向くことになっていたのを、こちらの都合で無理を言って、他の人間でも構わないとしぶしぶ頷かせたという“負い目”がすでにある。新たな変更なんて、――しかも前日になって――言い出せるわけもない。
 ブチャラティがやることになっていた任務がナランチャに廻ってきたのは、他ならぬフーゴが動けなくなったためである。本来はフーゴがやることになっていた仕事をブチャラティが代わることになり、それによって新たに空いた穴を他のメンバー達が分担してなんとか処理することになった。ナランチャに廻ってきたのも、その内のひとつだ。誰も彼も予定が入っており、簡単に「代わってほしい」と言える相手はいない。フーゴの退院が明日に決まり、人数的には正常に戻りはするが、だからと言って復帰したばかりのその当人に早速今から任務に就けとは流石に言えない――ブチャラティが言わせない――だろう。
「ごめん、迎えに行けそうにないわ」
 本当は行きたかったのに。絶対に行こうと思っていたのに。
『そんな、いいですよ。ひとりで大丈夫です。荷物だって、大してないし』
 電話の受話器から、慌てたような口調が聞こえる。フーゴがそう言うであろうことは、彼が入院したその日から予想出来ていた。だからこそ迎えに行きたかったのだ。「ひとりで大丈夫だったのに」と、照れを隠して笑うフーゴが見たかったから。
 だが、ここで子供のように駄々をこねてもどうにもならないということは分かっている。ましてや、フーゴの意思でどうこう出来ることでもないのだ。せっかく退院出来ることになったというのに、自分がこんな調子では、フーゴは気分を害してしまうかも知れない――「退院しない方が良かったのか」なんて思いかねない――。ナランチャはぶんぶんと首を振った。仕方ないことは仕方ない。そう割り切って、代わりにもっと良いことを見付けよう。その方が自分に合っている。
『あの、ナランチャ……』
 受話器の向こうから、申し訳なさそうな声が聞こえた。早速「自分に非がある」とでも言いたいように。それを遮るように、ナランチャは声のトーンを上げた。任務中に負傷するという不注意――本当はフーゴが悪いわけではなく、組織の他の者が行った事前調査の報告に、敵がスタンド使いであるという情報が抜けていたのが原因なのだが――と、それによって仕事に穴を空けてしまったことに対する謝罪は、すでに嫌と言うほど聞かされている。そんなものはもう聞きたくない。聞きたいのは、もっと別のことだ。いつものように、下らない話題で盛り上がったり、ナランチャの知らないこと――たくさんある――を教えてくれたり、そんなフーゴの声が聞きたいのだ。
「なあフーゴっ。仕事済んだらさ、退院祝いに食事行こう! オレ奢るからさ!」
『えっ……』
「何食いたいか考えとけよ!」
 突然のことに戸惑うような様子が伝わってくる。それでもフーゴは、少し笑っているような声で「はい」と答えた。うん、素直が一番だ。
『じゃあ、ナランチャ、明日の任務、気を付けて』
「うん。フーゴも。寄り道しないで帰れよ」
 揶揄するような口調で言うと、今度ははっきりと笑い声が返ってきた。

 『調査の報告をするだけの簡単な任務』が終わったのは、日がすっかり暮れてしまってからだった。ネアポリスまでは車を飛ばして1時間強というところを、渋滞に巻き込まれ、結局3時間近く掛かった。途中でフーゴに電話を掛けると、案の定彼はとっくに病院から帰ってきていて、事務所で不在中の書類の整理等をしていたところだと言った。
「今日はもう仕事終わり? もう帰れる?」
 ずっと事務所にいたのであれば、夕飯はまだとっていないのではないか。それなら、時間は遅くなってしまうが、今からでも食事に出られないか。そう尋ねたつもりだったのに、
『あとは明日朝一で出掛ける予定があるので、その準備をしないと』
「朝一で? 仕事?」
『ええ。前々から入ってた予定なんです。退院が間に合って良かった』
 フーゴは安心したような声でそう言った。反対に、ナランチャは少なからず失望を覚えた。フーゴは真面目だから、仕事にこれ以上穴を空けずに済んだことを喜んでいるだけだと、分かってはいても。
 一緒に食事に行こうとは言ったが、それが今日だとは2人とも言っていない。予定はいつでも簡単に変わる可能性があるということを、彼等は充分理解しているためだ――だから店の予約もしていない――。
 明日朝早くからということは、今日遅くまで時間を取らせるわけにはいかない。もしフーゴが大丈夫だと言ったとしても、時間を気にしながらなんて落ち着かないのは嫌だ。いっそのことブチャラティに頼んで、出来るだけ早いタイミングで2人そろって休みをもらおうか。だが、しばらく休んでいたフーゴの都合を考えると、それも難しいのかも知れない。
「大丈夫なの?」
 退院した翌日の体調と、この先しばらくゆっくり休めなさそうな状態を合わせて尋ねた。返ってきた声は穏やかだった。
『ええ。今日一日は休んでいたようなものですから、お陰様で』
「そう」
『明日の夕方には帰れるはずです』
 逆に言うと、明日の夕方までは帰れない……つまり、ほぼ丸一日コースということか。つい昨日まで怪我人だったというのに。だがそれも、ギャングの世界では文句は言えない。もちろん、ナランチャも。
「分かった。気を付けて」
 「待ってる」と言えば、却ってフーゴを困らせることになるかも知れない。やはり確かな約束はしないままに、ナランチャは電話を切った。

 ほとんど雑用同然の仕事を終わらせたナランチャは、そのまま事務所に留まり、フーゴが帰ってくるのを待つことにした。が、空が暗くなり始めても、彼は帰ってこなかった。おそらく何等かの事情で予定が長引いているのだろう。ブチャラティに聞けば、危険を伴うような任務ではないとのことだ。それでも、どのような状況であるか分からない以上は、こちらから連絡をするのも躊躇われる――大事な打ち合わせの最中であったりすれば、下手に電話を鳴らせば邪魔になってしまうかも知れないし、どの道通話は出来ないだろう――。フーゴのことだから、心配するようなことはないだろう――少し前に入院を必要とする負傷をしたばかりではあるが……――。だが、時間を考えると、帰ってきてから夕飯を食べに行くというのは無理かも知れない。今日もまた。
 それでも、ぎりぎりまでは待ってみようと思った。急いで帰宅したところで、何もやることはないから、と。だが、そんな日に限って新たな依頼等が舞い込んでくることはなく、もう帰っていいとリーダーに言われてしまった――「天気も崩れてきそうだし」と――。ナランチャはしぶしぶ事務所を後にした。
 外に出ると、ぱらぱらと雨が降ってきていた。気分はますますぱっとしない。ナランチャは今にもフーゴから電話が掛かってくるのではないかと期待して、握り締めた携帯電話を凝視したまま歩いた――途中で一度、うっかり信号を無視しそうになった――。
(そうだ。フーゴの部屋に行ってみようかな)
 今の時点でなんの連絡もないということは、帰宅はまだしばらく先のことになるだろう――もしかしたら今日は帰って来られないかも知れない――。住人が不在の部屋はもちろん施錠されているだろうが、ナランチャは合鍵を持っている。自分の部屋の鍵と一緒にキーホルダーに付けて、今正にポケットに入っている――実際に使ったことはほとんどないが――。
 2人が所謂“合鍵を交換し合う仲”と呼べる関係なのかどうかは、実は良く分からない。それを渡してきた時のフーゴのセリフは、「何かあった時のために、預かっていてくれませんか」だった。少し俯き加減の顔が赤く染まって見えたのが引っ掛かりはするが、もしかしたら本当に緊急時だけを想定して渡された物なのかも知れない。実際に、同じ理由でブチャラティにも鍵を預けてあるはずだ――チームの仲間達は全員そうしている――。そう――その程度の物なのかも? と――思って、普段はその存在を特別意識することはない――キーの形をしたキーホルダーみたいな物だとナランチャは思っている――。フーゴも同じような認識でいるのだとしたら、不在の間に誰かが部屋に入り込んだ痕跡があれば、びっくりする――させられる――かも知れない。
 そんな些細ないたずらを思い付いて、ナランチャは早速フーゴの部屋へと向かった。ドアは当然のように施錠されていたが、これまた当然のように、ポケットから取り出した鍵で難なく開けることが出来た。
「無事潜入っと」
 しんとした部屋に、独り言の声はあっと言う間に吸い取られて消える。何度か訪問したことがあるはずのその空間は、住人が不在であるというただそれだけの理由で、どことなく寂しい、見慣れぬ場所であるように感じられた。
 電気を付けて、奥へと進む。部屋の中はどこも綺麗に片付いているようだ――フーゴらしい――。だが、リビングのテーブルの上に、予想外の物を見付けた。
「わぁ……」
 ナランチャに思わず溜め息に似た声を出させたそれは、ガラスの花瓶に活けられた花束だった。園芸等にさほど興味はない――むしろ幼い頃は意識的に避けていたかも知れない――ナランチャにでも、そのやや大振りで丸い形をしたオレンジ色の花が中心となっている――その他には、名前は知らないが同系色の花が数種類見て取れる――花の束が、バランスもセンスも良く、見事な物であることはすぐに分かった。
 近付いてみると、甘い匂いが鼻先をかすめた。造花等ではなく、きちんと生きた花であるようだ。植物の価値なんて分かりもしないが、おそらく安い物ではないだろう。何故こんな物があるのだろうか。フーゴに花を飾る趣味があるなんて話は、聞いたこともない。
「……あー、そっか」
 少し考えて、退院時に看護師がくれたのかも知れないと思い付く。やたらとスタイルの良い女看護師がフーゴのことをえらく気に入っている風であったのを、ナランチャは見舞いの際に何度か見ていた。その花から受ける少々子供っぽい印象はフーゴのイメージには凡そ合わないが、年上の女からは、こんな風に見えているのかも知れない。明らかに“可愛い男の子”の扱いをされていたようだったし――フーゴは嫌そうな顔をしていたが――。
 綺麗に畳んだ状態で花瓶の横に置かれている包装紙は、それが気紛れな買い物等ではなく、誰かからの贈り物である証拠だと言えるだろう。
「ふーん……」
 “こういうの”が“大人の退院祝い”か。一方ナランチャが提案したのは食事だった。完全に色気より食い気だ。
「どぉーせガキですよ」
 吐き捨てるように言うと、続いて溜め息が勝手に出てきた。理由は分からない。分からないが、なんだかむしゃくしゃ――あるいはもやもや――する。
 もう帰ろうか。そう思って踵を返そうとした時、鍵と入れ違いでポケットに入れていた携帯電話が鳴り出した。取り出して表示を見ると、フーゴからの着信だった。
「もしもし?」
 ずっと待っていた連絡だったはずなのに、ナランチャの声はやや沈んでいた。そのことに気付いていないのか、聞こえてきたフーゴの声は、これまた沈んでいるようだった。
『すみませんナランチャ。任務が長引いた上に、悪天候で帰れそうになくて……』
 窓の外に目をやると、先程よりも雨脚が強くなっているのが見えた。それに風も出てきたようだ。フーゴがいる辺り――具体的な地名等は聞いていないが、朝早くから出掛けて行ったらしいことから、それなりに距離のある場所だろうと推察出来る――は、さらに荒れているのか。
 自然が相手とあっては、文句を言ったところで仕方がない。本当は言いたい気持ちを抑えながら、ナランチャは応える。
「無理すんなよ。車なんだっけ? せっかく退院したのに、事故ったら病院に逆戻りだぜ」
 そんなことになれば、今度は間違いなくフーゴの判断ミスが原因だと責められるだろう。誰もそんなことを望んで等いない。……いや、件の看護師は喜ぶかも知れないが。そう思えばなおさら、無理はさせたくない――させてたまるか――。
 再び「すみません」の声。そして小さく「約束してたのに」と続いた。そういう口調は狡い。先に言われてしまうと、こちらは「約束してたのに」とは言えなくなってしまう。
「気にすんなよ。店の予約とかしてあるわけじゃあないしさ!」
 無理に声のトーンを上げて、自分は気にしていないとアピールする。が、少々わざとらしかったかも知れない。それを誤魔化すように、ナランチャは言葉を続ける。
「そうじゃないかって思ってさ、てきとーに晩飯済ませようかなーって思ってたとこ」
 たった今思い付いたばかりのそれこそ適当な発言ではあるが、フーゴが帰って来られないのであれば実際にそうするしかない。思い付いたのと発言したのの順番が前後しただけ。ただそれだけのことだ。
 しつこく「すみません」と繰り返した後、フーゴが尋ねてきた。
『今、どこですか?』
「うち」
 嘘を吐いた。深い考えがあってのことではない。なんとなくだ。
 ナランチャの即答とは対照的に、フーゴの言葉まで、少し間があった。嘘だと見破られたのだろうかと内心慌てたが、それが躊躇いのために発生した時間であったことは、次の口調で分かった。
『あの……、ひとつ、お願いがあるんです』
「なに?」
『僕の部屋の鍵、持ってますよね?』
 ぎくりと心臓が跳ねた。今正にそれを使ってここにいることが、まさか見破られているのでは……。
「えーっと、あるぜっ。部屋行けばあると思う」
『今部屋にいるんじゃあないんですか?』
「あ、あー、寝室ってこと! 今はリビングにいるからっ」
『そう』
 怪しまれただろうか。黙っていると、本当にそうなりそうで、ナランチャは早口で言った。
「フーゴの部屋に行けばいいの? なんか、急ぎの用事?」
『ええ、お願いします』
 そのぐらい、もっと気軽に言えばいいのに。律儀なやつだ。それとも、よっぽど面倒なことなのだろうか。ナランチャがそう思っていると、
『……花があるんです』
 それは間違いなく、今ナランチャの目の前にある花瓶の中身を指しているのだろう。
 水を変えてほしいとか、そういうことだろうか。大切な花だから? 大切にしたいと思うような相手がくれた物だから? そんなことを頼まれたら、「こっちも天気が悪くて」とでも言って断ってしまおうか。
 そんなことを考えていたナランチャの頭は、フーゴの言葉の意味を理解するのに少々の時間を要した。
『昨日、病院から帰る途中で、花屋の前を通り掛かったんですが、その……、ついふらっと、買ってしまって……』
「……ん?」
 相手に見えるはずがないことは承知で、ナランチャは首を傾げていた。
(フーゴは今なんて?)
 「買った」と言った。
(もらい物じゃあなくて?)
 自分で「買った」と、そう言った。
 記憶を遡ってみても、フーゴに花を買って飾る趣味があるなんて話は全く聞いたことがない。だが本人がそう言うのであれば、それは事実なのだろう。はっきり言って意外だ。そう思ったナランチャの耳は、またしても予想しなかった言葉を聞かされ、反応が遅れる。
『それで、もし嫌じゃあなかったら、その……、君に、と思って……』
「……オレに?」
『そう。君に』
「花束を?」
『はい』
 思わず浮かべたぽかんとした表情は、第三者が見ていたら笑われていたかも知れない。
『……迷惑なら』
「違う違う」
 慌てて――やはり見えないのは分かっているが――ぶんぶんと首を振って否定した。
「びっくりしただけ」
『そうですよね。すみません……』
「いや、謝るようなことじゃあなくて……」
『何度も見舞いに来てくれてたから、何か、お礼をと思ってたところに、たまたま目について……。君はそういうのは好きじゃあないかも知れないけど……』
 批難しているわけではないのに、その口調は言い訳めいていた。
(……じゃあ、この花って……)
 ナランチャはテーブルの上のそれをじっと見た。
 フーゴのイメージには合わない。そう思った。だが実際には、別の対象をイメージして選ばれた物だったのか。
(オレ……だった?)
 太陽のような眩しいオレンジ色の大輪。花の名前なんて知らないが、
(フーゴの中では、オレってこんな感じなのか……)
 悪い気はしない。むしろ、
「嬉しい」
『えっ』
「グラッツェ、フーゴ!」
 我ながら現金なものだ。だが、本当に嬉しく思ったのだから仕方がない。
「もらって帰っていいの?」
『はい。君さえ良ければ』
 弾むようなナランチャの口調につられたのか、フーゴの声も、心なしか明るくなっているように感じた。地上にある全てのものを太陽の光が照らすように……とまで言ったら、大袈裟な上に自意識過剰だと言われてしまうかも知れないが。
 ナランチャに贈るつもりでいたということは、横に置いてあるラッピング用の紙は、外した物ではなく、これから自分で包むつもりで用意してあった物だということか。すぐには渡せないから、ぎりぎりまで花瓶に活けておく方が良いと思ったのだろう。なんと言うか、マメな男だ。
 等と思っていると、その思考を読んだかのように、
『本当はちゃんと包装してから渡したかったんですけど、今日は帰れなくなってしまったので……。でも、明日になってからだと、早い物だともう萎れ始めてしまうかも知れないから……』
 そこでフーゴは、「あ」と何かに気付いたような声を上げた。
『って言うか、買い直せば良かったのか。二度と手に入らない物でもないんだから……。うわ、ちょっ、ナランチャ、今の全部なかったことに……っ』
 慌てた口調に、ナランチャは思わず笑った。
(どんだけテンパってるんだよ)
 ナランチャが退院予定の報告を受けた時からずっと落ち着かない気持ちでいたのと同じように、フーゴも、ずっとナランチャのことを考えていてくれたのだろうか。だとすると、こんなに嬉しいことはなかなかない。ナランチャは携帯電話に向かって堂々と宣言した。
「駄目だぜ! もうもらったもん! 返せって言われても、絶対返さないっ!」
『ああもうっ! 慣れないことなんてするからっ……』
 フーゴが電話機を耳に当てたまま頭を抱えている姿が目に浮かぶようだ。ナランチャは再び笑った。
「オレも慣れない。花なんてもらったことないから、なんか変な感じ」
『現物見てがっかりしないでくださいよ。……っていうか、ひょっとしたらもう萎れ始めてるかも……』
「大丈夫大丈夫。全然そんなことないぜ」
『え?』
「あ、いや、えーっと、ないと思うぜ! それよりっ、そっち雨ひどい?」
『ええ、かなり』
 どうやら、誤魔化されてくれたようだ。
「明日になっても天気良くなってなかったら、無理して帰ってくんなよ。ブチャラティ、急がなくていいって言ったんだろ?」
『天気が良くないからこそ、早く帰りたいんですよ』
「ホテルに篭ってれば?」
『そうじゃあなくて』
「んん?」
 フーゴの言わんとしていることが伝わってこない。電話越しで表情が見えない所為もあるだろうか。どういう意味だと尋ねようとすると、
『なんでもないです。……電話で言うことじゃあない』
 先に答えられてしまう。こちらが考えていることだけは、一方的に全部見破られているのだろうか? しかも相変わらず意味が分からない言葉がくっついている。
「わけ分かんねー」
『いいんですよ、それで。あと、ブチャラティにはこれから連絡します』
「え。まだしてなかったのかよ! 先にしろよ!」
『ナランチャのくせに正論ですね』
「どういう意味だっ!」
『ナランチャ』
 揶揄するような口調が、急に真面目になった――そのため、どういう意味だったのかは、結局聞きそびれてしまった――。
『いつか、再挑戦させてください』
「……再挑戦?」
『そう。いつか、今度はもっとちゃんと、花束を君に贈りたい』
 少し緊張したような声に、ナランチャは再び笑った。
「うん。待ってる」


2020,06,10


たぶん花瓶じゃあなくてただのガラスのコップ。
<利鳴>

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