フーナラ R18


  LIMITE


 フーゴは携帯電話に眼をやった。電源ボタンを押し続けてみるが、その画面は暗いままだ。時間を置いたら少しだけでもバッテリーが復活しないだろうか等と思いながら数分置きに何度か試してきたその行動は、幾度目かの失敗に終わった。もっとも、辛うじて電源が入ることがあったとしても、おそらくほんの数秒、時計を見るのが精一杯で、メールの送受信や通話は、わずかにでも不可能だったろうが。
 今思えば、仕事が終わってすぐに「後で行くから」と電話したのが間違いだった。その『後』がいつになるのか具体的に判明した時には、もうその小さな機械は充電が切れて完全に沈黙していた。早く声を聞きたいのを我慢して、最後の通話は「今から行くから」に取っておくべきだった。あるいは、「そんなに遅くはならないだろう」なんて考えずに、店が開いている時間の内に、電池で使えるバッテリーを買っておけば良かったのだ。いやいや、そもそも「人手が足りないから」なんて言われて、他所のチームの任務に借り出されて行くようなことがなければ……。
 人気の減った夜道に、駆け足一歩手前の早い足音を響かせながら、フーゴは――本人の感覚としては“ようやく”――目的の建物の前へと辿り着いた。一人暮らし向け、日当たり良好、ペット可と言う文句で入居者を募集しているそこは、学生の住人が多いようだと聞いていた。明かりの点いていない部屋は空室なのか、明日の授業に備えた優等生がすでに眠っているのか、それともその間逆で、無駄に学費を消費しているような若者が夜遊びのために不在にしているのか……。これから訪ねて行こうとしている先の住人は、そのどちらでもない。ペットもいない。代わりのように、数日に一回のペースでフーゴが上がり込んでいる。
(むしろナランチャの方こそ猫っぽい)
 くすりと笑いながら、外階段を一段飛ばしで――しかし音は出来るだけ抑えて――駆け上がった。ドアの前に立つ。呼び鈴を鳴らして応答を待つ時間すらもどかしく、自分で取り出した鍵で錠を開けた。「今から」と電話することが出来ていたら、予め開錠しておいてもらうことも出来たのに……。
 音もなく廻った鍵を引き抜き、中の空気を出来るだけ洩らすまいとするかのように素早く室内へと入り込んだ。自分の物ではない鍵を持つことも、それを使って同じく自分の物ではない部屋に入って行くことも、もうすっかり慣れていた。
 後ろ手で鍵を再び掛け、フーゴは迷うことなく寝室へ向かった。階段を上がる音やドアの開閉音は聞こえていただろうに、出迎えてくれる姿はなかった。代わりに、ベッドの上に仰向けになっている少年を見付けた。眠っているのだろうか。電気を点けっ放しで。待ちくたびれてしまったのだろうかと、フーゴは静かに近付いて行った。「ナランチャ」と声をかけようとしながら覗き込んだ、その直後、大きな眼がぱっと開いたのが見えた。かと思うと、伸びてきた2本の腕が肩に廻され、あっと言う間にそのまま引き倒された。2つの身体がベッドの上で弾む。ポケットから零れ落ちた鍵がチャリンと鳴った。
「おかえり」
 耳元で子供のように無邪気な声が言う。自分の部屋でもないのに、「おかえり」と迎えられる。そのことで感じていた気恥ずかしさは、消えてしまってすでに久しい。
 ベッドの上に手を付き、上体を支えながら、フーゴは「ただいま」の代わりに眉をひそめた。
「なに、今の。寝たふり?」
 ナランチャは答えずに「ふふふ」と笑っている。その表情に『幸せ』とタイトルを付けたら、少し大袈裟すぎるだろうか。そんな顔を見るのは、そしてこうして触れ合うのは、実は1週間ぶりのことだった。本当なら毎日どころか四六時中こうしていたいのが出来ずにいたのは、フーゴとナランチャ、どちらかが任務のために遠方へと出ていたり、逆に他のメンバーが――やはり任務で――すぐ近くにいる日が続いたためだ。フーゴは、おそらくこの間隔が限界だろうと思っていた。これ以上の時間を空ければ、たぶん自分はどこかのタイミングで最低一回はキレているだろう。助っ人に出掛けさせられた先のチームリーダーは明日の昼間にゆっくり帰れば良いと言っていたが、何をアホなことを言っているんだ、脳味噌足りてないんじゃあないかと危うく声に出しかけた。それほどまでに、ナランチャに会いたくて仕方なかった。1年以上顔を見ていない血の繋がった家族のことはなんとも思わないが、泊り込みで働かされたこの3日間は地獄のようだった。きっとナランチャには依存性があるのだ。薬物のように。フーゴは自分の発想がおかしくて再び笑った。くだらない考えさえも愉快にさせてくれる。それはナランチャの――スタンドとは別の――能力なのかも知れない。
(くだらないことも楽しく? 本当にヤバい薬みたいだな)
 よし、他の仲間には黙っておこうと決めて、ナランチャの肩に顔を埋めた。
「寂しかった?」
「え? フーゴが?」
 再び上体を起こしたフーゴは、子供のように笑っている唇をキスで塞いだ。わずかな抵抗の力もなく、フーゴの舌先は温かい場所へと招き入れられた。身体を重ね合わせる度に思う。ナランチャの体温は、自分のよりも少し高いようだ。貪るような口付けを交わしながら、フーゴはナランチャのベルトに手をかけた。
「うわ、もう?」
 ナランチャは揶揄するように笑った。拒む素振りは全く見えない。
「実はぼくは意外と気が短いんだ。君は知らないかも知れないけど」
「ほんとにー? 初耳ぃー」
 初めて会った時のナランチャは、傷付き、怯え切っていた。こんな風によく笑うやつだなんて、想像も出来なかった。だがそれを言うなら、自分だってそうだ。以前はこんなに笑うことなんてなかった。笑える人間だと思っていなかった。自分のことを。
 チームのリーダーに「最近少し変わったんじゃあないか?」と言われたことがあった。批難めいた顔や口調で言われたのであれば、「どういう意味だ」と食って掛っていただろうが、リーダーの表情は穏やか以外の何でもなかった。その時フーゴは、照れ半分、信じ切れない気持ちが半分で、「そんなことはありません」と返した。が、今は分かる。間違いなく、自分は変わってきている。そしてもっと変わりたいと思っている。ナランチャの傍にいれば、それは可能に違いない。
 くつろげた衣服の中に手を入れ、下腹部へと指先を滑らせると、ナランチャはわずかに身を捩った。体温が更に上昇し、頬に強い赤みが差す。フーゴの動きに合わせるように、身体が小さく痙攣するように跳ねる。細い指がフーゴの肩を掴んだ。
 しばし口付けとゆるゆるとした愛撫を続けた後、すでに濡れそぼっている先端にツメを立てると、ナランチャは一際大きく跳ねた。続いて、背中が仰け反り、声が洩れる。が、そこに甘い響きはなかった。表情が歪んでいる。快楽というよりは、苦痛を与えられた時のそれだ。余裕がない、と言うには、少々様子がおかしい。
「……ナランチャ?」
「なん、でもない」
 「平気だ」と言いながらも、ナランチャは苦しそうに眉を顰めた。本人は隠しているつもりなのだろうが、日頃から彼のことばかりを見ているフーゴが異変に気付けぬはずがない。だが、ふうと息を吐くと、ナランチャはもう元の表情に戻っていた。「続けて」とねだる声は、浮かんだ疑問を押し退けてしまいたくなるには充分だった。それでもフーゴは、それを堪え、彼の身体から手を離した。向けられた視線には気付かないふりをする。
 白く汚れたままの手でナランチャの衣服を捲り上げると、左の脇腹の辺りに貼られた白い……いや、元は真っ白であったのだろうガーゼが眼に飛び込んできた。すでに黒く変色しているが、そこに滲んだ血は見間違いではない。
「なにこれ……」
 フーゴは自分の口から出た音がかすかに震えているように思った。
「もうちょっと色気のある捲り方したら?」
「なんだって聞いてるんだぜ」
「電気消しときゃあ良かった」
「答えろよ」
「大した傷じゃあないって」
「嘘吐け!」
「任務中にちょっとヘマしただけ。そんなに珍しいことじゃあないだろ、ちょっとの傷なんて。ちゃんと手当てもしてるし」
 確かに、ナランチャが傷を負って帰ってくることはそれほど稀ではない。じっくりと策を練ることよりも、直感に従って動くことの多い彼の傷を手当てしてやるのは、主にフーゴの役目だ。だからこそ知っている。彼が自発的に傷の手当をするなんて、それこそ滅多にないことだ。『ちゃんと手当てもしてる』。それが、その傷が決してただの掠り傷なんかではなかったことを証明している。ガーゼに血が滲んでいるということは、まだ出来て間もない傷なのだろう。
「やめよう」
 フーゴは一方的に宣言するように言うと、ナランチャから離れた。
「今更!? なんでだよッ」
 ナランチャは食って掛かるように言った。
「どう考えたって傷に障るだろう」
「触んないようにすればいいじゃん」
「字が違うッ」
「何言ってんのか分かんない!」
「君は馬鹿だって言ってんの!!」
「んだとぉ!?」
 怒りに任せて飛び掛ってでも来るつもりだったのだろうか、飛び起きようとしたナランチャは、しかし小さく呻いて傷のある辺りを押さえた。
「ほらみろ」
「このくらいっ……」
「痛いの我慢させてまで、したくない」
 フーゴはナランチャの視線から逃れるように顔を背けた。そうしていないと、自分の言葉と正反対の行動を取ってしまいそうだった。批難するような視線と声が背中に突き刺さる。
「ここまでやっておいて」
「それはごめん」
「たまってるくせに」
 挑発するような声。ナランチャはわざとフーゴを怒らせようとしているようだ。
「いっつもはすぐキレるくせに、なんでこんな時ばっかり我慢しようとするわけ?」
 その通りだ。フーゴは自分の性格を把握している。彼は、感情を長く抑えていることが出来ない。一言で言えば、キレ易い。どんな場所に属していても、それが周知のこととなるのは早く、近くにいる人間の態度はいつも同じになる。
「あいつすぐキレるから、とりあえず言うこと聞いておこうぜ」
 面と向かってそう言われたことはない。影でこそこそ言われているのをうっかり立ち聞きしてしまったこともない。それでも周りの人間に自分がどう思われているかなんて、フーゴにはすぐに分かった。公式を覚えるよりも簡単なことだった。
 だが、ナランチャは違った。彼は少しもフーゴの言うことなんて聞かなかった。彼は、不満があればいつだってそれを躊躇いもせずに口にした。自分を偽ることなく、自然体で接してくれる存在。フーゴには、それが嬉しかった。だから、それを失うことが怖い。怒りであろうと、愛情であろうと、自分がしたいように押し付ければ、きっといつかナランチャは自分の傍を離れて行くだろう。
(だから……)
 無理を強いるようなことをしたくない。我慢させたくない。独り善がりに抱いて、傷付けたくない。それだけ彼を大切に思っている。
 フーゴの耳に聞こえてきたのは、その想いを否定するような言葉だった。
「それとも、どっかで“済ませて”きたぁ?」
 フーゴは一瞬だけ意識が途切れたように錯覚した。気付けば、右手で作った拳を構え、もう一方の手でナランチャの胸倉を掴んでいた。決して本気の口調ではなかったと気付いた時には、すでにその状態だった。『わざと怒らせようとしている』。それは分かっていたはずだったのに。幸いにも、殴りかかる寸前のところで我に返ったようだ。
 頭の中で声がした。
――殴るのか?
 痛い思いをさせたくないと思った相手を。握り締めたその拳で。
「殴れよ」
 静かな声に、フーゴは全身を強張らせた。
「怯む……と、思うのか? それしきのことで」
 ナランチャの眼は真っ直ぐにフーゴを見詰めていた。それに繋ぎ止められているかのように、フーゴは身じろぐことさえ出来ない。
「殴りたいなら殴れよ。そのくらい全然平気なんだよ。オレ相手に我慢するな」
 「でも」と返そうとすると、ナランチャは意を決したように言った。頬に、わずかに赤みが差していた。
「……フーゴに、我慢させたくない」
「ナランチャ……」
 揺るんだフーゴの手からすり抜けて、ナランチャは飛び掛るように抱き付いてきた。「傷に障る」と言おうとした口は、柔らかい唇に塞がれていた。どくんどくんと煩い心臓の音は、フーゴ自身のものか、それとも、押し付けられたナランチャの身体から伝わってくるものか……。
「自分だけが久々で我慢してるって、思ってる?」
 そう訪ねたナランチャの声は、音よりも先に息が触れてきた。それは熱を帯びているようだった。
「1週間会えなかったのはオレも同じなんだぜ?」
 ナランチャの手がフーゴの肩の辺りを掴んだ。少しの抵抗では振り解けそうにないほどの力が込められている。
「我慢させたくないって、思ってくれてるんなら」
 唇が再び近付いてきた。が、それは触れることなく、ほんのわずかな距離を開けたところでとまっている。
「しよう」
 辛うじて聞こえる程度の小さな声だった。
「このくらいの傷、なんともないから。オレ、フーゴとしたい」
 金属が磁石に引き寄せられるかのように、フーゴは自分の唇をナランチャの唇に触れさせていた。それが彼の返答になった。
――してもしなくても、結局は独り善がり?
(……いや)
 フーゴは心の中で首を振った。ナランチャの身体を抱き上げる。傷に触れぬよう、優しく。
「痛かったら、ちゃんと言って。我慢しないで」
「うん。我慢なんてしない」
 ナランチャの腕が肩に廻され、ぎゅっと強い力が込められた。もう、胸の奥が痛むことはなかった。


2015,07,22


一松様よりリクエストいただいて書きましたフーナラです。
『我慢するフーゴと我慢してほしくないナランチャ』って、こんな感じでしょうか?
それって違う言い方をしたらナランチャが我慢出来ないってことじゃあないですかね!? ひゃっほう!! と一人で盛り上がりながら書いてました(笑)。
R指定な展開まで持っていけるかどうか分からなくて、せめてその一歩手前までは! なんとか朝チュンくらいまでは!! が目標だったのですが、前戯までいったら目標達成と言っていいと思うんですがどうでしょうか!?
いちゃいちゃしてる2人を書けて楽しかったです。
リクエストありがとうございました!!
2月から始めたリクエスト企画ですが、いよいよ1ヶ月を切りました〜。
10周年目指して、そしてその後も、がんばりたいと思いますー!!
<利鳴>

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