ミスジョル 全年齢


  敢えての無駄を


 少し休憩しようか。そう思って資料から眼を上げた時、ジョルノの耳は廊下を移動する足音に気付いた。真っ直ぐこの部屋に向かってくるそれが、彼の部下のミスタのものであることは、その音の高さや大きさ、歩くテンポですぐに分かった。とっくに聞き慣れたそのリズムは、後何歩でドアに辿り着くのかを言い当てられる程に、彼にとって身近な存在となっている。後5秒で足音が止まり、代わりにノックの音がする。ジョルノはそう予想した。
 5、4、3――。ジョルノは顔を上げてドアの方を見た。
 2、1――。足音が止まる。そして……。
 それだけだった。ジョルノは首を傾げた。いつもの軽快なノックの音が鳴らない。だが足音の主がドアの前にいることは間違いない。離れて行く気配はしなかった。それどころか、ガサガサと紙かビニールを揺すっているような音もする。
「おーい、ジョルノー」
 何かあったのだろうかと警戒しかけた耳に届いたのは、実に暢気な声だった。もちろん、予想した通りに、ミスタの声だ。ジョルノは、ドアの向こうに気付かれないように小さく息を吐いた。
「ジョールノー。いるかぁ? オレだよ、オレ」
「怪しいですね。名を名乗ってください」
 ミスタの声があまりにも平穏なので、ジョルノはそんな冗談を返した。そうしながら、いつもはノックをして自分でドアを開けて入ってくるのに何をしているのだろうと考えていた。
「おいおい、恋人の声も忘れちまったのかぁ?」
 更なる冗談が返ってきて、ジョルノは思わず笑っていた。
「ぼくの恋人? 何人かいるけど、誰のことだろう?」
「おーっと、そうきたか」
 今度はミスタの笑い声が聞こえた。
「で、どうしたんですか、ミスタ?」
 尋ねながら、ジョルノは立ち上がった。どうやら自分でドアを開けられない事情があるらしいと察して歩き出す。
「今ちょっと両手が塞がってんだ。悪いが、ここ開けてくんねーか」
「上司にドアを開けさせるなんて、いい度胸ですね。何を持っているのか知りませんけど――」
 「いっそ床にでも置いたら良いでしょう」。そう言おうと思いながら、ドアノブを廻した。ガチャリと音がする。そのまま腕を引く。ドアが開く。部屋の外に眼をやると、その視界は赤一色で埋め尽くされた。
 ジョルノは思わず立ち尽くしていた。言葉もどこかにいってしまったようだ。眼には鮮やかな赤。鼻には甘い香り。一瞬時間が止まったような錯覚があり、ようやくそれが大きな薔薇の花束であることを認識した。
 ジョルノはまだ呆然としていた。今までに見たこともない程、その花束は巨大だったのだから無理もない。その向こうにいるはずのミスタの顔が全く見えない程の大きさだ。それを構成している薔薇の花は、1つ1つがどれもとても見事としか言いようがない。一体何本あるのか検討もつかないが、これだけの数を揃えるのは、おそらく容易なことではあるまい。それが可能なスタンド能力を持たない者には。
 花束の向こうで、ミスタが「誰か花瓶持って来い」と言っているのが聞こえる。別室で仕事中の部下を呼び付けているようだ。「ミスタ様!? どうしたんですかそれ!? 似合わねぇ!!」。そんな声も聞こえてくる。「なんだとてめー」と言い返しながらも、両手が塞がったままのミスタはその部下を追って行って殴ることが出来ないようだ。
「あんにゃろー。後でしめる!」
 そう言いながら、ミスタは室内に入ってきた。半ば押し退けられるように道を譲ったジョルノの眼に、ようやくミスタの横顔が映った。彼は、上機嫌そうに笑っていた。
「ミスタ、それは……」
 やっと口を開きかけたジョルノの声を遮るように、ノックの音が響いた。振り向くと、開け放ったままのドアの向こうに、花瓶を持った少女――これでもジョルノの部下だ――の姿があった。
「お持ちしました」
「よし、ここに置け」
「はい。失礼します」
「水は?」
「一応少しですが入れてあります。足りないようでしたら――」
「いや、あんまり入れると溢れる。これでいい」
「はい」
「ところでさっき似合わねーっつったのはオメーか」
「何を仰っているのか、私には分かりかねます」
 丁寧すぎる口調が逆に怪しいと思いながらも、ジョルノは黙っていた。ミスタもしばし眉を顰めていたが、少女は間もなく無事に解放され、黒い髪と服の裾を翻して廊下へと出て行った。
「ええっと、それで、ミスタ。その花は?」
 ジョルノは花瓶にいけられたばかりの薔薇の塊を指差しながら――ようやく――尋ねた。
「見て分からねーか? 薔薇だよ、薔薇」
「そうじゃあなくて、どうしたのかと聞いているんです」
「買った」
「買った?」
 もしかしたら誰かからの貰い物だろうかという予想は、あっさりと本人の口から否定された。そうならそうで、ある意味では一安心だ――花を贈るなんて、好意以外の理由でやることではないのだから――。一方で、新たな疑問が浮上してくる。なんの為にこんな物をわざわざ購入してきたのだろうか。誰かに贈るつもりか。見舞いに適した花だとは思えない。誰に渡す気だ。自分の知らない人間か。だとすれば、やはり穏やかではない。
「これ、高いんじゃあありませんか?」
「ん? ああ、まあな」
「ぼくに言ってくれたら、このくらいゴールドエクスペリエンスの能力でいくらでも作れるのに……」
 ジョルノが眉を顰めると、しかしミスタはにやりと笑った。
「無駄遣いだって、そう言いたいわけだな?」
「正直に言うと、そうです」
 本当は他にも言いたいことはあったが、ジョルノはとりあえず頷いてみせた。
 ミスタは、肩の高さに上げた手の平を天井に向けて、「やれやれ」とわざとらしい溜め息を吐いた。
「お子様にはまだ理解出来ないってか」
 完全に馬鹿にした態度に、ジョルノは少しむっとした。
「言っておきますが、ぼくだってもうすぐ17に……」
 言いかけて、彼は「あれ?」と言葉を中断させた。「もうすぐ」? 本当に? ここ数日、まともにカレンダーを見た記憶がない所為で、日付の感覚が失われている。今日は何日だ? 4月の……。
「なーんのメリットにもならないようなことでも、進んでしてやりたい。それが『愛』ってやつなんじゃあねーの?」
 気障ったらしいセリフを吐きながら、ミスタは花瓶から薔薇の花を1本だけ抜き取った。そしてその花弁に口付けを落とした。
「似合わない」
「お前までそーゆーことを」
 流石に少し自信をなくしたような顔をするミスタに、ジョルノは「でも」と続けた。
「……うれしい、です」
Buon Compleanno
Grazie
 差し出された花を受け取ると、ジョルノは先程のミスタを真似るように、唇で花弁に触れた。
「やっぱりオレよりもお前の方が似合うわ」
「当然でしょう」
「ところで実はプリンも買ってある」
「食べます。今」
「色気より食い気か」
 苦笑するミスタに、ジョルノは片眼を瞑ってみせた。
「まさか。両立させてみせますよ」


2015,04,16


去年の夏に書いた(笑)。
イタリア語の和訳はマウスオーバーで表示。
<利鳴>

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