フーナラ 全年齢


  


 戸締まりを確認し終えて振り向くと、ナランチャはそれを待っているかのように、まだそこに立っていた。だが、一緒に帰る約束をしているわけではない。故に、フーゴは何も言わずに歩き出した。すると、ナランチャはそれが当然のことであるかのように、歩調を合わせて歩き出した。
「それ、郵便? ポスト寄ってくの?」
 ナランチャはフーゴの手の中にある封筒を覗き込むように見ながらそう尋ねた。フーゴは「ええ、そうです」と簡単に返す。報告書を入れた封筒をポストへ投函して、本日の仕事は全て終了の予定だ。1時間近く前に自分の仕事を終わらせていたはずのナランチャは、「やっと終わりだ」とでも言いたそうな顔で笑うと、両手を上げて大きく伸びをした。そして、やはり「当然だ」というような顔で、フーゴの後をついてくる。途中までは向かう方向が同じだからという理由も、もちろんあるだろうが。
 郵便ポストを目指して通りを横断しようとすると、ナランチャが小さく「あ」と声を上げて立ち止まった。つられてフーゴも足を止め、何かあったかと振り向こうとする。その直前、フーゴの足元をさっと野良らしき猫が走り抜けて行った。そのまま歩いて行こうとしていたら、もう少し驚いていただろう。完全に物陰に隠れて見えていなかったと思ったが、ナランチャはそれに気付いていたのだろうか。
 ふと、東へと目を向けると、建物の間にある空はだいぶ暗くなって見えた。時間の関係もあるだろうが、天候が崩れてきている所為もありそうだ。もしかしたら、雨になるのだろうか。朝までに止まなければ、明日の予定が少々面倒になる。そんなことを考えていたフーゴの耳に、全く予想外の言葉が届いた。
「運命って変えられると思う?」
 ナランチャの視線が真っ直ぐこちらを向いていた。
「……は?」
 いきなり何を言い出すのだろう。フーゴは眉をひそめた。
「なんですか、急に」
 そう尋ねると、ナランチャはふっと溜め息を吐くようにわずかに微笑みを見せた。頭上にどんよりとした雲が広がっていなければ、夕日の眩しさに目を細めたようにも見えたかも知れない。
「映画の話」
 猫が飛び出してきた所為で止まっていた歩みを再開させながら、ナランチャはそう答えた。
「タイトルは忘れちゃったんだけどさ、大事な人を亡くした主人公が、過去に戻って運命を変えようとするって話」
 道を横断している途中で、車が近付いてくるのが見えた。フーゴは歩調を早めたが、ナランチャは車の存在を確認していながらも、変わらない呑気なペースで歩いている。轢かれるぞとでも忠告してやろうかと思ったが、それより先に、車はウインカーもつけずに右折して行った。
 ナランチャは続ける。
「最初は上手くいったと思ったんだけど、結局その人は別の形で死んじゃうんだ。それで、主人公はまた戻る。何度も何度も繰り返す。もっとひどい未来になっちまうこととかもあるんだけど、それでも諦めないで、また戻る」
 郵便ポストの前へと辿り着いた。ナランチャは「どうぞ」と言うように投函口の前に手を差し出した。フーゴはその中へ封筒を入れた。
「どう思う?」
 再び歩き出したフーゴの顔を覗き込むように、ナランチャは隣を歩き出した。
「映画の感想?」
「そう」
 見てもいない映画の感想を求められても、正直困る。「見てみたいと思うか」と聞かれているのだろうか。あるいは、結末を予測しろと言われているのかも知れない。
 物語としては、わりと有り触れた物だと言えるだろう。タイムトラベルを題材とした作品は、一定周期で流行っているようにも思える。取り返しのつかない出来事を、非現実的な力を用いてでも変えたい。それは、多くの人間が持つ願望なのかも知れない。結末は、大まかにいくつかのパターンに分類出来るだろう。悲願を叶えてのハッピーエンドか、運命は変わらないものの何かを得ることが出来、それに満足する結末か、バッドエンドであれば、『大切な人』を守れないばかりか、主人公まで死んでしまうとか……。その辺りは、作り手の好み次第だろうか。
「簡単に変えられるようでは、『運命』とは呼ばないんだと思うな」
 ぽつりと呟くようにそう言うと、ナランチャは深い頷きを返してきた。
「うん。オレもそう思う」
 妙に実感の篭った言い方だ。何も出来ず、ただ流されることしか選べなかった自分の過去を振り返ってでもいるのだろうか。ナランチャは普段は何も知らない子供のような顔をしているが、その実、なかなかどうして苦労してきている。だからこそ、珍しくもないような映画に、何か考えさせられるようなものを感じ取ったのだろうか。
「……で?」
「ん?」
「その映画の結末は?」
 フーゴが尋ねると、ナランチャは2度3度と瞬きを繰り返した。そして、
「忘れちゃった」
 “何も知らない”というよりは、“何も考えていない”ような顔で、ナランチャはあっさりとそう返した。
「はあ? 自分からふっておいて……。それ本当に見たの?」
 フーゴが溜め息を吐くようにそう言うと、ナランチャは悪びれた様子もなく笑った。
「オレ、映画って見ないんだよねー」
 おそらく長い時間集中力を保っていられないのだろう。
「それなのに、その映画は見たの?」
「え? あー、うん、まあ」
 おかしな返事をするナランチャを見て、フーゴは「こいつ、本当に本当は見てないんじゃ……」と思った。それが表情に出ていたのか、ナランチャは誤魔化すように「飯食いに行こう!」と言い出した。フーゴはやれやれと溜め息を吐く。
「でも、さっさと帰らないと、雨降るかも知れませんよ」
「大丈夫! 今日の内は降らないから!」
「何その自信。君のスタンド、予知能力なんて持ってたっけ?」
「へへ、実はそうなんだ」
「またそういう適当なことを……」
 今にも降り出しそうな空を見上げながら、フーゴは肩を竦めた。その隣でナランチャは、「本当だってば」と強い語調で主張する。「そこまで言うなら」と、フーゴはナランチャに詰め寄った。
「店を出る時に雨が降ってたら、代金は全額君持ちね」
「降ってなかったら?」
「その時は僕が払います」
「全額?」
「全額」
「よし、ノった」
 にやりと笑った子供っぽい顔を見て、流石に降り出すまで店内で粘るのはやめておこうとフーゴは思った。それは間違いなく大人げない――ナランチャの方が年上だが――。同時に、降り出す前にさっさと切り上げようというのも、当然なしだ。勝負は対等でなければならない。
(ってことは、普通に考えたら1時間前後か)
 長いとも短いとも言い難いその時間を思いながら、フーゴは無自覚の内に唇を笑みの形に変えていた。


2020,06,20


あとがきで解説したい気持ちを頑張って我慢してるわたし偉い!
解説しなくても分かる話を書けないわたし、偉くない……。
<利鳴>

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