フーナラ 全年齢


  Buon Natale


 「クリスマスツリーを飾りたい」とナランチャが言い出したのは、12月のある日の午後だった。
「なんですか突然」
 その時フーゴは先月分の経費の計算をしていた。前振りのないナランチャの発言よりも、先月の水道光熱費と交通費の金額の方が彼にとっては重要だった。
(何にこんなに使ったんだ? 誰が使ったんだ?)
 これが自分の部屋に届いた請求書なら普段の行動を思い返せば良い──その前にこんな金額の請求はこないと断言出来る──。しかし今フーゴが睨んでいるのは彼等の事務所に届いた分だ。
 ナランチャは眉間に皺を寄せるフーゴと請求書との間に割り込むように顔を覗き込んできた。
「突然なんかじゃあねーよ! 外出てみろって、そんな紙切れとにらめっこしてないでさぁ。あちこちクリスマスの飾りだらけじゃあねーか」
 確かにナランチャの言う通りだった。既に街はクリスマスのムード一色に染められており、店先には年末年始の休業日を知らせる貼り紙がされている。帰省を始めている者もいるだろう。しかし今のフーゴはそれどころではなかった。
「ああもうっ、邪魔くさいなぁ!」
 フーゴは手でハエを払うような仕草をした。
「あっち行ってろよ。ミスタにでも遊んでもらえばっ」
「えぇーっ。だってミスタ今銃の手入れしてんだぜ」
「じゃあ何? 君にはミスタは忙しそうに見えて、ぼくは仕事なんてこれっぽっちもしてないように見えるってわけっ?」
 ナランチャは「そうじゃあないけど」と言って口を尖らせた。
「ミスタもうすぐ帰るって言ってた」
「じゃあ君も帰れば」
「クリスマスくらい仕事休めよ」
「まだクリスマスじゃあないでしょう。そのクリスマスに休みたかったら、今これを片付けておかないといけないの! だいたいね、ツリーに出来そうな木なんてここにはないぞ!」
「買いにいけばいーじゃん」
「その費用はどこから出すって言うんだ」
「え、えーっと、経費で……。駄目?」
「駄目に決まってるだろうッ」
 フーゴがどんどん苛立っていく様子はナランチャにも分かっただろうに、それでも彼は諦めようとしない。
「つ、り、い!」
「無理だって言ってんだろーがッ! 自分の金で買えよ!」
「だってオレ今そんなに金残ってないもん。給料日前だぜ」
「どうせまたくだらない物でも買ったんでしょ。机に乗るくらいのサイズのならそんなにしないだろ」
「やだ。でかいのがいい」
「ったく……、ブチャラティ! なんとかしてくださいよ!」
 もちろん「ナランチャを――」のつもりでの発言だった。が、聞こえてきたのは妙に納得したような声だった。
「そうだな。なんとかするか」
「え?」
 机の上に広げられた書類を片付けていたらしいブチャラティは、その手をとめてなにやら考え込むような仕草をしている。
「あ、あの、ブチャラティ?」
「さすがに経費にすることは出来ないが、オレが個人の金で個人的な買い物をするのは問題ないだろう?」
 ブチャラティは自分の財布を取り出すと、そこから紙幣を抜き取った。
「さらに、その個人的な買い物をナランチャに頼むのも、ナランチャが嫌がりさえしなければ、なんの問題もないな? これは『命令』じゃあない。仕事じゃあないんだからな。完全に私事だ」
「え、え? どーゆーこと?」
 戸惑ったような顔をするナランチャに、ブチャラティは柔和な笑みを向けた。
「ナランチャ、残念ながらオレはこれから出かけなきゃあいけないんだ。だから、オレの代わりにツリーを買ってきてくれないか? 飾りも一緒に。ついでに飾り付けもやってくれると助かる」
 ナランチャの表情がぱっと明るくなった。反対に、フーゴは深い溜め息を吐いていた。
「オレの部屋には置く場所がないから、事務所に置かせてもらうことにするよ。私物を持ち込むなと言われればその通りだが、そのくらいは大目に見てもらえるよな、フーゴ?」
 事務所に彼等の私物が置かれているのは今に始まったことではない。現に、フーゴ自身も自宅に置ききれなくなった本を持ち込んでいる。フーゴは再度溜め息を吐いた。
「ありがとうブチャラティっ!」
 ナランチャはブチャラティに抱き付いていた。あっと言う間に我侭な子供とそれを甘やかす駄目親の図の完成だ。
「そいつはあまり甘やかさない方がいいと思いますけど。すぐ調子に乗るんだから」
 フーゴがそう言うと、ナランチャは「べーっ」と言いながら舌を出した。いつもは自分の方が年上なんだと煩く言うくせに、こんな時ばかり幼さを利用するのは計算してのことなのだろうか。それとも本人にも全く自覚がないのだろうか。後者なのだとすれば、返って性質が悪い。
「せっかくのクリスマスなんだ。たまにはいいだろう」
 クリスマスと言えば、独り暮らしをしている者であっても実家に帰り、家族と共に過ごすのが普通だ。しかし彼等は、帰るべき家や家族を持っていない――ついでに熱心に信仰する神もいない――。ブチャラティがそのことを気遣ってくれているのだろうということは、フーゴにももちろん理解出来る。ほぼ毎日顔を合わせる彼等は、既に家族にも等しい存在なのだと、心優しきリーダーは思っているのだろう。そこまで理解していて、なおも反対意見を主張するのは、不必要に調和を乱すこと以外の何ものでもない。
「……ったく、ほんとに仕方ないやつだな」
「フーゴ、嫌じゃあなかったら、お前も手伝ってやってくれないか? もちろん『命令』じゃあない」
「……貴方の『頼み』なら、断るわけにはいきません」
「グラッツェ」
 ブチャラティは財布から取り出した金をナランチャに持たせた。
「それで足りなかったら、悪いが立て替えておいてくれ」
「いいですよ、それくらい。ぼくも出します」
「オレもっ」
「オレは今日は戻らない予定だ。明日の朝来た時にはツリーは完成しているか?」
「うんっ。まかしといてよ!」
「もし足りないものがあったら携帯に連絡してくれ。明日の朝持っていけるようにしておく」
 ブチャラティが出かけるのにあわせて、フーゴとナランチャはツリーとその飾りを買いに外へ出た。冷たい風が吹くはずの街中は、色とりどりの飾り付けに照らされて不思議と暖かく見えた。そんな中をスキップをするような軽やかな足取りで歩くナランチャを見ていると、最初は「仕方なく付き合ってやっている」というような顔をしていたフーゴの表情も、自然と穏やかになっていった。店に辿り着いた頃にはすっかりナランチャのペースに呑まれてしまったようで、緑のツリーと白のツリーのどちらが良いかの論争まで繰り広げてしまっていた。散々もめた末にやっとどれにするかが決まり、苦労して運んだ組み立て式のツリーは事務所の隅に置かれることとなった。
 彼等はツリーの近くの床に、一緒に買ってきた飾りを広げた。赤い果実に白い木の実、金色のベルに銀色の天使の人形、カラフルな球体やリボン。もちろんキリストの誕生を知らせた大きな星もちゃんとある。
「どれからつける?」
「この長いのと、電飾から」
「じゃあ、こっちのは? これどーやってつけんの?」
「それはリボンで枝に結び付けて」
「なるほど」
 自分からツリーが欲しいと言い出したにも関わらず、飽きてしまったのか、あるいははしゃぎすぎて疲れてしまったのか、途中からナランチャは形ばかりの手伝いを――時には本人は意図していないらしいが少々の妨害も――しているだけで、大部分をフーゴが独りで飾り付けしたようなものになってしまった。それでも天辺の星は自分がつけると言って譲らないナランチャは、なにものにも負けないほどの笑みを浮かべていた。去年のクリスマスは、彼はどこでどんな風に過ごしていたのだろうか。その時くらいは自宅に帰り、子供へ一切の愛情を向けない父親と同じ家の中で過ごしていたのだろうか。あるいは独りで誰もいない街を彷徨っていたのだろうか。フーゴは、それを知らない。が、今彼がこうして笑顔でいることは間違いのない真実だ。その笑顔は、フーゴにとっても救いであった。フーゴのクリスマスの記憶は、捨ててきた家族との記憶に直結している。クリスマスの思い出は、二度と帰らない場所にある。
「出来たぁー!」
 最後まで取っておいた天辺の星を付け終えると、ナランチャは頭上で両手を叩いた。彼が乗っている脚立を支えていたフーゴはそれに倣うことは出来なかったが、それでも笑顔を浮かべていた。
 電飾のコンセントをさすと、オレンジ色の光りが点滅を始めた。
「おおー! クリスマスって感じ!」
「でも、少し離れて見ると、意外とスペース余りましたね」
 飾りの隙間から見える緑色は、思っていたよりも面積が広かった。
「あ、ほんとだ。飾り足りなかったかな?」
「ブチャラティに頼んで何か買ってきてもらいますか?」
「んー、とりあえずはいいかな?」
「じゃあ当日までに少しずつ増やしましょうか」
「うんっ」
 2人はしばらく黙ってツリーの光りを見ていた。誰かと肩を並べてクリスマスツリーを眺めるなんて、一体何年ぶりだろう。最後のその記憶は、まだ小さな子供だった頃の出来事に違いない。
(ナランチャはどうだったんだろう)
 そんなことを思いながら視線を動かすと、ナランチャは少し上の方を見ていた。つられてフーゴもそちらを見ると、小さな白い木の実の飾りが眼に入った。
(あ……)
 赤いリボンでツリーの枝に結ばれたそれは、ちょうど2人の頭の上にあった。
 それを選んだのはナランチャだった。と言っても彼は、クリスマスの飾りのコーナーにある物をフーゴがとめるまで手当たり次第に買い物カゴに放り込もうとしていたのだが。
(だから、別にそんな意味じゃあない。きっと意味なんて知らない。しかもぼく達は『男女』じゃあないし)
 フーゴは小さく頭を振った。
「ねぇ、ナランチャ」
 「ツリーの飾りの意味を知っていますか?」と尋ねようと思ったのだろうか。それとも全く別の話をしようと思ったのだったか――。どちらにせよ、フーゴが言おうと思っていた言葉は、出口を失ってそのまま消えてしまった。柔らかい感触が唇を塞いでいた。
「――え?」
 一瞬、頭の中が真っ白になっていた。瞬時に雪が降り積もったかのように。硬直しているフーゴの顔を見て、ナランチャは不思議そうな顔をした。
「あれ? 違った? 『ヤドリギ』って、これだよな?」
 ナランチャは先程眺めていた木の実の飾りを視線で指した。どうやら彼は知っていたらしい。『ヤドリギの下にいる男女は、キスをする』。
「そう、だけど……っ。き、君ね、そういうことは気安くしない方がいいと思いますよ!」
「気安くしたつもりはないんだけど」
 ナランチャはフーゴの眼を真っ直ぐ見ていた。
「ヤドリギの下にいても、フーゴ以外にはしないし」
「ほんとに……?」
「ほんとに」
 フーゴが視線をそらせずにいると、ナランチャは静かに両目を閉じた。フーゴは思わず辺りを見廻して、誰もいないことを確認した。誰かいたとしても、もうとっくに手遅れだと言うのに。幸いにも他のメンバーはとっくに帰宅していたことが分かると、フーゴはゆっくりと唇を降ろした。先程も感じた柔らかい感触に辿り着くと、ナランチャの身体を引き寄せた。唇に舌先を触れさせる。ナランチャはそれを拒むことなく招き入れた。先程よりもずっと深い口付けを、角度を違えて何度も交わす。首の辺りに腕が廻され、力が込められる。
「んぅ……」
 塞がった口から、小さく声が漏れる。甘く響いたそれは、フーゴのブレーキを解除するには充分だった。
 半ば腕の力だけでフーゴにしがみ付いているようなナランチャの身体を抱き上げて、ソファへ放り投げた。「痛い」と抗議されるのを聞こえなかったフリをして、部屋の電気のスイッチを切るために一旦彼の傍を離れた。ついでに玄関のドアに鍵が掛かっていることを確認する。
「明日、たぶん朝一でブチャラティが来ますよ」
「あ、忘れてた」
「それまでに起きられますか?」
「たぶん無理」
「じゃあやめる?」
「やだ。って言うか、無理なくせに」
「移動しますか? ぼくの部屋か君の部屋に」
「それも無理」
「じゃあ、メールしておいてください」
「なんて?」
「ツリーの飾り買ってきてって」
 意味を考えるようにわずかな間を空けて、ナランチャはくすくすと笑った。
「いっそうんと遠くまで行かないと買えないような物頼む?」
 今度は2人そろって笑い声を上げた。
「この電飾はどうします?」
「ん?」
 ナランチャはブチャラティ宛のメールを打つ手をとめて、ツリーに眼を向けた。オレンジ色の点滅が、部屋が真っ暗になるのを阻止している。
「付けといて。なんかいいじゃん。クリスマスっぽくて」
「そういうことするから経費が嵩むんだ」
「いいじゃんクリスマスくらい」
「来月は節約してもらうからね」
「わかったわかった」
 そう言って笑うと、ナランチャはソファの横に戻って来たフーゴにキスをした。
「Buon Natale」
「まだだけどね」


2010,12,23


バカップルでもいいじゃあないッ!
いつか白い光ファイバーのツリーを買うのが夢です。
<利鳴>
1番格好良いのはブチャラティさん。異論は認めない。
クリスマスの飾りでバカップル物と言えばもうヤドリギネタはお約束ですね。
お約束というのは取り入れねばならないという意味です(違)
…あ、でも作品内に有る様に「男女は〜」だから、
ベーコンでレタスは略してBLな此の2人は…バカップルだな、うん。微笑ましい。
でも1番格好良いのはブチャラティさん。以下同文。
<雪架>

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