アバブチャ 全年齢


  我輩の主人(達)は素直じゃあにゃい


 『書庫室』とは名ばかりの物置部屋に、妙な物を見付けた。今はもう使うことはないだろうと思われる古い資料を納めた段ボール箱の陰に、無理矢理作ったようなスペース。そこに置かれていたのは、どう見てもキャットフードの袋――トラ猫の写真のパッケージ――だった。
「なんだこれは……」
 思わずそう呟くと、後ろで「あっ」と声を上げたのはブチャラティだった。彼は両腕で分厚いファイルをいくつも抱えている。ほぼ同量の書類の綴りを抱えていたアバッキオは、一先ずそれ等を棚の上――アバッキオ以外の者だと踏み台なしには届かないので取り出す必要が出来た時に呼び付けられるのは必至だが、他に空いている場所はない――に置き、続いてブチャラティの荷物も受け取って、同じように置いた。これで「こいつを片付けるのを手伝ってくれないか?」と言われた任務は完了だ。
「そろそろ古い物からなんとかしないと、しまう場所がなくなるな」
「ジッパーで壁の中へ入れるか?」
「それじゃあオレがいない時に出し入れ出来ないじゃあないか」
「そもそも誰も見てねーだろ。取っておく意味すら怪しいぜ」
 アバッキオは髪をかき上げながら溜め息を吐いた。
「で?」
 視線を先程の位置――棚の一番下――へ移す。改めて見ても、それはキャットフード以外の何物でもない。しかも未開封である。何かを入れるのに適当な空き袋を再利用したわけでもなさそうだ――そもそもそんな空き袋があるという状況も妙だが――。
「あんたのか。いつから猫になった?」
「オレが食べるんじゃあない」
 ブチャラティは当たり前のようなことを憤慨した風でもなく言った。
「分かってる。冗談だ」
「このビルの裏に、野良猫がいるんだ」
「ああ、……あれか」
 書庫室を出るブチャラティに続きながら、アバッキオは頷いた。
「ガキ共が構ってるのを見たことがある」
 日陰の中でしか見たことがない所為でそうとしか見えなかったのかも知れないが、確か黒っぽくて金色の目をした仔猫だった。どうやら構っているのはチームの年少組だけではなかったということか。
「妙に人馴れしてると思ったら、餌付けしてたのか」
 ブローノ・ブチャラティという男は、基本的に面倒見が良く、弱い者を放っておけないタイプの性格をしているのだ。食うのに困っている者があれば、猫だろうが人間だろうが手を差し伸べたくなるらしい。アバッキオも、そうやって拾われた。詳しく聞きはしないが、他の仲間達も似たようなものなのだろう。
「飼う気か?」
 するとブチャラティは首を横へ振った。
「部屋がペット禁止なんだ」
 そうでなければ飼いたかったと言うつもりだろうか。いや、きっと違う。彼は、ある日突然自分が“帰れなくなった時”のことを考えているに違いない。この世界にいる以上、それは充分にありえることだと言わざるを得ない。そうなった時に、部屋に閉じ込められた小さな命を道連れにしてしまうこと、彼はそれを望んではいない。むしろ、ペットが飼えない部屋で良かったと思ってすらいるだろう――仔猫を連れて帰れない絶好の言い訳に出来るから――。
「今の状態がベストだと思ってる」
 ブチャラティはふっと息を吐くように微笑んだ。
「時々食べさせてやって、その見返りに愛らしい姿を見せてもらって、他に行きたいところが出来たら、いつでもいなくなれる。近所の住人が可愛がっているのを見たこともあるし、面倒を見てくれる真っ当な人間がいるなら、その方が幸せだ」
 そう言いながらも、彼の目は少し寂しそうだった。
 「この話は終わりだ」と宣言するように、ブチャラティは奥の机に向かおうとした。その背中に向かって、アバッキオは言葉を放つ。
「オレは違う」
 ブチャラティの足がぴたりと止まった。
「オレはあんたをひとりにはさせない」
 振り向かないままのブチャラティの顔は、アバッキオには見えない。それでも彼がどんな表情をしているのかが分かる気がした。それは、ムーディー・ブルースを使って確かめる必要がないほどに確信があった。
 数秒の間の後に、ブチャラティはゆっくりと振り向き、唇を開いた。
「グラッツェ」
 腕を掴んで抱き寄せ、その笑顔に口付けたいとアバッキオは思った。が、彼の耳は階段を上がってくる足音を聞き取っていた。伸ばし掛けた手は、「まあ今じゃあなくてもいいだろう」と留めた。アバッキオの胸中を見通しているかのように、ブチャラティは肩を竦めながら笑った。
 その数秒後、
「ただいまー」
 ドアが開く音と共に聞こえてきたのは、声変わり前ということは流石にないだろうがそれにしては高い少年の声で、しかし振り向いた先にいたのは小さな黒猫だった。件の、ビルの裏にいる野良猫――明るい場所で見てもやっぱり黒い――だ。一瞬、その猫が喋ったように見えたのがおかしかった。だがもしそうだとしたら、随分と図々しい。アバッキオがようやく見付けた居場所に、気軽に入ってきてその上「ただいま」だなんて。
 猫の後ろに、2人の少年が立っていた。片方は先程の声の主、ナランチャで、その更に後ろにいるのがフーゴだ。もちろん猫が人の言葉を話すはずがない。
「ただいま戻りました」
 どうやら2人でひと仕事終えてきたところらしい。フーゴの腕には、いつも集金に使っている袋が抱えられていた。ブチャラティは「ご苦労だったな」と頷きを返した。
「それはそうと、フーゴ」
「はい?」
 ブチャラティの視線が足元へ向く。
「お前はまた“こういうの”を拾ってきて……」
 その声は、呆れているようにも、「オレは我慢してるのに」と言っているようにも聞こえた。
「ぼくがしょっちゅう拾い物をしてくるみたいに言わないでくださいッ。それに、これはぼくじゃあなくてナランチャがっ」
 慌てたように弁解するフーゴに、ナランチャは不服そうに口を尖らせた。
「えー、オレの所為ぃ? こいつが勝手にー……」
「お前が呼んだんだろうが!」
「だって、それだけでここまでついてくるなんて思う?」
「そういう自分はほいほいついてきたくせに」
「ん? 何の話?」
 2人がそんな遣り取りをしている傍で、猫は怯える素振りも見せない。それどころか、事務所の中まで入ってきた。そして「にゃあ」と鳴くと、アバッキオの足に頭をぐりぐりと押し付けてきた。
「あー、いいなー」
「毛が付く。やめろ」
「ガムテープ持ってきましょうか」
「アバッキオ、随分懐かれているな」
「食べ物の匂いとかするんじゃあない?」
「なんも持ってねーよ」
「じゃあ純粋にじゃれてるんだな」
 実は誰もいないタイミングを見計らって構ってやってたのだなんて、言えるはずがない。彼のキャラクター的に、絶対に。そんなことにはお構いなしに、猫は何度でもアバッキオの足元を行き来した。完全に彼を害のないものとして認識している。
 不意に、ブチャラティと目が合った……気がした。そして彼は笑っていた……ように見えた。なんだと聞きたいが、ヤブヘビでも困る。仕方なくアバッキオは小さく舌打ちをするに留まった。
「とりあえず事務所でも飼えないからな。可哀想だが、外に出すぞ」
 そう言ってブチャラティは猫を抱き上げた。強制退室を言い渡された猫は、何も分かっていないらしく、みゃあみゃあと鳴いて、“愛らしい姿”を振り撒いている。『つれてきたわけではない』と言い張っているだけあってか、年少の2人は抗議するでもなくそれを眺めている。が、やはり惜しそうでもある。
「時々餌やるのはいい?」
 ナランチャが尋ねると、ブチャラティは「外でならな」と答えた。事務所の書庫室に新品のキャットフードを隠し持っておいて、「何もやるな」とは言えないだろう。そんなことは知らないナランチャは、「やったぁ」とはしゃいでいる。
「名前付けるのはマズイかなぁ」
「それはやめておいた方がいいと思いますよ」
「そうだな。誰かが飼ってくれることになった時に、名前が変わったらややこしい」
「あー、そっかぁ」
「どうしてもと言うなら、『レオーネ』」
「おい」
「それはパスで」
「おい今言ったのどっちだ」
 ブチャラティは笑いながら事務所を出ようとした。その腕に抱かれたままの猫が、にゃあにゃあと鳴き出す。何かを訴えているかのようだ。それを見ながら、ブチャラティは「どうした?」と顔を寄せる。不意に、猫が身を乗り出すようにして、その唇を舐めた。
「あっ」
 アバッキオは無意識の内に声を出していた。
「どうした?」
 3人の目が同時に同じ箇所へと向いた。いや違う。3人と1匹の、だ。「この程度のことが何か?」と小馬鹿にされたような気がしたのはただの思い違いだろうか。
「いや、別に……」
「ふーん?」
 ブチャラティまで揶揄するような目を向けてくる。だがアバッキオは猫に対して嫉妬等していない。断じて。
「そいつ、どこで何口に入れてるかも分かんねーんだぞ」
 例えば近くの飲食店から出る残飯だとか、路地裏にいるネズミだとか、昆虫の類だとか。そのつもりで言った――言い繕った――のに、
「直前に舐めてたのはアバッキオの靴だな」
「キタナイ」
「おい今言ったのどっちだッ」
 睨み付けるとフーゴとナランチャは照らし合わせたように揃って首を横へ振った。
「しらなーい」
「何も言ってませんよ」
「無実」
「金庫に現金しまってきまーす」
「オレもー」
 奥の部屋へ向かうフーゴに、何故か手ぶらのナランチャまでついて行った。
「ったく……」
 アバッキオが舌を鳴らすと、ブチャラティはくすくすと笑った。その顔が、ふと何かを思い付いたように変化する。「どうした」と聞こうとすると、彼は猫を持ち上げてアバッキオの目の前にずいっと近付けた。アバッキオが焦点を合わせようとするのよりも先に、猫に唇をぺろりと舐められた。
「なっ……」
 思わず硬直してしまったアバッキオをよそに、ブチャラティは猫の頭をよしよしと撫でている。
「外出すからな」
 奥の部屋に聞こえるように言うと、ブチャラティは何もなかったかのようにドアを潜って行った。


2018,04,22


猫は好きですが、バッタ食べた後の口でぺろぺろしてくるのはちょっと……。
<利鳴>

【戻】


inserted by FC2 system