フーナラ 全年齢


  OAZUKE


 フーゴが「追え」と叫んだ時、ナランチャはすでに走り出していた。寝静まった町中に、慌しい足音が響く。
「ナランチャ、逃がすな!」
「分かってる!」
 後ろから追いかけるようについてくる足音を、エアロスミスのエンジン音がかき消す。常人には見ることすら出来ない飛行機の形をしたそれは、ターゲットの男の居場所をはっきりとレーダーに捕らえた。路地裏に滑り込んだ後姿を、彼は迷うことなく追跡する。
 その男が何者なのか……。そんなことはどうでも良い。彼等には知る必要のないことだ。名前さえも、意味はない。ただ組織が“敵”として判断した男。それだけで充分だ。加えてその男がどう見ても堅気の者ではなく、いかにも「善良な一般市民を食い物にしています」というような風貌をしているのだから、躊躇いを持てという方が無理な話だ。ただ、「生きたままの状態で捕らえろ」という指示だけが邪魔をして、スタンドの散弾銃で撃ち抜いてしまうことが出来ない。それだけが面倒だ。
 男は細い裏道を駆けて行く。どこを目指しているのだろう。角を曲がった姿が、視界から消える。が、レーダーにはその位置が記されたままだ。大丈夫。見失いはしない。そう思った直後だった。
「なっ……!?」
 ナランチャは思わず足をとめていた。男に続いて道を90度曲がったその先に、人の影はひとつもなかった。同時に、レーダーの反応も消えてしまっている。どこかの建物の中に入ったか。しかし、細く長いその道は、背の高い石の塀に左右を挟まれ、入れそうなドアどころか、窓のひとつも見当たらない。レーダーの反応が消えた辺りへ駆け寄ってみたが、脇へ入る道はなかった。
「ナランチャっ!」
 フーゴが追いついてきた。彼はナランチャが「ターゲットが突然消えた」と説明すると、怪訝そうに表情を歪めた。
「見失ったんですか」
「違うっ! 確かにここまでは反応があったんだって!」
 そう言い返しながら、ナランチャはスタンドで周辺を探知し続けている。それでも、自分とフーゴ、2人分の反応しかその場には存在しない。野良猫すら見当たらない。仮に男が空を飛べたのだとしても、ほんの数秒の間にレーダーの範囲から逃れるなんて不可能なはずなのに。
「それを見失ったと言うんでしょう?」
 フーゴは苛立ちを吐き出すように溜め息を吐いた。ナランチャは、胸の中心に何かが突き刺さったような錯覚に襲われた。
 彼が思い出していたのは、“孤独”だった。「自分じゃあない」とどれだけ言っても、誰も信じてくれなかったあの過去。きっとフーゴは、ナランチャがミスを犯したと思っている。自分の不注意でターゲットを見失ったのに、それを誤魔化そうとしている、と。
 夜の闇が、一際濃くなったように感じた。声を出そうとして息を吸うと、身体の中にまで闇が入り込んでくる。喉がひゅうと鳴り、震え出した。「違う」。そう言いたいのに、声が出ない。
 フーゴはもう一度息を吐き出すと、自分の左腕に眼をやった。時間を見ているようだ。
「反応が消えたのは? そこ?」
 ナランチャは一瞬遅れて我に返った。その間に、フーゴはつかつかと彼の傍へ寄ってきていた。
「あ、うん。この辺りまでは、間違いなく」
 周囲は薄暗い。外灯がないわけではないが、充分とも言い難い。それでも人が顰めるほどの暗がりはない。そのことを確かめるように、フーゴは視線を巡らせた。
「あの……フーゴ、オレ……」
「ちょっと静かにしてて」
 人差し指を唇にあてる仕草をすると、フーゴは石の塀に触れた。範囲を変えながらその表面を撫でているようだ。一体何を? と首を傾げるナランチャがようやくその理由に思い至った時には、フーゴは小さく「あった」と呟いていた。
「ここに、扉が」
 フーゴが指差す先を、ナランチャも凝視する。暗くて分かり難いが、確かに四角い“切れ目”がそこにあった。彼等の腰よりも少し低い位置にあるそれは、一度気付いてしまった後はもう小さな扉以外の何物にも見えなかった。フーゴが力を込めて押すと、一瞬の抵抗の後に、それは音も立てずにゆっくりと口を開けた。大柄な男なら途中でつかえてしまうかも知れないが、2人には充分な大きさだ。
「行くぞ」
 そう言いながら、フーゴはすでに身を屈めて扉を潜っている。ナランチャも慌ててそれに続いた。
 塀の向こうは広い空き地になっていた。雑草が伸び放題ではあるが、人が身を隠せそうなほどではない。にも関わらず、ターゲットの姿は相変わらず見えない。仮に隠れることが出来たとしても、二酸化炭素を探知するエアロスミスからは逃れられないはずだ。まさか息をとめているのか――ナランチャの能力のことは知らないはずなのに?――。
 塀を隔てたくらいで、エアロスミスが見失うはずがない。そう主張しようとすると、フーゴの声がそれを遮る。
「地下だ」
 フーゴが今度は地面を指す。草に隠れて分かり難くはあるが、確かにそこにも扉があった。
「地下に入ってこいつを閉じてしまえば、エアロスミスのレーダーでは探せないってことか」
 確かに、そうかも知れない。
 今度はナランチャがその扉を開けた。施錠はされておらず、両手で取っ手を引くと暗い縦穴と梯子が見えた。
「よしっ」
 ナランチャは早速それを降りて行こうとする。
「待て。勝手に動くな。ブチャラティに連絡するのが先だ。地下に降りたら電波が届かなくなるかも知れない」
 「オレは犬じゃあない」と抗議しようにも、すでにフーゴは携帯電話を耳にあてて、リーダーに自分達の居場所を伝えようとしている。それが終わるのを待っているしかないナランチャは、地下への入り口を再度眺めてみた。穴の深さは良く分からないが、奥の方にはかすかな光が見える。横穴から洩れているらしいその照明は、勝手知った人間がそこを進むのに必要なぎりぎりの強さに抑えられているようだ。「明るくなっている」とは言い難い。おそらく、この扉を出入りする時に洩れ出る明かりが万が一にも人の眼に触れることを避けるためだろう。
「ええ。はい。はい。ナランチャも一緒です」
 電話の向こうのブチャラティの声は聞こえない。彼はなんと指示するつもりなのだろうと思いながら、ナランチャはもうひとつ、別のことを考えていた。それは、フーゴのスタンドのことだ。フーゴのスタンド、パープル・ヘイズの攻撃は、暗い場所ではその危険度が格段に増す。その能力は“強い”と言うよりも、“厄介だ”とさえ言った方が相応しい。味方どころかフーゴ本人さえも、一歩間違えば命を落とす。狭く、暗い地下室で、その力は使えないだろう。その入り口を見付けた時に、フーゴの表情が一層険しさを帯びたのはおそらくそのためだ。彼が慎重になるのも無理はない。
「分かりました。ええ。了解です」
 フーゴが電話を終えた。
「ブチャラティ、なんだって?」
「命令に変更はない。追うぞ。今他の班もこっちに向かってるそうだから、面倒な後始末は押し付けてしまえそうかな」
「OK」
 ナランチャはこっそり安堵の息を吐いた。ここまできておいて、「待機しろ」と言われたらたまったものではない。ナランチャは日頃から時計を身に着けてはいないために、現在の正確な時刻を知ることは出来ない。それでも、そろそろ長針と短針がそろって“12”を指す頃だろうとの検討は付く。夕方から続いた追跡の所為で、そろそろ眠たくなってもきている。ここで「お預け」なんて、それこそ犬じゃああるまいし。「今何時?」と聞いてみようかとも思ったが、そんなことをしてもその分――数秒――仕事が終わるのが遅くなるだけだ。
「先にエアロスミスを降ろして。慎重に」
「任せとけって」
 もし、降りた先で敵が待ち伏せでもしていたら、そしてもし、その敵が彼等と同じスタンド使いだったとしたら――ターゲットがそうだったとしたらもうとっくに反撃してきていそうなものだから、きっとあの男はスタンド使いではない。が、仲間がいないとも限らない――……。エアロスミスが捕まってしまったら、ナランチャには反撃する術がない。不向きな2人がそろったものだと思いながら、レーダーの探知レベルを調整する。そのままゆっくりと、地面の下を目指す。
「OK。何もいない。地面の中だけど、蛇も蛙もなーんにもなし」
「ベネ」
 フーゴは再び時計に眼をやった。かと思うと、その顔はナランチャのすぐ眼の前へと移動した。「え?」と思っている間に、ナランチャは自分の唇に温かい“何か”が触れるのを感じた。小さな音を立ててから、“それ”はさっさと離れた。
「Buon compleanno」
 何でもないような表情でそう言うと、フーゴは「ぼくが先に降ります」と宣言して、もう梯子に足をかけている。
「なっ、い、いまっ……!?」
 地下に降りて行くフーゴの腕時計が見えた。先程ナランチャが思い浮かべた時刻の、少し先を針は指している。ついさっき、日付は5月20日へと変わっていたようだ。
 不意打ちは卑怯だ。だとか、「おめでとう」ってそれだけかよ。だとか、言ってやりたいことはたくさんあった。が、敵がすぐ近くにいるこの状態で、そんなことをしている場合ではない。それが理解出来ないほどは、ナランチャは子供ではない。ついさっきひとつ年を取ったという意味も含めて。
「覚えてろよ」
「何の話?」
 ナランチャが睨んでも、フーゴは知らん振りをしている。と言うよりも、足元に眼を向けている彼には、元より何も見えていないようだ。
 ひとつ年を取ってもなお子供のように頬を膨らませながら、ナランチャも梯子を降り始める。いっそのことすぐ真下にある頭を蹴ってやろうか。そんなことをしたら、いよいよ仕事どころではなくなってしまうかも知れないが。そして先程の「おめでとう」も、取り消されてしまいかねない。様々なものをぐっと呑み込むように、彼は堪えた。
「結局“待て”かよ。オレは犬じゃあないってのにぃ」
「ナランチャ、煩い。少し静かに」
「あーもー、はいはい。分かりましたよッ」
 やっぱり蹴ってやろうか。うっかり、事故のフリをして。


2016,05,20


ナランチャ誕生日オメメタァァァァァ!!
ヘタレ臭くないフーゴを目指した。つもり。たぶん。
<利鳴>

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