フーゴ&ブチャラティ&ナランチャ 全年齢


  はじめての


 事務所を目指して通りを歩いていたフーゴは、視界の隅に奇妙なものを見付けて足をとめた。それは、建物の隙間と呼びたくなるような狭い道から上半身を半分だけ覗かせている男の姿だった。明らかに不審なその男は、フーゴの知らぬ人物ではない。それどころか、ほぼ毎日顔を合わせている相手だ。
「ブチャラティ?」
 フーゴが訝しげな視線を向けると、相手もこちらに気付いたようだ。彼は微笑みながら右手の人差し指を自分の唇にあて、同じ手で手招きをした。「こちらへ来い。ただし静かに」。その指示を受けて、フーゴは小走りに通りを渡った。
 「どうしたんですか」と声を潜めて尋ねると、ブチャラティは笑みを消すことなく「今暇か?」と尋ね返してきた。
「ええ、まあ、何もしてないですけど……」
「そうか。なら付き合え」
「えっと、仕事ですか?」
「いや、仕事と呼べるかは微妙だな」
「何をしていたんです?」
「平たく言うと、尾行だ」
 『尾行』という言葉に反応して、フーゴは――今更――慌てて小道にその身を滑り込ませた。こんなところで話をしていては、ターゲットに見付けてくれと言っているようなものだ。にも関わらず、ブチャラティのこの緊迫感のなさはなんだ。しかも「仕事と呼べるかは微妙」だなんて……。話が見えてこない。
「誰を追っているんです?」
「あれだ」
 あっさりと答えたブチャラティは、通りの少し先を指差した。最初はその指先がどこを向いているのか分からなかったフーゴは、陽射し溢れる穏やかな街並みに極自然に溶け込んだ少年の姿に気が付いた。それもまた、1日に1度は顔を合わせている人物だ。彼がそこにいることは、別段おかしなことではない。だが、ブチャラティの指は、間違いなく彼の背中へ向いていた。
「ナランチャを?」
「静かに」
 思わず声量を増したフーゴをたしなめた口調は、あくまでも穏やかだった。
「あいつ、何かしたんですか?」
「仕事をさせている」
 軽い足取りで歩くナランチャが、通りを左へと曲がった。ブチャラティは素早くそれを追う。フーゴもまた、状況が呑み込めないまま後に続いた。
「いつまでも事務所の留守番ばかりさせておくわけにもいかないだろう? 簡単な仕事をやらせているところだ」
 再び“ターゲット”に見付からないように隠れながら、ブチャラティは微笑んだ。
 ナランチャが彼等のチームに配属されてから、間もなくひと月が経とうとしていた。最初に彼に与えられた“仕事”は先に挙げられた留守番がメインで、時折フーゴに命じられて掃除の手伝いをする他は、他人の眼からでも退屈していることが明らかだった。かと言って、事務的な仕事は彼には向いていない。いきなり実践的な任務を与えるわけにももちろんいかない――それ以前に、ここ最近はそんな物騒な内容の仕事が舞い込んでくること自体がなかったのだが――。それほど重要度の高くない書類を届けさせたり、事務用品や備品の買い出しくらいになら行かせても良いのではないかとブチャラティとフーゴの2人で話し合ったのは、3日前のことだった。ブチャラティは、本日それを実行へと移したらしい。
「なるほど。ようやく理解出来ました。それで“監視”してるというわけですか」
「人聞きが悪いな。“見守っている”と言ってくれ」
 確かに、ナランチャの背中に向けるブチャラティの眼差しは、子供を見守る親のようだ。「あの子ひとりでちゃんとおつかい出来るかしら?」とアテレコしても何の違和感もない程だ。
 フーゴはブチャラティの陰から身を乗り出し、ナランチャの様子を伺った。彼は散歩中らしき猫を見付けたようで、のん気にその首筋を撫でている。おい仕事はどうしたと心の中で突っ込んだが、ブチャラティは相変わらずにこやかだ。ああ、これもう仕事じゃあないな、本当に“おつかい”だなと、フーゴは思った。
 数分後、ようやくナランチャは猫から離れ、近くの建物へと入っていった。
「郵便を出してくるように言ってある」
 ブチャラティが解説した。確かにそこは、郵便局だった。
 数分後に、ナランチャは出てきた。先程まで手に持っていたはずの封筒がなくなっている。無事に“任務”を果たしたのか、それとも……。
 ブチャラティとフーゴは、ナランチャに気付かれないように素早く郵便局内へ入った。
「馴染みの局員にナランチャが行くことは伝えてあるんだ」
 ブチャラティが言った。運良く、窓口にいた局員がその人物だった。
「今、オレの部下が来ただろう?」
「ええ。速達を出していきましたよ」
「オレが頼んだのは配達記録だ」
 フーゴはこめかみを押さえながら溜め息を吐いた。
「すまんフーゴ、ここは任せた」
「分かりました」

 大急ぎで郵便物の手配をやり直したフーゴは、やはり大急ぎで通りへと飛び出した。ナランチャとブチャラティはどちらへ向かったのだろうかと思っていると、タイミング良く携帯電話が鳴り出した。
「フーゴ、オレだ」
「今どこです?」
「本屋の前を通り過ぎた」
「分かりました。すぐ行きます」
 簡潔に通話を終えて、フーゴは走り出した。「なんでぼくまで尾行に加わっているんだ?」との疑問が浮かんできたちょうどそのタイミングで、ブチャラティが手を振っているのが見えた。
「フーゴ、こっちだ」
「ナランチャは?」
「あそこだ」
 ブチャラティが眼で指した先にいたナランチャは、口に何かを咥えているようだった。
「なんです? あれ」
「おそらく飴だ。2件目は調査書を直接依頼人に届けに行かせたんだが、そこでもらったらしい」
「完全に子供扱いされてますね……。で、今は何をしているんです?」
 ナランチャはフーゴが知らない人物と話をしているようだった。相手は完全に髪が白くなった男で、腰の曲がり具合から見ても、かなりの年配者であることが伺えた。
「たぶん、道を聞かれて教えてやってるんだな」
「へえ」
「年寄りに親切にするのはいいことだ」
「なに感動してるんですか……」
 しばらくすると、老人は頭を下げながら離れていった。ナランチャは軽く手を振ると、満足そうな表情で歩き出した。
「…………あいつが教えた道って、あってるんでしょうか」
 フーゴがぽつりと言った。
「……」
「…………」
「お前はナランチャを追え! オレはあの老人を追う!」
「はい!」

 ナランチャが遠くへ行く前に、ブチャラティは戻ってきた。「どうでしたか」と尋ねると、「大丈夫だ」と彼は答えた。
「問題は……もうない」
 一度はあったらしい。フーゴは再び溜め息を吐いた。
 それから数分もしない内に、今度は若い男がナランチャに話しかけてきた。その男の長い金色の髪はだいぶ前に染められたものらしく、頭頂部ははっきりと黒い地毛が見えている。耳にはいくつものピアスが着いており、重たくないのだろうかと思える程だ。服の着方がだらしない。なんとなく、他人に不快感を与えるような表情をしている。
「ギャングのオレが言うのもなんだが、ガラの悪い男だな」
「全くの同感です。何者でしょうか」
 今度も道を尋ねに来た者だろうか。いや、それにしては先程の様子とずいぶん違っているように感じる。ナランチャの表情も、少々迷惑そうだ。難癖でも付けられているのか……。
「一般人だと思うか?」
「薬の売人だったとしても、ぼくは驚きません」
「同感だ。もう少し近付いてみよう」
 フーゴは頷き、ブチャラティの先を進んだ。仕事を命じたブチャラティがこの場にいると分かったら、おそらくナランチャはいい気はしないだろう。ミスがないか監視されていた、つまり、信用されていないのだと考えるに違いない。だがそれは事実ではないのだ。彼等は、そんな気持ちでナランチャの姿を見ているのではない。そこにある視線は、もっと暖かなものだ。
(まあ、実際にミスはあったけど……)
 接近しすぎてナランチャに気付かれたとしても、それがフーゴだけなら偶然通りかかったのだと誤魔化すことが出来るはずだ。ブチャラティの姿を隠すように、更に自分も極力見付からないように、フーゴは慎重に進んで行った。
「だからあ、オレ今忙しーの!」
 ナランチャの声が聞こえた。そこまで接近しても、彼がこちらに気付いた様子はない。
(それはそれで問題ありだな……)
 尾行者に気付く訓練と、それを撒くための特訓もさせなければ。そう考えていたフーゴの耳に、今度はガラの悪い男の声が聞こえた。
「少しくらいならいいだろぉ? じゃあ、お茶するだけ! ね、それならいいっしょ? オレが奢るしさぁ」
「しつけーなー」
(ちょっと待て。何の会話だ)
 フーゴがそう思っていると、ぽつりと呟くようなブチャラティの声がすぐ後ろから聞こえた。どうやら、あまりにもナランチャが気付く様子がないので、フーゴと同じ距離までやってきたらしい。
「あれは……」
「?」
「……ナンパ?」
「!?」
 これ以上近付けば流石にバレるだろう――と思いたい。流石に――。
「ぼくのスタンドなら5メートルまで行けます」
「いや、ナランチャには見えるんだから駄目だろう。と言うか、街中でパープル・ヘイズを出すんじゃあない」
「そう言うブチャラティだって、それ、『走れジッパー』の構えですよね?」
 2人がそんなやり取りをしていることにも気付かず、ナンパ男はしつこくナランチャを誘っている。ついにその手が強引にナランチャの細い肩に伸びそうになった時、
「オレはね、暇そーなお前と違って仕事中なの。もっと暇してるやつ探せよ。そもそもお前、ぜんっぜんオレのタイプじゃあないしー」
 ナランチャはひらひらと手を振ると、「じゃあな。2度と声かけてくんなよ」と言ってさっさとその場を離れて行った。
「絶対のこのこついて行くと思ってました。あいつ馬鹿だから」
「言ってやるな。それよりも……」
 ブチャラティの視線は、ナンパに失敗して悪態をついている男へと向いた。彼は無言でその男の後ろに立った。フーゴも、挟み撃ちにするように移動する。ブチャラティの手が、男の肩に伸びた。
「君、もしここにカバンが落ちてて中に1千万入ってたとしたら、届ける?」
「はぁ? な、なんだよあんだ」
 もう片方の肩に、フーゴも手を置いた。
「警察署の“方”から来ました。少し話がしたいんですが、構いませんよね? どうせ暇だったんだから」
「なんだよあんたら? くそっ、離しやが……」
「お前、今度うちのもんにちょっかいかけてみろ」
「沈めるぞ」
「ひぃッ!?」

 ナランチャの“おつかい”もとい“仕事”は、その後着実に進んでいった。途中、道を間違えたことに気付いたナランチャが突然Uターンしてきたために慌てて身を隠す必要が出来たり、彼が想定外のルートを進み出したためにその姿を見失いそうになったりのちょっとしたトラブルはあったが、それは尾行者達の都合であって、ナランチャにとっては順調そのものだった。「ブチャラティのとこの子だね」と言ってお菓子をくれた人が複数いてしばし足止めを食らったことも、何の問題にもならないだろう。
「あいつ、餌付けされてませんか」
「なんだかんだで馴染んでいるな。顔見知りもいつの間にか増えているようだ」
 ブチャラティはくすりと笑った。フーゴも頷いた。
「そうですね」
 フーゴは、初めてナランチャに会った時のことを思い出していた。薄汚れた格好でゴミを漁っていた彼の眼は、周囲にある全ての物に対して怯えていた。だがそれは同時に、まだ生きることへの執着を捨ててはいないことの証であった。生を諦めた者は、迫り来る死の影さえ恐れることなく受け入れるだろう。彼は違った。そう思ったからこそ、フーゴは手を差し伸べたのだ。
(……いや、違うのかも知れない)
 本当はただの気紛れだったのかも知れない。弱者を助けてやったという優越感に浸ってみたくなっただけなのかも知れない。実を言うと、フーゴはナランチャを助けてやった理由を、はっきりと見付けられずにずっといる。だが、笑顔で街を歩く少年の姿を見ていると、理由なんかなくとも、「これで良かったのだ」と思うことが出来た。
「今ので用件はラストだな。オレは先に戻って何も知らない顔で報告を待たなければな。フーゴ、お前はどうする?」
 フーゴは少し首を斜めにして考えた。偶然を装って合流し、一緒に事務所に帰ることも出来る。どうしようかなと、少しだけ迷った。が、最終的には、彼は首を横へ振った。
「ぼくも、先に帰って待ってます。無事に帰って報告するまでが任務ですから。最後まで邪魔しないでおきます」
 どちらからともなく頷き、2人は事務所に向かって歩き出した。ミスがあった件はどうするのか――それを2人は本当は知らないはずなのだから――を考えると少々頭が痛いが、「任務終了」を告げるナランチャの笑顔を想像すると、彼等の表情もまた自然と微笑みのそれになっていた。


2015,01,05


な、んて、こーとぉ、なーいさ♪
いや待てよ。しょげないでよべいべー! の方が個人的には好きだ。
でも忘れちゃあいけないどーれみふぁーそーらーしーどー♪
なんだこのあとがき。
ちなみに更新日と某番組の放送日が被ったのは全くの偶然です。
<利鳴>

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