フーナラ 全年齢


  PASSO


 呼び鈴を鳴らすのとほぼ同時に、そのドアは勢い良く開け放たれた。驚いて跳び退きかけたフーゴの身体を捕まえるように、1人の少年が彼に抱き付いてきた。
 フーゴが「びっくりした」と呟くと、少年は顔を上げて「へへっ」と笑った。その表情は、実際の年齢よりもずっと幼く見えた。
「やっぱりフーゴだった」
 嬉しそうに言った少年の名はナランチャ。彼は、組織に入る切欠を与えたフーゴに、すっかり懐いているらしかった。仕事場に向かう途中で部屋に迎えに寄ったフーゴに対し、その日一番の笑顔を見せるのは、数日前からのもはや日課だ。
「ぼくだって分かってたの?」
 フーゴは、窓から自分の姿が見えたのだろうかと思いながら尋ねた。あるいは、こんな時間の訪問者は他にいないと決め付けているのか。と言っても、フーゴが彼の部屋を訪ねる時間は一定ではなく、数分から数十分のバラ付きがあるのだが……。左腕の時計を見ると、今日は昨日よりも30分以上早い時間だった。
「まだ寝てるかと持ったのに」
「さすがにそんなギリギリには起きないって。フーゴが来るの分かってるのにさ」
 ナランチャは再び笑った。
「それに、オレが誰彼構わず跳び付いて出迎えると思ってんの? フーゴだって分かってるからに決まってんじゃん」
 「すぐに準備するから中で待ってて」と手を引かれ、フーゴはすでに何度か入ったことのあるナランチャの寝室へと通された。入居した時からあまり物が増えていない部屋の窓からは、建物の入り口付近はほとんど見えなかった。
「何見てんの?」
 振り向くと、上着の袖に腕を通しながら、ナランチャが首を傾げていた。今朝は天気は良いが、気温は少し低い。
「どうしてぼくだって分かったのかなと思って」
 フーゴは窓から離れ、ナランチャの上着の襟を直してやりながら答えた。
「見えた?」
「いいえ。ぼくが来たのは通りの反対側からだったし」
 そう返すと、ナランチャは満足そうに頷いた。
「降参?」
「降参」
 フーゴが頷くと、ナランチャは片足をわずかに浮かせて見せた。何をしているのだろうと思っていると、その爪先がコツコツと床を鳴らした。
「足音」
「足音?」
 フーゴは眉間に皺を寄せた。確かに、この建物の外階段は人の歩く音がよく響く。早朝および深夜に訪れる時は一応気を使って歩くことにしているのだが、それでもだ。ナランチャの部屋は階段に近い。静かにしていれば、人が出入りする音は聞こえてくるのかも知れない。
「でも、どうしてそれがぼくだって分かるんです?」
 フーゴが首を傾けると、ナランチャは再び音を鳴らした。「お前もやってみろ」と促されているような気がして、フーゴも1度だけコツと鳴らした。
「ほら、違うだろ?」
 ナランチャがもう1度鳴らす。確かに違う音だ。靴の材質の所為だろう。だが、こうして交互に2つの音を聞かされれば、それが別のものだと判断することは出来るが、単独で鳴らされたそれで、その人物まで言い当てることなど可能なのだろうか。
「出来るよ。音と、大きさと、速さ。人によって違うもの」
「それはそうだろうけど……」
 俄かには信じ難い。犬や猫には飼い主の帰宅が分かると聞いたことがあるが……。
「本当に?」
「ほんとーに」
 ナランチャは自信たっぷりに頷いた。
「実際に当てただろ。あとどのくらいで到着するのかも、だいたい分かるんだから」
 褒めて欲しがる子供のように、ナランチャは顔を寄せてきた。いや、どちらかと言えば、身体を摺り寄せてくる猫に似ているかも知れない。そう思うと、本当に足音でその主を判別することくらい可能なのかも知れないという気になってくる。
 フーゴは少し考えるように顔を上へ向けた。
「明日から毎日違う靴を履いてこようかな」
 ぽつりと言うと、頬に2つの手が伸びてきて、強引に顔の向きを戻された。大きな眼がすぐ近くにある。近すぎて、逆に見辛い距離だ。
「なあんでそーゆー意地悪いこと言うかなぁー」
 至近距離で見辛いその顔は、しかし少し怒ったような表情をしていることは明白だった。フーゴはくすりと笑った。
「冗談です」
 ナランチャが返事の代わりのように踵を浮かせて、背伸びをしてきたので、フーゴはわずかに頭を下げた。2人の額が、コツリと触れ合う。
「出かける準備は出来た?」
「出来た」
 戸締りを済ませると、ナランチャは軽やかなステップで外階段を降りた。それまで半信半疑だったフーゴは、その音を聞いて「ああ、本当だ」と思った。ナランチャの音だ。
 階段の中ほどで、ナランチャは立ち止まった。振り返って「早く」とフーゴを呼ぶ。「今行きますよ」と返して、フーゴも階段を降り始めた。コツコツと音が鳴る。
 フーゴが追いつくのを待って、ナランチャも再び歩き出した。それぞれのテンポで鳴る2つの足音は、重なり、1人では奏でられない1つの音楽のように響いた。


2014,10,16


脱・ヘタレフーゴを目標に、とにかくイチャイチャしているフーナラを書こう!
と思って書いたのが、こちらです。
ただイチャイチャしてるだけの2人、書いてて、なんかすごく楽しかったです。
余談ですが、パッソって名前の車、あれってイタリア語だったのですね。
初めて知りました。
<利鳴>

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