フーナラ アバブチャ 全年齢


  REform


 暇そうにしている後輩にファイルの整理を任せ、自分は来週にも必要となる資料作りの続きをと机についたところで、フーゴの口からは大きな欠伸が出た。なんとか噛み殺そうとしたそれは、残念ながらばっちり目撃されていたようで、「なあこの書類……」と、とても先輩に向けるものとは思えない――だが年齢は彼の方が上なので仕方ないと言えば仕方ない――軽い調子で話しかけてこようとしていたミスタは、まるで珍しいものでも見たかのような顔をした。
「あ、すみません……」
 欠伸を堪え切れなかったばかりか泪まで出てきそうになったフーゴは、慌てて両目を擦った。だがその動作と――後になってみれば別に必要ではなかったのにと思うような――謝罪の台詞は、却って他の仲間達の視線まで集めてしまったようだ。
「フーゴ?」
「ん、どうした」
「寝不足か?」
 なんの気紛れなのか、普段は他人に関心がないような顔をしているメンバーまで声をかけてくる。ちょっと躓いて転びかけただけなのに――実際には転んでいないのに――過保護な大人達が大丈夫か大丈夫かと一斉に集まってきて気恥ずかしそうにしている子供を見たことがあるが、フーゴは今ならその子の気持ちが分かる気がすると思った。そして、そういえば自分はこの中では最年少だったかと思い出す。年齢は一番下であっても、組織に入った順がリーダーの次であることと、もっと子供っぽいメンバーがいる所為で、そのことはしばしば忘れそうになる。それにしたって、欠伸ひとつで注目し過ぎだ。こんな様子では、フーゴがくしゃみでもしたらどうなることやら……――大袈裟な風邪薬のCMよりも大袈裟に、「敵の攻撃だ」とでも騒ぎ出すかも知れない――。
 一斉に向けられた視線から目を逸らし、フーゴは首を横へ振った。
「なんでもありません」
「そうか?」
「ええ」
 そこでフーゴはミスを犯した。そのまま会話を終わらせておけば良かったのに、余計な言葉を続けてしまったのは――判断を誤った原因は――おかしな注目をされた気まずさの所為か、それとも、少し疲れているのかも知れない――仲間達が妙に注目してくる理由も、おそらくそれを案じてのことだろう――。
「昨夜遅くまで報告書を作っていたから、今日は朝からずっと、少し眠く……て……」
 しまったと気付いても、完全に遅かった。
「フーゴ」
 真っ直ぐ向けられたブチャラティの目は、妙に真剣だった。
「お前、ちゃんと休んでるか?」
「えっ、フーゴ休んでないのっ?」
 机の上に身を乗り出して、ナランチャが大袈裟な口調で言う。間近に迫ってきた大きな瞳に、フーゴは思わず椅子の背もたれに体を押し当てるように身を引いた。
「そんなことはない……と思います。っていうか、ナランチャ、近いです」
 「ちゃんと昼休憩も取りました」と言うと、「そうじゃあなくて」と睨まれた。
「最後に休んだのはいつだ?」
 いつだっけと思い出そうとしている間に、「オレは2日前に休んだ」とアバッキオが申告する。それを見たミスタが、「オレはこの間2日休んだ」と続く。
「オレは明日休み!」
 これはナランチャ。
「みんなよくそんなの覚えていますね」
「いやいや、思い出そうとしないと分からない方がおかしいって」
「どうせ休み中でも資料集めだのなんだの、仕事関係のことしかしてねーんだろ」
「マジかよっ。もったいねー! あのな、フーゴ。大人になってから『あの時もっと遊んでおけば良かったあぁぁ』と思っても、時間は戻せないんだぞ!」
 先程子供扱いされているような気がしたのは、どうやら錯覚ではなかったようだ。急な大人風を吹かせ始めた相手を、フーゴは冷めた目で睨んだ。
「何を言っているのか分かりません」
「いいから休めって言ってんだよ!」
「そーだそーだ! 仕事禁止!!」
「はあっ? ちょっ、だからナランチャ、近いですって! ……ったく、なんなんですか急に」
「どこが急だ! 今の流れ分かってんのか!」
「働き過ぎるのは良くない!」
「奴隷かお前はっ!」
 いきなり騒ぎ出したミスタとナランチャに比べれば、彼等より年齢が上の2人――ブチャラティとアバッキオ――は落ち着いているようだ。だが、その2人が騒いでいる2人を宥めてくれる様子はなく、やはり視線はフーゴへと向いている。
「いざという時動けなかったら笑えねーぞ。数合わせの駒にもならねー」
「ついフーゴに任せがちになっていたな。すまなかった。今日はこれといった任務も入ってないし、もう帰っていい。正式な休みは、改めて考えよう」
「えっ、今から早速ですかっ?」
 「でも今資料を」と言おうとすると、横から伸びてきた手が目の前にあった紙の束をさっと奪い去っていった。
「あとはオレがやっておく。いいから、今日……といっても、もう半日も残っていなくてすまないが。とにかく、ゆっくりしてろ。もちろん、今からでもどこかへ遊びに行くというなら、それはそれで目を瞑ろう」
 柔和な笑みを浮かべるブチャラティの言葉は、しかし不思議と異論を口にすることを許さぬ強さを纏っていた。
 どうしてこんなことになった。仕事中に――あと何時間もせず終わるというのに我慢出来ずに――欠伸をした自分が悪いのか。それを大袈裟にした誰かが悪いのか。
 フーゴから奪った資料を片手に、ブチャラティは一番奥の席につこうとした。どうやら今のが最終通達だったようだ。作りかけの資料の説明すら求めないつもりらしい。
 フーゴが彼の動きをぽかんとした顔で見送っていると、新たな手が伸びていって資料の束はまたしても奪い取られてしまった。いかにも無造作に扱われて、哀れ元・フーゴの資料達。ブチャラティの手からそれを改めて抜き取ったのは、アバッキオだった。
「ちょっと待て」
「どうした」
 ブチャラティは心底不思議そうな顔をしている。
「あんたも働き過ぎだ」
「そうか? でもこの間オレも……」
「『も』……?」
「日数がどうこうじゃあなく、遠出が続いてただろ」
「そうだ。ブチャラティって、なんかいっつも出掛けてるよな」
「そうか?」
「そうだって」
「ってことは、決まり。だな」
 フーゴの後輩達は顔を見合わせて頷いた。なんだ急に団結なんてして。気持ち悪い。
「業務連絡、業務連絡ぅー。ブチャラティとフーゴは今日は早上がりでぇーす」
「はぁっ? なに勝手にっ……」
「勝手ですー。強制ですぅー」
「いや、オレは別に……」
「この資料だってそもそも急ぎじゃあねーだろ」
「いーから休めー!」
 背中をぐいぐいと押されて、ついにフーゴはブチャラティと共にドアの外へと追い出されてしまった。振り向くより早く、ばたんとドアが閉まる音、そして、がちゃりと鍵がかけられる音が鳴る。ブチャラティはぽかんとした顔をしている。「なんでオレまで?」そんなことを思っているのかも知れない。きっと自分もつい先程まで――あるいは今も――そんな顔をしていたのだろうとフーゴは思った。
 数秒後、ブチャラティはやれやれと溜め息を吐きながらも笑って言った。
「鍵をかけられても、ジッパーで入れるんだけどな」
 だが実際にそうしてくれるつもりはないようだ。そこまでして戻りたい理由はないのだろう。大した任務はないと言ったのは、フーゴを休ませるための方便ではなく、事実であったようだ。それなら、あと数時間程度、あの3人に留守を任せてしまっても、おそらく大丈夫だろう。
(何かあれば電話してくるだろうし……)
 ただし、ブチャラティが携帯電話を持って出てきていれば、だが――フーゴはなにしろ急に追い出されたために、持ってこられていない――。
 何はともあれ、せっかく舞い込んできた休暇だ――半日もないが――。それを、いつまでもドアの前に立ち尽くして終えるのはあまりにも勿体無い。例え、他にやりたいことが思い浮かばないとしても。
 それにしても、とフーゴは思う。隣にブチャラティがいるというのは、なんだか不思議な心地がする。いや、ブチャラティ“だけ”がいるのが、というべきか。同じことを考えていたのか、ブチャラティも肩をすくめるようにして少し笑った。
「任務でフーゴと組むことはあまりないから、なんだか妙な感じがするな」
「そうですね」
 チームをふたつに分ける必要がある時は、一方をリーダーであるブチャラティが指揮し、もう一方をフーゴが仕切ることが多い。サブリーダーと呼ばれる役割を正式に作ったことはないが、実質的には在籍の年数が長いフーゴがそれにあたっていると言えるだろう。そのため、2人が同じグループとして動くことは、滅多にないのだ。同じ理由で、2人がそろって休みを取ることもほとんどない。
 ブチャラティはふふっと笑った。何か面白いことでも? と思っていると、
「お前と2人でいると、チームを立ち上げたばかりの頃を思い出すな」
 まだチームがブチャラティとフーゴの2人だけだった頃。あの頃のフーゴは、仕事を教わるために1日の多くをブチャラティの傍にいて過ごしていた。あれからまだ丸2年も経ってはいない。だというのに、ずいぶん昔のことであるように感じる。それだけの変化があったということなのだろう。フーゴ自身にも、その周りの環境にも。
「あの頃のフーゴは、なんというか……」
 口を開きながら、ブチャラティは我が子の成長を見守る親のような顔をしている。嫌な予感がする。「ブチャラティ、その辺で……」ととめるのも間に合わず、
「もっとトゲトゲしていたな。迂闊に触れると、手が穴だらけになりそうな……」
 そうだった。真っ当な道を踏み外したばかりだったあの頃のフーゴは、今思い返してみればわけの分からないような理由で周囲に殺意を振り撒いていたのだった。気に入らない相手がいれば――それが一般人であろうと――容赦なく殴り、何度もブチャラティの手を煩わせた――時にはダイレクトにブチャラティに殴りかかったこともあった――。彼が気を使ってくれていることを分かっていながらわざと辛辣な態度を取ったことも――数え切れないくらい――ある。おかしな理由をあげて、おかしなことで何度でもキレた。それは、反抗期の子供さながら……いや、年齢的に考えても、反抗期その物だったのだろうか。どちらにしても思い出したいようなことではない――俗に言う“黒歴史”だ――。ましてや、それを美しい思い出を語るかのような笑顔で言われるなんて、本気で勘弁してもらいたい。
「ブチャラティ、勘弁してください。本気で」
「お前にやられた傷は今でも残っている。見るか?」
「勘弁してくださいっ」
 ブチャラティは肩を震わせるように笑った。フーゴは頭を抱えたくなった。これ以上この話題を続けられたら、うっかり声を荒らげてしまうかも知れない。そんなことをすれば、“黒歴史”がまた1つ増えかねない。何か違う話題をと思っていると、幸いにもそれはブチャラティの方から振られた。
「とりあえず、食事にでも行くか」
 左腕の時計を見ると、少々早い夕食――には少々早いか――というような時間になっていた。
「そうですね」
 それで話題が変わるのであれば喜んで。それに、仕事があろうとなかろうと、食事は取らなくてはいけない。今日の残りをどうするかは、その後で考えても良いだろう。
 2人はどちらからともなく歩き出した。
「どこにする?」
 ブチャラティが尋ねる。どうやら、いつの間にか一緒に食べることになったようだ。一緒に過ごすのが苦になるような相手であれば御免だが、ブチャラティはそれに該当しない――おかしな昔話さえしないでいてくれるのであれば――。フーゴは「そうですね」と相槌を返しながら、昨日は何を食べたんだっけと考えていた。
「好きな物を言え。奢るぞ」
 ブチャラティはなんでもないことのように言った。
「いいですよ。そのくらいの持ち合わせはちゃんとありますし」
 慌てて拒みながら、ブチャラティと組んで外廻りに行く他の仲間達は、その行き帰りに「なんか奢って」と強請ってでもいるのだろうかと思った。そんなことを言い出しそうな顔は、容易に思い浮かぶ――それも、1つではない――。
「今日は仕事は関係ないんですよね? だったら、今の貴方はぼくの上司でも先輩でもないわけだ。立場を気にする必要だってないはずです」
 ブチャラティは「確かに」と頷いた。そして、
「でも、年下だろ」
 ド正論。
「部下や後輩以外に飯を食わせてやってはいけない、なんて言わないよな?」
「それは……」
「素直に奢られろよ」
「……はい」
 「部下以外に食べさせる」……。その言葉に思い当たる節があったために、フーゴは何も反論出来なくなってしまった。

 2人は大きな通りからは少し外れた場所にある、こぢんまりとしたレストランに入った。やはりまだ早い時間の所為か、他の客の姿は見当たらない。ゆっくり過ごすにはもってこいといったところか。
(こんなところに店なんてあったのか……)
 知る人ぞ知るというやつか。やはり自分以外のメンバーの誰かが、本来の見廻りのルートを外れて「探検しよう」とでも言っているのかも知れない。
 ブチャラティは迷った風でもなく、特に眺めが良いというわけでもない窓際のテーブルを選んで椅子を引いた。従業員としては厨房に近いテーブルについてくれた方が楽だろうなと思いながら、フーゴも彼に続いた。奢ってくれるというのだから、座る場所くらいは彼の希望に従うべきだろう。そうでなくても、テーブルの位置に拘りなんてない。
 オーダーした料理と飲み物が運ばれてくるのを待つ間、こういう場合にはどんな会話が相応しいのだろうかとフーゴは考えた。ほぼ毎日顔を合わせる相手に、「最近どうだ」と尋ねるのは少しおかしいだろう。
「あ、そういえばブチャラティ、この間の……」
 言いかけて、気付く。
(あ、これは仕事の話だ)
 “仕事が禁止”されているのなら、町外れに住む謎のスタンド使い(暫定)の話もNGだろう。悪さをすることもなく、どこかの組織に属することもしていないようだからと関わりを持つことはせずにいてやろうと決めはしたが、どこかの他の組織までもがそうしておいてくれるとは限らないのではないか。目を付けられて悪用でもされたら……。せめて、その能力――らしきもの――を把握しておくくらいはするべきではないのか。……なんて話は、16歳の少年と、20歳の青年がプライベートでする会話であるはずがない――そもそも仕事を抜きにしたら、2人はなんという名称の間柄になるのか……――。
「どうした」
 黒い髪を揺らすように、ブチャラティは首を傾げる。フーゴはそれに、首を振って答えた。
「いえ、今のはなしで。“禁止事項”だ」
「そうか」
 どうやら――仕事絡みの話になってしまうと――なんとなく察してくれたようだ。2人の間には、しばし穏やかな沈黙が流れた。
「そうだ、そういえば……」
 今度はブチャラティが口を開いた。が、彼もまたすぐに「あ」と何かに気付いたような顔をして、「なかったことで」と打ち切る。その理由は、おそらくフーゴの時と同じだろう。
「意外と難しいものだな」
 ブチャラティが笑った。
「ですね」
「それに、休みという感じがしない。ただの食事休憩だな」
「本当に」
 そうこうしている間に、2人が頼んだ料理がテーブルへと運ばれてきた。店員の動きをなんとなしに目で追いながら、いつしかフーゴの頭は記憶を過去へと遡っていた。ブチャラティがあんな――まだ他の仲間がいなかった頃の――話をした所為だろう。
 全ての他人を信じることを拒否し、自分を含めた全ての人間を冷めた目で見下していたあの頃。フーゴの瞳に“希望”と呼べるようなものは、何ひとつ映りはしなかった。彼は何かを大切だと思うことなんて一生ないだろうとすら感じ、同時に、何者からもそのような感情を向けられることはないのだろうと決め付けていた。ブチャラティが声をかけてきたのも、自分の縄張り内で厄介事を起こす可能性のある世間知らずなガキをどうにかしなければとの理由からだろうとしか思えなかった。『救い』なんて、信じていなかった。
 だというのに。
「最近はどうなんだ?」
 ブチャラティの問いかけが、フーゴを“今”へと引き戻す。先程「少しおかしい」と思って口に出すのをやめた言葉での質問の意図が分からず、フーゴは眉をひそめる。
「どう……とは?」
 尋ね返しながら、飲み物のグラスを口元へと運ぶ。倣うようにグラスに手を伸ばしながら、ブチャラティはこれでもかというほど簡潔に返した。
「ナランチャと」
 フーゴは口に含んだ液体を噴き出しかけた。
「なっ、なにを、いきなりっ……」
 鏡を見なくても自覚出来るほどに顔が赤くなっているのは、完全に不意を突かれたためというよりも、むしろその逆だった。フーゴが今正に思い浮かべていた人物。その名を、まるで思考を読み取ったかのようにブチャラティが口にするから……。
 過去も未来も捨て、ただ与えられた命令をこなすだけの日々を送り、おそらく近い内に何か取り返しの付かないようなことをしでかすに違いないと思って――確信すらして――いたあの頃。夜の闇のような感情にゆっくりと呑み込まれていくのをただ待っているだけだったフーゴの目の前に現れた1人の少年――後に2歳近く年上だと発覚して心底驚いた――。それが、ナランチャ・ギルガだった。彼の姿を見たフーゴは、あるはずがないと思っていた『救い』を、――頭で考えてというよりも体が勝手に動いて――差し出していた。家族でも、友達でも、仕事のつきあいでもない相手に食事を与え、仲間にしてほしいと懇願する彼にそうなるための手段を教えた。その行動が、結果として己の『救い』に繋がっていたと気付いたのは、彼への好意を自覚したのと、ほぼ同じタイミングだった。その日を境に、フーゴの世界は完全に姿を変えた。一度崩れ去り、再構築されたのではと思えるほどに、劇的に。ある意味それは、「取り返しの付かないようなこと」だったのかも知れない。そう思うほどに、ナランチャの存在は、フーゴにとって大きなものである。いつしかその想いが世間一般で『恋』と呼ばれる感情であることを知り、紆余曲折を経て当人にそれを伝え、特別な間柄――早い話が『恋人』――になれた今、フーゴが闇を恐れることはもうない。
 それは良いのだ。が、ブチャラティにくすくすと笑われているこの状況はいただけない。「そんなんじゃあないです」とホラを吹くことは出来ない。2人の関係は、ブチャラティにはとっくにバレている――どうやら何かの拍子にナランチャが喋ったらしい――。ただ赤面することしか出来ないフーゴに、ブチャラティは追撃を仕掛ける。
「次はオレとじゃあなくて、ナランチャと休みを合わせてやらないとな」
 口の中に何も入っていなくて良かった。あれば今度こそ吐き出すか誤飲していただろう。
「べっ、別にいいですっ。そんなことしなくてもっ」
「帰りは一緒に帰れるから?」
「そ、それは……」
「というか、仕事中でも大体一緒だな。2人切りというわけにはなかなかいかないかも知れないが。休みを合わせるよりも、他の連中に適当な仕事を言い付けて外に出させている方がいいか?」
「ブチャラティっ、からかわないでくださいっ!」
 顔面の熱は、抑えたいのにどんどん上昇していく。
 ブチャラティはなおもくつくつと笑う。
「そうだな。あんまりフーゴを泣かせると、ナランチャに叱られるな」
「むしろ面白がりそうですけど。っていうか、泣いてなんていませんからっ」
「そうか? それは失礼」
 そう言いつつも、彼はまだ笑ったままだ。
「そ、そういうあんたはどうなんですかっ」
 フーゴは反撃を試みた。アバッキオとの仲を知られていないつもりなのかも知れないけど、ちゃんと(?)気付いているんだからなという気持ちを込めて、ブチャラティを睨む。すると、ブチャラティはフォークを口に運びながら、平然と返してきた。
「さあぁ? どうだろうなぁ」
 それではぐらかしたつもりなのか。
(それとも本当にその程度の仲だったりして……)
 哀れアバッキオ。もしそれが本当なら、これ以上そのことに触れない方がいい。……と思ったわけではないのだが、その後話題は「食べ物の好き嫌いについて」というどうでも良いようなことになり、仲間達の名前は出てこなくなった。
 そんな風に時間が流れ、料理があらかたなくなった頃、コンコンと窓を叩く音がフーゴの耳に聞こえた。視線を外へ向けると、なんとそこにいたのはナランチャだった。
「えっ、なんでここに……?」
 確か窓のすぐ外は丁寧に管理されていると見えるような植え込みになっていたはずだが、フーゴにはそんなことはどうでもいい。まだアジトにいる時間であるはずのナランチャが何故ここに。フーゴに関係しているのは、それだけだ――植え込みが踏み荒らされていたとしても、どうでもいい――。
 ナランチャは笑顔を見せながらひらひらと手を振っている。状況が呑み込めずにいるフーゴを余所に、ブチャラティは同じ仕草を返した。
(まさか、ブチャラティが呼んだ……?)
 いや、彼がどこかへ連絡をしている様子は見ていない――急に不在にしてしまったが何か緊急の連絡は入っていないだろうかと気にする素振りすら一度もないところを見ると、彼もフーゴ同様、連絡の手段を持ってきていないのかも知れない――。ということは、突然ナランチャが現れた理由は、何か不測の事態が発生し、留守番の3人だけで対処出来なくなってしまったからなのか。それで心当たりを片っ端から探し廻っていたのだとしたら……。
 いやいや、それはおかしい。そうなのであれば、ナランチャが呑気に笑っていることの説明が付かない。
「フーゴ」
 かけられたブチャラティの声もいかにものんびりとしていて、緊急事態であるとはまるで思えなかった。
「食べ終わったな? それなら出よう」
「はい」
 先に宣言していた通り、フーゴの分の支払いまでしようとしているブチャラティに礼の言葉を言うのもそこそこに、フーゴは足早に店の外へと出た。
「フーゴ!」
 フーゴの姿を見たナランチャは、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「どうしたんです? 何かありましたか?」
 フーゴが問いかけると、ナランチャは飼い主にじゃれつく仔犬を思わせるような笑顔で首を横へ振った。
「アバッキオとミスタが、今日は暇だから、オレももう上がっていいって」
「え、本当に?」
「うん。で、近くにフーゴ達いないかと思って覗いてみたら、本当にいた!」
 たまたま覗いてみた店に知った顔があるなんて、どれだけの確率で起こりえるだろうか。仮にその店を――最近よく行っているらしい等の理由から――当てられたとしても、外から見える席にいるとも限らない。
(待てよ、もしかして……)
 こうなることを予見して、ブチャラティは窓の傍のあのテーブルを……? そういえば、ブチャラティの視線は時折窓の外へと向いていたような気がしないでもない。まるで何かを待っていたかのように……。
 それはともかく、ナランチャの話を聞く限り、今アジトにいるのはたったの2人。ということは、アバッキオとミスタのどちらかが引き続き留守を守って、もう一方が今日最後の集金等に出掛けるのか。それは流石に人手不足ではないだろうか。不測の事態でも起きたらどうするつもりなのか。もしかしたら、出掛けていった2人を羨ましく思ったナランチャが無理を言って出てきてしまったのではないか――自分で追い出したくせに――。あるいは、恋仲にあるフーゴも、尊敬するブチャラティも不在で、その上やることまでなくて暇だ暇だと騒いだのを、煩く思った年上達に体よく追い出されたのかも知れない。
 「いいのか」と尋ねるつもりで会計を終えて出てきたブチャラティの顔を見ると、彼はにこにこと微笑んでいた。いいのか。
 それにしてもこの店を知っているようであるとは、ブチャラティに見廻りのルートを外れさせているのはこいつか。
「食事終わった?」
 沈みかけている太陽の代わりのような表情で、ナランチャが尋ねる。
「ええ。たった今」
「じゃあもう暇だよな。どっか遊びに行こーぜ! まだ時間あるだろっ?」
 フーゴの腕にしがみ付きながら、ナランチャは早く早くと急かした。それを見て、ブチャラティは保護者のような顔で笑っている。かと思うと、
「じゃあ、オレはこれで」
 彼はさっさと立ち去ろうとした。いつの間にか一緒に食事を取ることが決まっていたように、いつの間にかブチャラティとはここで別れることが決まったようだ。
「じゃあな」
 彼はひらひらと手を振った。しかし歩き出した方向は、彼の自宅とは逆ではないか。フーゴは思わず「どこへ行くんですか」と尋ねていた。
「まだ時間はあるからな。オレも“遊びに”行ってくる」
 なんだか“含み”を感じる言い方だった。だがそれ以上追求するのはプライバシーの侵害に当たるだろう。ブチャラティが休みの残りをどこでどう過ごそうと――それが事務所のソファの上でも、あるいは集金に出る人物を待ち伏せるのであっても――自由であるはずだ。
 ナランチャは不思議そうな顔をしていたが、ブチャラティの姿が通りを曲がって見えなくなると、すぐにそんなことは忘れたようだ。
「どこに行く?」
 少し低い位置から覗き込むように向けられたその笑顔が眩しい。
「君はどこか行きたいところは?」
「んー、特にないかな。どこでもいい」
 具体的な希望があるから誘ったのではないのか。
(ということは、目的は“場所”じゃあなくて、“ぼく”……?)
 だとしたら、かなり嬉しい。
「あ、待って。君は夕飯は?」
「あ、そういえば食べてない。忘れてた」
「思い出そうとしないと分からないって、おかしくないですか?」
 小一時間ほど前に言われた言葉を返してやったが、ナランチャはそれを覚えていないようだ。「えー、何食べよう」と呟くその表情は、なんだか不満そうに見えた。それを、「すでに食事を終えてしまったフーゴと共有出来る時間を減らさなければいけないから」というのが理由だと解釈するのは、
(流石に自惚れ過ぎだろうか)
 フーゴとしては、ナランチャが食事をしているのを同じテーブルについてコーヒー一杯で眺めているのは全く苦にならないが、ナランチャの方は居心地が良くないと感じる可能性はある。
「あ、それなら」
 無意識の内に、フーゴの声は弾んでいた。「No」と答えられる未来なんて存在しないと決め付けているかのように。
「なに?」
「良かったら、ぼくの部屋に来ませんか? スパゲッティくらいなら、用意出来ますよ」
「いいの? 行く!!」
 2人は並んで歩き出した。
 フーゴは、真っ当な道を踏み外したばかりのあの頃の自分に教えてやりたいと思った。お前がどこにもないと思っている“未来”や“希望”は、ちゃんと存在しているんだぞ、と。世界も自分も、変われるのだ、と。きっと“彼”は信じないのだろうけど。それでも、分かる日は必ずやってくる。
「オレが食べてる間、フーゴは何してんの?」
「そうですね。明日の準備とか?」
「それって仕事?」
「ですね」
「今日は仕事禁止って言ったじゃん!」
「じゃあ、算数のテストでも作ろうかな」
「え、それって誰が……」
「もちろん、君が解くやつ」
「うわ、マジでぇー……。あ、でも、オレ明日休みだから、アジト行かないぜ」
「じゃあ明後日の分ですね」
「えええぇ。もっとさぁー、楽しいことしよーよぉ」
「ぼくは明日仕事ですけど」
「いっそサボっちゃうってのは?」
 それはかなり魅力的な提案かも知れない。リーダーも、たまにはそんなことがあってもいいと言いそうな気がする。さてどうしよう。
(スパゲッティを茹でてる間に考えよう)
 「うん」と頷くフーゴの歩調は、無意識の内に速度を増していた。


2020,01,18


当サイトのフーゴは苦労人なことが多いです。
働いてる描写多め。
たまには休みをあげないと! 働き方改革しないと!! と思って書いたのですが、言うほど休めてなかった。ただの早上がりだ。
ブチャラティも外出率高いのでたまには休みを以下同文。
<利鳴>

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