ミスジョル 全年齢


  平坦な道をみちなりに


「ジョルノ。おい、ジョルノ」
「ん……」
 自分の名を呼ぶ控えめな声に、ジョルノ・ジョバァーナは目を覚ました。視線を少し右へ向けると、「起きたか?」と尋ねるグイード・ミスタの姿があった。そうか、ここは今でも寝床として籍を残してある学校の寮ではないんだったなと、まだ半分眠ったままの頭でぼんやりと思い出す。
「おはようございます……」
「寝ぼけてるな?」
 そうだ、ここはミスタの部屋――時々泊まりに行っている――でもなかった。
「今、どの辺りですか?」
「それなんだが、オレにも分かんねー」
 ジョルノは両目を擦り、それでもなお閉じていたいと主張するように重たい目蓋をなんとか開いて、周囲を見廻した。
 ジョルノとミスタは、乗客がまばらにしかいない大型のバスの、やや後方の座席に並んで座っていた。久々に休暇を合わせて、たまには旅行にでも行こうかと長距離バスに乗ったのは、どうやら夢ではなかったらしい。
 窓の外は暗く、景色は見えない。かといってジョルノが眠ったままバスが半日も走り続けていたというわけではなく、どうやらトンネルの中を走行中であるらしい。
「トンネル?」
 はて、そんなところを通る予定なんてあっただろうか。そもそも行き先はどこだったか……。「どこでもいい」と、適当に決めた記憶だけはあるのだが……。
「見ろよ」
 ミスタが顎で車内前方を指すような仕草をした。声を小さく潜めているのは、他の乗客に迷惑をかけない以上の目的があるように感じ、窓側に座っているジョルノは、前の座席の背凭れの陰からわずかに顔を覗かせて様子を伺うことにした。
 どうやらその判断は適切だったようだ。運転席のすぐ後ろの位置に、黒い銃を持った男が立っているのが見えた。
「……バスジャック……ってやつですか」
「そうみてーだな」
 ミスタはまだ残っていたら買おうと思っていた商品が売り切れていた時のような――「あらら、残念」とでも言うかのような――口調で答えた。
 男は目出し帽で顔を隠した、「いかにも」な犯罪者スタイルをしている。前方の席にいる乗客に向かって何か怒鳴っているようだが、トンネル内を走行中の車内は煩く、その内容はほとんど聞こえない。
「つまり、当初の予定とは違うルートを走っている……と。どこへ向かっているんです? あの男の目的は?」
「分かんねー。オレもついさっき起きた」
 呑気なものだ。「自分が一緒なんだから護衛はいらない」と他の部下達の反対を半ば強引に押し切ったのはどこのどいつだとでも言ってやろうか。だが、分からないものは分からないのだから仕方ない。今更何故起きていなかったと責めるのは無駄でしかない上に、そもそもくだらないことだ。
「困りましたね。どうしましょうか」
 ジョルノは着るつもりだった服がまだ乾いていなかった時のような口調でそう言った。
 スタンドを使えば、犯人を取り押さえることは可能だろう。だがこの狭い車内で他の乗客の存在を一応気にかけながらと考えると、可能不可能の前に面倒臭い。
「銃の種類は?」
 ジョルノの位置からでは、それはよく見えない――すっかり見慣れたし触れてみたこともあるリボルバーとは違うようだということはすぐに分かったが――。
「ベレッタかな。たぶん本物」
 この距離でそこまで見分けられるとは、流石“拳銃使いのミスタ”といったところか。
「そういえば、警官が銃を奪われたニュースがありましたね。あれがそうかな」
 なんだか面倒なことになってしまった。
「こんなことなら車にすれば良かったかな」
 だが車だと今のように寝ていることは――少なくともハンドルを握っている方は――出来ないわけで……。それとバスジャック、天秤にかけたら、どちらが重いだろうかと、ジョルノは少し首を傾げた。
「こんなところで止まられるのは、ちょっと困りますね」
「確かに。どうせならもっと乗り換えに便利なところで降ろしてもらいたいぜ」
「同感です」
 2人はそろって頷いた。
「じゃあ、様子見で」
「了解」
「何かあったら起こしてください。ぼくはまだ眠い」
 そう言いながら、ジョルノはミスタの左肩に頭を預けた。
「オレを枕にすんの? これじゃー逆に“ナニか”起きそうなんだけど。なんかすげーいい匂いするし。何それ? シャンプー? あとオレも眠い」
「向こう1週間の下ネタを禁止します」
「オレ、よりによって4時間しか寝れてねーんだぜ? よ、じ、か、ん。誰かさんが朝早く叩き……いや、蹴り起こしてくれたお陰で。ああ、だからこんなことに巻き込まれてんのか。ついてねーな。やっぱ4は駄目だわ」
「奇遇ですね。ぼくも4時間しか寝ていません。昨夜誰かさんがなかなか寝かせてくれなかったお陰で。目が覚めて出発まで30分を切っていることを知った時は、流石に焦りました」
「焦ると寝てる人間を蹴り起こすのか」
「そのようです。ぼくも知らなかった。奇跡的にギリギリ間に合ったと思ったけど、こんなことになるなら間に合わなかった方が面倒がなかったかも知れませんね」
「おいっ、そこ!」
 前方から、急に大きな声が飛んできた。顔を向ければ、目出し帽の男と視線が合う。
「あ、バレた」
「さっきから何喋ってやがる! 静かにしろって言ってんだろうが!! サツに電話なんてしてたら、ただじゃあおかねーぞ!」
「静かにしろって言ってたそうですよ」
「他の乗客達はどうか知らないけど、オレは初めて聞いたぞ」
「ぼくもです。でもまあ、喚かれても煩いし、黙ってあげますか」
「そーするか」
 2人がいつの間にか平常に近いトーンに戻りかけていた声を再び潜めると、銃を持った男は運転席に向かって身を乗り出すような動きをした。行き先の指示でもしているのだろうか。
「動転してハンドル操作でもミスられたら厄介だな」
「ですね。こんなところで事故に遭いたくはないです。そんなことになれば、せっかくの休暇が台無しになってしまう」
「あの運転手、大丈夫かな」
「そもそも運転手は本物の運転手ですか?」
 最初から犯人とグルであったり、犯人の仲間が運転手になりすましていたり、そんな可能性もある――もちろんただ脅されて従っているだけという可能性も――。
「本当に面倒臭くなってきました。やっぱり寝てようかな」
「手っ取り早く見てくるか。ピストルズ、ちょっと行ってこい」
 ミスタの呼びかけに応えてゆっくりと姿を現したのはナンバー5だった。すぐに出てこなかったのは、彼等もいい気分で寝ていたところを起こされて、誰が行くかでもめたのだろうか――たぶんここはリーダーがと皆でナンバー1に押し付けようとしたのを、リーダー命令だとでも言ってさらにナンバー5に押し付けたのだろう――。彼等の能力は弾丸操作ではあるが、銃のパワーがなくとも、人と同じ程度の速さで空中を飛んで移動することは出来る。
 運転席へと向かう小人のようなその姿が見えている者は、乗客も含めて誰もいないようだ。これならいざとなればスタンド能力を使って――バスが止まる場所や多少の怪我人を問題としないのであれば――どうとでも出来ると考えて良いだろう。
 ナンバー5は運転席にいる人間の顔を覗き込み、すぐに戻ってきた。
「ミスタァー」
「どうだった?」
「ソモソモ運転手ッテ、ドンナ顔ダー?」
「……知らない」
「ぼくも知りませんね。見ていません」
「そんなの気にして乗らないよな」
「ですよね」
「喉乾いた」
「眠い」
「てめーらっ!!」
 いつの間にか近付いてきていた男が銃を突きつけてきた。そちらの方が脅し易そうだとでも判断したのか、銃口はミスタの目の前を通り過ぎ、ジョルノへと向いている。
 周りの乗客が一気にざわめいた。
「うるせぇ! 黙れって言ってんだろうが!!」
 今度のは間違いなく2度目の警告になるので、今の男の台詞は正しい。そんなことを考えながら、ジョルノは肩を竦めるような仕草をした。
「手、震えてますよ。大丈夫ですか?」
 あまり感情の篭もっていないジョルノの声に、先程とは違うざわめきが起こる。いや、それは小さな悲鳴だったかも知れない。おそらくそのいくつかは犯人への非難ではなく、軽率な言動で相手の神経を逆撫でする少年への呪詛の意が込められたものだろう。そんなものにはかまわずに、ジョルノは言葉を続けた。
「そんな様子で本当に撃てるんですか? 下手な鉄砲数打ちゃ……、なんて言いますけど、あれは嘘ですよ。当たらない相手には、何発撃っても当たらないものです」
 男は目を見開いて、驚愕したような顔をしている。一方ジョルノは、その唇にうっすらと笑みさえ浮かべている。これではどちらが凶器を突きつけて脅しているのか分かったものではない。
「貴方の目的や主義主張はどうでもいい。はっきり言って、少しも興味はありません」
 ジョルノはきっぱりと言った。
「ただ、ここで事故でも起こされて、貴方と心中するのはご免です。今のところそんな予定は皆無ですが、万が一心中することになるなら、2人でと決めてありますから」
 ミスタが「ん?」と首を傾げた。
「もしかしてオレ、めちゃめちゃ愛されてる?」
「あれ? 知りませんでした?」
 その相手がミスタだなんてことは一言も言っていないが、正解なのであっさり肯定した。
 男が意味不明な言葉を叫んだ。おそらく本人も何も分かっていないだろう。ヤケを起こしているようだ。男の右手の人差し指が引き金にかかる。その直後、
「ぎゃあああアァッ!!」
 悲鳴を上げたのは、男の方だった。引き金を引こうとした指を、鋭い木の枝が貫いている。おまけに長い蔦が巻き付いて、男の手と引き金をそれぞれ動かないように固定している。
「なっ……、なんだこれはああァッ!?」
「やっぱり、撃てそうにありませんね」
「そもそも構え方からして、全然なってなかったぜ」
 ミスタが男の手首を掴んで捻り、その手の中にある銃の先端を男自身の方へと向けさせた。ジョルノはまだ、スタンド能力で生み出した蔦を銃に絡ませたままだ。つまり、発砲は出来ない。それでも男は、自分の方へと向いた銃口を見て、目に見えて分かるほどのパニックを起こした。
「う、うわあああああッ!!」
「とりあえず、オレ達の休暇を邪魔したのと、オレのボスに粗末なもん突きつけてくれた罪は重いぜ」
「言い方がいやらしい。下ネタは禁止したはずです」
「おまえが深読みし過ぎだ」
「そろそろ脱出しますか。この状況にも飽きてきた」
「賛成。トンネルも抜けるみたいだしな」
 ミスタの言葉の直後に、視界がぱっと明るくなった。同時にノイズに似た雑音も消える。トンネルを抜けたバスは、カーブが連続する山道を走っていた。運転席とは逆側の窓の下には、崖のような斜面が見えていることだろう。
「バスを“下”に降ろします」
「りょーかい」
「ゴールド・エクスペリエンス!」
 ジョルノが叫ぶと、今まで銃を固定していた蔦が動き出し、今度は逆に引き金を引いた。直前に真上を向いていた銃口から放たれた弾丸は、バスの天井を突き破って車外へと飛んでいく。弾は男を掠りもしなかったが、腕から伝わった衝撃と間近で響いた銃声に、彼は今一度悲鳴を上げた。
「情けねーやつ」
 鼻で笑うように言うと、ミスタは自分の銃を、やはり天井に向けてかまえた。
「いくぜ! セックス・ピストルズ!!」
 立て続けに放たれた弾は、ピストルズによって何度も軌道を変え、バスの天井に人ひとりが通り抜けられるほどの穴を空けた。乗客達の悲鳴に、風の音が混ざる。
「忘れ物はありませんか?」
「大丈夫だ」
「じゃあ皆さん、そういうことで」
「チャオ」
「Buon viaggio(良い旅を)」
 ベレッタから放たれた物も含めて7発の弾丸は、ジョルノのスタンドによって生命を与えられ、「巨大な」と言っても差し支えないような立派な樹木へと、瞬時に成長していた。その1つはすでに気を失いかけている男に巻き付き拘束し、別の1つはジョルノとミスタを天井の穴から車外へと運んだ。
 バスはバランスを崩し――あるいは後方での騒ぎにパニックを起こした運転手がハンドル操作を誤って――道を大きく外れ、急斜面へと突っ込んでいった。その落下がぴたりと止まったのは、残りの幹がジョルノ達が出た穴から外へ向かって伸び、バスの車体を絡め取り、さらには周囲の木々に巻き付いたためだ。
 意思を持っているかのように動くその枝や根は、斜面の下を併走する形の道路まで伸び、車体をそっと着地させた。乗客の悲鳴が歓声に変わるのを、ジョルノとミスタは上の道路から見下ろすように聞いていた。
「面倒な警察の調査に巻き込まれるのはご免です」
「だな。とっとと離れるのが正解だぜ」
 どちらからともなく歩き出しながら、ジョルノとミスタはそろって大きな欠伸をした。
「そういえば結局あの運転手はシロでいいのか?」
「あの状況で何もしてこなかったってことは、巻き込まれた一般人と見ていいんじゃあないですか? 結果論ですが。どっちみち、もうバスは走れなさそうだし。彼がクロだったとしても、愚鈍な仲間は見捨てて、さっさと通報して、被害者を装って乗客と一緒に救助される方が得策だ。やりたいことがあるなら、相棒と手段を変えて、日も改めた方がいい」
「確かに」
「ところでミスタ、貴方のスタンド名は、禁止したはずの下ネタには該当しないんですか?」
「はああっ!? 辞書引け、辞書! お前は男子中学生かっ!」
「まあ、一応在学中ですが」
「ところで、オレ達どこ向かってたんだっけ?」
「さあ? 忘れました」
 あるいは最初から知らないのかも知れない。
 ミスタは両手を上げて、大きく伸びをした。
「じゃ、どこでもいいか」
「そうですね」
 頷いて、ジョルノはミスタの隣に並ぶように歩いた。
「行き先はどこでもいいとして、現在地すら分かんねーな。とりあえずヒッチハイクでもするか?」
「それか、カージャックですね」
 あるいはさっきのバス……、自分達が降りるのではなく、バスジャック犯や乗客、運転手達をここに“解放”するのでも良かったかも知れない。
 まあ、たまには休暇が“ただの”散歩で終わる。そんなことがあっても、良いと思うことにしよう。


2019,11,04


たまたま乗ったバスがジャックされようが、拳銃突きつけられようが、ダイレクト下車しようが、この人達ならそれは“特別”なことではないと思うの。
こんなことになってもまだ「最近暇だよなー。なんか事件でも起こらないかなー」とか言ってると思う。
<利鳴>

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