ジョルノとブチャラティ 全年齢


  study


 ジョルノが戻ると、さっきまで誰もいなかったはずの打ち合わせスペース――という名称になってはいるが実際に行われるのは飲食や雑談が圧倒的に多い――に人影があった。テーブルの上を覗き込むような仕草をしているその人物は、特徴的な服装から、一目で誰だか分かった――もっとも、それが可能なのは彼に限った話ではなく、メンバー全員に当てはまるのだが――。
「ブチャラティ」
 ジョルノが声を掛けると、顔を上げたブチャラティは柔和な笑みを見せた。その表情で、どうやら仕事は無事に――それでいて穏便に――終わったようだということが分かった。
「帰ってたんですか」
「今帰ってきたところだ」
「お疲れ様です」
「これは、ジョルノの?」
 そう言ってブチャラティが指したのは、テーブルの上に広げたままになっているノートや参考書だった。
「そうです。すみません、まだ帰ってくるまで時間があると思っていたので……。すぐに片付けます」
 近付いて行って手を伸ばそうとすると、ブチャラティは「かまわない」と首を横へ振った。
「続けていい。これは学校の課題か?」
「ええ」
 ギャングの一員となった後も、ジョルノは学校に籍を置いたままでいる。学歴なんてものに然程興味はない――“この世界”で生きていく上で必要なものだとも思い難い――が、卒業くらいはしておいても良いだろうと考えたのが理由の1つだ。それ以上に、全寮制の学校を出ていけば住む場所を失うことになってしまう。そちらの方が問題としては大きかった。自宅へ戻るつもりはさらさらないが、未成年の身では部屋を借りることも容易とは言い難い。チームのリーダーであるブチャラティに相談すれば名前を借りることは可能だろうが――実際にそうしている仲間もいるようだ――、「まあその内」と思ってそのままになっているのが現状だ。いつか学校側に組織のことが知られて退学を言い渡される日がくる可能性もあるが、その時はその時、それはそれで構わない。執着もなければ未練もない。ジョルノにとって、“そこ”はその程度の場所だった。
 だが、一応在籍したままでいるつもりである以上は、いくつかの不自由は受け入れなければいけない。その1つが“これ”、すなわち、宿題だ。と言っても、問題のレベルはジョルノにとっては低いくらいで、アジトの留守番中の暇潰し程度にしかなっていない。
 今日は他のメンバー達が出払っているということだったので、遠慮なくテーブルの上に学習用具を広げ、さらには大振りのマグカップに入れたお茶まで置いて、スペースを独占していたし、それ等を残したままトイレに立ったりもしていた。仲間達が戻ってくるまでには――片付けも含めて――終わるだろうと思っていたのだが、その予想は大きく外れていたようだ。別にその場所を必要としているわけでもないのに「占拠してんじゃあねーぞ」等と吐き捨ててきそうな人物の顔が頭の中に浮かび、最初に戻ってきたのがブチャラティであったことは小さな幸いであったのかも知れないとジョルノは思った。
 そのブチャラティはというと、一体何が面白いのか、参考書を埋める数式の数々をひとしきり眺めると、「なるほど」と言って少し笑った。ジョルノが首を傾げると、
「ナランチャの物にしては、難解な文字が並んでると思った」
 そういえば、仲間のひとりが同じように――こちらは別の仲間から出されたらしい――課題に取り掛かっている姿を見たことがある。打ち合わせのためのスペースは食事室兼談話室兼学習室であったようだ。いっそのこと「多目的スペース」とでも改名した方が相応しいのかも知れない。
「それ、面白いですか?」
 ブチャラティが妙に熱心に参考書を眺めているように見えて、ジョルノは再び首を傾げた。「返せ」だなんて一言も言っていないのに、ブチャラティは「ああ、すまない」と言いながらその場を少し離れた。
「物珍しかったんで、ついな。オレは子供の頃から“この世界”にいたから、学校へはあまり行っていなかったんだ」
「そうなんですか」
 少し意外だった。普段の様子から、彼に知識や学力が不足しているように感じることは一度もなかった。そう言ってみると、ブチャラティは「その辺は独学で」と唇の端を歪めるように笑った。
「ナランチャの勉強がもう少し進んだら、フーゴに頼んで混ぜてもらおうかと思っていたところだ」
「本気ですか」
 それはやめておいた方が良いだろう。下手をすれば「ブチャラティは出来るのに自分は……」とナランチャの劣等感を煽ってしまうことになりかねないし、フーゴも――幼い顔付きと言動の所為で年上には見えない後輩に対してならまだしも――リーダーが相手となるとやり難くて仕方ないだろう。何よりも、ブチャラティが参加したいと思えるところまでナランチャの勉強が進むには、だいぶ長く待たされることになるに違いない。
「ブチャラティは、勉強が好きなんですか?」
「未知との遭遇は嫌いか?」
「その言い方だとSFになってしまいます。それに、疑問文に疑問文で答えると正解の扱いにはならない」
「なるほど。早速ひとつ勉強になった」
 ジョークの言い方はギャングの世界で学んだのだろうか。ブチャラティは裏社会からは最も遠いのではないかと思えるような明朗な笑みを見せた。もし彼が“普通の学生”として成長していたら、その表情は少しの違和感もなく彼の日常にあり続けたのだろう。
「後悔……していますか?」
「ん?」
 ブチャラティが首を傾げると、切り揃えられた黒い髪がさらりと揺れた。
「“この世界”に入ったことを。……一般的な子供が過ごすような時間を捨てたことを」
 その質問の意味を考えるように、ブチャラティは2度3度と瞬きをした。そして、ゆるゆると首を横に振る。しかしそれは、厳密に言えばジョルノの質問へ対する返答としては、微妙に成立していなかった。
「“後悔”というのは、自分で選択することが出来た者がすることだ。もしあの時別の選択をしていれば、こうはなっていなかったのではないか……とな。オレにはそれは当て嵌まらない。オレには、選択の余地はなかった」
 そう答えた彼の表情は、いつもの彼のものだった。確かに、そこに過去を悔やむ様子は見られない。「これが自分の運命だ」と、全て受け入れ終えている。そんな顔だ。
 彼が“普通”の中で生きていくことを願う誰かはきっといたのだろう。だが、彼に選べる別の“道”が存在していたら、彼と出会うことなく救われないままで“終わってしまう”別の誰かがいたはずだ。ジョルノもそのひとりであったかも知れない。少なくとも、彼と出会うことがなければ、今こうしてこの場所にいることはありえなかった。それが運命なのか、それとも偶然の幸運なのか、その答えは分からない。おそらく、明らかにする必要はないのだろう。答えがどうこうというよりも、間違っていたのはおそらく最初の質問の方だ。
「くだらないことを聞きました。すみません」
「いや、構わない」
「お詫びにお茶でもいれましょうか」
「詫びる必要は全くないが、お茶はいただいておこう」
 そう言いながら笑うと、ブチャラティは椅子を引いて腰を降ろした。それを見届けてから、ジョルノはテーブルの奥にあるキッチンでお茶の準備を始めた。お湯が沸くのを待つ間、彼はブチャラティに背中越しに話し掛けてみた。「だからどうしたとか、そういう話ではありませんが」と前置きをして。
「ぼくは、子供の頃からギャングになりたいと思っていました」
 ブチャラティが選ばざるを得なかった――他の選択肢があれば選んでいなかったかも知れない――道は、ジョルノが選びたくても手が届かなかったものでもあった。
「でも、どうしたらギャングになれるか、なんて、教師が教えてくれるわけはない。どんなハイレベルな学校にだって、そんな求人はありえない。何の力もないただの学生でいることしか出来ないのが、もどかしく思えることもありました」
 そうやって過ごした歳月は短かったとは言い難い。だが、その日々を思い返す時、ブチャラティが言うように、そこに現れるのは“後悔”とは別の感情だ。ブチャラティの境遇を「羨ましい」と思うのとも違う。
(そう、しいて言うなら……)
 ジョルノは振り向いてブチャラティの目を見た。
「ぼくは貴方に会えて良かった」
 ブチャラティは小さく噴き出した。
「待て待て。人に聞かれたら誤解されそうな発言だ」
「そうですか。じゃあ、誰もいなくて良かった」
「もうすぐミスタが戻ってくると思うぞ」
「その前で良かったです」
 ジョルノとブチャラティは、真逆の人生を送ってきたのかも知れない。それでいて、どこか似ているようでもある。歩んできた道はまるで違っていても、今はこうして同じ空間にいて、話をして、一緒にお茶を飲もうとしている。これを奇妙と呼ばずして、なんと呼べば良いのか。
「……これって何の話でしたっけ?」
 何故学校の宿題からこんな流れになった。
(誰の所為だ? ぼくか? ブチャラティか?)
 ジョルノが眉間にしわを寄せると、ブチャラティは呑気な表情で小さく首を傾げた。
「『人生思った通りにはいかないものだ』? それとも、『人生案外なんとかなるもんだ』、かな」
 意外と悪くない。これまでの人生も、この数分間の会話も、それで全て片付けてしまえるような気がする。
「後者でいきましょう。そっちの方がポジティブでいい」
「じゃあそれで」
「Bene」


2021,06,30


5部ウエハース開けて出てきたキャラとあみだくじで選んだキャラで書こう! と思ったら、微妙に思い付きにくい2人が出てしまいました。
カップリングはさせてないし、それでいて奇抜さもないしなぁ……と。
しかし完成してみたら意外とびーえるっぽくなったかも知れなくてちょっとびっくりしました。
いやぁ、ほんっと、人生何が起こるか分からんですねぇ!
<利鳴>

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